第9話『PATH OF LOVES』

前編/米沢恋歌


――山形県某所・喫茶『ごっつぉ』


 何杯目かのコーヒーを飲み干したあとで、真人は溶けかけたナメクジのように、カウンターテーブルにべったりと突っ伏した。


 大きなため息を吐く。

 浮かない顔なのは、隣に座っていた糺と流香も同じだった。




 南陽での戦いを終えた雪弥たちと合流した後、糺から告げられたことを思い出す。



「私や流香と同じ、「つや姫」のメンバーだった、凛という子がいるのだけれど」



 何度か下唇を歯で揉むようにしながら、じっと言いあぐねていた彼女は、やがて、気でも違えたかのように叫びながら髪を掻きむしると、俊丸から持ってきてもらっていた『ごっつぉ』製のコーヒーを一気飲みして、ようやく言葉を絞り出した。



「凛は今、異形になっているわ。ハチモリと名乗る、天狗の、ね。雪弥くんは昨日戦ったでしょう?」


「まさか、あの時の闇邪鎧が……」


「いいえ、闇邪鎧というのは不適当かも。白畑孝太郎氏の闇邪鎧を従えていたから、おそらくは、真人たちが霞城公園で遭ったっていうヨウセンや、この間東根小学校で遭遇したツノカワたちと同じように、ムドサゲ寄りかもしれないわ」 


「流香は遭ったことないけど、だいたい把握したし。要するに、幹部クラス系ね」



 先ほど戦ってきたコウタロウ闇邪鎧よりも強いのがいるのかと、流香がうだるように天井を仰いだ。

 真人も、じっと腕組みをして聞いていた。



――こんなこと言いたかねぇが、俺も本調子じゃねえ。



 ツノカワはああ言っていた。おそらく、ヨウセンも同様と考えていい。

 もし、奴らが本気を出して襲撃してくることがあるとすれば。真人、糺、俊丸、雪弥、貴臣、流香、そしてここにいないもう一人、紲を足した七人が束になってかかっても、勝利をもぎ取ることができるのだろうか。



――奥にいるそいつは、あなたのお父さんを手に掛けた奴よ!



 父の仇を、取ることができるだろうか。



「ヨウセン、ツノカワ。そして、ハチモリ、か」


「ちなみにバッドインフォメーション。少なくとも、ムドサゲはもう一人いるわ」


「……は?」


「私と凛が闇邪鎧に襲われた日、ツノカワって奴の他にもう一人。名前は判らないけれど、なんか年寄り臭い喋り方をする骨のバケモノだった」



 糺は捲し立てるように言って、興奮気味の肩を深呼吸で鎮める。



「闇邪鎧の他にそいつら二人がいて、あのエセ霊能者と、真人のお父さんが変身して戦った。私と凛のこともかばってくれたわ。けれど……」


「力及ばず、だったか」



 真人がそう言うと、糺は目尻に浮かんだ涙を隠すように目を伏せて、頷いた。

 力なく萎れる肩に寄り添い、流香が訪ねる。



「凛ちゃんは、その時に?」


「多分ね。気を失って連れ去られるところを見たのが最後だったわ。まさか、あんなことになっているとは、露ほども思わなかったけれど」



 支えてくれる流香の手に、自分は大丈夫だからと気丈に振舞って見せる糺の笑い顔が、いやに乾いていて、今も瞼の裏に焼き付いている。




 糺の戦ってきた理由を知った時、何も言えなかった。



「なあ、ウカノメさん。ムドサゲになっちまった人を救う方法はないのか?」



 やりきれなさを、カウンターの向こうで洗ったカップを磨いている横顔にぶつける。

 振り向いた視線は、申し訳なさそうに揺れていた。



「それが、わがんねのよす。闇邪鎧だば、魂が弄られているちょされてるだけだがら、外の悪いもんば壊してけっど、魂は在るべきところに還るんだげんと……」


「じゃあ、せめて奴らの居場所だけでも判らないのか!?」


「ストップ。やめなさい、真人」



 静かに、しかし空気を切り裂くようなぴしゃりとした声で諫めたのは、糺だった。

 一瞬だけ睨みを効かせた彼女は、しかし、すぐに怒気の矛を収めると、穏やかな瞳になる。



「八つ当たりをするんじゃないの。ウカノメさんにだって、できることとできないことがあるわ。それに、できるなら、私が既にやっている。違う?」


「それは分かってる。けどよ……!」



 詰め寄る真人の唇は、糺の人差し指にそっと塞がれた。

 彼女はおもむろに首を振ると、ごめんね、と愁眉を開いた。



「話すタイミングを間違ってしまったかもね。心配してくれるのは嬉しいけれど、あんたを焦らせるだけになってしまったみたい」


「別に、焦ってなんか……いや、いたかもしれないけどさ」



 振りかざした闘志の降ろし場所を見失い、真人は縮こまるように椅子に戻る。



「無理ないっしょ」



 流香が、砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーをかき混ぜながら言った。



「白水さんのお父さんのことは、亡くなっていると割り切れているかもしれない。けれど、まだ生きている凛ちゃんなら手が届くんじゃないかって、そう思えちゃうから、余計に焦る的な?」


「そう思えちゃうから……?」


「そそ。凛ちゃんがいて、動ける流香たちがいて。それでも『もし、間に合わなかったら』ってことを考えると、もう言い訳ができなくなっちゃうから」


「流香、あなた……」



 目を見開いて驚く糺をよそに、流香は遠くを見つめるようにして、



「流香もさ。初めて変身できたとき、これで雪弥くんが助けられなかったらどうしようって、けっこう焦ってたし。けど、そんな時だからこそ落ち着くべし、的な。なんつって」



 そう言ってから、ずずずずぅ! とコーヒーを啜り上げた。

 ぷはぁ一仕事やってやったぜと言わんばかりの充足した表情を浮かべる彼女の後頭部に、糺のスリッパが飛来する。



「飲み方よ!」


「痛ぃっだいし!?」


「おお、久々」



 小気味いい音に、真人は少し懐かしくなって、思わず小さく拍手を送る。



「ちょーちょー、何してくれてんのさ!」


「あんたねえ、けっこういいこと言うんだなってちょっとじーんと来てた私の感動返しなさいよ! 他人様の前なんだし、もっとお淑やかーに飲むとかできないわけ?」


「別に雪弥くんの前じゃなし、流香はいいもーん。それよか、流香のプリティヘッドに傷がついたらどうしてくれんだし!」


「なにがプリティヘッドよ、エンプティヘッドの間違いじゃない!」


「ぐぬぬぬぬぬぬぬっ!」


「がるるるるるるるっ!」



 ヒートアップしていくじゃれ合いに、真人は我に返った。

 しかし、自分が止めるよりも先に、二人へ割って入る声があった。



「なあに、みんなして、元気ないねえ」


「何かあったながれ?」



 心配そうに覗き込んでくるのは、常連の月布と簗沢だった。

 後ろの方からぴょこぴょこと、野次馬めいた好奇の視線を覗かせる高豆蒄は見なかったことにする。



「えっ、と……今、プチケンカしてたんですけど、元気ないように見えました?」



 気勢を削がれた糺が、きょとんとした顔をしていると、高豆蒄さんが高い声を上げた。



「そりゃそうだべしたー! さっきから、誰一人笑ってないんだもの」


「笑って……あっ」



 店に入ってからの自らの行動を思い返したらしい糺が、にわかに顔を赤らめた。



「ごめんなさい、なんか、心配をおかけしちゃったみたいで。けれど大丈夫です。何とかなりそうです」


「うーん、そんな浮かない顔で言われてもねえ」



 困ったように苦笑した月布が、ふと、手を打った。



「あ、そうだ! 糺ちゃんたち、ちょうど三人だし。私たちが善慈郎さんの家からいただいたアレ、あげちゃわない?」


「おっ、いいねー! ちょっち待っててくりー」



 乗り気のスキップで席に戻って行った高豆蒄が、いそいそとカバンから封筒を取り出して、またやってきた。



「はいこれ。今日の夕方から、米沢でライブがあるんだずよー!」


「気分転換に、行ってござっしゃえなあ」



 そう言って手渡された封筒の封は切られており、その隙間から見える紙切れを目にした糺と、背後から覗き込んだ流香が、思わずといったように噴き出した。



「まさか……」


「こういうタイミングで来ちゃう系?」



 くつくつと笑いを堪えている二人をよそに、真人は目を瞬かせるばかりだった。










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  第9話/前編 『米沢恋歌』

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――山形県米沢市・某所



 真人を足にして米沢へとやってきた一行は、米沢城に車を停めた。


 城下町ということもあってか、市街地へ入った途端に道が随分と入り組んでおり、運転していると古き良き文化と現代的な建物とがメリーゴーラウンドのように目まぐるしく通り過ぎていく、美しい景色である。

 山形市の街並みも、霞城のお膝下ということで地図上の名残こそあるが、あちらはなまじ大きい通りと裏通りとがはっきり分かれているため、また違った趣がある。


 先に降りていた糺と流香は、吾妻山――市街地から小野川温泉を望んだ方角の山――に向かってつくしのように伸びをしている。



「んっ、と。はぁ、山形県民は慣れているとはいえ、さすがに二時間近くのドライブは堪えるわねえ」


「…………歳」


「あんだとぅ!? 言うてあんた、私と二つしか違わないじゃない」


「へーん。埋められない絶対的な差だし。つか、糺ちゃん四月生まれっしょ? 流香、聖夜に舞い降りたメリクリエンジェルだし? 実は今、糺ちゃんはぁ」



 日の光が影になって、淫靡なヴェールを翳す。

 流香が不敵な笑みを浮かべて、糺の耳元に口を寄せたのだ。



「流香より『みっつ』、上なんだゾ☆」


「うおっしゃおらぁ上等じゃねえの。インロウガジェット構えなさいよ、完膚なきまでぶっコロだわ!」


「あはは、糺ちゃんが怒ったー!」



 けらけらと笑い転げるままに逃げる流香を、鬼の形相の糺が追走する。



「ちょっと真人もホラ、流香を捕まえるの手伝って! ……真人?」


「んあ? 悪い、なんだ」



 スマホと睨めっこをしていた真人は、糺に頬を突かれて顔を上げた。



「オーライ。なんか、すっかり毒気を抜かれた気分だわ」


「うん?」


「別に、こっちの話よ。んで、あんたはなーに難しい顔してるわけ」


「ああ、どうせ米沢に来たんなら、せっかくだし、昼は米沢牛でも食おうと思ったんだけどな」


「なになに、値段に手が届かなかった系?」



 反対隣から覗き込んできた流香に、真人は否定を返す。

 一食の奮発程度は気にしていなかった。市場等に安定したパイプを持つことができる農家の場合、悪天候や自然災害といったアクシデントにさえ見舞われなければ、特に収入に困ることはないからだ。



「それがな、調べたところ、米沢牛を扱う殆どの店で『ドレスコード』が必要らしいんだ」


「ドレスコードぉ? 初耳ね。こう言ってはなんだけれど、山形くんだりの店でそういうのがあるとは意外かも」


「だね。ホテル使ってパーティなんかするとき時は、ってくらい?」


「だろう? だから、ちょっと腰が引けちまってな」



 代わりに昼食をとれる店を探すしかないか、と頭を掻いていると、そんな真人たちの背後から、若い男の声がかかった。



「ンな心配は雑種にでも食わせておきな」


「――ん?」



 きりと通った背筋に、それを引き立てるようなジャケット姿が良く似合う。それでいて顔立ちは野性的で、自信の滲み出る吊り目は狼のように気高い。

 真人は体を強張らせた。彼の年端は自分と同じくらいだろうか。自然な重心移動の足捌きからは、只者ではない気配が感じられた。



「あ」


「お」



 振り返った糺と流香が、相好を崩した。



「なーんだ、あんたか」


「シュウちゃん、おひさだし!」



 シュウと呼ばれた青年は、犬歯を剥いて詰め寄る。



「シュウちゃんじゃねえ、愁慈郎しゅうじろうだ! 愁いを慈しむ美周郎びしゅうろうになれるようにと、叔父貴が付けてくれた名前なんだよ!」


「長いし。美周郎とか分かんないし。もうシュウちゃんでよくね説」


「お前三國〇双やってただろうがよォ!?」


「さーせんメンゴ☆ 流香の推しは曹丕様なんだ」



 遠い目をしてみせて空とぼける流香に、シュウちゃん――もとい愁慈郎はあああと頭を抱えて崩れ落ちた。



「知り合いか?」


「ええ。私たち『つや姫』と対を成す男性ユニット『雪若丸』は知っているでしょう? そのセンターが彼よ」



みさき愁慈郎だ。あんたこそ何者だ? 糺どころか流香までもが男と一緒にいんのは、地味に衝撃だぞ」


「どーせ男っ気がないですよーだ」


「よーだ」


「はは……白水真人だ。ちょいと縁があってな、顔を合わせることが多くなったんだよ」



 差し出された手を握り返すと、愁慈郎はふうん、と鼻白んだ。

 探るような視線に気づいて、真人は手を振る。



「安心しろ、彼氏とかじゃないから」


「ハッ、尻の穴の小せぇこと言ってんじゃねえよ。『俺が二人を侍らせているんだ』くらい言えてみろ。少しは男の格が上がんぞ?」


「はぁ……」



 何と返していいものか分からず、真人は立ち惑った。

 休止中とはいえアイドルである糺たちを気遣ったつもりなのだが、まさか推奨されるとは思わなんだ。


 それに一瞬だったが、自分が『彼氏』というワードを出したとき、わずかに愁慈郎の表情が翳ったような気がした。

 怒りや不満ではない。かといって、真人が糺たちと一緒にいることへの嫉妬にも見えない。


 今度はこちらの方が探るような視線になっていたのを、愁慈郎はひらりと躱して背を向けると、言った。



「どうせなら付いて来い。米沢牛を食わせてやる」












 愁慈郎の後に続いて向かった先は、米沢城の駐車場から堀をぐるっと回った反対側だった。


 そこに一軒、一際歴史の香りを放つヒノキ造りの建物がある。

 門を潜りながら、真人は目の前の背中に声をかけた。



「ここは?」


「上杉伯爵邸だ。元々、十四代上杉茂憲もちのり公の邸宅として建てられたものでな。今じゃあ飯から結婚式から、何でもござれな老舗だよ」


「えっ、ここ結婚式までやってんの。ちょー意外だし」


「米沢城っていうより、上杉神社っていう方がネームバリュー大きいものね。神前式には持ってこいってわけだ」



 一度、堀の向こうの境内を振り返ってから、糺たちも続いて門を潜った。


 紋付の陣幕を張った玄関で、受付の従業員に『三人分の追加』を頼むと、愁慈郎はそのまま大広間へと向かっていった。

 玄関にほど近い大広間。そこに通された真人たちは、言葉を失った。



「うっわあ……」


「すげえ……」



 座敷左手には季節の花を望む巨大な日本庭園の雅が。

 右手を向けば中庭を演出する枯山水の趣が。


 ドラマや映画でしか見たことのないような景色に、真人は飲み込まれていた。



「おう、皆。糺と流香、そしてそのご友人を連れて来たぞ」



 愁慈郎が声を上げると、大広間の一角がざわついた。



「えっ、マジマジ!? マジで糺ちゃんじゃん!」


「相っ変わらず声でっかいわねえ、あんたは」


「吉野川くんも、お元気そうだ」


「ちょりー。マサキさんも元気ぃ?」



 気さくに言葉を交わしているところを見ると、彼らも『雪若丸』のメンバーなのだろう。



「何だよ、愁慈郎。『散歩』の結果はニアミスだったのかい」


「うっせ」



 メンバーの一人を、愁慈郎は照れたように小突いている。


 ふと、スタッフらしき大人の一団から、スーツ姿の男性がやってきた。



「驚いたよ、君たちが来てくれるとは」


「ご無沙汰してます。知り合いからあなたたちのライブのチケットを貰ったんですよ。それで、前乗りして食事処を探してたら、シュウに会って」


「別にチケットなんかなくても、いつでも来てくれていいんだよ? 僕たちスタッフ一同、いつまでも待っているから」


「ありがとうございます、マネージャー。けれど、まだ悲願が叶っていませんから」


「そうか……けど、まずは雛市さんと吉野川さんが元気そうで何よりだよ」



 ほうっと胸を撫で下ろして、マネージャーは打ち合わせに戻って行った。


 他の雪若丸メンバーが戻って行ったことを横目で確認してから、真人は糺に耳打ちする。



「悲願ってのは、まさか」


「ええ、凛のことよ。マネージャーたち一部スタッフにだけは打ち明けてるの。ただ、他の人には内緒ね。愁慈郎には特に」


「……? ああ、分かった」



 真人は小首を傾げた。

 連れられるままに席に着くと、しばらくして、真人たちの前にも米沢牛のステーキを交えた膳が運ばれて来た。



「さあ、食ってくれ。オレの故郷・米沢が誇るABCの一つ、『B』だ!」


「ビー……?」


「米沢牛。ビーフのBね。Aは確か、館山りんごのアップルだったかしら。Cは……?」


「流香知ってる。広島だし!」


「カープ違いだよ!? 米沢鯉のCだっつの!」



 箸を取り落としそうな勢いで、愁慈郎がズッコける。



「鷹山公がたんぱく質確保のために取り入れた由緒ある名産だぞ……ったく。まあいい、とにかく存分に味わってくれ。オレの奢りだ」


「それは悪い。ちゃんと払うよ」


「いいっていいって。ここで会ったのも何かの縁だし、さっきも言った通り、糺が男連れなんて貴重なモン見せてもらったんだ。気にすんな」



 彼はあっけらかんと笑い飛ばして、自分のステーキを一口放り込んだ。

 ナイフとフォークも備え付けられていたが、彼は箸派らしい。



「そういや、さっきの話が中途半端だったな」


「さっきの話?」


「ドレスコードの話だよ。つってもこれはほとんど形だけで、Tシャツにサンダル、みたいな適当スタイルじゃなかったら、別に問題ねえ。走り回ったりワーキャー騒いだりしなけりゃ、子供連れだって大歓迎さ。

 ただ、どうしても米沢牛の値段が張っちまうからな。その代わりに、値段に見合うブランドイメージを保証する、ってところさ。別にお高くとまっているわけじゃねえから、悪く思わないでくれ」



「ああ、分かるかもしれない。うちがさくらんぼ農家なんだが、やっぱり、技術や品種改良の進歩に伴って、価格は年々上がってる。今年の初競りなんか、たった五百グラムで三十五万だぞ。地元からすれば信じられない額だ。けれど、そんな『赤い宝石』のブランドイメージがあるからこそ、俺たち農家としては、確かなものを作る義務がある」


「いいね、その粋な魂。オレの方こそ、農家に対するイメージを詫びたいくらいだ」


「よせやい」



 苦笑して、真人も米沢牛のステーキをひとかけら、頬張った。

 焼いた肉であるというのに、舌に載せた瞬間、まるで上質なマグロの刺身を食べているかのような溶ける食感と、その先にある確かな歯ごたえ。

 小鉢で添えられたたれも爽やかで、くどくない。

 シンプルだからこそのピュアな味わいが、口いっぱいに広がった。


 なるほど確かに、これは守るべきものだろう。



「なあ、一つ聞いていいか?」



 不意に、愁慈郎が言った。



「うん?」


「ああ、すまん。真人の方じゃなくて――糺」


「私?」



 彼は髪を軽く整えてから、居住まいを正した。



「やっぱり、凛とはまだ連絡が付いていないのか」


「それは……」


「ああ、いい。いい! 話せねえことなら、それで」



 まるで告白を言いかけて誤魔化したかのように引き攣った笑顔でそう言うと、愁慈郎は再び箸を取った。













 昼食を済ませた真人たちは、上杉神社の中に設営されたステージでのリハーサルを見せてもらっていた。

 駐車場は表参道を抜けたところにある上杉博物館のものを間借りしており、ローカルアイドル規模のライブステージにしては十分な数を確保できているらしい。


 ステージ上では、シャツとジャージ姿の愁慈郎たちが歌い踊っている。

 リハ用に絞っているスピーカーに近い席へ陣取り、真人たちはその様子を眺めていた。



「ライブなんてものは初めて見たけど、すげえな……」



 生で目の当たりにする迫力に、真人はうっとりとため息を零す。


 センターである愁慈郎のワイルドでパッショナートな歌唱が曲をリードし、高音域は元気系サブリーダーの爽やかなハイトーンボイスで補完。さらに両端からクール&セクシーで空気を包み込むという、バランスの完成された四人組カルテット

 歌詞は女性とのデートを想定したものが多く、彼らがステップを踏めば手を引かれて歩いているような錯覚に陥り、彼らが投げキッスをすれば、それはロマンティックなひとときなのだと溺れたように感じる。



「おっ、これは銀山温泉の曲か」



 真人は歌詞に散りばめられたワードを拾い上げ、膝を打つ。



「そりゃロコドルだし? 地元を押し出しだしてナンボっしょ」


「『雪若丸』は、『山形に行きたくなる』のがコンセプトなのよ。山形の観光地で、恋人や家族が一緒に過ごす時間を表現した歌が多いわね。県内のレジャー施設なんかのCMソングには適任なのよ」


「ああ、だからさっきの曲は聞いたことがあったのか」



 ぼんやりと引っかかっていたことに合点がいった。



「じゃあ、『つや姫』はどうなんだ?」


「私たちのコンセプトは『山形を知りたくなる』。さくらんぼだとか紅花だとか、そういう名産品を男の人に見立ててる歌詞が特徴よ」


「貴方の果実を~、とか、たまにエロに走り過ぎてる感はあるけどねえ。ま、純情ぶりながら歌詞がエロいのはアイドルの定石だし? おかげ様で人気もいただいているから納得しますけどぉ」



 ぶてっと猫のようにぼやく流香を、糺が苦笑で宥める。



「――次の曲は、新曲です」


「おっ?」



 ふと、スピーカーから届いた声に、糺が反応した。



「オレ、頭良くねぇから、作詞とか担当したくねえってずっと蹴ってきましたけど。今回、初めて書いてみました。蔵王の展望テラスから眺めた景色。手が届きそうで、零れていく太陽の光。そこにもし、大切な人がいてくれたならと……そう願った曲です。聴いてください」



 ステージにほど近い席から、スタッフがカウントを出す。

 琴を使った艶やかな和風イントロから一転、疾走感のある爽やかなロックへと変身した。



「へえ」


「ほっほーん」



 愁慈郎の情熱的に突き上げるワンコーラスが過ぎたところで、何かを察したらしい糺と流香が、同時に「ぞっこんだねえ」と苦笑した。



「どうかしたのか?」


「ええ。歌詞にね、『と輝く』とか、『ウィンク・スグ』とか入っていたでしょう?」


「太陽のこともわざわざ『天』って言い換えちゃって、ウケるし」



 笑いを噛み殺しながらの二人に、真人は首をずずいーっと倒していき、



「ああ!」



 何度目かの反芻をしたところで合点がいった。


 リンという韻は、それは鮭川凛の示唆だ。



――ただ、他の人には内緒ね。愁慈郎には特に。



 糺が言っていたのはこのことだったのだ。

 ましてや。



――何だよ、愁慈郎。『散歩』の結果はニアミスだったのかい。


――うっせ。



 おそらくライブやイベントの度に自分の昼食をずらしてまで『散歩』をしていただろう彼には、彼女が異形と化していることなど伝えられるはずもない。


 胸が痛んだ。自分が想っている人間が突然いなくなり、その理由も判らないまま、ふらっと戻ってきてくれる可能性にかけてただ待っていることしかできないもどかしさ。

 糺の横顔をそっと覗き見る。

 もし、彼女がいなくなってしまったなら、自分は――



「シュウちゃんが好きなのが糺ちゃんじゃなくて良かったね」



 脇腹を小突かれて我に返る。

 見れば、からかうような上目遣いで、流香が舌なめずりをしていた。



「どうしてだよ?」


「だって、恋敵になっちゃうじゃん。あの歌唱力で恋の歌なんて作って歌われたら、真人さん、嫉妬で死んじゃうゾ☆」


「どだなだず」


「ほんと、どだなだず、よ」



 聞いていたらしい糺が、アホらしいと一蹴した。



「流香こそ、もし対象があなたで、雪弥くんが憤死したらどうすんの」


「そんなの、ありえないし」


「どうしてよ」


「だって、嫉妬ってさ、相手より劣っているから抱く系の感情じゃん? ジロちゃんもイケメンだとは思うけれど、雪弥くんの足下にも及ばないし」


「あー、はいはい。そうねー」


「でしょー?」



 あー暑い暑いと棒読みで手うちわを振る糺の横で、真人はじっと目を瞬かせた。



「……ひょっとして、俺、バカにされてる?」



 行き着いた結論を疑問として投げかけると、糺は先ほど流香に向けたものよりもずっと見下すような表情を作って見せて、思い切り鼻で笑ってきた。



「されてるんじゃないわ。今さら気付くようなバカだって言ってんの」


「なんだとう!?」


「ははっ、バーカ!」


「はぁ、こっちはこっちで十分お熱なんですけどー。やっぱり雪弥くんがいて欲しかった系だし」



 そんなぼやきが、突然、マイクのハウリングによってかき消された。

 真人たちは思わず耳を抑える。



「何、モニターの音量絞ってんじゃなかったの!?」


「ちょー耳痛いんですけど!」



 ステージを見ると、愁慈郎たちメンバーが怪訝な顔をしていた。

 一応、ハウリングしてしまったとはいえ、バックバンドは戸惑いながらも演奏を続けている。

 しかし、愁慈郎たちが歌を歌おうとすれば、たちまちノイズが邪魔をする。マイクを口から遠ざけてみたり、声のボリュームを落としてみても、無駄な抵抗だった。



「――凛――リン――――」



 途切れ途切れに、愁慈郎が歌詞に込めた想いだけが聞こえる。

 それ以外は、ついに高まったハウリングノイズに消されてしまった。



「止めて、一旦ストップ!」



 とうとうスタッフが割って入った。


 演奏を切り、マイクを通して普通に喋る分には問題がないらしい。

 しかし、一度『歌』として発声してしまうと、そこにはノイズが走った。



『あなめあなめ、いとかなし。斯様な恋を歌にするものではありませぬ』



 突如として聞こえてきた、嫋やかな声。



「まさか――」


「闇邪鎧ッ!?」



 真人たちは感電したように立ち上がり、インロウガジェットを構えて周囲に視線を走らせた。

 どこだ。どこにいる――!



『人の目を彩なせば、刹那。耳にそよげば、刹那。美しきものは朽ちゆきます』



 風呂場で放った声のように、ゆわんゆわんと妙な反響がする。



『ましてそれを歌になど、遺したところで無為。胸の内を解することなど、己以外の何人なんぴとができましょうや。幾年反芻すれど、消化昇華など叶いませぬ』



 やがて、ステージの上から降るスポットライトのように、あるいは夜空にはためく極光のように。色とりどりの単衣が降りて来た。



「女性の……闇邪鎧?」



 これまで戦ってきた武骨な重鎧のような異形たちとは違い、線の細い、天鋼のしなやかな曲線美に際立つ女性らしいスタイル。

 異形であるということは一目瞭然ながら、長い髪や単衣が生きているような造形は、絶世の美女を思わせるほどに魅力があった。



『あな、あなめあなめ。見ていられませぬ』



 闇邪鎧はよよよとしなを作って目を覆うと、



ね。出羽の雪にそそがれ、不浄を払いて悠久に。されば、長雨ながめせしまに、物思ながめの衰えることもありませぬでしょう』



 返す腕を払い、言った。



『――「花の色はうつりにけりないたづらに」』



 ぴぃん、と氷の張ったような冷たいハウリングがしたかと思うと、とうとう、機材が拾っていた話し声さえも凍り付いた。





――中編へ続く――

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