第11話

 クリスさんはとても無邪気だ。

 私の手を取って、さっさとシュプレー川が眺められる奥の食卓に向かう。


「エル。

 そちらに座りなさい。

 とてもいい景色ですよ」


 クリスさんは左の椅子に座ると、わしに右の椅子に座れと言う。

 確かにクリスさんの言う通りいい眺めだ。

 クリスさんが夢中になるのもしかたがない。

 土手に植えられた桜が風になびいて振り散る向こうで、太陽の光にシュプレー川の水面が光り輝いてる。


 その水面を切り裂くように、舳先が細長く猪の牙のように尖った、屋根なしの猪牙舟が急いでいる。

 貴族か豪商が芸者と楽師を乗せて楽しんでいるのか、屋形船が優雅な音楽を奏でながら川の流れに任せて浮かんでいる。

 帆をかけた大型の川船が、急いで荷物を運ぼうを、帆一杯に風を受けて川上に向かって走っている。


 眼を左にやれば、一杯の人が渡ってるマイン橋が見える。

 眼を右にやれば、遠くカーツ橋の向こうに海が見える。

 対岸は東マインなのだろうか?

 並び立つ家々が絵画のようで、まったくもって素晴らしい眺めだ。

 俺も思わず目を見張ってつぶやいてしまった。


「本当ですね。

 絶景です」


 隙だらけになっていた俺は、何も気がついていなかった。

 アンさんが椅子に座らず、土間に立って待機してくれていることを。

 いつでも御世話ができるようにしてくれていた事を。

 いつも家臣に世話をしてもらっているので、一緒に客として入って来たアンさんを立たせたままという、大失敗をしてしまっていたのだ。


「桜茶でございます」


 茶屋娘が二人分の桜茶を持って来てくれて、初めてアンさんを立たせたままにしていることに気がつく事ができた。

 赤面ものである。


「もう一つ同じものを頼む。

 気がつかず申し訳ない。

 アンさんも座って下さい」


 わしは茶屋娘にアンさんの分の桜茶を頼み、同時にアンさんにも座ってくれと言葉をかけた。


「どなた様でございますか?」


 茶屋娘が興味を抑えきれなかったのだろう。

 アンさんにわしたちの素性を聞くのが耳に入る。


「クリス様と申されます」


 アンさんが家名を隠して名前だけを答えるが、それも愛称で本名ではない。

 家名の恥にならないように配慮しているのだろう。


「騎士様の方が御家臣なのですか?」


 クリスさんがわしの事をエルと呼び捨てにしているから、勘違いしているようだ。


「家臣ではないのですが……」


「では婚約者なのですか?

 まだ髪を上げておられないので、御夫婦ではないようですし……

 とても仲がよいようで、うらやましいですわ」


「あの、見て見ぬふりをしてください」


 聞かれたアンが座るに座れず真っ赤になっている。

 わしも顔が火照るのを止められない。

 今日会ったばかりで、御夫婦とか婚約者とか、早すぎるだろう。

 うれしいけど!



 

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