おてんば姫

「そうですか、若いっていいですねえ」

 つい桃とのやりとりを思い出してしまい、そんなことを口走ってしまう。

 陵駕も若い方ではある。しかし、七つも歳下の姫君たちを見ていると、急に老け込んでしまったような気分になる。

 この歳の差が逆転するなど、何の冗談だろうか。

「私もそろそろ婚姻の心配でもしますよ」

 そう返しつつ、遠い昔のことを思い出す。陵駕がまだ元服する前、わたしはあなたに嫁ぐのよと言ってくれた姫君がいた。

 懐かしい思い出だ。

 その姫君は、今でもあの言葉を覚えてくれているだろうか。

(覚えてないだろうな)

 あの頃はまだ、これほど賢しく考えることもなく暮らしていた。あの頃が一番幸せだったのだと、近頃になってよく思う。

「ええ、そうしてください」

 桜がふんわりと笑った。顔はそっくりだというのに、笑い方は全く違う。

 それが何だか不思議だ。

(今日は不思議に思うことばっかりだ……)

 ふとほおを赤らめて慌てる桃の様子を思い出し、知らず笑みが浮かぶ。

 桃はどう思ったのかわからないが、陵駕は桃に対して好印象を持った。

 お上品なだけが人間ではないのだ。少しくらい貴族らしくなくても、かえってそれが人間らしいと思う。

 だから上品に、他と同じようにふるまう女人にょにん達の中で、陵駕は桃を一番人間味のある人物だと思ったのだ。

 人は皆違う。同じ人はいない。そう思うからこそ。

 桃は面白い。

 なんの面白味もないと思いながら生きてきた陵駕にとって、なかなか刺激的な日ではあった。

「それでは、お姉様が待っていますので」

 ほほ笑んだ桜が桃の元へ行くという意思を見せ、陵駕は桜のために道を空ける。

「今度、ご一緒にお姉様を訪ねてくださいます?」

「ええ、そうですね。ぜひ」

 二人でほほ笑みを交わして別れる。陵駕に背を向けて去っていく桜を少し見送ってから、彼も進行方向へ向き直った。やおら、ゆっくりと歩き出す。

 ぎしぎしと鳴る廊下に、幸せだった頃の自分の姿が見える。そう、まだ難しいことなど考えずに生きていた頃の。

『わあっ‼︎』

『————ッ!』

 突然背後から大声で驚かされて、思わず声が出た。本当に驚いた。

 振り返ってみると桃だった。得意そうににこにこと笑っている。どうだと言わんばかりに胸を張っているその姿は愛らしくて。

『桃姫⁉︎ ああぁ、驚いたぁ』

『えへへへへへ……』

 別に褒めたわけではないのに嬉しそうに笑う桃。その姿が印象的で、今でもよく覚えている。

 得意満面の顔。そして。

『あー。おねえさまぁ』

 小さな声。向こうの角から姿を現したのは、桃と瓜二つの、しかし全く印象の異なる小姫。桜だ。そして。

『桃! やはり其方か‼︎ なんとはしたない声を‼︎』

 桜の後ろから現れたのは。

『ははうえ……』

 桃が絶句してしまうほどの形相を浮かべた母、常盤であった。

 常盤は気が強い。義母があの貴子なのだから、仕方がないと言えば仕方がないことではあったが。

 あの貴子に対応するためには、それ相応の気力がいるものなのだろう。

『何度言えばわかるのか、其方は。良いか、そのようなはしたない声を上げることなど許さぬ』

 その時の常盤の顔もよく覚えている。青筋まで立っていた。元が美しいがゆえに、その表情は陵駕の目にもいっそう恐ろしく映った。

『桃、返事はどう————……』

『どうしていけないの⁉︎』

 桃も負けてはいなかった。負けん気の強さは母譲りだ。

『どうして⁉︎ 母上のお顔の方が、ずっとハシタナイじゃないのっ』

『なっ————』

 怒りで血の気が引いて青くなってしまった常盤に、ふんっと鼻を鳴らして背を向ける桃。

 そのまま桃は走り去ってしまう。常盤が固まっているうちに、遠くに逃げてしまうつもりなのだろう。

『あん、おねえさまぁ』

 後を追う桜。そして。

『ぷっ……』

 我慢ならず、つい陵駕は吹き出してしまった。

 可笑しかったのだ。たしかに、桃の言ったことは的を射ている。怒った時の常盤の顔は、目も当てられないほど歪んでしまっていたのだから。

 じろりと睨んで来た常盤の顔に、ますます笑いが込み上げた。その笑いを必死で押さえて、彼女に背を向ける。

 こらえすぎて、涙まで滲んでしまって。

 あの頃はこうなるなんて思いもしなかった。

 あの幼く、母に叱られてばかりだった桃が、立場上とはいえ自分の母になってしまうとは。

「わからないな」

 何が起こるのかなんて。

 この分では、陵駕の婚姻もどうなるかわかったものではない。

 立ち止まり、屋根の向こうの空を見上げる。

 雨はまだ降り続いている。桜の花を全て押し流してしまうように。


     ◆ ◇ ◆


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