冤罪の刑
はじめに感じたのは痛みだった。開いた目がかすむ。ひんやりとした床の感触が身体を凍えさせるような冷たさを伝えていた。
床に倒れ伏したまま、意識を失っていたようだ。
どれくらい経ったのだろう。まだ、全身が痛い。
牢に入れられ、すぐに鞭で打たれた。薄い小袖はすぐに破れ、肌には血が滲んだ。その血のあとは、赤黒く固まっている。
怖かった、なにも考えられなかった。陵駕のことさえも。ただ、ただ痛くて怖くて、泣き叫んでばかりだった。
けれど、もう桃を鞭打った武官はいない。
「陵駕……」
どこにいるのだろう。彼も鞭で打たれたのだろうか。
(これで……もう死を待つばかりなのだわ……)
死ぬのは怖かった。しかし、このまま陵駕なしで生き長らえても、もうなんの意味もない。そんなことになったら、遅かれ早かれ桃は自死を選ぶだろう。
胸の奥に残る、陵駕のぬくもりを思い出す。それが桃に与えた波を。
人を愛する気持ちを知ってしまった。だから、一人で生き残ることなんて出来ない。陵駕が処刑されると言うなら、自分も禁忌を認めて共にそこへ行こう。
あの随人が言ったように、二人で一緒に死ねるのなら……。
瞳を閉じる。
ここは牢だ。陵駕だってここにはいないし、今どうしているかもわからない。それでも、確かに彼の熱を覚えている。
そうして、どれくらい経った頃だろうか。
桃を呼ぶ低い声に、はっとして瞳を開く。聞き覚えのある声。
痛む身体をなるべく動かさないように、首だけを格子の方へと向ける。
そこに立っていたのは、鈴鳴家家主の柑子だった。供を連れず、ただ一人だ。
「柑子……殿……」
桃が桜の宮を逃げ出す時には、まだ寝たきりだった。あれから日が経ち、起き上がれるまでに回復したのだろう。ぎこちなく腹を庇うような姿勢をしているが、一人でしっかりとそこに立っていた。
その手に、美しい彩色の小袖袴を抱えて。
「桃。其方は陵駕に攫われた。それは、侍女らがしかと目撃している。禁忌を犯したと言ったそうだが、現場を押さえられたわけでもない。たとえ真実でも、極刑にはまだ日が足りぬ」
「え……?」
「よって、其方の命だけは助けよう。そのかわり宮から追放する。どこへなりとも行くが良い。この着物に着替えろ」
表情なくそう言い切ると、格子を開き、着物を中に放った。それは重い音をたてて、桃の身体の上に落ちる。
「着替えたら呼べ」
「ちょ……ちょっとお待ち下さいっ」
そのまま姿を消そうとした柑子を慌てて呼び止める。うるさそうにふり返った柑子を、痛む身体を引きずるようにして起こし、穴が開くほど見つめた。
「どういうことですか⁉︎ 陵駕は⁉︎」
「あれは重罪人として処刑する。謀反を起こした上で出奔し、其方を攫った罪だ」
「謀反⁉︎ あれは蘭が……陵駕は謀反なんか……」
柑子がなにを言っているのか理解出来ない。陵駕が謀反を⁉︎
「なにもおかしくあるまい。あやつには、謀反を起こす動機がある。其方がそれは一番わかっているだろう」
淡々とした柑子の口調に、背筋が寒くなる。
謀反を起こす動機。それは桃への思慕。
「嘘よ、陵駕はそんなことしないわ!」
「真実など、所詮生き残った側に都合良く歪められたものだ」
「え……どう、いう……」
問おうとして、声が立ち消える。柑子の言わんとすることがわかってしまったからだ。
陵駕に謀反の罪を着せて処刑する気なのだ!
「
「それを全部陵駕に着せるってこと⁉︎ 本当の罪人は、のうのうと生きてるのに⁉︎」
「事実になる」
「柑子殿は、そんな人じゃないと思ってたわ!」
胸が潰れるように痛んだ。あまりの理不尽さに吐き気がする。
柑子は厳しいが賢君であり、誰に対しても公平な家主だった。感情に流されず、常に冷静で正しい判断が出来る。
決して、誰かに罪を着せて処刑するなどと、そんな理不尽なことをする人ではなかったのに!
「其方は私のなにを知っていると言うのだ」
「でもっ……」
涙があふれる。
牡丹と一緒にいるところを見ても、仲睦まじく、東雲とこうなれたらいいと思ったほどだった。
桃はまだ出仕してはいないが、その采配には定評もある。
それが、全部柑子のたった一部だったとでも⁉︎
「そんなこと許されないわ!」
「其方の意見など求めておらぬ。乱は鎮めねばならぬのだ、見せかけでもな」
「だったら、わたしも陵駕と一緒に殺してよ! わたしは禁忌を犯したわ! 日が足りないなんて詭弁よ! 親子になるのは決定しているのよ、死罪のはずだわ‼︎」
もう柑子が家主だろうとなんだろうと関係なかった。頭が沸騰したように熱くなり、なにもわからない。
柑子は血の濃縮を許せない。たとえ桃と陵駕の血が遠くても、それを助長させるような
これで桃も処刑だといってくれれば本望だ。
「わたしは罪人なのよ‼︎」
「其方は我が
「————ッ!」
一瞬目の前が暗くなり、身体が傾いだ。胸が早鐘を打つ。息が出来ない。
なんという理不尽。桃を助けるのは、自らの保身のためなのだ。
「其方は禁忌を犯していない。追放されるのは別の罪でだ。罪状など後でなんとでもしてやろう」
「あ、あんまりだわ……あなたの方がよっぽど
その桃の叫びにも、柑子は特に反応しない。冷静な瞳で桃を見下ろしている。
その様子が、余計に桃の胸をかき乱した。
もう決定事項なのだ。覆す事が出来ないことなのだ。柑子の冷静さに、それがわかってしまう。
「死ぬ前のあやつの姿が見たければ、早々に着替えて出て来るが良い」
別段怒りもせず淡々とそう言い放つと、今度こそ柑子は踵を返した。もうどんなに桃が呼んでも戻らなかった。
「どうして⁉︎ そんな理由で助かりたくなんかない‼︎ 一緒に逝かせて‼︎」
叫び、柑子の言葉を思い出す。死ぬ前の陵駕の姿が見たければ……。
「陵駕‼︎」
全身が酷く痛んだが無視した。薄汚れた布を脱ぎ捨て、新しい小袖袴に着替える。
逃げていた間も、着付けは陵駕に手伝ってもらっていた。一人で着付けなどしたことがない。そのためかなり不格好に仕上がっていたが、構わなかった。
柑子を呼ぶ。
しかし、現れたのは柑子ではなかった。
「ははうえ……」
二度と呼ぶなと言われた、けれどそう呼ばずにはいられない人物。
常盤であった。外出するのか、着物の端を壺折って着付けている。
彼女は桃の姿を一目見るなり顔をしかめ、横を向いて手招きで誰かを呼んだ。
やって来たのは、二名の侍女。さっと牢の中に入って来ると、着物を綺麗に着せ直していく。
「母上、こんなことはいいから早く‼︎ 陵駕は、陵駕はどうなっているの⁉︎」
「そのような口、聞かぬがよろしい」
母の表情は、厳しく冷たい。その瞳が桃を拒絶している。
桃の身なりを整え、侍女がすっと桃の後ろに引いた。それを期に、常盤は無言のまま身をひるがえし、桃も慌てて牢から出てその背を追う。
(陵駕————)
見える範囲の牢の中に、その姿はない。やはり、桃とは違う場所に囚われているのだ。
階段を上がり神殿の回廊に出ると、常盤は真っ直ぐに神殿中央の
そこに待っていたのは牛車。それに乗るよう桃を促し、自らも桃の後から乗り込んだ。
「どこへ行くのですか?」
動き出した牛車に、そう尋ねずにはおれない。
死ぬ前の陵駕の姿が見たければ、その柑子の言葉が耳から離れない。
「公開処刑の見物よ」
「————‼︎」
陵駕の‼︎
「そんな……」
「それが其方の罪というもの。愛する者の死は、己が死すよりも辛かろうの」
「そんな、そんなこと……‼︎」
胸から熱いものがこみ上げた。それが頭の中を埋め尽くし、どっと涙があふれた。その涙を止められず、両手で顔を覆う。
愛する人の処刑される様を見ろと⁉︎
「どうして……! 人を恋うことはそんなにも悪いことなの⁉︎」
「其方には、東雲という夫があろう」
「わたし、あの人を恋うてなどいなかったわ……‼︎」
嫌々をするように首を横にふり声を上げる。東雲は良い夫だった、それでも恋うていたわけではなかった。
恋うたのはただ一人、陵駕だけだ。
「口を慎むが良い」
返ってくる常盤の声は、どこまでも冷たく澄み切っている。幼い桃を叱った時のような、常盤自身の強い感情などなに一つ感じられない。
その代わりに感じるのは、拒絶の念ばかり。
どれくらいそうして泣いていただろう。牛車が止まったのは、広い河原。その向こうに流れる川は、瑠璃川のはずだった。
人よけの高い竹柵が川を背に、大きな半円形を描き設置されている。牛車を降りたそこには、大勢の町人が何事かと見物に訪れて混雑していた。
「あれを見よ」
自らも牛車を降り、桃の側へと歩んで来た常盤が、その竹柵の向こう側に指し示したものは。
「陵駕っ‼︎」
二本の支柱が川のほとりに立っている。そこにくくりつけられた二人の罪人。
それは、一組の男女。二人とも頭は垂れていて見えない。
女の方は、罪人の処刑には似つかわしくないような、美しい色彩の
そして男の方は、深緑の
深緑は、陵駕がよく身につけていた色。そしてその体躯と頭!
桜の宮にはいない、散切り。
間違いない、陵駕だ。処刑されてしまう‼︎
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