求めるもの
「桜……」
目の前で泣き崩れる妹に、桃はどう声をかけるべきかわからなかった。
考えてみれば、桜はいつでもふんわりとほほ笑んでいた。人前で泣いたところなど見たこともない。双子である桃でさえも。
その桜が今、泣いている。
(陵駕と離れたくないのよね……でも……)
陵駕と離れたくないのは理解出来る。だが、二人はただでさえ婚姻できる関係にはない。
それがわかっているからこそ、かけてやる言葉など見つからない。
そっと陵駕の顔を伺うと、彼は桜を見て難しい顔をしている。
恋うている姫がいて、さらに自由を求める彼にとって、桜の気持ちは痛いほどわかるのだろう。今の桜は、全てを捨てることなど出来ないと言った陵駕と同じ立場だ。
「わたし、どうしたらいいの……お姉様……」
そんなの桃が聞きたいくらいなのに。
「おねえさまぁ……」
「桜、ねえ、泣かないで」
おろおろとそう声をかけ、そのうすっぺらな言葉に歯噛みする。泣くななんて、よく言えたものだ。まるで桜の気持ちに寄り添えていない。
なんて情けない。
先程の陵駕と同じではないか。
どうして、もっと気の利いた言葉をかけてあげられないのだろう。桃のたった一人の妹なのに。
陵駕の逆側から、そっと桜の背中に手を添える。そして、彼と同じように優しくさする。先ほど、陵駕が桃にそうしてくれたように。
桃だって、できれば桜とは離れたくない。今まで通り二人仲良く生きて行きたい。けれど。
(これが貴族なんだわ……)
嫌だと言ってもどうにもならないこともある。それがわかっているからこそ、戸惑う。どうしたらいいのかが皆目わからない。
唯一別れずに済んだ双子だ。一生離れたくなどない。桜が嫁げば、会うことすら難しい日々となる。
「わたしも別れたくないよ、桜……」
一緒に生まれた自分の半身。二人いてひとりのようなもの。ずっとそう感じながら生きてきた。
「貴子様に、わたし、お話してみるわね」
きっとそんなことをしても無駄なのだろう。覆せないだろう。なぜなら、これは嫁ぎ先の家と交わされた、決定事項なのだから。
それでも、進言だけはしてみよう。桜のために。
きっと、桜が桃に望んでいることはそれだ。それは双子としての直感のようなもの。
嗚咽を止められず泣き続ける桜の頭が、縦に振れる。
陵駕は次期家主の立場を厭っている。それならば、桃の養子に違う者を迎えればいい。そうすれば陵駕と桜が結ばれても問題はない。桜は陵駕に釣り合う歳と身分があるから、二人が結ばれることは鈴鳴家のためにもいいだろう。
そうすれば、きっと陵駕と疎遠になることもない。
(桜が、陵駕と……)
なぜだか胸が締め付けられるように疼き、思わず桜の頭を抱き締める。
貴族は、臣民のために存続されなければならない。神子の血を絶やしてはならない。それは神がそう望んでいることだから。
それでも、貴族の在り方はどこか歪んでいる。今までは見えなかったそれが、今こうして桃の目の前に姿を現しつつある。
桜は神子。本来ならば、帝の住まう桜の宮の守りとして、ここで婚姻をするのが普通だ。外に出すことは考えにくい。
しかし同時に、その神子の血を継ぐため、そして鈴鳴家の姫という桜の身分を求めて、彼女を娶りたいという貴族は多くいることだろう。
そのどちらがより鈴鳴家の為になるのか。きっと貴子は天秤にかけたはずだ。そして判断した。神子としては力の弱い桜を、他所の宮に嫁がせようと。
貴族は生きているようで、真実生きてはいない。命令に従うだけの傀儡。
貴族は不幸なのかもしれない。そんな思いがふと桃の胸に芽生え、暗い影を落とした————。
◆ ◇ ◆
「桜姫」
やっと泣き止んで自室へ戻った桜を訪ねて来たのは蘭だった。入室を許すと、すぐに桜の方へとやって来る。
「蘭、どうして……」
「わたしの主は桃姫ですよ」
そうだった。乳兄弟という気安さから、桜は蘭と過ごすことも多い。最近は桃の元へと行かない分、蘭と一緒にいた。
だから忘れがちになるが、蘭は桃付きの侍女なのだ。だから、何もなければ几帳越しで桃の側に控えている。桜が蘭と過ごせるのは、それを桃が許しているからだ。
「桜姫、葵の宮へ?」
心配そうに訊いてくる声に頷く。
葵の宮に行ってしまえば、桃や陵駕だけでなく、蘭とも別れなければならない。全てと離れて、誰一人知った者のいないところへ行くのだ。
どうしてそんなことに耐えられよう。
「貴子姫が、そうおっしゃったのですか?」
「えぇ。貴子様が、葵の宮の有力者を選んだって、おっしゃって……」
返事をすることすら苦しい。受け止めきれない。
結局桜は、神子であり鈴鳴家の姫としての立場だけを求められている。そして、それは鈴鳴家にとっても有利だった。
ただそれだけ。桜の気持ちなど、そこには含まれていない。
どうして、なんの為に、辛い思いをしてまで柑子を……。
このままでは終われないのに。愛する人と結ばれるためにも。
「貴子様には、人の心が……おありにならないのだわ……」
いつ会っても冷徹な瞳をしていて。
桜に葵の宮への輿入れを告げた時もそうだ。取り乱した桜を見ても顔色一つ変えず、冷たい眼差しで桜を見下ろしているだけ。
そっと蘭の腕が桜の頭を包んだ。そのままぎゅっと抱きしめてくる。
その優しさに、胸が詰まった。
幼い頃から側にあった、優しいぬくもり。
蘭の優しさは、桜と桃にとっては何者にも代え難いもの。
「全部、全部貴子様のせいだわ。こんなの、あんまりよ……」
「桜姫、蘭はいつでも姫の味方です。いつでも、お側におります」
慈しむように髪をなでる蘭の手。その感触に、また涙が頬を伝った。
陵駕の妻になるために、やり遂げなくてはならないことがある。どんなに辛くても。
「ありがとう、蘭……」
◆ ◇ ◆
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