魂鎮めと神子
「絞殺です」
「こうさつ……」
絞殺という文字が一瞬思い出せず、逡巡した。しかし、すぐに頭の中に浮かび上がって来たその文字を見て、一気に喉が閉まったような感覚を覚える。
絞殺。それは誰かに、首を絞められ殺められたという事。その事実に、急に息が吸えなくなり自分の首を両手で押さえる。
誰が、どうして、そんな酷いことを。
「貴子様……」
我知らず、一粒涙をこぼす。
苦しかったに違いない。そして、恐ろしかっただろう。そう思うといたたまれない。
貴子は、鈴鳴家の内外問わず恨みを買うことは多かった。内からは人を人とも思わず、家の存続のために駒として使うところを。そして外からは、帝に近しい家柄という権力を使っての、政治的な人員配置や公共事業の進め方、その他多くのことで。
それでも、貴子が殺められていい理由にはならない。
恨みは買うが、その手腕は明らかに臣民の生活を豊かにしていたのだ。
怖い。人の命を奪うという、そんな事が出来る人間がいて、それが何者かわからないなんて。
足が震える。なにか声を出そうとしたが、かすれた息が漏れただけになった。
「今から、貴子姫の魂鎮めの儀式を行うそうです」
「魂鎮め、ですか?」
訊き返したのは蘭だ。喉を詰まらせている桃のかわりに訊いてくれたようだ。
「ええ。貴子姫の怨念が災いをもたらさないように」
苦しみと恐怖のうちに殺められた貴子。その貴子の怨念が災いをもたらすと?
ありえる気がした。あの強かった貴子のことだ。苦しみと恐怖の中でも、激しい怨みや憎しみを燃え上がらせることは、容易に想像できる。
人の想いは強い。それが貴子ともなれば、災いも起ころうというものだ。
その貴子の魂を、鎮める……。
「儀式を執り行って下さる神官殿ももうすぐ到着されるはずです。私たちもここで儀式を受けて行きましょう。来てしまった以上は、貴子姫の最期の気に触れています」
「そうですわね。そうなさいませ、桃姫」
「ええ」
貴子の最期の気に触れているとか、そんなことはどうでも良かった。ただ、彼女の魂が鎮まるように祈りたかった。
死してなお人を憎み、苦しみ続けるなど。そんなのは嫌だ、いたたまれない。
貴子の魂が皆に災いをもたらすとはそういうこと。災いは、彼女の憎しみと苦しみが魔へと転じたもの。
そんなのは辛すぎる。
やがて到着した神官が、魂鎮めの儀式を貴子の部屋の前で執り行っている間、桃は瞳を閉じて祈った。天から差す光が貴子の魔を祓うように、彼女の魂が平安であるようにと……。
◆ ◇ ◆
輿入れは翌年に延期する。
柑子から告げられた話に、桜が感じたのは、不謹慎にも喜びであった。
桃が貴子に桜の縁談を考え直すように進言してもなお、決定事項だった輿入れは変わることはなかった。それは、貴子が亡くなっても同じこと。
ただ、何者かに殺められるという暴力的な方法で貴子は亡くなった。すなわち、魔が入り込んだ可能性があるとなれば話は別だ。
輿入れ自体に変更はないが、忌服の期間が満了するまで延期する。これは珍しいことではない。
そして今回は、死の穢れと魔を祓う必要もある。そのために、通常よりも長い期間を設けるのは必然だった。
これで、時間が出来た。この時間で、叔母と甥の婚姻を可とできれば、あるいは。そんな気持ちがわき上がる。
恨みにしか思ったことのない祖母の死は、それでも恐ろしいことだ。しかし、心の何処かでは納得している自分もいるのだ。人の心がない故に、殺められるという結末は当然だと。
桜だけではないはずだ。貴子を殺めたいくらいに憎んだ者は。おそらく大勢の者たちが、貴子を憎み、恨んでいたに違いない。
それは、貴子の冷徹さと、その類い稀なる有能さが引き起こしたこと。有能であればなにをしてもいいという訳ではないという証。
「そうよ、わたしの気持ちをご考慮もして下さらないのだもの……」
だからきっと当然だった。貴子はこれまでの報いを受けただけだ。たくさんの憎しみが、長い時間をかけて降り積もり貴子を殺めたのだ。
貴族なんて、どちらを向いても政略ばかり。憎しみや恨みが渦巻いているように桜には感じられる。
それらが魔と化すのは道理だ。神官が日々執り行う儀式でかろうじて祓われ、清浄に見えるよう保たれているだけ。
桜はきっと、貴族としてしか生きていけない。
だからこそ、だからこそ桜は陵駕の愛が欲しい。この閉じた桜の宮で、一生を過ごすために。
そのためには手段は選ばない。
(あぁ……わたしももう、人の心を失っているのかもしれないわ……)
愛の為に、手段を選ばず、自分はなにをした?
そしてこれから、なにをするつもりなのか。
(神よ。これはあなたがお望みのことですか? それとも、わたしに憑いた魔が?)
いや、魔が憑いていることはないだろう。それなら怪異を起こすし、自分の精神も無事とはいかない。
それならば、自分の中に魔を飼っているのか。これから大きく育ち、魔としての本性を現すのか。
双子だった桜と桃。先に生まれた桜は、魔を宿すと言われる子だった。それが本当なら、生まれたときからこうなる
人の生死を与えたもう神が、自分に魔を宿らせてこの世に送り込んだのか。
それならばそう、やはり仕方のないことだったのだ。
(神はわたしを見ていらっしゃる。それでも)
なんの神託もまだない。
これが真実神の意向なら、きっと上手くいくはずだ。
なぜなら自分は、神に愛され生まれた神子なのだから。
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