対面
「何一人でもだえておられるのですか、桃姫」
さわやかな声と共に見知らぬ男が突然部屋にずかずかと上がり込んできて、桃は声を詰まらせた。侍女たちの制止の声も意に介せず桃の前へと進んでくる。
さっぱりとした緑の
興味深げに桃へ笑顔を向けた、その深い瞳の色に目を奪われる。
「え……」
「あぁ、すみません。驚かせてしまいましたね、母上様」
「は……」
ハハウエ? ということは。
「わかっていただけました? 義息子になる陵駕です。以後、お見知りおきを」
「そんな————」
なにがそんななのかわからないまま、桃は陵駕を見上げて呆然とする。
今日ここに訪れるとは、たしかに聞いた。だけど、なんの前触れも無くやってきて、勝手に部屋に入るなど。
この男が自分の養子? 次の、鈴鳴家の家主?
「母上?」
笑いかけてくる顔は、どこまでも、晴天の空のように爽やか。瞳の色は深すぎて、引き込まれそうだ。頭に霞がかかったようにぼうっとする。
間違いなく、桃が初めて出会う手合いの男だ。
その陵駕は、図々しくも桃の前にどっかりと腰を下ろしてしまった。
ただでは帰らないつもりか。
「どうです? 養子を目にしたご感想は」
「————……」
すぐには答えられない。まだ、身体が硬直している。
「いくつ上なの……歳……」
気が付けば、桃はそんなどうでもいいことを訊いてしまっていた。そのことに、桃自身が驚く。
もっと他に言うことがあっただろうと、心の中で盛大にほぞを噛む。
「あはははは。歳ですか? 私は二四ですよ。母上より七も年上ですね」
年上、という単語を強調されたと思ったのは、桃の思い過ごしではなかったはずだ。
もしかしなくても、からかわれたのでは? そう合点がいき、顔が熱くなる。勢いよく
扇子をたたみ、ぐっと握り締めた。
「おや? どうなさいました、母上?」
「————……」
どうもこうもだ。たしかに先ほどの口調は桃をからかっていたものの、内容としてはきちんとしたものだったのだから。
ここでなにか言い返すのは、さすがに気が短すぎるというもの。
「しかし、こうなるとは思いませんでしたね。私が桃姫を初めて見た時は、まだこんなにお小さくていらっしゃったのに」
そんなことを言いながら、陵駕は幼い頃の桃の身長を左手で示してみせる。
「え……知っているの?」
「ええ」
鷹揚に頷いた陵駕の瞳は、いたずらっ子のように輝いている。
桃にとっては、それが面白くない。
「覚えてないわ」
つとめてそっけなくそう返して、ふいと横を向く。
途方もなく広いことは確かだが、同じ宮中に住んでいるのだ。気が付かずに、お互いすれ違ったことくらいあるかもしれない。
(でも、妙ね)
桃の中に、陵駕という名は、今の今まで存在していなかった。
その桃の疑問がわかったのだろう。陵駕の顔に笑みがひらめく。
「それはそうでしょう、桃姫はまだお小さかったですから。あの時からすると、母上もご立派になられた……」
腹の立つことに、陵駕は真面目にしみじみとしている風だ。
「からかってるの?」
「まさか!」
陵駕は大げさに驚いてみせてから、けたけたと笑い出す。
これは完全に桃のことをからかって楽しんでいる様子だ。こっちはちっとも楽しくなどないというのに。
「私は母上を褒めているのですよ? なに気を悪くなさっているのですか」
そのしれっとした台詞に頭の奥が熱くなる。からかっているのはそっちだと言うのに!
深い瞳の色が、楽しげにさざ波を立てている。どうにかしてその鼻をくじいてやらねば気がすまない。
こういう時、桜ならば、にこやかに上品にほほ笑んで、それでおしまいにするのだろうけれど。
(わたしは、そんなことできない)
桃は桜のように、お上品な性格ではないのだ。
双子なのに、そこだけが大きく違う点だった。
ずっと昔、桃とよく遊んでくれた少年がいた。桃よりずいぶん年上だったが、桃をよく可愛がってくれた。
その彼が大変なわんぱく者で、桃はそんな彼の真似をしたがった。よって、今の桃が出来上がったというわけである。
その彼とも、もう会わなくなって久しい。たしか、
「別に、気を悪くしたのではないわ」
実のところはかなりへそを曲げていたのだが、引きつる顔をだましだましほほ笑んでみせる。そのほほ笑みの裏で、陵駕への反撃のひとひらを目まぐるしく追う。
そう、きっとどこかに舞う花びらがある。それさえつかめれば。
「ただ、気になったのよ。どうしてかしら、あなたにはわたしよりも覇気がおありにならないように見えたもので」
「はぁ……?」
陵駕のほうは、桃の言葉をどう取ったら良いものか判断しかねているらしく、奇妙な表情を浮かべている。
「でもわかったわ。あなた、わたしよりも七も歳上だったわね。そうよね、もう若くないのですものね。あら、失礼」
はらり扇子を広げて口元を隠し、品良くほほ笑んで見せる。
「なッ————」
これにはさすがに陵駕も頭に血が昇ったらしく、ほおを引つらせた。
しかし、それを無理矢理ほほ笑みに転じさせ、桃を見つめてくる。
なかなか強い精神力だ。こういうところは、家主の器なのかもしれない。
「母上はお若くてよろしいですね。まるで赤子に着物を着せたようですよ?」
「あぁら、そう? 若く見えるなんて嬉しいわ。それだけ、わたしには生気があるのでしょうね。分けてあげられなくて残念で仕方ないわ」
「ほほぅ……」
引きつった笑みを張り付かせた義母子。その二人の間を、雨の香りを含んだ湿った風が通り抜けていく。
これでは、狸と狐の化かし合いである。
「母上は本当にお若い。言葉まで
「そうかしら。あなたには遠く及ばないと思うけれど。だって、正真正銘の
明らかに陵駕のほおが引きつったが、彼はもうそれを隠そうともしなかった。
これは、一本取った。
「七も年上の者に対して、そこまで言いますか? 母上もお人が悪い」
「ごめんなさいね。母は何かと息子のことが気がかりなのよ」
桃はそう言いつつ、わざとらしく含み笑う。
そして次の瞬間。
目が合った————。
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