第4話『薔薇民治丸』

前編/姫若子と剣聖


――山形県某所・喫茶『ごっつぉ』



 少し前から『OPEN』の表記に変わった手書きボードの前で、真人はスマホを耳に当てたまま所在なげだった。



『野球やサッカーならまだ定番なんだけど、またシビアなところを選んだね。当日ってところもネック。予定が空いているかの確認はした?』



 通話の相手は創。ヒーローショーの稽古の合間なのだろう、まだ少し息が上がっている。

 この手の相談には彼が適任だろうと踏んだ急な電話だったのにも関わらず、真摯に応えてくれることがただただありがたい。



「それが、なあ……」



 真人は歯切れ悪い返事をしながら、ガラス張りのドアを覗き込んだ。

 喫茶店の前で電話しているという様子は別段珍しくもないだろうが、日光の反射に目を細めながら店内を窺う様子は不審者この上ない。喫茶『ごっつぉ』が閑散とした立地に構えた知る人ぞ知る店であることと、今日が平日で、まだ客入りのピークには早いことが幸いである。


 開店と同時に転がり込んできた高豆蒄、月布、簗沢ら常連組数名は各々いつものテーブル席に着いている。今のところ、カウンター席にいるのは一人だけ。

 彼女の横顔は、いつもと雰囲気が違った。普段は適当に流れるままの髪も、今日は可愛らしいシュシュで留められている。携帯をいじる指先には、紅いネイルが薄く施されていた。



「もしかしたら、予定入ってる」


『そうなの?』


「いつもよりオシャレっつーか、気合い入ってるっつーか……ああ、ひらっひらのスカート穿いてるところなんか初めて見たわ」



 思わずため息が漏れた。いつ戦うことになるか分からないから動きやすい生地を好んでいるのだと言っていたような記憶がある。


 ロコドル時代の貯蓄と、たまに喫茶店を手伝っているバイト代でその日暮らしをしているらしいとは聞いているから、相手が現在の職場の上司だとか後輩ではないと考えられる。

 しかし、先週末は盛大にスリッパ卓球大会を催していたのだ、今度は学生時代に仲の良かった男子と会う約束をしていても何ら不思議ではない。確か、ゴロウ闇邪鎧の依代となっていたのも彼女の同窓生だったはずだ。これだけ揃えばビンゴである。


 真人が壁にもたれて青空を仰ぐと、電話口からくすくすと笑う声がした。



『その人が近くにいるんなら、落ち込むのは早いかもね。ちゃんと確認はした?』


「うんにゃ、まだだけど」


『じゃあ当たって砕けろだ。ふふっ、ついに君にも春が来たんだね』


「そ、そんなんじゃねえからな! これはお礼っつーか、ねぎらいっつーか!」


『はいはい。舞鶴山で避難誘導手伝ってくれたんだもんね。ちゃんとお礼しなきゃね』


「だーかーらー!」



 言い訳も虚しく、創は『頑張れ』と明るい一言を残して通話を切ってしまった。

 随分と気軽に言ってくれるものである。こちとら、ここからが本番だというのに。


 真人はいつまで経っても心の準備をしてくれない胸を一発叩き、丹田からの呼気で活を入れると、ぎゅっと目を瞑ってドアを開けた。



「お帰り。もう注文来てるわよ」



 迎えてくれた微笑みには曖昧に答え、その隣へと立つ。

 湯気の立ち昇るコーヒーが置かれたカウンター席を素通りした真人に、微笑みの主は、示した指の行き場をなくして目を瞬かせた。



「何、どした?」


「なあ、糺。今日、予定空いてたら、さ。昼から温泉に行かないか」



 彼女――糺は「ぬぁ」とよく分からない声を喉から零し、左手に持ったカップをおもむろに口へ運んで、秒針が時を刻むように瞬きのテンポで視線を彷徨わせ、



「はああああああ!? いや、その、ちょ、えっ? ちょおおおっと早くないですかー!?」



 カップを取り落としそうな勢いで仰け反った。



「な、何が」


「わっ私、あんたとまだそんな関係じゃないと思うんですけど!」



 背後に聞こえる高豆蒄たちの「「「まだ……?」」」という声にハッとした糺は、下唇を噛み、目を手で覆ってしまう。



「ともかく! 何なんなのよ急に」



 俯いたままの状態で詰問され、真人は鼻の頭を掻いた。



「村山の体育館で、高校ン時の後輩が居合の大会をするんだよ。応援に行くことになってさ」


「へえ、居合。で? それがどうして温泉に繋がるのかしら」


「いやほら、お前、俺より長い間、その……アレだろ」



 戦ってきた、という表現を他の客の面前で言う訳にもいかず、真人は言いよどむ。それでも糺は汲み取ってくれたようで、「そうね。それで?」と促してくれた。



「大会の会場が温泉のすぐ傍なんだよ。だから、お前さえ良ければ。観戦がてらどうかな、と」


「ふうん。気を遣ってくれた、と」


「いや、その……まあ」



 頷くのは気恥ずかしかった。

 昨夜、糺を誘うことを決めた際、ふと浮かんでしまった『デート』という言葉が未だ頭から離れないのだ。おかげで朝イチには切り出せず、創に電話するハメになってしまったのだが。



「ハハ……碁点温泉じゃあ物足りねえだろうけどよ」



 沈黙に耐えかね、卑屈が口をついて出た。

 村山市にある碁点温泉は、『○○温泉』と銘打つものの一つとして知られているが、別段温泉街だというわけでもない。乱暴に言えば『大型の大衆浴場』。レクリエーション施設を作ろうと掘ったら温泉がオマケで付いてきたと言った方が適切な場所であった。


 最上川の三難所が一つである碁点の景色を望む露天風呂は素敵だが、本当に女性を誘うなら、隣の東根市か、碁点から葉山側を抜けて尾花沢市の銀山温泉まで走った方がずっといい。



「居合も、興味ないよな。悪い、忘れてく――」


「ストップ」



 不意に制止がかかり、真人は息を呑む。

 わずかに顔を上げた糺が、手のひらとの隙間からこちらを見上げてくる。



「アシは?」


「は……?」


「だから、アシ。移動手段よ。車が必要なら、一旦帰らなきゃいけないもの」


「誘ったのはこっちだ、俺の車を出すよ。飯とかその辺も気にすんな」


「やたっ」



 糺はいそいそとコーヒーを飲み干し、カウンターに小銭を数枚置いて立ち上がった。軽い足取りでドアを開けたところで、真人が付いてきていないことに気付き、小首を傾げる。



「何ぼけーっとしてるのよ。早くそれ飲んじゃって、行きましょう、ゴー、ナウ!」


「あ、ああ」



 颯爽と吹き抜けていく風を呆然と見送った真人は、ややあって、自分のコーヒーに口を付けた。まだ温かい。

 ポケットから車のキーを出したところで、高豆蒄たちのにやけ面と目が合ってしまう。



「あー、糺ちゃんおめかししてっど思ったら、デートだったながえ!」


「んだっても、今さっき予定訊いったんだべ? おめかし関係ねぐねえの?」


「んもう、簗ちゃん。こさ来っど真人くんがいっがらに決まってるじゃない」


「そういえば、義人くんもこんな風に真美ちゃんばデートさ誘ってたっけよねー」


「んだな。やっぱり親子なんだべにゃ」


「「「頑張れ、オトコノコ!」」」



 ぐっと立てられた三つの親指に、真人は回れ右をする。危うくコーヒーを噴き出してしまうところだった。



「どだなだず……」



 背中に刺さる好奇の視線がムズムズとするのを堪えてカップを煽り、奥にいるだろうウカノメに一声かけて、真人も店を出た。










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  第4話/前編 『姫若子と剣聖』

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――山形県村山市・市民体育館



 居合の試合会場というのは、凛と張りつめた静けさで満ちている。

 剣道のように気声を発することもなく、無駄な鞘鳴りもない。座る時の袴払いと、燕が空を切るような刃の音、そして時折響く踏み込みの迫力だけが場を支配していた。


 二階席に陣取った真人たちは、繰り広げられる演武に釘づけだった。



「わ……びりっとくる」



 糺が声を漏らしてしまってからハッと口元を抑えるのを見て、つい笑ってしまいそうになった真人も、袖で口を覆った。

 一連の演武が終わり、判定で勝敗が告げられる。試合が終わると、まるで結界が解かれたかのように音が戻ってきた。


 前のめりだった糺が、ふうと息を吐いて観覧席に腰を落とす。



「大丈夫か?」


「ええ、気にしないで。ほんのちょっとの物音さえ邪魔ノイズになってしまいそうで、ちょっと予想以上に緊張していただけだから」


「俺も最初来たときは驚いたよ。大会なんて、うるさく応援してナンボだと思ってたからな」



 真人も倣って伸びをすると、ぽきぽきと背骨が鳴った。

 自分は経験者だった手前、もう少し耐えられるかとも思ったが、どうやらそうもいかなかったらしい。

 そんなこちらの伸びに、糺は「変なカッコ」と笑ってから、飲み水に口を付ける。



「喋っちゃダメなのは知らなかったけれど、嫌な空気じゃないわね。神聖というか……」


「ご明察。見取る側も武の姿勢――礼を重んじているからこそなんですよ」



 かけられた声に、糺が居住まいを正す。

 やってきたのは、居合着姿の少年だった。さらっさらに整えられた髪と、色の白い肌に浮かぶ柔和な笑顔はどこか儚げで、



「綺麗な人……」



 糺がそう漏らすのも頷けた。

 一方の真人は、気心の知れた相手の登場に、手を挙げて挨拶する。



「よう、雪弥ゆきや。順調に勝ち進んでるみたいだな」


「ええ。真人先輩の前です。無様は見せられません」



 そう言って、少年はくすくすと目を細くした。



「紹介するぜ、糺。こいつが雪弥。今日呼んでくれた後輩だ」


「えっと、ど、どうも。雛市糺です」


「澄んだ瞳をした方ですね。初めまして、楯岡たておか雪弥ゆきやです。失礼でなければ、糺さんとお呼びしても?」



 そう言って少年――雪弥は、挙動不審な手を両手で握り返す。そっと触れるくらいの力加減に包まれた糺は「そんなっ、滅相もない!」と目を白黒させていた。


 舞鶴山にてモテ王子・創を一蹴した糺でさえたじろぐ気品。それが雪弥からは醸し出されている。創が異性と接する中で培った『努力して作り出すナチュラル』ならば、こちらは『天然モノの不自然』。

 まるで俳優や歌劇団の男役を見ているかのような雰囲気には、コアな女子人気があるのだという。一部では、剣術の腕に秀でていることから『現代の沖田総司』だとか、男性でさえ息を忘れるほどの美少年っぷりから『森蘭丸の生まれ変わり』などと呼ばれているとかいないとか。



「しかし先輩。彼女さんを誘っても大丈夫なのですか?」


「いや彼女じゃねえし。それに、別に女人禁制ってわけでもないだろう?」



 真人はアリーナにいる選手たちを指さす。少ない人数とはいえ、そこには女性剣士の姿もあった。



「会話に花を咲かせることもままならず、まして傍目には勝敗の基準も判りづらいものを見せても、面白くないかと……」


「構わないわよ。私、居合――というか、武術全般が好きだから」


「貴女がそう言うのならば。すみません、出過ぎた口でした」



 はにかみ、頭を下げた雪弥に、糺があっと声を上げる。



「こういうとき、ちゃんと刀のつかを抑えるのね」


「ええ。普通にしていれば落ちることもありませんけれど」


「とても丁寧に扱ってるわよね。刀を納めるときも、映画や時代劇みたいにチャッキンチャッキンさせないし」



 身振りまで加えた彼女に、真人と雪弥は思わず噴き出した。



「そうですね。あちらは演出ですから」


「んだな。実際にンなことやったら、ガタガタになってすっぽ抜けちまう」



 そう言って、雪弥は鯉口を切り、少しだけ見せた刀身の鍔元部分を指で軽く揺らしてみせる。

 最強の近接武器と言われる日本刀が、どういう仕組みでできているのか興味津々な糺が覗きこんでいると、静粛な会場に似つかわしくない怒号が飛んできた。



「おいコラァ! テメェ、何くっちゃべってんだ!」



 階下からのそれに、雪弥の肩が跳ねる。ただならぬ空気に、糺も体を起こした。



「……申し訳、ございません」



 声を荒らげた男性に、雪弥の優しい笑顔は鳴りを潜めてしまっていた。口にしたような謝罪の色ではない。むしろ一切の表情を殺したかのような様子だ。



「……引き留めて悪かったな」


「いえ、先輩はお気になさらず。それではまた、後ほど」



 小さな目礼を残して去っていく背中を、真人は苦い顔で見送った。



「今の、先生かしら。雪弥くんには悪いことしちゃったわね」


「いいや、オヤジさんだ。ちょっと難しい人でな。忘れてたぜ」


「そう……」



 詳しくは言わないまでも、察してくれたらしい糺は目を伏せる。

 睫毛越しに雪弥の父をしばらく眺め、次に顔を上げた時には、彼女のポーカーフェイスが戻ってきていた。



「そういえば、雪弥くんは後輩なのよね。あんたも居合できんの?」


「少しだけな。うちの剣道部の顧問が居合の先生と仲良くてさ、朝稽古の一環として週に何度か。ただ、制定居合っつー共通の技しかやってねえから、俺は大したことねえよ」


「なあに、謙遜しちゃって。フランメイルの剣捌き、カッコ良かったじゃない」



 悪戯っ子のように肘で突っつかれ、真人は身を捩った。どうせ茶化しとお世辞の言葉だろうが、褒められたこともむず痒い。

 真人はそっぽを向いたまま、言った。



「お前こそ、武術が好きってのは……戦うためか」


「好きなのは元から。まあ、本腰入れたのは最近だし、我流なんだけどね」



 遠い目をした糺に、軽い気持ちで訊ねた口が開かなくなる。

 女性は武術をするなと言うつもりは毛頭ないが、それでも。近年の『スポーツ武道』と揶揄されるような世界ならばともかく、生死をかけた戦いに身を投じる覚悟を決めるためには、一体どれほどの苦悩があっただろう。



「そっか」



 真人はそれ以上訊かず、頬杖をついた。






  * * * * * *






 体育館の廊下を、憮然とした表情で練り歩く男がいた。

 目がチカチカするような蛍光色の柄シャツで風を切りながら、周囲の剣士たちに睨みをきかせては、目を逸らされたことにふてぶてしく鼻を鳴らす。


 男の名はツノカワ。無法な戦い方で業界を追放されたボクサーの体を依代に現界した、ムドサゲの一人である。



「ふん、腰にもぶら下げといて、どっちも飾りかよ」



 ツノカワは不満だった。

 男に『強さ』を求めなくなったのは時代の変化とやらのせいらしいが、それにしても、どいつもこいつも弱すぎる。


 刀は勿論、銃とて然り。武器とはあくまで個々の性能を補うための代物であり、熟練度が伴わなければ意味がない。尤も目前の剣士たちが、武器を持っただけで粋がる場末の破落戸ごろつき風情ではないことだけは救いか。そうなれば仕舞いである。


 刃物を持った大人より、銃を持った子供の方が強いという。片腹痛い話だ。

 大人に対銃戦の心得があるか否か、子供は銃を構えて狙い通り発砲する技術があるか否か、そういった単純な要素さえ、まるで考慮されていない。時と場合と熟練ヒトに依る。それが正解だ。


 舌打ちをしたツノカワは、視界の端に一人の剣士を捉えた。



「(おいおい、何だよこいつぁ……女みてえじゃねえか)」



 胸元の名札に『楯岡』と書いた少年剣士は、吹けば飛びそうなくらいに細い。戦国の世の手弱女でさえ、彼の前では女丈夫と呼ばれるだろう。

 そんな姫若子に文句を吐きつけている、父親らしき中年の男も見るに堪えなかった。筋肉はそこそこあるようだが、体幹がてんでなっていない。手弱女以下の姫若子にも劣る父親とは、なんとも不甲斐ない。



「……ったく、ニンゲンは強さというものを理解しちゃいねえ」



 原因は女の質の低下にあると、ツノカワは考えていた。かつては『善き男は、善き女が育てる』とまで云われたが……これも時代の変化とやらの膿みで腐ってしまった。

 戦う術を野蛮と称して男の牙を抜き、そのくせ筋肉質がいいなどと見た目だけには拘る。果たして目前の『細マッチョ』とやらがどれほど強いだろう。そんな女の価値観に合わせ、釣るためだけに『見せ筋』なるものを追う男に、果たしてどれほどの芯があるだろう。


 本質をまるで見ていない。現代に武術的強さは要らないだとか、最大の護身術は逃げることだとか知った口を叩く者が増えているらしいが、正しく訓練しなければ逃げることさえ能わぬのだと理解している者はどれほどいるだろうか。



「武術の大会を漁れば上物が見つかるかとも思ったが、とんだ無駄足だったかねぇ?」



 ぼやきながら角を曲がろうとした時、ツノカワははたと足を止めた。



「へえ。いるじゃねえか」



 通路の奥で一人、刀を振っている男がいる。

 しばし目を凝らしてから、戯れに殺気を飛ばしてみると、なかなかどうして、彼はこちらに気付いて剣先を向けてきたではないか。



「誰だよ、あんた」


「オレはツノカ……ああ、高擶たかたま拳志狼けんしろうっつったか。まあいいや、名前なんざどうだっていい。それよりお前、いい剣を使うな。優勝候補かい?」


「嫌味か? ついさっき、楯岡ってお坊ちゃんに敗けたところですよええどうも」



 吐き捨てられた名前に、ツノカワは記憶を掘り返す。楯岡という名前と、先の女っぽい剣士が一致し、呆れて目を覆った。



「敗けた? ハッ、お前ほどの奴が敗けた? 見たところ、初発刀しょはつとうは脳漿を散らし、袈裟切りは臓物を抉り、撃突の一刀は正鵠を射るが如しだ。オレの殺気にも気付いた。そんなお前が?」


「……俺の技は汚いんだとよ。変な話だよな、こいつは人を殺す術だってのに」


「ああ、全くだ。武『芸』などと言った輩のせいで、全て虚飾に塗れちまった。截拳道ジークンドーなんかが最たる犠牲者だろうよ。李小龍ブルース・リーを師父と崇めながら、奴らにとっちゃ思想は二の次、截拳道という流派かたがきが欲しいだけなのさ」



 そんな『枠』でしか見ていないために、巷では『どの格闘技が最強か』などという滑稽極まりない議論が成されているのだ。そんなもの、酒宴の余興でやればいい。

 馬鹿馬鹿しい。饐えた酒に腐した肴、退屈凌ぎにもならぬ余興など。



「だから屠ろう。お前にその力をくれてやる」



 そう言ってツノカワは、男の返事も待たずに、緋色の瘴気を纏った拳で殴りかかった。






  * * * * * *






 真人たちは、決勝戦を前に背筋をしゃんとしていた。


 居合にも、形意拳やムエタイをはじめとする他武術のように、自然や動物の流れを取り入れた技があるのだと、雪弥から聞いていた。

 ある時は横に走る雲が如く、ある時は一足を閃く虎が如く。攻めれば稲妻を迸らせ、躱す体捌きは浮雲のように敵を翻弄し、山颪となって素早くすきを薙ぎ払う。

 何故その技をそう擬えたのか、何故その技が生まれたのか、それを理解しなければ成せぬという妙技の数々は、正に、命を奪う闇と、生へ向かう光が混ざり合った芸術だった。


 雪弥が抜き打つ刀に、糺がはっと息を呑む。

 雨のような銀の斬線が描かれる度、それは光を反射して虹となる。最早、綺麗などという言葉さえ烏滸がましく思えるほどの美しさだ。

 真人も、彼の使う技の名前は知らない。この大会では制定居合一本に古流四本の演武をする形式となっているようで、見知っているのはせいぜい一本だけ。その点は素人の糺と同じレベルだろう。


 しかし、それで十分だった。

 彼らが間違いなく仮想敵と対峙していて、それに斬り勝っていることが視えるのだから。

 雪弥が納刀をしたとき、ようやく真人と糺は、呼吸をすることを許された。


 三人の剣士たちが演武を終え、いざ判定が告げられようとした、その時だった。

 試合をしている聖域に侵入する者が現れたのである。



「おい、葉山! 何やってんだ!」


「下がれ、下がれ!」



 頬に痣を作り、荒い息をする男を、周囲にいた剣士たちが抑え込もうと集まる。

 しかし、男は意に介さず。剣士たちを引き摺るように審判席に座している大先生方の前まで辿り着くと、



「死に去らせ、耄碌凡夫どもぉぉぉぉぉぉッッッ!」



 雄叫びを上げ、異形へと変貌した。



「なっ、闇邪鎧!?」


「ちょっと何アレ、サムライ!?」



 降臨した闇邪鎧は、腰に刀を提げていた。柄が通常のそれより長く、刀身も一メートルをゆうに超える。大太刀と言っても遜色ない業物である。

 羽織袴といった出で立ちの侍風闇邪鎧は、静かに鯉口を切った。


 それを合図にしたかのように、周囲の剣士たちが一斉に刀を構えた。防衛本能か、はたまた盛んな血気がそうさせたのかは解らない。

 それでも現代の侍たちは、異形に立ち向かうべく身を奮わせたのだ。

 しかし、



『……抜いたな?』



 闇邪鎧は不服そうに唸る。



なれらは、何のために居合を修めていたのか!』



 一喝の覇気だけで剣士たちを吹き飛ばし、再び大先生らの下へ歩もうと――したところで、ふと、足を止める。

 そこには唯一、納刀状態で隙を窺っていた雪弥がいた。



『ふむ。汝には良い剣氣が宿っておる』


「雪弥、逃げろ! オラ・オガレ!」


《ラ・フランス! 出陣‐Go-ahead‐ゴー・アヘッド、ニシキ! 心に錦、掲げるつるぎ!!》

《ベニバナ! 出陣‐Go-ahead‐、レイ! 花開け、クリムゾン・プリンセス!!》



 レイが一足先に、雪弥の前へと滑り込んだ。

 それに闇邪鎧が気を取られた隙に、フランメイルを纏ったニシキが飛びかかる。



「来い、『ラフランスライサー』!」



 ベルトのスイッチを叩き、現れた洋梨バックラーから剣を引き抜き、上段から振り下ろす。

 しかし、体重と落下速を乗せた一撃は、刀で防がれてしまった。



『八幡太郎が下賜されたという神器か……然れど、いかな者とて邪魔立ては赦さぬ!』



 闇邪鎧は虚を突かれてなどいなかった。ほんのわずかな動作でこちらの剣は受け流され、未だ宙に浮いたままの体を、後方に振り被った刀で切り伏せられる。



「が……はっ……」



 胴を真っ二つに刈られるような一太刀に、ニシキは息が詰まった。

 入れ替わりに踊りかかったレイにも、闇邪鎧が怯むことはない。達人の居合は、抜刀と同じように納刀も速いのだ。レイがニシキを飛び越えて距離を詰める頃には残心――次の攻撃の準備が完全に整っている。

 そうなってしまえば最早拳技に勝機はない。レイは柄当てからの抜刀によって後退を余儀なくされた。


 だが、意味が無かったという訳でもない。



《ラ・フランス! 八楯奥義ヤツダテ・アルティメットストライク!!》


「行くぜ…………『ラフランスプラッシュ』」



 辛うじて立ち上がり、剣をバックラーに戻したニシキに、闇邪鎧も重心を落とした。



『奥義にて活を見出すか。良かろう、せつも神威を以て応えよう――神伝「電瞬卍抜でんしゅん・まんじぬき」』


「うおおおおおお――――っ!」



 ニシキが剣を抜こうとした刹那、闇邪鎧の姿が視界から消えた。

 後方に気配を感じて振り返る。そこには、刀が鞘に納めたままのサムライがいた。

 いや、否。



「がっ……あ……っはっ……ぐあああっ!?」



 既に抜刀を済ませ、刀に納めた後だったのだと理解した時には、ニシキの鎧が爆ぜ、変身解除によってその身が無残に放られてしまう。



「嘘、見えなかっ……きゃあああっ!?」



 電光石火の斬撃が撫でたのは、一人だけではなかった。凄まじい神業である。

 真人と糺が床にもんどり打つのを一瞥して、闇邪鎧は雪弥に向き直る。



『汝は、何故なにゆえ武の道を往く?』


「僕が……武の道を往く理由……?」


『解らぬか、ならば熟考せよ。この場は玉石たる汝に免じて収める。再び相見えようぞ』



 そう言って、闇邪鎧は姿を消した。



――中編に続く――

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