散桜の涙

「陵駕殿……」

 ため息をつく。もう何度目だろうか。まだ寒いさかりの頃から、桜はため息と共に生きてきた。いつもなら、なによりも嬉しい桜の開花も、今年は色あせ心が動かない。

 陵駕は、桜の手の届かぬところへ行ってしまった。どんなに桜が陵駕のことを想っていても無駄だった。

 陵駕は桃の養子になる。つまりは、桜の甥になるのだ。

 濃い親族である甥との婚姻は、血の濃縮を起こす。生まれた子に異常が出ることがあるのだ。ただでさえ親族内婚姻が普通の貴族の世界ではそれが起きやすい。桃の夫である東雲が早逝したのもそのせいだ。

 それゆえに、親子兄妹間貫通は死罪の禁忌、甥姪との貫通は貴族の身分剥奪の禁忌とされている。そしてそれは、血の遠い養子とであったとしても適応される。血の濃縮を助長させかねない例外など認めないのだ。

「あぁ……」

 陵駕のことを初めて知ったのは、去年の今頃。桜の花を眺めていた桜に、知らない声がかかった。それが、陵駕。

 気持ちのいい青年だった。明るくて優しくて。初対面の桜にも、気さくに話しかけてくれた。

 赤面してしまった自分を見て、笑っていたっけ。

 あの一年前の春から、彼の姿を探すようになっていたのだ。自由な婚姻など望めないとわかっていても、なお。

 直接話をする機会はそう多くはなかった。それでも、遠くから眺めていた。

 鈴鳴家で陵駕に釣り合う歳の姫は、桜だけだ。しかし、今まで妻を娶る話がなかったということは、他の家の姫を娶る気でいるからなのかもしれない。

 そう思うと、身が引きちぎられるようだった。彼の妻は、自分ではない。その事実に耐えられそうになかった。

 だから桜は恥を忍んで、陵駕の父である友魂を訪ねもした。自分を彼の妻にと、そう訴えるために。

 はしたないことだというのは、重々わかっている。男が見初めてというのならばまだしも、女の方からなど。

 けれど、どうしてもそうしなければと思ったのだ。陵駕の年齢を考えると、もう猶予はなかった。だから。

 友魂の返事は、前向きに検討しようというものだった。 

 友魂は意外にも、桜を気に入ってくれたようなのだ。さすがは貴子姫の孫なだけある、その度胸が気に入ったと。

 我が息子の妻になってくれるなら、きっと彼の力になるだろうと。

 しかし結果はこれだった。友魂も、貴子と柑子の前に、否やはなかったのだ。

 どれほどの夜、泣き明かしただろう。誰にも知られぬように歯を食いしばって。

 大好きな、自分の半分。その姉姫さえ憎く思えるほどに泣いた。

 そんな桜に気づいて、慰めてくれたのは友魂だった。本当に陵駕の妻にと考えていたのに、力及ばずすまないと言って。

 桜は、陵駕の妻になれたはずだった。

 今は桃のところに行きたくない。桃の顔など見たくない。

 桃が悪いわけではない。それでも考えてしまう。桃に子が生まれていたなら。東雲が生きていたなら。

 涙が一粒こぼれた。

「陵駕殿……」

 こんなにも想っているのに。その想いは彼に知られることはないのだ。二度と。

 こんなことになるなんて。

 こんなことに。

 外は雨。桜の花が、雨の勢いで散って流れて行く。

 それでも雨を嬉しそうに全身で受け止めている桜の木が羨ましい。雨の中で輝ける桜の木が。

 同じ名を持つのに、自分は雨に打たれれば、濡れてうなだれるだけ。

 雨は降り続いている。

 まるで、永遠に止まらない涙のように……。

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