後編/いざ、参るし!
気を失った糺を抱えた真人たち一行は、流香の提案で、彼女の住む家へと案内されていた。
一人、家の外で番をしていた雪弥は、薄暗くなった空に、星を探すともなくぼうっと視線を巡らせる。
糺本人は最も近しい関係にあるだろう真人に任せた。看病の補佐も、旅館の主であり、妹がいるということで女子の部屋に入り浸る抵抗が少なさそうな貴臣に任せた。
自分にできることは、こうして、来るとも知れぬ襲撃に備えることだけで。
しかし、その意思も鈍りつつあった。
武に生きて来た。
ゴテンの力も、刀を得物とするものだった。
誰かを守る剣としての生き様を、全うできるかと思っていた。
しかし、糺然り、流香然り。
「(僕は……何ができる?)」
糺は何がしかの信念によって、あの敵を倒すなと言った。自らがボロボロになりながら。
流香は何らかの理由によって、男は嫌いだと言い放った。自らをズタズタに傷つけながら。
剣では守れない何かがあることを、思い知らされた。
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第8話/後編 『いざ、参るし!』
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軒先の柱にもたれて、何度目かのため息を空に溶かした時だった。
「なーに黄昏れてんだし」
「流香ちゃん……?」
玄関から顔を覗かせていた流香が、むっとした表情になる。
「ふーん、ちゃん付けに戻るんだ」
「えっ……? ああ、ごめん」
「べっつにー? 怒ってるわけじゃないし」
そう言いながらもぷりぷりと肩をいからせながら外に出てきた彼女は、背中に手を隠しながらこちらの隣に並んでくる。
「カフェオレでいいよね」
「ん?」
視線を向けようとしたところで、雪弥は頬にごりっとした感触を受けた。
少し冷たい。受け取ってみると、コンビニやスーパーでに売っているような、ストロー式のプラカップ飲料だった。
流香が後ろ手に持っていたのは、これだったのだろう。
「ありがとう。ちょうど、喉が渇いてたんだ」
「あっそ。別にあんたの喉の状況とか聞いてないんですけど」
「そっか」
「ん、そうだし」
突っぱねておいてから、彼女は沈黙に気まずくなったのか、自分の分の豆乳バナナにストローを刺すと、そっぽを向いてしまった。
雪弥も倣ってストローを刺し、甘いカフェオレで火照りを沈める。
「今日はありがとう。部屋、使わせてもらっちゃって」
「悪いと思うなら出ていけばいいし」
「……うん。糺さんが目覚めたら、そうするよ」
そう言うと、流香はハッとしたように顔を上げて、暫し視線を地面に彷徨わせた後で、下唇を噛んだ。
「別に……いちゃダメとは言って……ないじゃん」
おずおずと、震える指が雪弥の袖をつまむ。
「親御さんにも迷惑をかけてしまうよ」
「はあっ!? このタイミングでフツー親の話とかするぅ!? きっも! うっざ! 死ねばいいし!」
「けれど、君にとって大事なことだよね?」
雪弥は流香の目を見て、「大事なことだよ」と繰り返した。
「僕が、父と不仲だったことは話したでしょ? 実を言うとね、君の家からも同じ臭いを感じたんだ」
袖から指が離れる。
「なんだ、バレてたんだ」
「やっぱり」
「参考までに教えてよ。どこで気付いたの?」
「まず、玄関に男物の靴がないこと。お父さんの仕事用の靴のスペアも、休日用の靴も。それに対して、女性ものの靴はもの凄い数があった。最初は君のかと思ったけれど、そうじゃないだろう大人びたヒールのものが、たくさん」
はあっ、とため息交じりに肩を竦めて、「正解」と流香は言った。
「私のパパは、不倫相手とどっかのアパートで暮らしてる。それを知ったママもママで、職場のバイトくんの家に通い詰め。一人暮らしで大変だから、ご飯作らなきゃ、だってさ」
「……そっか」
雪弥は玄関を一瞥した。
「完っ全に崩壊状態なのにさ、離婚はしないんだって。どうしてか分かる? 私のためなんだって。笑っちゃうよね」
「…………」
「パパの働いたお給料は、私じゃなく不倫相手のバッグに消えて。ママの作る料理も、私じゃなくバイトくんの胃袋に消えて。一体、私は何をされてるんだろうって」
「…………」
「だから私は――流香は。『つや姫』のメンバーとして活躍すれば、自分に身内としての価値があると思ってもらえるかもって、頑張ってきたつもりなんだよ」
何かを堪えるように声を震わせて、流香はストローをずずぅっ! と啜り上げた。
大きく深呼吸をしてから、また言葉を紡ぎ始める。
「けれど待っていたのは、アイドルとしてのプレッシャーだけ。昼間も見たっしょ。流香が男子とちょっとでも言葉を交わせば、やれ恋愛禁止を破っただの、ビッチだのって。もう吐き気しかしないよ、あんなの。私はビッチや放蕩野郎がどんな奴のことを指すのか知っているから……あんなのと同じ風に見られているってのが、我慢ならなかった――」
雪弥は目を細めた。少し、拙いか。
「あんなクズ親見て生きて来た私が! 恋愛なんかするわけないじゃんさあ!」
決壊する寸前で、雪弥は流香の肩を抱き寄せた。
手からカフェオレのカップが落ちる。
落下音は、二つした。
――愛なんて存在しない。単なる性欲でしょ。
ようやく、彼女の言っている意味が解った気がする。
強く強く抱き締めながら、雪弥は歯噛みした。
ああ、彼女はなんて辛い道を歩んできたのだろうか。
「……痛いよ」
「ごめん」
「…………」
「…………ごめん」
これ以上、どうしていいか分からなかった。
仮面を被っている者同士と、理解した気になっていた。しかし、彼女に比べれば自分など、父に面従腹背して拗らせていただけのガキに過ぎない。
「…………」
「ごめん、僕は無力だ。僕程度じゃあ……君がどんなに苦しんで生きてきたか、解ってあげることなんてできない」
腕の中で、びくっと肩が跳ねた。
こちらの腰に回しかけられた手から力が抜けた。
雪弥は口下手な愚かしさを呪った。
待って、待ってくれ。まだ諦めないでくれ。
さらに強く抱きしめる。
「だから君の苦しみをもっと教えてくれないか。流香が抱えているものを、僕に投げつけてくれないか。ちゃんと、受け止めるから。分かち合いたいんだ」
そっと体を離す。
いつの間に出ていた月に照らされて、流香の涙が見えた。
「僕を、君を守る刀にして欲しい」
「何それ、くっさ」
「うん、僕もそう思う」
笑顔が霞まないように、指でそっと涙を掬う。
見つめ合ったまま、少しの沈黙の後、
「ふふっ、ばか」
そう言って、流香ははにかんでくれた。
翌朝、雪弥は脇腹への鋭い痛みに飛び上がった。
「痛ったあ……何、これ」
拾い上げてみれば、スマホだった。
自分のものではない。寝ぼけた頭ではそれ以上の思考が追い付かずにいると、部屋の入口から、流香がけらけらと笑う声がした。
「嘘つき。受け止めるって言ったくせに」
「投げつけるって、物理的にじゃあないからね!?」
「だって、何度揺すっても起きてくれないし」
「ああ……ごめん。今、何時?」
「七時半。なに、朝弱い系?」
雪弥は首を振る。朝は弱い方ではなかったのだが、昨日は連戦をしたこともあって、疲れているのだろうか。
首を回して、伸びをして。ベッドから体を起こした。
そこで、違和感を覚える。
男性陣は今いる部屋で雑魚寝をしていたのだが、他にいたはずの二人の姿がなかったからだ。
「真人先輩たちは?」
「ああ、コンビニ。買い出し行くんだって」
そう言いながら、流香は総菜パンを放り投げてきた。自身の分の袋を空けながら、隣に腰かけてくる。
「朝ごはん。こんなものしかないけど……あんたはさ、誰かと付き合うとしたら、料理できない女とか無理な感じ?」
「ううん、そんなことないよ。僕だって簡単なものしかできないし。それに、料理や家事なんかは、できないならできないで、一緒に覚えていけばいいかなって思ってる」
「……ん、そっか」
「…………?」
首を傾げていると、肩を叩かれてしまった。
「ちなみに、鈍ちんなあんたに言っておくけど。さっきの、受け止めて欲しかったのは本当だから」
「えっ、それって、このスマホのこと?」
瞳を閉じて見せる頷きに促されて、ベッドの上のスマホを取り上げる。
ディスプレイに表示されていたのは、ネットの掲示板のようだった。
「これは?」
「県ローカルの掲示板、『つや姫』に関するスレなの。ありがたいことに、未だにスレは生きてるんだよ。本当、ありがたいことにね」
雪弥はスクロールするまでもなく、流香が伝えたかった事を理解した。
昨日の日付の書き込みを発端に盛り上がっている。
その内容は、『「つや姫」が活動休止になるや男を作ったメンバーがいる』というもの。批判と擁護で大騒ぎになっている。
「……なんだ、これ」
握った拳に力が入り、思わずパンを潰してしまう。
力を込めてなかった左手から、流香はスマホをつまみ上げると、いくつかの捜査をした後で受話器を耳に当てた。
「あー、流香だけど。ごめんねぇ急に。クラスのグループから直凸しちゃった系なんだけど。――今大丈夫? そか。あのね、昨日のことなんだけど――えっ? 違う違う、あれは誤解だし」
無表情のままで明るい声色を出して見せる横顔に、雪弥は息を呑んだ。
女子は怖いと真人がよく言っていたものだが、そうさせてしまったのは、一体、ナニなのだろうか。
「どっちかっていうと、流香は君のことが気になってる系? とか? ――そそ、だからああいう誤解させちゃったままじゃあ辛いし? ――うん。うん。だからさ、今日、これから会えないかな。――やたっ。場所は烏帽子山公園でいーい? りょー」
通話を切ると、ようやく『彼女』が戻ってくる。
「ちょろっ。キモっ。なんだかんだ綺麗事並べても、その相手が自分であればいいわけだ」
流香が振り返った。
「戦いで忙しいところ悪いんだけれど、あいつらシメんの手伝ってくれない?」
雪弥は一瞬、言葉を失った。
その頬が、あまりに歪んでいたから。
その目尻から、涙が零れそうだったから。
だから、手を伸ばす。
己の理想を曲げないように、宙を探りながら。
「……姫様の仰せのままに」
「うむ、くるしゅーない」
そう言うと、ようやく流香は笑ってくれた。
思えば今日、はじめて見た笑顔だった。
しかし、烏帽子山公園で雪弥たちが見たものは衝撃の光景だった。
先に着いていたらしい呼び出し人『たち』は、闇邪鎧――真人から聞いた情報によれば、白畑孝太郎という偉人の魂を素にしたものらしい――に襲われていたのだ。
「ちょっ、流香一人に会うために三人で来てたわけ!?」
「そんなことより、助けないと!」
「いーよあんなの。三人もいて逃げてるばかりなんて奴ら、シメる気も失せたし。バケモノにヤってもらっちゃえばいい説、的な」
「いやいや、さすがにそういう訳にはいかないってば」
一際大きい桜の樹の影に流香を隠し、雪弥は走り出した。
「――オラ・オガレ!」
《バラ!
男子たちと闇邪鎧の間に割り込み、白い蝶の幻影を斬り伏せる。
「君たちは早く逃げるんだ!」
「あ、ああ……」
抜けそうになっている腰を引きずるように、男子たちが背を向ける。
ふと、そのうちの一人が振り返った。
「あの!」
「……まだ、何か?」
ゴテンは思わず、語気を強めてしまう。
自分にも誤解を招く原因があったかもしれないが、彼らに対しては思うところがあったのだ。
逃げろという指示に従わないのであれば、流香の言う通り、見殺しにしても構わないだろうとさえ、心の片隅に抱いてしまうくらいには。
しかし、それを知ってか知らずか、男子の口からは意外な言葉が放たれた。
「あのっ、もしかしたら、ここに女の子が来るかもしれないんです! その、待ち合わせしててっ、それで……! もし見かけたら、その子も助けてあげてくれませんかっ!」
恐怖に震える唇で捲し立てると、彼は「お願いしますっ!」と深く頭を下げた。
ゴテンは――雪弥は目を閉じた。
彼はおそらく、後悔している。
ややもすれば、それは流香が呼び出しに使用した文句に釣られて、下心が芽生えているからかもしれないが。
「(いや、それを考えるのは詮無きことか)」
ゴテンは刮目し、ゴテンマルを構えた。
「承った。とにかく、君たちは早く逃げるんだ」
「は、はいっ!」
遠ざかる背中を視界の端で確認してから、ゴテンはおもむろに、敵へと視線を向けた。
蝶を優雅に遊ばせながら、コウタロウはくつくつと肩を震わせている。
『なっていませんねえ。実になっていない。まったく美しくありませんよ!』
「別に、貴方がお気に召されまいと、こちらに関係ありません」
『そう、それだ! そうやって都合の悪いことはシャットアウトする、人間の悪い癖だ。私はね、蝶たちのおかげで、貴公らのことはよおーく知っています。
助ける刀に迷いが見えましたし……貴公とて解っているのでしょう? 女のためという大義を掲げながら、快く思わぬ者を傷つける私欲を正当化しようとした、その胸の、良心の呵責を!』
「くっ……」
図星を突かれてしまっただけに、ゴテンは戯言を切り返せなかった。
正義感といえば聞こえはいい。
しかしその実、自分が行おうとしていたことは、単なる暴力に過ぎない。
戦争と似たようなものだ。正義など、どこにもなかった。
『自らが崇高な生物だと勘違いしているから、人間は欲に塗れ、溺れ、堕落したのです! 虫たちを御覧なさい。一寸の体に五分の高潔な魂が宿っている。そのように美しいからこそ、美しい花との互助関係が成り立っているのですよ』
コウタロウは両の腕を拡げ、鱗粉の旋風を起こしていく。
『華の密を吸うだけでは飽き足らず、受粉を主とし、あまつさえそれを己がものにしようとするなど愚拙の極み! 大自然の前に滅びゆきなさい、人の子よ! 「
「ちぃっ――『焔薔薇』!」
《バラ!
ゴテンも負けじと奥義を展開する。
大輪の紅き薔薇と、それを取り巻く白き蝶とが、激しくぶつかり合う。
まるで密を吸うかのように中心部――ゴテンを狙って飛来する蝶の数も多く、焼き尽くすには火力がもう一歩足りなかった。
「(以前糺さんが言っていた、奥義の連打による弊害がこれか……っ)」
一日休めばある程度は回復するかとも思っていたが、闇邪鎧の奥義と対を張るためには、やはり万全の状態で臨まなければならないようだ。
「ぐっ――ああっ!?」
やがて蝶の群れによる鱗粉の嵐に呑み込まれたゴテンは、遥か後方へと身を叩きつけられた。
変身解除を余儀なくされ、衝撃のせいでインロウガジェットも弾け飛んでしまう。
雪弥は何とか立ち上がろうとして、足が滑ったことに背筋が凍った。
烏帽子山がいくら小さい山とはいえ、その公園は山の上にある。あと僅かにでも遠くへ吹き飛ばされていたら、斜面を滑落していたことだろう。
「雪弥くん!」
「流香っ!? 来ちゃだめだ!」
『いやはや。ですから見苦しいと申し上げていますでしょう? 力もない小娘が声を上げたところで、状況が好転した試しがありますか。どの小説でも、どんな映画でも! 死を招く正義感など棄てておしまいなさい! そんなもの、「心配して声を上げた私のことを想って」などという浅はかな承認欲求でしかないのだから!』
蝶を撃ち出すコウタロウの姿に、雪弥は腕を踏ん張って体を引き上げた。
インロウガジェットを拾う暇はない。
「それでも……!」
生身のままで流香の前に立ちはだかり、蝶の攻撃を一身に引き受ける。
「ぐっ――ううううううぁぁぁぁぁぁ!!」
闇邪鎧も奥義の連発は不可能なのか、流香を狙うのに通常攻撃で十分と判断したか、ゴテンの鎧を身に纏わずとも耐えることのできそうなものだったことは、不幸中の幸いだった。
耐えることはできる。たとえ全身が焼けただれるように熱くとも、いつしかその感覚さえもなくなり、臓腑の奥底から響き返すような烈しい痛みだけが全身を支配しているとしても。
「それ、でも――ッ!」
『また正義感とやらですか、そろそろ食傷気味なのですがね。八楯の鎧を纏ってからであれば、勝機もあったでしょうに。敵方である私が申し上げるのもなんでございますが、これでは無駄死にと言わざるを得ませんねぇ』
「それでも!」
雪弥は自分の視界がぐんと下がったのを感じながら、歯を食いしばった。
畜生。厳しい稽古をしてぶっ倒れたことは何度もあったが、膝を突いた感覚さえないということは初めてだった。
「それでも、そうやって過ちを繰り返しながら、僕たち人間は、未来に進んでいくんです。そうやって後悔しながら、幸せに近づいていくんです!」
『はあ……その結果、今まさに貴公は死にかけているのですが?』
「もちろん――」
雪弥は努めて、口角を引き上げて見せる。
糺や流香の培ってきたものには遠く及ばない、不格好なものだとしても。
「それでも、です」
笑ってやる。
* * * * * *
流香は倒れる雪弥の体を支えようとして、失敗した。
肝心なところで滑ってしまった掌を睨みつける。そこには、彼の血がべっとりと付いていた。
まるで雪弥本人から支えることを拒絶されたようで、気が逸る。
「ちょっ、なに生身で立ったのよ! 自殺志願者!?」
「刀になるって……約束した、から……」
「説得力ないって! 盾にもなれてないし! 流香、雪弥くんのこと、頼りにしてたんですけど!?」
「はは……光栄だなあ。ありがとう」
まただ。またそうやって、笑って見せる。
君だって、相当きっつい人生送ってきたじゃない。父親から虐げられて、力を持ってからは追従笑いを向けられて。
ハリボテの愛でも向けられていただけ、まだ私の方がマシじゃないの。
だって、私はまだ、パパとママを憎んでないから。ああいう人たちが言う『愛』ってやつを信じられなくなっただけで、それ以前の思い出は、まあまああったから。辛うじて正気を保っていられたけれど。
そんな思い出さえないなんて、どう考えてもサイアクなのに。
「なんで、笑ってられるのよぉ……! ばかぁ! あほぉ!」
お父さんを守るために刀を抜いたという話を聞いたとき、全身が震えた。
彼は、それが出来る人なんだって、思い知らされた。
色んなものを背負い込みながら、いいえ、背負っているからこそ、それを踏まえての行動に出ることができる。
この人なら、って。そう思えたから。
「ナチュラルにカッコつけてるのはウザイし、あからさまに爽やかに振舞ってるところはキモイし、そのくせ、こっちからちょっとアピールしてみても難聴発動するとか苛々マッハだし! けど、けどっ!」
ぐしぐしと涙を流しながら、着て来ていたパーカーを脱いで、雪弥の傷口に押し当てる。
「好きになっちゃったの! でも、まだ雪弥くんのこと、ちゃんと好きにもなれてないの! 『つや姫』やりきってケジメつけようかってコトまで考えてたのに! 流香がそうしようとしたら、今度は体張ってサヨナラとか、っけんじゃないし!」
ふと、涙の粒ごと掬い上げるように、雪弥が手を伸ばしてきた。
その優しい指が目元を拭い、暖かな掌が頭を撫でてくれる。
「アイドルをきちんとやり遂げてから、なんて。流香は、偉いね……」
しかし、温もりは突然、去ってしまう。
「ちょっ、雪弥くん!? ねえ、ねえってば!」
血は噴き出てるのだから、きっと脈はある。
気を失っているだけなのだと信じたい。
信じることにする。だって、彼だから。
流香は、意を決した。
「……許さないから」
『結構』
「ほんと、マジでブチギレ系なんですけど、今」
仇を取ると決めた。やり方なんて分からないけれど。とりあえず、今は雪弥をバケモノから守らなければならないから。
唯一助けを求められそうな糺は、まだ目覚めていない。
真人たちにも連絡先を聞いておけば良かったと後悔した。
首を振る。
違う。そうじゃない。
「『私が』雪弥くんを守るんだ……」
それが、バケモノの言う、愚かな行動だとしても。
不思議なことに、決意してしまえば、存外肝は据わってくれていた。
守って欲しい、愛されたいという願望が――
「そうだ、一緒に歩むんだ! 雪弥くんが刀になってくれるなら。私は、彼の背中を守る剣になるし!」
――守りたい、愛したいという激情へと変わっていく。
「えっ……」
不意に、声が聞こえた気がした。
振り仰ぐ。烏帽子山の神宮にそびえる輪廻の桜が、微笑んだ気がした。
僅かに残っていた桜の花弁がひとひら、手のひらに舞い込む。
それは神々しい光を放ち、雪弥の持っていたものと同じガジェットへと変化した。
「私に、これを……?」
咲き誇る千本桜をモチーフにしたメダル。その裏には、南陽市の『ナ』を紋章化した市章が描かれている。
「うん、お願い――力を貸して!」
《サクラ!
インロウガジェットにメダルをセットした流香は、ターンを決め、バケモノ――コウタロウ闇邪鎧にウィンクして見せた。
糺も得ている力ならば、肩を並べる者として――そして、雪弥へ堂々と想いを寄せるためにも、今は、『「つや姫」の吉野川流香』として戦うことこそ相応しいと思ったからだ。
「オラ・オガレ!」
《サクラ!
紋章の聖なる光をくぐり、少女は戦姫へと進化した。
南陽を象徴する要素の一つであるウサギのデザインを中心に、優美な大空と、それを彩る桜の花が散りばめられた、可憐なる鎧。
『新たな八楯の鎧ですか……しかし、おっとり刀で私に勝てるとでも!?』
「もち、当然っしょ。言い方悪い系だけど、こちとら、『悪意あるファン』っていう名前のハエとはずっとやりあってるし。そっちこそ、恋する女の子のパワー、舐めない方がいーんじゃない?」
ルカはドライバー腰元のボタンをタッチし、花を模した指揮棒型レイピア『フローラルタクト』を呼び出した。
「香り立つ桜花の戦士――
『戯言を!』
コウタロウが蝶を放ってくる。
ルカは動じることなく、漲る気力の赴くままに、タクトを振っていく。
蝶たちを線で繋ぐように、円で囲むように。時には、点で突くように。
タクトを振るう度に桜が弾み、五線譜の上を滑るように吹雪いていく。
戦場は一瞬にして、ルカという指揮者を筆頭に繰り広げられる演奏会へと変貌していた。
日本初にして世界最大の木造コンサートホールを保有する南陽市の戦姫として、一分の不足もない。
蝶をあらかた薙ぎ払ったところで、ルカはドライバーを二度タップした。
《サクラ!
「トドメ、行っちゃうし! ――『
『させません、「
コウタロウは新たに蝶を召喚し、奥義で返してきた。
美しい羽の奔流と、煌めく桜吹雪の旋律が激突する。
「これって、『愚か』、ってヤツだよね」
『何ですって!?』
「だってさ、この構図って、さっきあんたと雪弥くんとでやったばっかじゃん。だったらさ――結果がどうなるかってことも、判ってるんじゃない?」
『なっ、ああ……ぐあああああああああ!!??』
ファンシーな桜色に爆ぜていく蝶の異形を背に、ルカは左手を胸に当て、見守ってくれた千本桜へと厳かに敬礼をした。
* * * * * *
コンビニで買い出しを済ませた真人は、頭を抱えていた。
貴臣とともに、自分の朝食を買いに出たつもりだったはずだ。
しかし、流香の家へと帰るなり、それは眠りから覚めた獣によって奪い取られてしまった。家主と雪弥が不在であったことにも驚いたし、彼女が目覚めていたことにも驚いたが、何より驚いたのは――
「しっかし、よく食うな……」
弁当にがっつく糺と、テーブルに盛られた空き箱の山に、何度目かのため息を吐く。
傍らに散乱した袋には、菓子パンからパスタサラダからハム等のおかず類から、男でも数人分はあるだろう量のゴミが発生している。
「お代わり!」
「ねえよ! バカかよ! あっても買わねえよ! 分かるか、店員の姉ちゃんから『また、来たんですか……』って呆れた顔で言われる俺たちの気持ちがよォ!」
真人はたまらず悲鳴を上げたが、糺はどこ吹く風で笑っている。
「ごめんってば。いやあ、色々重なって、お腹減っちゃったのよ。女の子のストレス発散は食欲、ってね!」
「コーヒーのお代わりならございますよ」
「マ!? ありがとう俊丸さん、大好き!」
「あはは……」
満開の笑顔でカップを差し出した彼女に、俊丸は苦笑しながら水筒を傾ける。
「ほんと悪いな、俊丸さん。朝っぱらから呼び出しちまって」
「構いませんよ。ですが、まさか『ごっつぉ』のコーヒーを届けろと言われるとは思いませんでした」
「ほんっとスンマセン! ……ほら、お前も!」
真人は糺の頭をぐいぐいと押して――押し――あまりに抵抗が強いため、諦めた。ほんに、満身創痍で一日寝込んでいた人間とは思えない強靭さである。
追加で買ってきたゴミ袋に片っ端から突っ込みながら、貴臣が「あ」と声を上げた。
「そういや、雪弥から連絡来たか?」
「ああ、さっき『今から戻ります』ってだけ」
「ふうん。何してんだあいつら」
「さあ?」
そんな真人たちの会話の隣でコーヒーを飲み干した糺が、うんと伸びをする。
「ん~、完・全・復・活! ほんっと、ウカノメさんのコーヒーは冷めても美味しいわね」
彼女は手元に残っていた弁当の空き箱をゴミ袋に投げ入れると、居住まいをただした。
「さて。真人、貴臣くん、俊丸さん。ちょっと話があるんだけれど……ええと、雪弥くんはいないんだっけ?」
「あいつには後で伝えるよ。俺たちのことを知ったとはいえ、流香ちゃんの前でする話でもないんだろう?」
「そうね。あ、いや……うーん、どうなのかしら。あの子も当事者といえば当事者になるんですよねえコレが」
「なんだよ、歯切れ悪いな」
糺がうんうんと唸っていると、それを遮るように、玄関の引き戸の開く音がした。
「たっだいまー」
「ただいま戻りました」
流香に肩を貸してもらった状態の雪弥という珍妙な二人三脚が居間に顔を出す。
「ああ、糺さん。起きてらっしゃったんですね、お元気そうで」
「うん、おかげさまで――って、立場逆転!? どうしたのよ!」
「昨日の闇邪鎧と遭遇しまして。倒していただきました」
「おお、倒したか。とりあえず無事で良かったぜ」
真人は昨夜の救急箱をもう一度引っ張そうと立ち上がったところで、違和感に足を止める。
「……ん、倒してもらった?」
「ええと、はい」
気恥ずかしそうに告げた雪弥は、流香に目配せをする。
すると彼女は、雪弥を抱えているのと反対の手で、お茶目に顔の横でピースを作って見せた。
「わたくしこと吉野川流香、果樹八楯の戦士になりました!」
「「「ええーーーっ!?」」」
「ほらほら、白水さん、延沢さん!……あとそこの知らない人!」
「「「は、はいっ?」」」
「雪弥くんの手当、手伝ってください!」
「「「は、はいっ!」」」
なぜだか有無を言わせぬ迫力に、真人たちはたじたじと動き出す。
「ちょっと白水さん、モタモタしないでくれます!? しっかりしてください、あなた、雪弥くんの先輩なんでしょう!」
「お、おう……?」
やはり奇妙である。
雪弥の方をチラ見すると、苦笑いの口元が『すみません』と動いている。
さすがの真人も、これには気づくところがあった。
「急ぐし! 流香の大事な雪弥くんに傷が残ったらどう責任とってくれる気だし!」
「おーおー、頑張れ真人ー!」
「ど、どだなだず……」
とうとう敬語すら繕わなくなった流香と、コーヒーを飲みながら他人事のように野次を飛ばしてくる糺とに挟まれ、真人はがっくりと肩を落とした。
――第8話『楽園の透明き蝶』(了)――
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