中編/自慢の父親だっての!
姿を隠した天鏡閣に、真人たちは狐につままれたような顔をしながら変身を解いた。
「闇邪鎧はどこだ……?」
「ヨシアキ公の時を思い出すわね」
糺と二人、虚空を見上げて呟く。
闇邪鎧の力によって構築された結界であることだけは判るが、それを足らしめる本体が見当たらない。
どこかに隠れているのか、あるいは。
今も狙われているかもしれない危機感で重くなった足を引きずるように後退る。
そんな折、背後の方では愁慈郎の歓声があった。
「紲の兄さんじゃねえっすか!」
「あ? 何だ愁慈郎、テメエも八楯になったのか」
「義愛王アイゼンっす。よろしく頼みます、兄さん!」
「兄さんと呼ぶな、うぜえ……」
心底鬱陶しそうな色を隠さない紲だったが、それでも愁慈郎は、犬が尻尾を振るようにいそいそと懐いている。
「愁慈郎、このエセ霊能者と知り合いだったの?」
「エセじゃねえ、元だよ」
愁慈郎からも否定され、糺は「え、マジもんだったの」と目を瞬かせていた。
「うちの岬組と、
「ただの腐れ縁だ。『十三課』と組んでいるだけで、ヤクザと関わりを持つ気はない」
「まーたまたー」
「うっぜぇ……今朝もあいつの依頼でコキ使われたところだってのに、要らんこと思い出させるんじゃねえよ」
紲は愁慈郎を引き剥がすと、ため息交じりに煙草を取り出し、火を点け――ようとして、禁煙だったかと舌打ちした。
「お前たち、今日はこれからどうするんだ?」
「闇邪鎧を捜そうと思っているんだが……」
漠然とした目標を掲げた真人に、紲は「無駄だろうな」と断じてきた。
「奴らの結界めいたものは、発動されたから見つかるものであって、捜そうとして見つかるもんじゃねえよ」
「かといって、帰るわけにもいかない」
「だろうな」
肩を竦めて、紲は踵を返した。
「明日も空いているならついて来い。『ごっつぉ』へ戻るよりは良い待機場所がある」
彼の言葉に、真人たちは顔を見合わせる。
意を酌んだらしいのは、旧知の仲らしい俊丸と愁慈郎のみだった。
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第10話/中編 『自慢の父親だっての!』
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案内されたのは、山形市内の一角にある住宅だった。
駅からほど近い場所にあるにしては珍しい、新興住宅ではない、古くからの一軒家である。数世帯の同居を前提とした田舎特有の、富を誇示する庭も存在しない、のどかな雰囲気の漂うものだ。
「入れ」と促されて敷居をまたぐと、奥から若い女性が小走りでやってきた。
かつて霞城公園で紲に会った時、傍らに寄り添っていた彼女である。
確か、楪と言ったか。
「お帰りなさい、紲さん。皆様も、お疲れ様です」
「お前な、あまり走るな。怪我をしても知らねえぞ」
「えへへ、ごめんなさあい」
はにかんで、下をぺろっと見せる。
「急で悪いが、連絡をした通り、こいつらを泊める。糺と……そうだ、お前、名前は」
「うち? 流香だよ」
「そうか。じゃあ楪、糺と流香の案内を頼む」
「かしこまりました!」
小さく敬礼をして、楪は糺たちの手を引く。
その様子に、愁慈郎が感嘆を漏らした。
「視力を失ったと聞いていたが、勝手知ったる我が家って感じだな」
「別にゼロになったわけじゃないからな。生憎と、眼鏡やコンタクトは効果がないみたいだが」
そう言って、紲は歩き出した。
「野郎はこっちだ」
真人は靴を揃え、導かれるままに奥へ進む。
無造作に敷かれた赤い布と、その前にお供え物の置かれただけの奇妙な部屋の前を素通りし、居間らしき場所へと通された。
先ほどの奇妙な部屋へと通じる襖を塞ぐように、何体かの日本人形と、一体の木目込人形が置かれている。ここにも、お供え物が置かれていた。
「この、一番前の人形は……?」
「真多呂人形だ。マタちゃんと呼んでやれ」
「マタちゃん!?」
真人は飛び上がった。
こちらの勝手なイメージとはいえ、こうした家にあってはホラーなニュアンスが多分に含まれそうな人形に対して、そんな呼び方をしていいものだろうか。
「別に呪われやしねえよ。今じゃ中身も入ってないからな」
紲は腹を抱えて笑いを堪えている。
そのまま居間を横切り、隣の部屋へと通された。
相変わらず畳張りの和風な部屋で、その奥は仏間であるようだ。
部屋から縁側へと抜けるところの梁には神棚が取り付けられ、油揚げが供えられている。
本当に奇妙な家だった。
「紲さんが元霊能者だってのは、本当だったのか」
押し入れを開けて、来客用の布団を出すよう顎で示しながら、紲は呆れたように肩を落とした。
「だからそう言ってるだろうが――あ、その布団は仏さん寝かせたモンだから気を付けろよ」
「うわあああああっ!!」
「こら、紲。……安心してください、真人さん。彼の冗談です」
「洒落になってねえよォ!?」
驚いて尻もちをついた拍子に布団に埋もれるような格好になった真人を、雪弥が苦笑いで助けてくれる。
「紲はオナカマの里の末裔なんですよ」
「オナカマというと……口寄せ巫女の?」
訊ねた雪弥に、紲が感心したように口を丸めた。
「よく知ってんな」
「ええ、うちの道場に通っていた人で、ムカサリ絵馬を描いてもらう際、口寄せをしていただいたという方がいまして」
そこまで言って、ふと、雪弥が思案顔になる。
「確か、口寄せ巫女には盲目の女性が選ばれると聞きましたが……もしかして、細君は巫女様でいらっしゃるんですか」
「いいや。あいつは巫女ってタマじゃねえよ」
紲がそう言った瞬間、家の奥から「悪口が聞こえた気がするんですけどぉ!?」と可愛らしいむくれ声がした。
彼はこれが巫女に見えるか? とでも言いたげなしたり顔を浮かべる。
「ったく、視力を補完するために他の感覚が鋭くなるというのは本当らしい」
肩を竦めて見せる眼差しは、優しい色を湛えていた。
布団を敷いた真人たちは、居間のちゃぶ台を囲み、紲の淹れてくれたコーヒーで一息をついた。
「やっぱり怖ぇなこの人形。なあ紲さん、この家、『出たり』しないよな?」
「どうだろうな。以前は便所に花子が出入りしてたが……ま、運が良けりゃ『花子さん』には会えるだろ」
「花子さんって、あの『トイレの花子さん』……?」
「ああ、ドアを三回ノックして『あーそびーましょー』の花子さんだ」
真人がひぃっと声を上げるのとほぼ同時に、今の入り口で、何かを落とす音がした。
糺が茫然と目を見開いて、手に持っていたスマホを取り落としている。
「買い出しに行くから欲しいものがないか聞きに来てみれば……あんたたち、なんて話をしてくれてんのよ」
「花子さんのお話ですか? そういえば、他の花子さんたちもしばらく見てませんね」
隣で顔を綻ばせる楪に、糺は首をぎぎぎっと動かす。
「……マ?」
「マ、です」
にっこりと、彼女は微笑んだ。
「私が初めてお会いした時は、もうトイレの中にびっしり」
「――ひっ」
「ああ、そういや泣きべそかきながら飛びついてきたっけな」
「ぶう、初めてだったんですから、怖くても仕方ないじゃないですか。あ、でも糺さん安心してください。本当にいい子たちなんですよ」
「やめてやめてやめてやめて」
後から顔を覗かせた流香までもが耳を抑えてガタガタと震えている。
どうやら糺たちは、楪について着替え等必要なものを買いに行くらしい。「甘いものを」と即答した紲以外は遠慮をしていたが。
夜も更けて。
夕飯は、楪がこしらえてくれたものをいただいた。
彼女の目がどれほど見えていないのかは判らないが、料理の腕は確かなようで、中でも「おヤチさん直伝なんです」と得意気に差し出されたえごまの漬け物は絶品だった。
調理の手伝いに回っていた糺たちと交代して、洗い物を済ませた真人たちは雑魚寝部屋へと戻る。
道中、これから入浴らしい糺たちと行き会った。
「覗いたら殺すから」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ……」
「さすがに聖域だからねぇ。雪弥くんもメンゴして! でもでも、なんか流香たちの寝る部屋、『おヤチさん』って人? 物怪? の使っていたところなんだって。怖いから一緒に寝てくれると――あいだだだだだ!?」
「ちゃっかり誘おうとしてんじゃないわよマセガキ! 雪弥くんも真に受けなくていいからね?」
「あはは……もちろん」
とばっちりを受けて苦笑する雪弥の脇を、糺に引きずられた流香の「ちょ、もちろんってどういうことだし! 流香じゃ、流香じゃ足りないと!? じゃあ糺ちゃんも付けるからそれで手を打っ――あ、ちょ、メンゴメンゴ、らめ、それラムダ縫合外れちゃう系だから!?」という姦しい声がサイレンのように通り過ぎていく。
「ったく、愁慈郎からもあいつに何か言ってやってくれ」
「馬に蹴られろと? 流香のあんな笑顔は初めて見た。ありゃガチ恋だな」
そう言って愁慈郎は、おそらく一番の被害者であろう雪弥の肩を叩き、改めて雑魚寝部屋へと向かった。
居間では紲と俊丸が話している。
「おう、戻ったかお前ら。食後のスイーツはどうだ?」
「すみません、そちらを任せきりにしてしまって……」
「さすけーねーっすよ先生。台所に三人も立つもんじゃねえ」
頭を下げる俊丸を制して、真人も食卓前に腰を下ろした。
差し出された箱からどら焼きをいただく。真人でも名前を聞いたことのある、旅篭町の甘味処のものだ。
この家からだと少し距離はあるが、さすがは女子たちの買い物。徹底的な甘味への追及には余念がない。
「真人がニシキになってから、そろそろ一ヶ月だな」
「もうそんなに経っていたのか……」
言われて気付いた事実に、真人は驚いた。
ノブナガから始まり、今回のタケタロウも含めれば十体。俊丸以降の八楯たちはともかくとして、思えばずっと、糺と共に戦い続けて来た。
戦うことで精いっぱいだった。
そういえば、最近畑仕事が疎かになりがちである。無論、手を抜いている気はないが。
「後悔しているか?」
こちらの思案顔を不満の沈黙と受け取ったのか、紲の声のトーンが穏やかなものになる。
真人は首を振る。
「そんなことはないさ。むしろ感謝してる。あんたがインロウガジェットを持ってきてくれなければ、俺は舞鶴山で死んでいたかもしれないし、親父が死んだ本当の理由さえ知らないままだっただろうからな」
「……そうか」
「どうして俺に、インロウガジェットを?」
訊ねると、紲はコーヒーでどら焼きを押し流してから、切り出した。
「義人さんの遺言だったからな。『もしも、真人が修羅の道に入ると決めた時、その選択を叶えられるように』と」
「その選択を、叶えられるように……」
そうだ。その通りだった。
だからこそ、舞鶴山で立ち上がることができたのだ。
どれだけ勇敢な心があっても。どれほど優しき志をもってしても。
インロウガジェットがなければ、闇邪鎧に相対することさえ適わない。
「義人さんは最期までお前の心配をしていたよ。こうも言っていた。『自慢の息子だ。胸を張って言える。だが、「その選択」をするように育ててきた私は、鬼なのかもしれない』とな」
「親父……」
手からどら焼きが零れ落ちる。
「そんなこと、そんなことねえよ……っ! 俺にその選択をさせてくれたのは、他でもない親父のおかげだろうが!」
真人は歯を食いしばった。握った拳で、涙が弾けた。
父に自慢の息子だと言ってもらえることは、どれほど幸せなことだろうか。
父に託してもらえるということは、どれほどありがたいことだろうか。
「戦え」と言ってもらえたことが、どれほど嬉しいか。
もちろん、我が子が死ぬことのないよう、守ってくれる親も素晴らしい。
だがそれも、糺を守ってくれたことで十分に果たされている。
追いかけた父の背中は、どこまでも遠い。
「俺の方こそ、自慢の父親だっての!」
しゃくり上げそうになって、堪える。
ふと糺の姿を探し、いないことへの安堵と、そう思ってしまった羞恥心で、少し、情けなくなった。
こんなんじゃあ、まだまだ親父に笑われてしまいそうだ。
「紲さんは、親父といつ知り合ったんだ? そんな交友関係があるなんて知らなかった」
「まあ、ひた隠しにしてはいたからな。だが、義人さんがニシキであることは、テメエのお袋さんも知っているはずだぞ?」
「え……はぁ?」
そんなことがあるはずない。
そう、思いかけた時に、かつて簗沢たちおばちゃんズと話したことを思い出す。
――もしかして皆さん、俺の親父とも知り合いなんすか。
――いえーす! 義人くんも真美ちゃんも、二人が結婚する前から知ってまーす!
――二人とも、まだ大学に入ったばかりの頃だっけよね。
――んだあ。今の真人くんみたいに、めんごいっけんだよお?
まさか、まさかまさか。
喫茶『ごっつぉ』は、果樹八楯の集う場所でもある。そこへ、若き日の父も入り浸っていたとすれば、辻褄は合う。
「マジかよ……」
「俺の方は、もう三年近くになるか。ワケあって霊能力を失ったが、その時の家族の誰かが土産を置いていったんだろうな。家の中でインロウガジェットを手に入れた。
昼間に愁慈郎も言っていた通り、霊能者としてのコネで警察の怪異関連の捜査に協力していてな。幽霊の捜査かと思いきや、闇邪鎧と出くわしちまって。そこに現れたのが義人さん――先代のニシキだった。
以来俺は、あの人からインロウガジェットの使い方を教わり、今に至る」
紲が目を細くした。
真人が糺から聞いていた話と照らし合わせれば、真人の加入時点では、紅姫レイを除けばキザ野郎――つまり、紲の変身する紡史王ブンショウしか戦士がいなかった。
つまり、少なくとも三年前まで、父は一人で戦っていたということ。
それからのことも、紲と二人きりで凌いできたこと。
今の真人たちが数人がかりで倒す闇邪鎧を、たった二人で、だ。
それ程の力を持つ父を、ツノカワらが屠った。その強大さは計り知れない。
「親父の最期は、どんなだった?」
「ツノカワ、ゼンナミと呼ばれるムドサゲを中心に、カゲマサ闇邪鎧と戦って、勇敢に散られたよ」
「カゲマサってのは?」
「鎌倉権五郎景正、だったか。あー、そっちの説明は疎い。俊丸、頼む」
「頼まれました」
微笑んで、俊丸が先を引き継ぐ。
「鎌倉権五郎景正、またの名を平景正。『後三年』の戦いで右目を射られながらも奮闘した逸話を持ち、鎌倉武士の鑑とまでいわれた名将です」
「目を射られながら……?」
「はい。矢は首を貫いて兜の鉢付けにまで至りましたが、矢を射返して敵を討ち取ったといいます。さらに、景正に刺さった矢を引き抜こうと、味方が顔を足で踏んだところ、『弓矢で死ぬのは本望だが、生きながら顔を踏まれる道理はない。お前を
「なんと……」
狂戦士という言葉が相応しい益荒男ぶりに、かの雪弥をして言葉を失っている。
現代武士の申し子とはいっても、次元が違うのだろう。
「それがまた、強いのなんの。はじめは糺と一緒にいた娘――凛と言ったか。彼女が、糺を庇って立ちはだかり、カゲマサの顔面にヤクザキックを喰らわせたんだよ」
「ああ、凛らしいな……」
愁慈郎が眉をひそめて苦笑した。
「別に責める訳じゃねえが、それがスイッチになっちまった。『生きながら顔を踏まれた』ことに腹を立てたカゲマサの攻撃が、より一層烈しくなった。その結果――」
「糺たちを庇う形になり、親父は死んだ」
「ああ。辛うじて入れた横槍で、カゲマサ自体は倒すことができたんだがな」
そこで、愁慈郎が待ったをかけた。
「兄さん。凛は奴らに連れ去れたんだろう? それはどうしてなんだ」
「詳しくは判らん。だが、『縁の楔』ができたと言っていたな。おそらく『顔を踏んできた相手を殺す』という闇邪鎧の、ある種の呪いめいたものが宿ったんだろう」
「つまり、それをどうにかすることができれば、凛って子は元に戻る……?」
「どうにかできれば、だがな」
今のところはお手上げだと、紲は申し訳なさそうに表情を強張らせた。
その拍子に髪が揺れ、彼の右目が覗いた。
「紲さん、その目……」
真人は息を呑む。
あるはずの眼球はなく、抉れたような生々しい傷跡が残っていたからだ。
「あン? ああ、これか。霊能者時代にちょっと、な」
それ以上の詮索は無用とばかりに、紲は手のひらを打った。
「とまあ、義人さんについてはそんなところだ――ああいや、もう一つあったな」
「うん?」
したり顔に不意を突かれ、真人は、次の言葉を無防備に受けることとなる。
「いやあ、義人さんがな? 『息子には女っ気がなくて心配だ』とボヤいてたことがあるんだよ」
「……は?」
「それで? 糺とはどうなんだ」
「……はあっ!?」
二の句を継げずにいる真人をよそに、紲は「気になるよな?」と雪弥や愁慈郎たちをも巻き込もうとしていた。
挙句、それにノった雪弥たちが口を開きかけ――
「言うなよ、絶対言うなよ!?」
「別にいいじゃないですか先輩。仲が良いことは素敵なことです」
「右に同じだ。つか聞かせろ、どうやってあのじゃじゃ馬を手なずけたんだ?」
「うがああああああっ!」
真人は吼えた。最早、他人のふりで傍観に徹している俊丸さえも敵である。
そんな、男だけというむさくるしい恋バナ(笑)という地獄は、入浴を終えた糺たちが声をかけに来るまで続けられることとなった。
――中編へ続く――
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