第12話『魔王再臨‐OVERLORD OF ZIPANGU‐』

前編/魔神


――山形県某所・喫茶『ごっつぉ』




 目を覚ました真人は、全身の痛みと粘土質の倦怠感にもがきながら、どうにか意識を浮上させることができた。



「ここは……? 痛っ」



 首をもたげようとして、痛みに顔を顰める。

 しかし、起き上がることがままならないのは、どうやら怪我のせいだけではないようで、もたれかかるように眠っている少女の姿に、ありがたいやらなんやら、真人は複雑な胸を撫で下ろした。



「良かった、目が覚めたんですね」



 雪弥が濡れタオルを持ってきてくれた。

 それを受け取り、糺を揺り起こさないように気をつけながら、首筋の脂汗を拭う。


 幾分か気分も晴れて来た。

 頭に上っていた血が降りてくるにつれ、ここが見慣れた控室であることに気付く。



「ここは、『ごっつぉ』か?」


「はい。ノブナガたちが一時撤退をしてくれましたので、僕たちもこちらへ」



 大変だったんですよと苦笑しながら、雪弥は返されたタオルをすすいで絞る。



「流香たちの方も苦戦を強いられていたようだったのですが。戻って来た糺さんが、ご自分もボロボロでいながら、必死に真人さんの捜索をされていたんですよ」


「そうだったのか……」


「そそ。あの時の糺ちゃんの泣きべそ、ちょーウケたし。愛されてますなあ」



 流香が椅子の背もたれを前側にして頬杖を突きながらニヤニヤしている。


 そちらに気を取られていた真人は、一瞬、自分の後頭部がすとんと落ちたことを理解できなかった。

 どうやら、枕が抜き取られたらしい。

 件の枕はというと、不意のことで白黒している真人の視界のはじっこで、流香の顔面にめり込んでいた。



「人が眠っていると思って要らんこと吹き込んでんじゃないわよ……?」


「事実だし。――あ、駄目、アイアンクローはマジでらめ! 流香が小顔で掴みやすいからって駄目っ! あぎゃああああああ!?」



 般若の形相の糺によって、流香はずるずると控室の外へ連れ出されていった。











//********************//

  第12話/前編 『魔神である』

//********************//











「……大丈夫なのか、あれ」


「あはは。糺さんですから、加減をしてくださるでしょう」


「そうじゃなくて、他のお客さん」


「そちらはご安心を。先ほど閉店時間を迎えていますから」


「えっ、俺、そんなに寝てたのか!?」



 枕元にまとめられていた荷物からスマホを取り上げて時刻を確認すると、二十一時を回って久しかった。

 滝壺に落ちた記憶はあるのだが、防水加工様々である。


 現代文明の産物の絶妙に冷たい感触が、自分が何とか生存できているという実感を与えてくれる。


 改めて人心地ついていると、扉が開き、紲、愁慈郎、俊丸の三人が顔を覗かせた。



「騒がしい奴らが飛び出して行ったから見に来たが、目覚めたらしいな」


「調子はどうだ? ゼリー買ってきたから、食えそうなら食っとけ」


「おお、サンキュ」



 愁慈郎から差し出されたコンビニのビニール袋から、栄養補給のゼリー飲料を一ついただいてキャップを開ける。


 紲がこちらの顔を覗き込んで愁眉を開くと、手近な椅子にどっかと腰を下ろした。



「さて、早速で悪いが、ノブナガの対処方法について考えようと思う」


「それと、こっちもね」



 落ち着きを取り戻した声とともに、糺と、ようやく解放されたらしい流香が戻ってきた。

 口から魂が漏れ出ているところをみるに、折檻は相当なものだったらしい。



 糺の問いに、紲は腕組みをして、少しの思案をする。



「そっちは……そうさな。多分、やるしかないんじゃねえか」


「ウップス!? 何よ、そのアバウト回答」


「ヒデヨシ闇邪鎧の『城』とやらをぶっ壊し、奴を仕留めることさえできれば、勝機が見えてくると判断している。

 ――もちろん、鮭川凛の救出についてもだ」


「それは本当か、兄さん!」



 愁慈郎が興奮に飛び上がった。

 道が開けたという安堵、そして本当にできるのかという不安の入り混じった感情で瞳が揺れている。



「ああ。お前たちから話を聞いて思ったんだが、もし、『ハチモリを倒すことで鮭川凛よりしろも死んでしまう』とするならば、だ。奴はそれを盾に、一人でお前たち三人をあしらってもいいと思わないか?」


「あーなる。お猿さんと一緒だったのは、ぼっちじゃマズい系だったってことね」



 ベッドのヘリに腰かけた流香がぽんと膝を打った。



「じゃあ、残りの課題はヒデヨシの対処は……」


「お城からの射撃は流香が対処するんでー。その隙にお猿さんの方をヨロ~」



 その言葉に、愁慈郎が進み出る。



「そうなりゃ、猿を仕留めんのはオレに任せろ」


「えっ、いいの……?」


「ん? 何がだ」



 躊躇う様子の糺に、彼は軽く流すように笑って見せた。



「お前が戦い始めた日のことを、この間兄さんから聞いた。こんなこと言いたくはねえが、凛を救い出すという一点においては、間違いなくお前の方が上だ」



 だから頼む。そう言って突き出された拳に、糺ははじめこそ二の足を踏んだものの、すぐに意を決して拳を打ち合わせた。



「オーライ。頼まれるまでもないわ。やらいでか!」


「うし、決まりだな。――それじゃあ、オレらは一足先に休ませてもらうわ」


「そうね。

 真人、無理して起きてちゃ駄目よ?」


「おー」



 真人はズズズッとゼリー飲料を啜り上げながら、糺たちを見送った。

 ゴミを仕舞い、一息つく。



「で、俺たちの方なんですけど。紲さんに相談したいことがあるんだが……」


「うん? 言ってみろ」



 紲に促され、真人は先を続ける。



「多分、あのノブナガ闇邪鎧は、俺と糺が舞鶴山で戦ったノブナガとは別物だと思う」



 思い返す。



――俺はあんたを一度倒した男だ、不服か!


――知らぬ。不服。不愉快である。


――はあ?


――其は織田信長であり、余は第六天魔王である。



「あいつは、俺が舞鶴山で戦った方を『織田信長』と呼び、自分のことを『第六天魔王』だと言っていた」


「でもあいつはノブナガなんだろう?」



 首を傾げた貴臣に、俊丸が頷く。



「ええ。奥義を放ったノブナガの読み上げた刀剣の銘……あれらは確かに、織田信長が所持していたとされるものです」


「けど……」



――ぐ……フ、フハハハハハハ! 我は魔王。必ず蘇り、相見えようぞ!


――何度来たって変わらねえ。俺が山形を守る!



 真人は俯き、膝の上で拳を握りしめた。



「魂の存在になっても尚、進化を続けている、とするならばどうでしょうか。先輩が戦ったノブナガから、先のノブナガは同一人物で、何かしら豹変するきっかけがあったとか?」



 雪弥が指を当てて考え込む。


 排気口のある部屋の隅に異動して煙草に火を点けた紲が、低く喉を鳴らした。



「確かに、闇邪鎧とやり合っていると、奴らは俺たちが『果樹八楯』であることを知っている風な口ぶりだったりするからな。記憶が継続していて、果樹八楯と戦うための何かを見出した、という線もあるが――」



 彼は吸い込んだ煙で輪っかを作り、しばらく弄んでから、



「なら、訊いてみればいいさ。本人に」



 そう、言ってのけた。











 ――山形県天童市・建勲神社




 朝を待って、別行動の紲を除く真人たち非アイドル組は、舞鶴山の駐車場に車を停めて建勲神社へと向かっていた。

 山の裏側から降りていけば、建勲神社の側面へと出る。


 ちょうどその頃合いで、神社正面の石段の方から紲が、チェロを仕舞うケースのような黒鞄を持ってやってきた。


 しかし、まだ晩春から初夏にかかるくらい季節だというのに、眉をしかめた彼の額には、心なしか脂汗が滲んでいるように見える。



「そんなに重いのか? そのケース」


「うんにゃ、大したことじゃねえよ。ちょいと、準備に手間取ってな」


「準備?」



 返事もそこそこに本堂へと上がって行く紲を、真人たちは慌てて追いかける。


 中は男五人が入っても少し広いくらいの空間だった。

 部屋の隅には、参拝客からだろうお供え物の酒がまとめられていたり、反対の壁には行事などで使うのだろう、場の雰囲気には不釣り合いな音響機器などもある。



「勝手に入ってもいいのか……?」



 未知の領域におっかなびっくりしながらも顔を上げた真人は、息を呑んだ。

 

 真正面に、何者か、歴史の教科書などで見るような肖像画が飾られている――いや、祀られている、といった方が正しいだろうか。



「ここは一般公開されているからな。場所を弁えた節度さえ持っていれば問題ねえよ」


「あ、ああ……。この肖像画は?」


「お前はバカか。それとも痴呆か。ここに何しに来たのか忘れたか」


「そういう言い方はいけませんよ、紲。もお忘れなく」



 諫める俊丸に、紲は肩を竦めた。



「これは、織田信長の肖像です」


「俺が知っている信長と違うな。いくつか種類があるのか」



 貴臣が目を瞬かせている。



「さて。早速始めっとすっか。少しばかり、静かにしていてくれ」



 紲はどっかと腰を下ろすと、持参したケースから、掃除用具のはたきのようなもの――あとで聞いたところによると、トドサマという道具らしい――や、とても矢を射ることができるようには見えない小ぶりな弓――儀式用の梓弓とのこと――などを取り出した。

 丁寧に風呂敷で包んでいた珍蛇酒ワインの瓶を取り出し、神前に供え、祝詞を唱え始める。


 一体これは何の儀式で、それはどこまで進んでいるのだろうか。


 固唾を飲んで数分。


 真人はふと、きぃぃぃぃん、という耳鳴りに襲われた。

 思わず顔を顰めたが、どこか鈴の音のような柔らかい音であることに気付き、怪訝な表情でそっと目を開く。


 それとほぼ同時に、祝詞を唱え上げていた紲の体がさらりと揺らいだ。



「紲さん!?」


『――おけい』



 が座したまま振り返った。

 顔からは平素のシニカルな色は消え、威風堂々と、厳かに薄目を開き、こちらを見定めているようだった。



『この男も酔狂よな。異教の社で異教のまじないを詠むだけでも苦痛であろうに。力の褪せた身でありながら、態々自らを死に近づけてまで執り行うとは』


「ええと、あの……どういうことだ?」


『解らぬか、果樹王よ』



 そう言って、彼はジャケットの内側――シャツを捲り上げて見せた。

 紲の腹部には包帯が何重にも巻かれており、浅黒い血が滲んでいる。



「「「なっ……」」」



 真人たちは絶句した。


 一人、俊丸だけは驚くでもなく、すう、と目を細めた。



「成程、悟りの概念ですね。紲はかつて霊能力を手放しています。岩谷の一族オナカマの血が流れているとはいえ、巫女ではない男の、それも能力を持たざる者が口寄せの儀を行うとなれば……死に近づくことで霊道に入ろうとしたわけですか」


『然り。中々に気骨のあるうつけよな。気に入った。紲とやらの名を憶えておこう』


「しかと伝えておきます。僭越ながら私が、彼に代わって御言葉を賜りましょう――」



 そう微笑んで、俊丸は跪いた。



「――


「信長だって!?」


『然様。余は織田上総介三郎信長である』



 滔々と告げられた名に、真人たちは信じられないという顔をしながらも、真剣な表情の俊丸の横顔で現実なのだと判断し、倣って腰を下ろした。


 正座で一列に並ぶ。

 剣道をやっていて良かったと心の底から感謝をしたが、時代も違えば作法も異なるはず。よもや機嫌を損ねて手打ちうちくびなどにはならないだろうなと、今さらになって冷や汗がどっと溢れた。



『構えずともよい。余を呼びつけるという無礼は、この男に免じる』



 信長はくつくつと喉で笑うと、紲の体を気遣うようにゆっくりと胡坐をとった。



『して、何用か』


「信長公。あんたは、昨日関山に現れたノブナガ闇邪鎧について知っているか」


『是非も無し。彼奴――『魔王』は、我の内より口寄せされたものであるからな』



 その言葉を、真人はにわかに飲み込むことができなかった。

 戸惑っていると、代わりに雪弥が口を開いてくれる。



「つまり、あれは『第六天魔王』であって、信長公の闇邪鎧ではないと? しかし、何故です」


『決まっておろう。ここは何処と心得る?』


「ええと……建勲神社、ですよね」



 信長は頷いた。



『今の余は、今より百有余年前に建勲神たけしいさおのかみの号を受けておる。即ち魔王に非ず。魔神である』


「ま、魔神……?」


『うむ。神格を得ている余の魂、仮にも神の眷属たるムドサゲめらであれば御することもできようが。あのトヤなる女の源流は仏道。神性とは相反するもの故、触れることさえままならぬのよ』


「だから、信長公の中から、人間時代に名乗っていた『第六天魔王』の部分を抜き出して、ナガヒデやカツイエたちの口寄せの起点にした……?」


『デ、アルナ!』



 そう言って信長は、他人事のように呵々と笑った。



「けれど、神様の方の信長公に口寄せができないなら、紲さんはどうして口寄せできたんだ?」


『フハハハハ、どうしてじゃろうな! この紲という男自体の素質もあるだろうが、神の権能である果樹八領の影響もあろう』



 ひとしきり笑ったところで、依り代である紲自身の腹部の傷に響いたのか、ほんの僅かに顔を顰めてから、居住まいを正した。



『果樹王よ。近う寄れ』



 名を呼ばれて、真人は膝立ちになって前に出る。

 おもむろに差し出された握り拳の下に手皿を作ると、そこに何かが落とされた。



 モンショウメダルだ。


 手に取って見ると、何か太い線と、水飛沫のようなものが描かれていることが分かる。

 穴が開くほどによく見たとき、それが瀑布であることに気付く。



「これは、関山の大滝……か。ありがとう、信長公」


『おけい、餞別である。礼がしたくば彼奴を止めよ。余以外が余を騙ることは許さぬ』


「ああ、勿論だ」


『クク……デ、アルカ』



 真人はメダルを固く握りしめて、強く頷いた。

 信長から譲り受けたこの力で、ノブナガ――もとい、ダイロクテンマオウ闇邪鎧を、必ず。



『最後にもう一つ、良き事を教えてやろう。魔王とは元々「見栄」である」


「それって、どういう……?」


「経緯の逸話ですね。信長公といえば、足利将軍家ともつながりのある大名。そこへ攻め込むために一計を案じたのが、武田信玄です。信玄は、信長公が延暦寺の焼き討ちを行ったことを大義名分とし、仏教勢力を味方に付けながら打倒・信長公を掲げます。

 その際に、文において信玄が僭称したのが、延暦寺の代表を表す『天台座主沙門』。対して信長公が名乗った諱が――」


『第六天魔王、である』



 昔を懐かしむように遠い目をして、信長は柔らかく笑んだ。

 ゆっくりと視線を戻す。



『彼の闇邪鎧は、いわば虚栄。しかも、土台となるべき織田上総介信長はここに在る。なれば奴は、この織田信長の闇邪鎧ニセモノ贋者ニセモノということになる。

 良いか果樹王。我こそが魔王だと自惚れる者の、鼻っ柱を圧し折ってやるがよい』



 そう言って、にぃと歯を見せると、紲の顔から織田信長の気配が引いていった。

 打ち返す波のように浮上してきた紲は、青白い顔で、ふうっ、と長嘆息を吐いた。



「終わった、か……」



 辛抱溜まらず大の字に身を投げ出した紲を、慌てて支える。



「信長公から紲に伝言です。貴方には気骨がある、その名を憶えておく――とのことです」


「あー? あー……ははっ、そいつぁ光栄なこってまあ。っつーことは、あれか。俺の口寄せの下準備、バレちまってんだな」



 紲は気恥ずかしそうに、乾いた笑いで誤魔化す。



「まあ、バレてんなら話が早え。悪いが俺は今回不戦敗だ一抜けた。ノブナガたちをぶっ飛ばすのはテメエらに任せる」



 頼んだぞ、真人。

 それだけ言い残すと、彼は大あくびを一つして、そのまま眠りについた。




――中編へ続く――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る