肆 夢は現
背負わされたもの
爽やかな風の吹く朝。いつものように
先日、陵駕に恋うている人がいると聞かされてから、やたらとそのことが気になって仕方がない。一体、陵駕や桜は、どんな気持ちなのか。
貴族ゆえに、その想いが叶えられないことは辛いだろう。そう思いはするのだが、そのことを考えるとなぜだか頭が働かずまともに考えられない。
盗み見た陵駕はいつもの爽やかな美丈夫だ。その胸の中で誰を想っているのだろう。
「
遼が言いたいことは何となくわかる。現に、陵駕も桜もそうではないか。しかし、誰も好きにならなかった桃に、それは当てはまらない気がした。
「遼……?」
「そっか、陵駕は遼お兄様を知らないのよね?」
「知っていますよ、いつも母上と一緒に
「そう! あぁでも、遼お兄様は逃げるのが早かったから、怒られてばかりいたのはわたしだけだったわ」
思えば、きっと遼は陵駕と同じくらいの歳だ。桃は小さかったから知らないだけで、歳の近い者同士の交流だってあるのは当然のこと。
幼かったせいもあって、桃は遼が鈴鳴家の人だと思っていた。しかし、大きくなってから調べてみれば、鈴鳴家に遼という名の殿方はいない。
桃と遊んでくれていたために、勝手に鈴鳴家の者だと思い込んでいたのだろう。子供の記憶は当てにならない。
「葵の宮に出向させられていましたね。貴子姫が、桜の宮には置いておけないとか言って」
「ええ、そうなの。それ以来お会い出来てなくて。今、遼お兄様がどうしていらっしゃるか、陵駕知ってる?」
「さぁ……」
陵駕は珍しく返事が煮え切らない。しかし、桃は遼のことがわからないことに肩を落とし、それには気を止めなかった。
東雲の元に嫁ぐ前に、一度だけ母である常盤に訊いてみたことがあるが、その時は葵の宮にまだいるという返答だった。
今遼が葵の宮から戻っているのかいないのか、常盤にまた尋ねればわかるかもしれない。しかし、それは少し躊躇われる。
もし戻っているのなら、姿を見ないのは桃のことなどとうに忘れているか、覚えていても会いに行くほどのことではないということだろう。
まだ葵の宮にいるのなら、会えないことには変わりない。
「そう。懐かしいけれど、仕方がないわね」
遼だけではなく、桃だって歳を重ねていく。もう小さな
思い出を語ることはできるかもしれない。それでも、幼い桃を知っていると言う陵駕を桃が覚えていなかったように、きっと桃は多くのことを忘れているはず。
「それで、恋うたことがないからどうなのです?」
「ああ、うん。それでわたし、陵駕が誰かを恋う気持ちがわからないの。言われた通り素直に嫁いで来たけれど、損していたのかしら」
この間の陵駕との会話。あれ以降考えていたことだった。
人生というのは一体何なのか。どうすれば良い人生と言える生き方ができるのだろうと。
誰も恋うたこともなく、子だってない。魔を祓える神子でもないし、いまだ出仕もしていない。
結局、自分の人生は誰の、何の役にも立っていないのでは。そう思うと、つまらない人生と言われても仕方がない気がした。
「それは、母上が決めることですけれど」
陵駕の瞳が何やら楽しげに輝く。何か言い出すつもりなのだとすぐにわかった。
「損していたと思うならほら、目の前にいい男がいますよ」
「ま、またそんなこと言ってっ」
もし、陵駕が養子でなかったとしたら。そんなありもしないことが頭をかすめ、言葉に詰まる。
人をからかうのもいい加減にして欲しい、そう思うのに動揺してしまう自分が悔しい。
「私を恋えば全て解決しますよ? 桃姫」
極上の爽やかな笑顔で、あまつさえ両腕を差し出して来た陵駕に熱くなった顔を逸らす。もはやこの性格は手の打ちようがない。桃よりずっと大人だと思っていたが、やはり子供なのは陵駕の方だ。
「首、飛ぶわよ」
「桃姫と一緒なら本望というものです。それとも、私では役不足ですか?」
「そういう問題じゃないと思うけれど……」
陵駕を愛するということはつまり、親子間姦通という禁忌を犯すことになる。そうなれば二人とも罪人だ。
「人がちょっと真面目に考えていたのに、あなたは……」
「私も真面目です」
「————‼︎」
瞬間、陵駕の表情が一変した。今までに見せたことのない、精悍な顔つき。真一文字に引き結ばれた口元が、色を失う。
その瞳は、怖いほどに強い意志の光を灯して輝く。
「なに……?」
まるで押さえつけられていると錯覚しそうなほどの真剣さ。それに気圧され、喉が引きつったような音を立てた。一瞬にして干からびてしまったそこからは、もう言葉さえ出ない。
どうしたというのだろう。この真剣さは、なに?
「私も真面目ですよ。私は、政略のための駒になどなりたくはない。家主を継ぐ者として全てを捨てるなど、出来ない————」
その押し殺した呻きに息を飲む。そうだ、陵駕は次期鈴鳴家家主なのだ。それを継ぐのはまだまだ先のこととはいえ、その背にはあまりにも多くのものを背負っている。いや、背負わされた。
突然、鈴鳴家家主を継ぐように命じられて。それまで大切にして来たもの全てを捨てられようはずもない。
「それならば、追われて討たれる方がいい」
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