後編/瞳ぇ閉じてみろ


 米沢城へと舞い戻った真人たちは、何も説明しない愁慈郎に戸惑う『雪若丸』のメンバーたちの手を引くように、仮設ライブ会場へと殴り込みをかけた。



「さあ、第二リハーサル――いや、第一ライブと洒落込もうか!」



 愁慈郎が快哉を叫ぶ。

 彼はステージへ飛び乗ると、使い物にならないマイクスタンドを構えた。



「でもシュウちゃん、マイクも楽器も使えないままなんだよ?」


「俺たちだってライブをしたい気持ちは山々だ。しかし……」



 メンバーたちの困惑を、愁慈郎は指を立てて制する。

 そのまま、立てた指を天高く掲げる。


 皆が、空を見た。



「空には、お天道様がいる! そしてここには、お前ら仲間たちがいる! 何よりオレは、岬愁慈郎だ!

 ……それだけで、十分じゃねえか?」



 そう言って、愁慈郎は歯を見せた。

 まるで餓えたけだもののように。しかして誇り高き武士もののふのように。



「トゥクール。イカしてるじゃないの」


「ぶっちゃけ、何言ってるかはイミフ系だけどねえ」



 糺と流香が、顔を見合わせている。



「けどよ、一体どうするつもりなんだ?」



 真人が訊ねると、愁慈郎は分からないかとでもいいたげに、不敵に嗤っている。



「簡単なことだぜ、真人。楽器が使えないなら。マイクが歌を通さないなら。ありったけの声を張り上げるだけだ」


「そんな簡単に……」


「言ってくれるな、とでも? ハハッ、だが、見たろ。さっきのオレの叫びを? 自分で言うのもなんだが、アレに曲でも乗っけたら、立派に歌になると思わねえか」


「あっ……」



 真人は目から鱗が落ちたように、ハッとさせられた。



「楽器が作られる前の歌は、一体、どんなだったろうなあ? それを今から再現する。 流星りゅうせいまさき葵璃夜きりや。力を貸してくれ! 真人、糺、流香。お前たちも頼む!

 なんでもいい、壁でも床でも、客席のベンチでも、テメエの腹太鼓だって構わねェ! 手あたり次第叩き奏でろォ!」



「おう!」


「アイサー!」


「りょ!」



 真人たちは駆け出し、音の鳴りそうなモノを片っ端から叩き出した。

 皆、楽器の経験など小学校の時のピアニカとリコーダー程度しかなかったが、それでも叩いた。


 少し遅れて、『雪若丸』たちも動き出す。

 リズムは足音フットステップ。導くは鼓動ハートビート

 即興演奏会エチュードの中、『つや姫』と真人おまけの三人と『雪若丸』の三人が交差する時、打ち合わせた掌の音が響く。


 愁慈郎は満足げに頷くと、マイクを構えた。

 彼にとって、スイッチが切れていることなど関係なかった。



「オレのうたを聴けェ!」



 想い人への片恋を綴った歌を叫ぶ。

 どうやらこれでも、闇邪鎧の力は干渉してくるらしく、あっという間に喉がカラッカラに干上がった。

 必死で空気中の水分を求めても、渇き固まった喉の弁はバカになっており、たった一吸いさえままならない。


 それでも彼は叫んだ。咳き込みながらも吐き出した。

 頬を滴る汗を舌先で貪りながら、ただ、我武者羅に。










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  第9話/後編 『瞳ぇ閉じてみろ』

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『――まだ、身の程を弁えませんか』



 息せき切っている愁慈郎の前に、コマチ闇邪鎧が現れる。



「はぁ……はぁっ……へっ。弁えてたまるかよ」


『……何?』


「この胸の中にある熱いモン、ぶった切っていいとすれば、それは鮭川凛という女、唯一人だなんだよ。小野小町――いやさ、吉子さんよ。断じてテメェじゃねえ!」



 愁慈郎の啖呵に気圧されたか、闇邪鎧がたたらを踏む。



『よもや、よもや。私の諱を口にするとは!』



 否。短歌の名手は、憤怒に打ち震えていた。



『歌に、名に。どれほどの意味が込められているか! それを軽々しく其方風情が口にするなど、それこそ断じてあってはなりませぬ! 我が歌は、我が名は、斯様に安いものではない!』


「洒落臭え!」



 愁慈郎は真っ向から牙を剥いた。



「そっくりそのまま返すぜ。オレの想いこそ、テメェに軽々しく封じられなきゃならねえほど安かぁ無ぇ。多少冷やされたくらいじゃ冷めねえんだよ、山形県民雪国生まれ舐めんじゃねえぞゴルァ!」



 そう吼えて、真人たちを一瞥する。



「真人たちは、うちのメンバーを頼む。一応、避難所あっちに被害が及ばないよう、カバーしてくれると頼む」


「ああ、任せてくれ」


「悪いな、トーシロの我儘を聞いてもらってよ」



 照れくさそうにはにかんで、愁慈郎はジャケットのポケットから取り出したインロウガジェットを、右目に翳した。



「こっからは、オレのソロだ――」



 瞳の紋章が浮き上がり、メダルとなってインロウガジェットに収まる。


 刻は、来た。



「平安の伝説にして正体不明の歌詠みさんよ。令和の時代に生きる俺のおもい聞きくらいやがれ!」

《リンゴ!》








 * * * * * *








 ヤツダテドライバーが現れたことで腰にぐっと重みが乗ったのを、愁慈郎は高揚で出迎えた。

 これが、戦う者が抱くべき志の重み。何かを守る責任の重み。誰かを求める想いの重み。



「ハッ。丹田が引き締まるってもんよ」



 作詞をしろと唐突に指示された時は、眩暈がしたようだった。

 何を書けばいいのか判らなかったわけじゃない。テメェの胸にあることはとっくの昔に自覚っていた。

 こっ恥ずかしくて、仕方なかったのだ。

 学がないから、上手い言葉など選べない。人生経験もないから、深みも出ない。

 同じメロディに韻を載せて2コーラス目を作るなど、マジでどうすりゃいいんだよと項垂れた夜もあった。


 けれど、凛が音信不通になり、『つや姫』が解散し――茫然と日々に明け暮れているうちに、気付いた。

 あの時眩暈がしていたのは、の理由で、あいつへの想いを綴ることから逃げていた自分の弱さに対してなのだと。



 目を閉じる。

 自宅で真人たちから聞いた話を思い返した。




「成程、凛がムドサゲとやらに、ねぇ」


「信じてくれるの……?」



 糺が、辛気臭い声でそう訊ねてきた。



「バーッカ、ったりめぇだろンなもん。『つや姫』が休止になる直前、泣きながら戻って来たあの時と同じ眼をしてんだ。信じるさ」


「えっ……あっ……?」



 いつの間に零れたのか気付いていなかったのだろう。糺はとめどなく溢れるものを慌てて指で掬い上げている。

 しゃくり上げる肩に寄り添ったのが流香ではなく、真人だったことは意外だったが。



「(愛されてるねぇ)」



 愁慈郎は目を細くする。なんだよ優男、立派に彼氏じゃねえの。



「話してくれたこと、感謝する。とりあえず、今日はオレに任せてくれや」


「駄目っ、愁慈郎まで巻き込むわけにはいかないわ!」


「糺の言う通りだ。オノノコマチは必ず俺たちが倒す。だから愁慈郎はライブに集中してくれ」


「右に同じ。ま、流香も新参なんですけど」



 そんな風に、一様に強がってみせる奴らの頭を、一発ずつ小突き倒す。



「アーホ。好きな女がトラブってんのに、指咥えてられる男がいるかってんだ」




 目を開け、独り言ちる。



「愛されてるねぇ」



 心配してくれる奴がいるというだけで、腹も据わってきた。



「待っていてくれ、凛。もっと強くなって、お前の前に立って見せるからよ」



 愁慈郎は、インロウガジェットを天高く掲げてから、ドライバーにセットした。



「――オラ・オガレ!」


《リンゴ! 出陣‐Go-ahead‐ゴー・アヘッド、アイゼン! 一切合切ギッタンバッタン!》



 米沢市章がドライバーから迸り、光芒をくぐった愁慈郎の体は、神の鎧に包まれていく。


 素体は米沢牛のように鮮やかな純黒。牛頭となっている頭部の雄々しい角は、愛染明王の逆立てた怒発にも似ていた。

 その内なる炎を現界させたような紅蓮の鎧は威風堂々。

 マフラーを風に靡かせ、米沢の戦士が、今、降臨した。


 戦士は、ドライバーのサイドボタンを叩き、武器を召喚する。

 表面に『愛』と刻まれた、米沢が誇る館山リンゴを模した籠手。ニシキのサクランボンボンに性質は近いが、バランスのいい球形のあちらと比べ、こちらはリンゴ特有の凹凸によって、より前面への拳打に特化している。



「我が聖拳に刻むは愛一文字いちもんじ! 右手めての恵愛空より広く、左手ゆんての情愛海より深しッ!

 三面六臂の明王より賜りし、『愛羅武勇あいらぶゆう』を携えて、咲かせてみしょう愛の華ッ!

 四苦八苦。足して百八の煩悩、この義愛王アイゼンが――ぶん殴らせてもらうぜ!」



 しゃぁっ! と気合一閃、アイゼンはコマチ闇邪鎧に躍りかかった。


『暴力とは、なんと無粋なものでしょう。――「みるめなき我が身をうらと知らねばや」』


 ニシキさえも絡めとった短歌の妙技が展開された。

 これで其方の動きを、と言いかけて、闇邪鎧の動きが止まる。


 意識しても視認の難しい蜘蛛の巣のような防御結界を、アイゼンが正面からぶち破ったからだ。



「っしゃオラァ!」


『な……っ!?』


「洒落臭えっつってんだよ。テメェも知ってるはずだぜ、深草少将ふかくさのしょうしょうとのことを忘れたか!」


『くっ……』



 素早く間合いを切って後退るコマチ闇邪鎧を、アイゼンは闘牛の如き猛進で追い縋る。



「テメェが九十九度下がろうとも、オレは百度手を伸ばす!」


『おのれ、おのれおのれぇ……っ! 私の諱のみならず、忌み名さえっ、その汚らわしい嘴で囀りおるか!』



 コマチ闇邪鎧は単衣の裾を払った。



『林檎など、風雨に煽られれば墜つるもの。――「今はとてわが身時雨にふりぬれば」!』



 にわかに頭上を群雲で包まれたアイゼンは、局所的な強風と冷たい雨に襲われた。



「時雨、時雨ねえ……確かに、林檎にとっちゃ時期的にやっべえわな」



 だが、とほくそ笑む。



「生憎と、傘は持ち歩かない主義でね。雨も滴る良い漢は、この程度じゃ怯まねぇんだよ!」


『そんな、粗野なことわりが通用するはず……』


「テメェらこそごちゃごちゃ回りくどいんだよ! 芸術的だとか、文学的だとか、そういう意味では凄ぇんだろうけど。好きだという想いは、そんな風に歯に衣を何枚も着せて贈るもんじゃねえはずだ!」


『雅も解せぬ分際で、粋がるでない。侘にも至れぬ麁相な凡夫が! 灰と滅せよ、「胸はしり火に心やけをり」!』



 闇邪鎧の袂から走った火花が、烈火となってアイゼンに飛来する。

 しかし、それでも彼は脚を止めなかった。



「オレの心は、そんな生温いとろ火なんぞより、熱く燃えているんだよ!」

《リンゴ! 八楯奥義ヤツダテ・アルティメットストライク!!》



 アイゼンは、最後の一足を踏み込んだ。

 ぐん、と詰められた間合いにコマチは仰け反るが、アイゼンの纏う破邪顕正の闘気に当てられてしまった足はもつれ、逃げることさえままならない。



「歯ァ、食いしばれよ? ――『壱ノ型・ぶっ』!!」



 繰り出した絶拳で、コマチ闇邪鎧の核を貫く。


 断末魔の後、息も絶え絶えに呻きよろめく細い躰を、アイゼンはそっと受け止めた。



『嗚呼……我が生、夢と、知りせば……』


「夢だからこそ、覚めなきゃらねえ。愛する者は、現実にしかいねえんだからな」


『……いとせめて、恋しき時はむばたまの』


「それでもオレは、この手を伸ばそう」



 囁くと、コマチがふっと微笑んだ気がした。



『あなめ、あなめ。涙で前が見えませぬ』


ぇ閉じてみろ。そこに答えがあるだろうさ」



 風に溶けていく義骸を、アイゼンはただじっと看取っていた。








 * * * * * *








 コマチ闇邪鎧の依り代となっていたのは、メンバーもよく知る熱烈なファンの一人だった。

 目を覚ました彼女が、まさか愁慈郎に抱かれているとは夢とも思わず半狂乱になった挙句に卒倒してしまうというハプニングに見舞われながらも、どうにか闇邪鎧騒動には一段落付けることができた。


 真人たちは月布たちからもらったチケットが最前列の席だったことに驚きながらも、スタッフ総出で整えたライブ会場の中、他のファンたちとともに開演の時を待っていた。


 オープニングのイントロが流れ、愁慈郎たちがステージに飛び出せば、たちまち黄色い歓声の嵐が巻き起こる。



「待たせたな、皆! ちょっとトラブルがあって、開演が遅れちまったけど。その分、がっちり密度のある時間で詫び入れすっから、よろしく頼むぜ!」



 またも噴火のようにどっかんと沸き起こったファンたちの絶叫に、真人は完全に圧倒されていた。

 振り返れば、観客のほぼすべてが女性。一応は奥の方にカップルらしき客の男性も見えるが、一対九十九のレベルでアウェイである。



「すげえ熱気だな」



 すぐ背後の若い女性ファンのエネルギッシュな熱気に震えながら、糺に救いを求めた。



「そ? ライブなんてこんなものよ」


「まあすぐ慣れるっしょ。ファイトだし、白水センパイ☆」



 にやにやとからかうような流香の視線に不穏なものを感じながらも、



「大丈夫。ライブには魔法がかかっているから」



 などと糺から励まされては、腹を括らなければならなかった。


 ステージ上の愁慈郎が、歓声が静まるのを待ってから口を開く。



「まずは、お礼を言いたい。今日のライブがトラブルを乗り越えられたのは、仲間たちのおかげなんだ。それは、大切な『雪若丸』のメンバーやスタッフであり、そして――真人、糺、流香という仲間たちだ!」



 一瞬、彼がなんと言ったのか理解できなかった。



「はっ?」


「ウップス?」


「あっちゃー」


「拍手で迎えてくれ!」



 そんな風に愁慈郎が指をさして煽るものだから、糺と流香はともかく、真人までもがステージに引っ立てられてしまう。



「おう、マブダチ。一緒に歌ってくれねえか」


「いや俺、まだ歌詞とか覚えてねえし――」



 真人の弱音ははじめから聞くつもりがなかったのだろう、無慈悲にもバックバンドの演奏が始まってしまい、声はあえなく掻き消えてしまった。



「どだなだず!」



 まずい、逃げるしかないのか。逃げられるのか?

 おそるおそる顔を上げた真人は、眼前に広がる景色の美しさに打ちのめされた。


 会場を埋め尽くすファンが手に手に振りかざす団扇やら横断幕やらペンライトやら、各々の『雪若丸』へのファンの気持ちが極彩色に踊っている。

 米沢城址という史跡に現代の華が咲き、遠くに透ける山の稜線さえも燃やしているように見えた。


――大丈夫。ライブには魔法がかかっているから。


 息を呑んだ。



「ははっ……どだなだず」



 糺たちはこんなにも見惚れるような景色を知っていたのか。

 どうりで、何かを守ろうとする意志も強いわけである。

 『つや姫』として、あるいは『雪若丸』として、この光景を守り抜かなければならない戦いの日々を送って来たのだから。



「真人、真人」



 不意に、糺から肩をつつかれた。

 その指先がふいと逸れ、前方の足下を指し示す。


 そこには、歌詞の表示されるモニターがあった。



「私がサポートしたげる。この際よ、一緒に楽しみましょう?」


「ああ。そうだな!」



 頷いて、真人はマイクを受け取った。




 この数分間のことを、とびっきりの羞恥心とともに思い返しては、熱に浮かされて仕方のない頬を二時間かけてアイスコーヒーで冷ますことになるのは、また後の話である。





――第9話『PATH OF LOVES』(了)――

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