執行、永遠の別れ

「陵駕‼︎」

 人の波をかき分けて竹柵まで駆け寄る。

 その柵の向こう、二人の罪人の左右には神官から成る楽隊が控えている。しょう龍笛りゅうてき篳篥ひちりきが各二名ずつ。処刑した者が魔と化さないよう、魂鎮めの楽を同時に奏でるためだ。

 巫女の姿も二人見えるが、どちらも桜ではない。

 鈴の音がしゃんと鳴った。巫女は既に、舞い始めている。処刑までもう時間がない。

 陵駕が‼︎

「諦めるが良い」

 その瞳の輝きだけで人々を脇に寄け、常盤が桃に歩み寄る。

「どうして⁉︎ 嫌‼︎ 母上は恋うた人が目の前で殺されてしまうわたしの気持ちなどわかりはしないのよ‼︎」

「それならば其方は、娘が罪人になったわらわの気持ちがわかるとでも言うのかえ?」

「それはっ」

 常盤も、桃が苦しんでいるのと同じように苦しんでいるのだ。

「ははうえ……」

 涙がこぼれる。愛する者たちが皆苦しんでいる。きっと父も、桜も。

 それでも抑えられなかった想いだった。

「陵駕ッ」

 手が傷つくのも構わず、竹柵をぎゅっとにぎり締める。

 陵駕がここで処刑されてしまったら、たった一人になる。そうなればもう生きている意味もない。どこか、人目につかないところで後を追おう。

「桃。これが其方の罪。其方の罰。良く見ておくが良い」

 その常盤の声を合図にしたように、楽隊が楽器を掲げた。厳かな笙の音が鳴り、そのあとから追いかけるように楽が始まる。

 そして、左手から一人の神官が二人の罪人の前に進み出た。

 色の一切ない真っ白の狩衣。その顔は、無機質でおよそ人とは思えないのっぺりとした白い面で覆われ、頭には白い烏帽子えぼしを被っている。その烏帽子から流れ落ちるのは黄金の長い髪。手には長槍。

 それが処刑人の印だった。神の代理としての神官を表す白と、神子みこである神色を表す金のかづら。神の力を写したという謂れの面は処刑人の素性を隠す。

 処刑人が長槍を構えた。

「やめて————ッ、やめて殺さないで‼︎ 無実の罪を着せられているだけなのよ‼︎」

 柑子から聞かされたばかりの事実を力の限りに叫ぶが、その声はあっという間に群衆のざわめきにかき消されてしまう。

 処刑人は、陵駕に狙いをつけたまま、動きを止めている。

(届いた⁉︎)

 桃の声が届いたのだろうか、処刑人は動かない。

「殺さないで、お願い‼︎」

 しかし、それは狙いをつけていただけだったのだろう。ぴくりと長槍の先が震えたと思った瞬間。

 流れるように槍が繰り出された。

「いやぁッ————‼︎」

 悲鳴を上げることしか出来なかった。自分がなにを叫んでいるのかもわからない。

 槍が肉に突き刺さる音が聞こえたかのようだった。陵駕の身体が一度跳ね、がくがくと震えたかと思うと動きを止める。

 抜き放たれた槍先は赤く濡れ、神官の狩衣は返り血で赤くまだらに染まった。深緑の束帯も、みるみるうちにその色をどす黒く変えていく。

「りょ、陵駕……」

 胸に痛みが走る。彼の刺されたのと同じ場所が鈍く疼き、桃は地面にひざを付いた。

 周りの景色がぐるぐると回っている。気分が悪い。風に乗って流れて来た血の臭いに激しい吐き気を催しうずくまる。ところかまわず吐き散らしてしまいたいほど胸の奥がむかむかした。

 陵駕は謂れのない罪を着せられ、無残に処刑された。こんなことがあっていいはずがない。こんなことが……!

 わあっと周りの群衆がわいた。女の方も、処刑されたのだろう。

 濃くなる血の臭い。

(陵駕————)

 自分が今立っているのか、座っているのかもわからないほどに酷い眩暈。息を吸い込もうにも上手く吸えず、どんどん胸の痛みが増す。

 どうして、どうして、どうして……。

 このまま、自分も死んでしまえたなら。

「————……」

 はっと気がつくと、そこは牛車の中だった。隣には常盤。どうやら桃は、常盤に身体を預けて気を失っていたらしい。

「……すみません」

 身体を起こす。一瞬眩暈がしてよろけた身体を、常盤が無言で支える。

 いつ牛車に運ばれたのだろう。陵駕が、そうだ陵駕が処刑されて————。

「しかと見ておったか、愛する者の死を」

 陵駕の最期が頭の中で繰り返される。

 どっと涙があふれ出した。初めて恋うた人だった。いつでも近くにいて、気安く話せて、愛し合えた人だった。それなのに。

「これがわたしの罪なの? 陵駕を永遠に失ってしまうことが」

 きっともう生きて行けない。生きていてなんになるというのだろう。

 命をかけて桜の宮を出たのだ、桃だけが生き残っていいはずがない。

(陵駕、待っていて……)

 すぐにでも、陵駕の側に行こう。生きているのなど辛すぎる。

「桃、ここでわらわとも別れようぞ」

 常盤の声がどこか遠くに聞こえる。

「わらわは牛車を降りよう。その後は、其方を都の宿までこの牛車が送ってくれる。その宿で三晩を過ごせ」

 三晩過ごしたとて、なんになると言うのだろう。陵駕はもういないのに。

「三晩経ち、それからは好きなようにして構わぬ。が、三晩経つまではなにもせず、よく考えるが良い」

 なにをとは聞かなかった。おそらく、三晩留め置くのは、桃が自害するのを思いとどまらせようという、常盤なりの最後の優しさなのだろう。しかし、そのことについて考えるのは無駄なことに思われた。

 陵駕がいなければ、生きる意味などもうないのだから。

「それだけだ。それがこの母の最後の命。守れぬ場合は陵駕の魂を封じ、黄泉の国には行かせぬ」

「そんな……」

 常盤はそう言ったら本当にそれを実行する人だ。もし桃がすぐにでも自害しようものなら、神官に命じ永遠に陵駕の魂を封じてしまうだろう。

 来世で、二人が二度と出会わぬように。

「わかりました」

 三晩、我慢しよう。それから山へ入って自害してしまおう。来世でまた出会えると願って。

 次の世は、貴族などではなく、もっと身軽な臣民として生まれて来られたならいい。

「よろしい。もう、会うこともあるまい」

 常盤が真っ直ぐに桃を見つめる。その瞳が、ふいに和んだ。桃や桜にもめったに見せることのなかった、穏やかなほほ笑み。

「ははうえ……?」

「桃、元気でな」

(母上……‼︎)

 常盤の手のひらが一度、桃の頭を優しく撫でた。

 さらりと言われた言葉に動転して、なんと返したら良いものか考えつかぬ間に、常盤は牛車の外に出てしまう。

 これが今生の別れなのだ。もう会うことは叶わない。

 そう、会えはしないのだ。

 ゆっくりと、牛車が動き出す。

「母上‼︎ 母上も、お元気で‼︎」

 身を乗り出し叫ぶと、常盤はほほ笑んだようだった。優しく。

(さようなら……)

 もう誰にも会うことは叶わない。もうこの世にいない陵駕にも、厳しくも尊敬していた母にも、庇護してくれた父にも、魂を分け合って生まれてきた桜にも。

 そして、罪を犯して正気を失った蘭にも。

 辛い、死んでしまいたい。けれど、母は言った。元気で、と。桃が元気でいることを望んでいると。

 自害しようと思っていたのに。

 あの母の言葉を聞いて、それでも自害なんて出来ようか。

(わたしは————……)

 涙がとめどなくあふれた。

 この先なにをどうすればいいのかも、もうわからない。

 ただわかるのは、これまで生きてきた世界との、これが永遠の別れなのだということだけ。

(さようなら……)

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