後編/何度でもだ!
部屋に入ると、糺は壁に背をもたれて俯いていた。しおらしく下唇を噛み、ジャージから着替えたカーディガンの裾をきゅっと握っている。
真人は「いつまで突っ立ってんの」くらいの軽口を待ってみたが、彼女はじっと動かない。
観念して小さな椅子に腰かけると、ようやく、糺も対面に座った。
「………………あの、さ」
おずおずとこちらを窺う上目遣いには、普段の溌剌さがない。
「やっぱり、手を引く気はない……?」
「どうしたんだよ、らしくないな」
沈黙。
窓から春の日射しがきているのに、暖かさが失われていくようだ。
「なあ。お前はどうして戦いに?」
訊ね返すが、糺は再び俯いてしまう。
「ああいや、言い辛いことならいいさ」
彼女もゴロウ闇邪鎧から図星を突かれていたはずだ。そしてそれはきっと、彼女の戦う理由に直結しているのだろう。刺さった棘が抜けない限り、口が開かれることはない。
どうしたものかと頭を掻き、真人が出した結論は、まず質問へ真摯に答えることだった。
「俺は、自分にできることがあるのに黙ってはいられねえと思う。これからも、目の前の人を守るためにニシキになるつもりだ。多分、親父もそうしていたように」
ぴくっ、と糺の肩が震えた。
やや意地の悪い手だが、追い打ちをかける。
「やっぱり、親父はニシキとして戦ってたんだな」
しばらくこちらとテーブルとの間で視線を彷徨わせていた彼女は、やがて小さく頷いた。
「私と凛が闇邪鎧に襲われたとき、庇ってくれたの。その時に負った傷が原因で……」
「死んだ、か」
「ごめん、なさい……っ! 襲われてごめんなさい。あなたのお父さんを、奪ってしまってごめんなさい……ひっく、ごめんなさい……っ!」
懺悔の度、テーブルに涙が落ちては沁み込んでいく。
真人は立ち上がり、やおら近づいて彼女の頭を抱き寄せ――るのを止めた。照れくさいし、柄でもない。ましてやそんな上から目線で『赦す』ことができるほど偉くもない。そうしていいのは白水義人、本人だけだろう。
だから真人は、代わりに糺のポーチからスリッパを引き抜き、振り被った。
「あいたあっ!?」
なかなかどうして、悪くない手応えである。剣道をやっていたことの経験が活きたか、手首の冴えによる打撃音もすこぶる心地よかった。
「バカぁ、なにすんのよぉ……」
涙声の訴えを笑い飛ばして、真人はスリッパを返す。
「サンキュな」
「…………へっ?」
「俺を巻き込むことで、親父のように
「えっと、その……うん」
「だから、サンキュ。けど、もう要らねえわ、それ」
要らない、という強い拒絶の言葉に糺の体が強張る。真人はそういう意味ではないのだと伝えるために、彼女の頬を伝う一掬の涙を、指でそっと拭った。
「親父がどうとか関係ねえ、俺は俺の意志で戦う。お前の気持ちは嬉しいけれど、だからこそ、俺が動かないことで誰かが……何よりお前が傷ついてしまうことの方がずっと辛いからな」
「真人……」
「ははっ、やっとまともに名前を呼んでくれたな」
「う、うっさいバカ! クサい、キモい、死ね! えっと、バカ!」
本家本元のスリッパが飛んでくるが、それはパタパタとじゃれるようなもので。真人は笑って逃げ回りながら、一つだけ、気になる言葉を思い出していた。
――私と凛が闇邪鎧に襲われたとき、庇ってくれたの。
凛という名前には心当たりがあった。『つや姫』のポスターに映っていたメンバーの一人だ。
父が亡くなったのは半年前。そして『つや姫』活動休止もその時期である。糺が無事であることと、まだ見ぬもう一人の戦士が男性であるらしいことを踏まえれば、少なくとも、凛という少女は戦士になっていないことが判る。
彼女に何かがあったと考えるのが妥当だろう。
「(それが、お前の戦う理由か)」
合点が行き、立ち止まる。背中に「わぷっ」と止まりきれなかった悲鳴が埋まった。
「……親父は、強かったか?」
「ええ。とても立派な人だったわ」
「そっか」
小窓からの日射しに目を細めて、真人は微笑む。先ほど親父は関係ないと言ったばかりだが、戦う理由が一つ、増えた。
父は命を賭して糺を守った。ならば俺は、彼女の笑顔を守ろうと。
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第3話/後編 『何度でもだ!』
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――山形県河北町
再び河北町へと向かった真人たちは、闇邪鎧となったゴロウの破壊衝動から俊丸が当たりを付けた場所に向かっていた。
町民体育館から南下した、町の中心部にある公園である。広い敷地に様々なアスレチックが整備され、花見専用の広場もあるなど、誰が来てもくつろぐことができる憩いの場所だ。
ここでは県内で初めて私鉄が走ったことを記念し、当時走っていた機関車を復活させたものが残っている。煙突が、山形の郷土料理『芋煮』に使う
そんな、最上川にほど近い半自然の一角で、似つかわしくない悲鳴が上がっている。
「「「オラ・オガレ!」」」
《サクランボ!
《ベニバナ! 出陣‐Go-ahead‐、レイ! 花開け、クリムゾン・プリンセス!!》
《ショウギ! 出陣‐Go-ahead‐、ソウリュウ! Flipping-the-board!!》
「雑魚の掃討は私に任せて、お二人は闇邪鎧を探してください!」
「うす、センセ、任せました!」
ニシキとレイは二手に分かれ、ミダグナスを蹴散らしながら奥へ向かう。
ニシキが石の広場に突入すると、地面に配置されたミステリーサークルのような石たちの中央で、ゴロウ闇邪鎧が静かに佇んでいた。
『……帰れ。貴様らニセモノに用はない』
こちらに背を向けたまま、闇邪鎧は言い放つ。
しかし、こちらも引き下がってなどいられないし、引きさがりたくないのだ。
「いいや、帰らねえ! つーか、こっち向けよ。そんなにスリッパ会社が気になるか?」
挑発すると、ゴロウはほう、と肩を竦めた。
『私の居場所を突き止めたことといい、その目的を看破したことといい。あながち愚鈍でもないらしいな』
「ったりめえよ、こっちには頭のいいセンセーがいるからな。今日は週末だから会社は閉まっているけど、必ずその近くで準備を進めるはずだとさ」
そう言うと、闇邪鎧は鼻を鳴らして振り返る。
『重畳。だが……私を止める算段は見つけられたのかね、ニセモノの王よ』
「ニセモノニセモノうっせえよ。いいか、俺は決めたぜ?」
『ほう?』
「俺は、またあんな状況になったら、その人を守ってお前も倒す!」
ニシキの叫びに、ゴロウは怒りで肩を震わせた。
『何も理解しておらぬようだな。絵空事なら誰にでもほざけるぞ!』
「てめえこそ何も解かっちゃいねえ! 確かに今は弱いかもしれない、できないことも多いかもしれない。けどな、俺は誰かを切り捨てる道だけは絶対に選ばねえ!」
ニシキが拳を突き出すと、にわかに光が集まった。
美しい翡翠色のそれを掴みとると、手のひらの中でモンショウメダルに変わる。
描かれているのは、『ラ・フランス』だった。
「
ヤツダテドライバーからインロウガジェットを引き抜き、メダルを差し替える。
《ラ・フランス!
「オラ・カワレ!」
《ラ・フランス!
ガジェットを再装填し、ニシキは市章の光に包まれた。
白を基調とした素体はそのままに、これまで纏っていたサクランボの紅い鎧が消え、新たに鮮やかな翠の鎧が示現していく。
サクランボの鎧を纏った形態――ニシキメイルが拳闘士だとすれば、こちらは西洋の騎士という様相だ。
果樹王ニシキ・フランメイルの覚醒だった。
『むんっ!』
異常事態を察知した闇邪鎧が、刈り取るように空を蹴る。
対してニシキはドライバーを叩き、武器を召喚した。左腕に現れた、ラフランスを縦に割ったような形の
腕に伝わる衝撃が極わずかだったことに、ニシキは相好を崩した。
「おお、こいつあ頼もしいぜ」
『安心するのは早いぞ、小僧!』
ゴロウ闇邪鎧は宙で体を一回転させ、二度、蹴りを放ってきた。今しがた一投したばかりだというのに、草履は既に補充されているらしい。
しかし、ニシキは焦ることもない。
「なるほどね。この盾で弾いた隙を狙ってるワケかい」
一つ目の草履を弾き、その左腕に右手を伸ばす。拳側に突き出たラフランスの軸を掴んで、二つ目の草履へと引き払った。
ニシキ・フランメイルの武器は、盾と剣が一体化した『ラフランスライサー』。盾に納められていた軸の先が刃になっており、草履をいとも容易く両断する。剣自体はやや短めだが、小太刀を扱っていると思えば扱いやすかった。
『何、だとォ!』
ゴロウがたたらを踏んだ。
そこへ、他の広場を回ってきたレイが合流する。
「真人、こっちは片付いたわよ……って、何その格好。ラフランス?」
「ああ。どうやら新しい力みたいだぜ」
日射しを受けて煌めく剣を見せると、レイは「やるじゃん」と肩に手を乗せてきた。
「それじゃあ、ナイト様? 反撃と行きましょうか」
ニシキは頷き、剣の切っ先を闇邪鎧へと向ける。
「ちょんどしてろ、くらすけてやる!」
駆け出したニシキたちに、ゴロウ闇邪鎧が一喝した。
『力を得た程度で、図に乗るな! 滅びろッ「
「レイ、飛べ!」
「了解っ!」
先を走っていたニシキは少し屈んで、左腕の盾を横に翳した。それを足場に、レイが宙へと舞い上がる。
地上に残っていたこちらは圧搾機に捕らえられてしまったが、問題はない。
《ベニバナ!
「『紅花爛漫』! ちぇいさあああ――――ッ!」
自由の利くレイが、ニシキの足下に展開された圧搾機を叩き壊す。それと同時に、ニシキは再び駆け出した。
一旦剣を盾に仕舞い、ドライバーのスイッチを叩く。
《ラ・フランス!
『甘い。貴様の間合いは見切っておるわ!』
軸型の柄に手をかけたニシキに、闇邪鎧はひらりと回避の態勢を取る。ここを逃せば再びトリッキーな草履飛ばしが襲って来ることになるが、ニシキは好機に迷わず踏み込んだ。
「甘いのはそっちだぜ! 味わいやがれ、『ラフランスプラッシュ』!」
引き抜いた剣は果汁の飛沫を放ち、その剣身を何倍もの長さに変貌させている。多少後退したくらいでは躱すことのできない攻撃範囲が、闇邪鎧の体を捉えた。
『私が敗けるだと、認めぬ、認めぬぞぉぉぉ!』
果汁の刃に薙ぎ払われ、闇邪鎧は断末魔とともに爆ぜた。
――山形県河北町・町民体育館
ゴロウ闇邪鎧撃退から一夜明けて、真人は卓球台越しに糺と対峙していた。
昨日、ロッカールームで振ってみたツッコみスリッパの感触が忘れられなかった真人の思いつきで、糺と俊丸、そして成生塾の子どもたちに召集をかけたのだ。サクランボ農家見学が失敗に終わったお詫びも兼ねた、レクリエーションである。
体育館の前で俊丸引率の一行を待っていると、闇邪鎧が現れた場所の様子を見に来た糺の同級生の一人とばったり遭遇し、その子がSNSのグループに一声かけたと思いきや、あれよあれよという間に多くの人数が集まってきた。
どうやら彼女たちも皆、遊び足りなかったらしい。
女の子とスリッパ卓球で遊べると鼻の下を伸ばしていた真人だったが、しかし、その目論見は大ハズレに終わる。
そんなわけで、取り残された真人と糺で、今に至る。
「俺、頑張るからさ。改めて、よろしくな」
ラリーを返しながら、真人が言った。
「言っておくけれど、あんたを戦わせることに納得した訳じゃないんだからね」
やや強めのカットを挟んできた糺は、少しだけ顔を赤らめて、
「も、もちろん俊丸さんだってそうよ? あんただけじゃないんだから」
知ってる、と言うよりも先に、真人は笑ってしまう。蕎麦屋での一件のことは、早くも思い出の一つとなっていた。
「何よ」
「別に?」
戦うという使命を背負った状況で、こうした一つ一つを楽しいと思っていいものか悩みどころだが。ニシキとして生きるからこその出会いがあるのならば、それを大切にしたいという気持ちも本当だった。
そんな風ににやけている矢先、糺がスリッパを巧みに操って放ったバックスピンの玉が、バウンドによって急激に軌道を変え、真人の額にめり込んだ。
回転がかかっているだけに、抓られたような痛みがじわじわと染みてくる。
「…………どだなだず」
ようやく剥がれてくれたピンポン玉は、悪戯をして逃げていく子供のように視界の端をスキップしていた。
「ぼけーっとしてるからでしょうが」
愛用のスリッパで台をノックしながら、糺は
「頑張るんでしょう? ほれほれ、早く玉を拾ってきなさいな」
「ぐぬぬ……よーしやってやらあ! 吠え面かくなよ!」
「そうこなくっちゃ。敗けたらジュース奢りね」
「上等だっ!」
意気込んだ真人だったが、相手が元卓球部部長を下す程の腕前であることなど知る由もなく。
結局11‐1という惨敗に終わっただけでなく、獲ることができた一点も『卓球では完封勝利をしてはいけない』という暗黙の謎ルールに沿ったお情けでしかなかった真実を俊丸から教えてもらうのも、もう少し先の話である。
――第3話『ラ・フランスと草履編み』(了)――
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