神の在る碧落に吹く
夜が明ける。
侍女が上げてくれた
愛息である
これがどう転ぶかはわからないが、その道は二つしかない。
己の罪が暴かれるか、隠蔽されたままか。どちらの可能性もあるが、やはり罪は暴かれねばならないだろう。
それで良い。それで、息子が自由に暮らして行けるようになるのなら。
自分の望みなど、それ以外になにがあろうか。
貴族の世は、誰かがおかしいと思い、同じように正そうとしてくれる者が出るかもしれない。
それは自分でなくともいい。
しかし、陵駕の命を惜しめるのは自分だけなのだ。
罪が暴かれるのが先か、自分が告白するのが先か。
どちらにしても、陵駕の出奔が公になってからの選択を誤らないようにしなければならない。
筆を取る。薄水の紙に、一句書き付けて折り畳んだ。
これでいい。もう、思い残すことはない。
◆ ◇ ◆
「そうか」
「やはり、柑子殿は賢君だな。家主の器だ。私や
それに答えはない。それでも構わなかった。特に返事が欲しいわけでもない。ただ、伝えるべきは伝えておこうと思っただけだ。
家主は、自分の感情に引きずられてはならない。それで冷静さを失い、公平な判断が出来なくなってはならないのだ。
だからこそ、柑子は蘭を処刑するという決断をした。おそらくは、本気で愛していただろう娘を。
ただ桜のためだけに、彼女が笑っていられるようにしたいという狂気にも似た愛。決して認められることのないその感情。
酷いことをしたと思う。本当は止めてやるべきだった。しかし自分もまた、陵駕のことしか考えていなかったのだ。ただ息子の幸せだけを望んだ。彼の望みが叶えられるよう舞台を整えたい、その想いだけを。
結局、この桜の宮でそれを叶えてやることは出来なかった。それでも、諦められず最後まで醜くあがいて、やっと手に入れたのだ。
その狂気じみた想いは終わる。この公開処刑をもって。
「良い。それすら出来ぬようでは外では生きて行けぬだろうよ」
ひとりごちるように、友魂は低い声で笑った。
迷いも恐れもなにもない。
願いはもう、全て叶ったのだから。
◆ ◇ ◆
遠目だが、一目で息子の姿を見つけ、
瑠璃川の河原。公開処刑のために、すでに身体は支柱に縛り付けられている。
その状態で、下に向けた髪の隙間から
真っ白な狩衣をまとった陵駕が友魂を見つめてくる。その顔にはまだ面を付けていない。
その姿が目に焼き付いた。
(なんと立派な……)
哀しみをたたえたその瞳には、それでも愛する者を守ろうという色も見える。その複雑な感情が、いっそう陵駕の姿を勇壮に見せるかのようだった。
もう二度とその姿を、顔を見ることは叶わないだろうと思っていた。だがこうして、最期にもう一度その顔を見ることが出来るとは。
これ以上なにを望むことがあろうか。
神は誰も救わない。そう信じているが、だからこそ今は神に感謝したい気持ちだった。ただ、願いを叶えることを黙って見ていてくれたことに。
これから陵駕は、願った通りに貴族の世界から出て自由になる。その道は険しいだろうが、今日この時に父を越えて行けるならば、なにがあっても耐えられるだろう。
陵駕が白い面を付けた。全身を白く変えた、それは神の化身。
神々しい姿だ。最期に見る息子の姿として、それはあまりにも似つかわしい気さえした。
どこかで魔を祓う神聖な鈴の音が鳴る。しゃんしゃんと鳴る清浄な音は、瑠璃川の流れと相まって美しい。
魔になどなるものか。なぜなら、この結末を自分は喜んでさえいるのだから。
やがて、荘厳な退魔の楽の音が空間を震わせた。それに押されるように、神の姿をした陵駕が動く。ゆっくりと友魂の前に進み出て、その槍を構えた。
顔は見えなくともわかる。その、優美にさえ思われるような哀しみと、深い情愛の念。
髪の隙間から見えるその姿は、あまりに美しかった。
(陵駕よ、父を越えろ。迷うな)
風が吹く。白い狩衣の袖がはためき、槍の先端が震えた。
この風とともに行こう。そして、この魂を風の中に溶かしてしまおう。どこにいても、空の果てから吹く風となり陵駕を見守れるように。
陵駕の足が地面を蹴った。流れるように繰り出された長槍が迫る。
その瞬間、友魂の胸にわき上がったのは、熱く静かな歓喜だった。
(ああ、大神よ————)
吹く風を 我と知らなむ 遼遠の 光差すその 碧落の果て
神の在る碧落に吹く <完>
「桜の宮」奇譚 碧落の果て はな @rei-syaoron
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