告白

「どうして……」

 自分の前では嘘が付けないと言うくせに、肝心なことは言わないなんて。

「聞けば後悔しますよ」

 ずるい、と思う。聞けば後悔すると言われて、じゃあ聞かないでおこうなんて思えないではないか。

 陵駕は、聞けば後戻り出来ないことを桃に隠している。そんな気がしてくる。

「聞くわ」

 ひと思いに言い切る。

「陵駕に死ぬなんて言われたら辛い。苦しい。嫌なの。つまり陵駕はわたしの中で、桜や蘭と同じように大切な人で……」

 怖かったのだ、大切な人をこの手で殺めてしまうことが。

「陵駕が、今恋うている姫が同じことを言ったら、それを受け入れられる?」

「あぁ……それは、ちょっといただけない」

 一度天を仰いで、陵駕は微かな苦笑いを浮かべる。なにか胸の内で思案しているように、音も無く口が動いた。

「人生ってわからないと思いませんか」

 まるで独り言のような声。

「あんなに幼くて、抱いたら無邪気に喜んで。あの時はこうなることなんて、想像もできなかったのに」

 桃の幼い頃を知る陵駕。桃を抱き上げてくれていた————。

 それは、ちっとも覚えていない。

 でもきっとそうなのだろう。陵駕のことは覚えていないけれど、桃ははるかにも抱っこしてと度々せがんでいた覚えがある。

 あの調子で陵駕にも抱き上げてもらっていたのだ。

 人生って本当にわからない。幼き日に桃を抱き上げてくれていた人物は、もうすぐ正式に自分の養子となる。

「そうね。遼お兄様にもそう言って抱いてもらっていたわ」

「彼のことは覚えているんですね」

 皮肉な響き。

「そんなこと言われてもっ……」

「良いんです、良いんです」

 くすくすと笑う声。

 可笑しそうで、少し切ない。そんな声で陵駕が含み笑う。

 自分はあまりいい人生を歩むことが出来なかった。叶わないこと、我慢すべきこと、理不尽なこと、そういうことが多かった。

 だからこそ、子供時代の思い出が優しかった。桃姫が度々抱っこをせがんできたことも、そんな優しい思い出のひとつです。

 そう語る陵駕の瞳に、嘘はない。

 彼は、これまでどんな人生を歩んで来たのだろう。

 貴族だったから叶えられなかったことが、たくさんあったのだろうか。

 そんな中で、幼かった頃の桃が少しでも彼を支えていたのなら嬉しい。そして同時に、そのことを覚えていないことがもどかしい。

「久しぶりに会ったら、あの頃とちっとも変わっていなくて。正直嬉しかった」

 懐かしむようなその声色は、果てしなく優しく響く。

「嬉しくて、面白くて、つい桃姫に会いたがって……」

 真っ直ぐに桃の瞳をのぞき込む光。その輝きに目を奪われる。

 そう、それは初対面の時から、いや幼い頃から知っていたであろう、深く透明な輝き。

 爽やかで明るくて、それでいて静謐な。

 澄んだ真摯な瞳。微かに笑みの浮かぶ口元。

「私は、あなたを恋うております、桃姫」

「え……?」

 今、なんと?

 言われた言葉はしっかり聞こえていたのに、その意味が理解できない。

 かわりに、胸が早鐘を打つ。息苦しいほどの鼓動が耳の奥で暴れた。

 桃と陵駕は、もうすぐ正式に親子になる。桃が母で、陵駕が息子。親子間姦通は禁忌。死罪。だから。

 全身が一気に火照る。まさか、そんなことが……。

 では、今まで散々言っていた一緒に逃げようという言葉は、本気だったとでも⁉︎

「うそ……」

「嘘じゃありませんよ」

 桃のつぶやきに、陵駕は可笑しいような悲しいような、そんな奇妙な表情を浮かべて答える。まるで、泣き笑いをしているような……。

 胸の鼓動はおさまらない。その音が陵駕に聞こえてしまいそうなほどに、大きく早い。

 苦しい。息が詰まる。

 どうしよう。

(……うれしい)

 一瞬浮かんだ気持ちに、驚いて硬直する。

 今までの人生で、殿方から恋うていると言われた事はない。

 夫の東雲しののめは、桃に優しく好意的だった。だがそもそもが政略結婚、その気持ちは恋ではなかっただろう。恋うているなど言われたこともない。もし言ってくれていたとしても、夫なのだからこれほど動揺はしなかっただろう。

 それでも東雲が優しくしてくれるのは、素直に嬉しかった。言葉にすれば同じ嬉しいなのに、あの時と今ではその気持ちに明確な隔たりがある。

 同じではない————?

「ど、どうして……」

「そんなことがわかっていれば、苦労はしません。禁忌とわかっていてなお、どうにもならないのが人の心というもの」

 なにか言わなければ、そう思うが頭の中は真っ白でなにも考えられない。

 どんな顔をして、なにを言えばいいというのか。

 あなたを恋うております。その陵駕の声が頭の中で響く。

 顔が熱い。火照った頬を隠そうにも、今は扇子を持っていないという事に気がつき、慌てて両手で顔を覆う。

 どうしたらいいのかわからない。

「ははは。やっぱり桃姫は可愛いお人だ」

「陵駕っ⁉︎」

 面白がるような陵駕の声に、隠したばかりの手を下げて陵駕を睨む。

 からかってるの⁉︎ と続けた桃に、淡い笑みを浮かべてとんでもないと陵駕が肩をすくめてみせる。

「本気ですよ」

 その顔は、しごく真面目だ。その表情に息を呑む。

「恋うた人には本当のことしか言いませんから」

「陵駕……」

「叶えば首を刎ねられる、それでも叶えたいと思ってしまったならどうしたらいいのでしょうね、私は」

 どちらにしても首を刎ねられるのなら、一人で討たれた方が迷惑にならない。あなたには、生きて笑っていて欲しいから。

 そして、自分のことをどんな形でも忘れられないでいてくれたらいい。たとえ、逃げて討たれた馬鹿な男だという記憶でも。

 静かな陵駕の声が、その気持ちを告げた。

 生きていて欲しい。それは、桃が陵駕に望んだことと同じ気持ち。

 忘れないで欲しい、覚えていて欲しい。それだって、形は違えど桃だって持っている気持ちではなかったか。幼い頃に慕った遼が今どうしているのか、自分のことを覚えているのか、気になっていたではないか。

 陵駕の気持ちになど、ちっとも気がつかなかった。

 桃だって、陵駕のことは好きだ。大好きだけれど、それは————。

(あれ……?)

 陵駕が追われて討たれることを望んでいると聞いて、辛かったし悲しかった。それだけで胸が苦しくて、涙が止まらなかった。

 生きていて欲しいと思った。それが陵駕にとっては辛いことなのだとしても、生きて共に歩いて行きたいと。

 恋うていると言われて感じた嬉しさ、それを表す感情はなんだという?

 胸の鼓動がさらに増す。眩暈。見上げた陵駕の顔に、桃の頬がまた熱を帯びた。

(わたし……!)

 呆然とする。頬の熱を隠すことも出来ずに、その美丈夫を見つめる。それしか出来ない。

 頭をかすめたのは、桜の姿。自分の半身の。

 いつから、だったのだろう。桜がいるから、彼は自分の養子だから、自分はすでに嫁いだ身だから。

 だから、気がつかないふりをしていた? 側で一緒に生きていられればいいと、そう思い込んで?

 飾らなくていい気安さは、桃にとって心地よかった。救いだった。貴族として生きる長い時を、陵駕となら歩けると思ったのだ。

「すみません。苦しませるようなことを、言ってしまって」

 口がわななく。言葉が喉につかえて出て来ない。

 聞けば後悔する。そう、本当にそうだ。

「あなたが生きて欲しいと望んでくださるのなら、生きます。その我儘を甘んじて受け入れます。だから、私の我儘も許してください」

 こうして苦しませるとわかっていて、想いを告げたことを。

 そう言った陵駕の瞳が臥せられる。この他に、生きようと思える手段がなかった。自分勝手な想いを知ってもらって、痛みを、自分の罪を桃にも共有してもらうことしか。

 自分でも歪んでいると思います。そう言った陵駕の声には力がない。

「母としてでいい。私が一方的に想って、側にいることを許してくれますか、桃姫。あなたが知っている、それを生きる頼りにさせてください」

 陵駕が、一方的に?

 桃は陵駕の気持ちに気付かなかったし、気付いてはいけなかった。それが陵駕は苦しかったのか。一緒に逃げようという言葉を、趣味の悪い冗談だとあしらわれるのが。

「もう二度と、こんなことを言って困らせたりしませんから」

「陵駕、わたし」

 その続きが言えない。喋るための空気さえ吸えない。

 応えたい、でもそれを様々なしがらみが許さない。

「これで十分です。これからは、母と子として立場をわきまえます」

 陵駕の気持ちを聞きながら、そして自分の気持ちに気づいておきながら、親子として何事もなかったかのように振舞えと?

 聞かなければ良かった。そうだ、本当にそうだった。そうすれば、この気持ちにも気がつかずに済んだのに。

 やり直したい。でも結局、何度やり直しても聞いてしまうのだ。ただ、陵駕に生きていて欲しいという、その気持ちだけで。

「桃姫、いえ、母上。しばらくここでお休みになられるといいでしょう」

 すっと陵駕が立ち上がる。桃の返事を聞かないまま。

 待って。そう言いたいのに声が出ない。縋ろうとして伸ばしかけた手も、途中で止まる。

 追い縋ってどうするのだ。桃には、いや貴族であるなら誰にも、どうにも出来ない。だからこそ、陵駕は討たれたいと願った。

 これは禁忌。ただの純粋な気持ちだとしても罪。ましてや桃は既に嫁いだ身なのだ。不貞と禁忌、罪の上塗りをするつもりか?

 喉に熱いものがこみ上げた。それを必死で押しとどめる。

 今泣いてはいけない。陵駕にこの気持ちを悟られてはならない。歯止めが効かなくなる。それだけは。

 優しい顔を桃に向け、そのまま陵駕は背を向けた。

 御簾みすを上げて静かに出ていく。その首に残る、指の形とともに。

「りょうが……」


   ◆ ◇ ◆


 姉の桃が魔と化した貴子に襲われ、神殿に意識のない状態で運び込まれた。

 それは神殿内にいた桜の耳にすぐ入った。

 桃をここまで運んできたのは陵駕だという。

 貴子を封じるために、神官たちが右往左往しながら走り回る。

 そこに桜は参加していない。それよりも、桃と陵駕の様子が気になる。魔の穢れは既に祓ってくれたと言うが、大丈夫だろうか。無事だろうか。なにごともなければいい。

 そう思って急ぎ二人の休む部屋へと向かい、それは閉じられた妻戸の前で止まった。

 中から聞こえる微かな会話が、桜の足を前へ進ませない。

 上げられた蔀の向こうには、御簾がかけられている。その御簾の内で話す二人の声。

 そして、明らかな姉の雰囲気の変化。

 妻戸の前からでは姿は見えない。見えないけれどわかる。桃は自分の半身。その姉の見ないふりをしていた本心は、手に取るかのようにわかってしまう。

 それに、最初から知っていたのだ。これまで妻を娶らなかった陵駕は、少なくとも桜に気持ちがないなどということは。

 陵駕の言葉を聞かなくても。

 胸が痛い。

 これから桜がしようとしていることは、さらに二人に苦しみをもたらすかもしれない。

 望まぬ婚姻と、それを見ているだけの母として。

 それでも。それでも桃はそれを享受するだろう。あの聡明で、優しい姉ならば。

 貴族らしくないと言われる事が多いが、桜からすれば、それは些細な陰口でしかない。桃は鈴鳴家家主の娘として、次期家主の母として、その立場をわきまえている。

(ごめんなさい、お姉様————)

 その聡明さを知っているからこそ、桜は前に進むしかないのだ。

 自分のわがままを、現実にするために。

 御簾がふわっと上がったのが見えた。しまったと思う暇もなく、陵駕が出てくる。その首には、はっきりとわかる赤紫の指の痕。

 手を伸ばしかけて、留める。

 陵駕は、桜がさっきの二人の会話を聞いていたことに気がついただろう。それでも、特になにも言わなかった。

 微かな目礼だけして、そのまま無言で桜の横を通り抜け、歩き去って行く。

 その背は、まるで一回り小さくなったかのように弱々しい。

「陵駕殿、わたしは……それでも」

 その場から動けぬまま、誰にも聞こえないよう小さく決意を口にする。

 それは、自分自身に言い聞かせるために。

 恋うた殿方が違う人を見ていようとも、どうにもならないのが人の心というもの。その通りだ。

「それでもあなたを、恋うています……」

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