雨と桜華の色
「桜姫」
それは、桃の双子の妹、桜だった。
ほら、彼女にならこうやって、気軽に笑って声がかけられる。貴子とは違って。
「まぁ、陵駕殿」
まるで桜の花がほほ笑んだような、柔らかな笑みが返ってくる。姉の桃とは違う、蕾がほころんだような愛らしさだ。
その愛らしい顔を包むのは、栗色の髪。そこだけが、姉姫との違い。
色素の薄い髪は、
力のある神子は、目や髪、肌の色素がもっと薄い。金に近い髪を持つ神官もいる。それらに比べれば桜の力はさほどでもないが、それでも神に与えられた力を持つのは確かだ。
そしてその血統こそが、貴族が貴族でいられる理由。
「どうなさったのですか、こんなところで」
袿の袖で口元を隠し、桜は瞳を細めた。その表情は、まだまだ年若い姫君であることを否応なく思わせる。子供とは言い切れないが、やはり可愛いという表現がふさわしい。
それは、自分の母となる人物の年齢をも、強調するかのようだ。
「それに、そのお召し物は?」
私的な場ではほとんど着ることのない布袴を珍しそうに眺めている。
「将来の母上にご挨拶に行ってきたのですよ」
「お姉様に? いかがでした?」
「そうですねえ、楽しかったですよ。母上は変わっていらっしゃるが、可愛いお人です」
そしてついでに言うなら、見ていて飽きないといったところか。
「まあ。それ、お姉様に言いますよ?」
「ははは、ご冗談を」
「本気ですわよ。お姉様は、東雲殿にもそう言われておいででしたもの。そこが、お気に召していらしたようですから」
その桜の言葉に、東雲の姿を思い出す。
病弱だった彼にあまり会う機会はなかった。しかし、病弱ゆえに聡明だった彼ならば、桃のことを気に入るだろうことは容易に想像できた。
「それはそれは。母上はよほど変わっておられるようだ」
「そのままお伝えしておきますわね。わたし、今からお姉様のところへ行くところですから」
「それは、参りましたねえ」
くすくすと笑う桜に、わざと困った顔をして見せる。こうしておどけていれば、当たり障りがない。呆れてくれればよし、聡明だと受け取ってくれればそれもよし。
見透かされなければ、それでいい。
それにしても。
(まるで妹だな)
おどけて見せつつ、心の中でそうつぶやく。桜は近く、陵駕の叔母という立場になる。しかし、どう見ても年の離れた妹だ。
桜にしても、陵駕のことをまだ甥だとは思ってなどいないだろう。自分を養子として認めてくれた桃にしても、口ではどう言おうとも、陵駕を息子だとは思えていないはずだ。
それとも、これは自分が受け入れられていない上の願望だろうか?
きっと陵駕は、いつまで経っても桃を母とは思えない。
(これが貴族か……)
今回のように、歳下の者の元へ養子にいくことは、珍しくはある。しかし、ないかと言われればそうではない。鈴鳴家以外でも、これまで何度か取られてきた方法だ。
貴族として、家の存続を図るためには、こういう方法だって取ってしかるべき。それが当たり前。上の者がそう決めたならば、それに従うのが務め。
「そういえば陵駕殿? 陵駕殿はたしか、七つ上でしたわね?」
「ええ、そうですけど」
さすが双子と言うべきか。着眼点が全く一緒である。そのことに苦笑を覚えつつも、それが何か? と訊き返してみる。
桜が桃と違ったのはここからだった。
「二四ですね? 妻を娶るご予定はおありなのですか?」
淡くほほ笑みながら痛いところを突く。桃とは違う見方だ。
「そうですねえ、こればかりは相手が必要ですから。鈴鳴家を継ぐとなると、私の一存では決められないでしょうし」
「そうですけれど。養子になるのが決まる前に、娶っていてもおかしくなかったのではないかと思ったものですから」
こういう台詞を、本当に自然に口に出すところが悔しい。桃のように皮肉ではないとわかるからこそ、刺さる。
そうだ、そのつもりだったこともある。しかし今となっては苦い過去の話だ。
「まぁ、そのうちどうとでもなるでしょう」
今更どう思っても詮無いことだった。
自分はそういう世界で生まれて、一生をそうして過ごして行かなければならない。それが事実なのだから。
「桜姫こそ、ご縁談は?」
だから、ついそう訊き返してしまったのは、大人気なかったとしか言いようがない。しかし、かすかな動揺を隠すためには、相手を困らせるのが一番だ。
思惑通りに、桜は困惑した表情を一瞬浮かべた。しかし、すぐにふわりとした笑みに隠されてしまう。
「そんなこと、考えたことがありませんでした」
「そうですか? 母上……桃姫のことですれど、彼女は二年も前に嫁いだでしょう?」
「言われてみればそうですけれど。でもお姉様の場合は、東雲殿はすぐにお亡くなりになったでしょう?」
そうだ、東雲は桃を娶ってすぐに亡くなってしまった。
桃が妻に選ばれたのは、鈴鳴の姫で、あの貴子の孫ということもある。しかし、それなら桜でも良かったはずだ。一の姫であることを差し引いても、おそらく先が短いと知った東雲自身の意思があったのではないか。
陵駕にはそう思えてならない。桃と対面した今は特に。故人の心情など、もう知りようもないことだが。
「同じ鈴鳴家ですから住居も近いですし、わたし達はその前にも後にも一緒に過ごすことを好みましたから、お姉様が嫁いでいらっしゃるという感覚があまりないのです、わたし」
言われてみればそうだ。双子なのだし、唯一の姉妹なのだから仲はいいだろう。夫がすでに亡いとなれば、自然と以前の生活に戻るのも無理はない。
「それに、わたしはまだ一七ですから、これからだと思っていますよ」
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