足枷と代償
「くそっ、桃姫になにかしてみろ‼︎ 殺してやる……‼︎」
「ほほぅ、その状態でですか? 笑わせるな。姫も、虫一匹殺したことがないのになにがお出来になる、剣を下ろせ」
冷たい随人の声が無情に響く。
守ると誓ったのに、それすらも出来ずに無様に捕らわれているなど。
桃の短くなった髪が、風に揺れた。
「くそっ‼︎」
この足枷さえなければ‼︎
痛みを無視して、陵駕は足に食い込む刃に手を伸ばしかけ——きらめく脇差の軌跡に気づくのが遅れた。
降りおろされた脇差は、桃の持つ懐剣を簡単に弾き飛ばした。悲鳴を上げて後ろに倒れようとした桃の小袖を随人が素早くつかみ、前方に引き倒す。
そのまま受身も取れずに地面に倒れた桃の背を、随人は力任せに峰打ちした。
「桃姫ッ‼︎」
声を上げる間もなく桃の身体から力が抜け、動かなくなる。
「桃姫! 貴様あッ‼︎」
「……やれ」
随人が顎をしゃくった。その合図に、二人が陵駕へと突進した。頬と腹を勢い良く殴られ、次の瞬間に悲鳴を上げた。
脳天を貫く猛烈な痛み。それは殴られたためではなかった。殴られ身体が傾いだ反動で、足に食い込む刃がまたさらに食い込んできたのだ。
その痛みで意識を半ば失いかけ、その瞬間に取り押さえられてしまう。
「手間をかけさせる。おい、誰かその罠を外せ」
「はい」
二人がかりで押さえつけられた陵駕に、もう一人が近づく。男は、罠の刃に触れることなく、罠の下に付いている細長い金属の板を足で踏みつけた。
すっと激痛が引く。あれだけ陵駕を捕らえて離さなかった刃は、いとも簡単に開き足を開放した。
(くそ……)
原理がわかれば大したことはない。桃にその板を踏んでもらいさえすれば良かったのだ。けれど、そんな簡単なことを知らない。
それが、宮育ちの貴族ということ。
「くそっ、離せ‼︎ 桃姫‼︎」
叫び暴れようとして、力任せに顔面を殴られる。口の中が切れたのか、血の味が口いっぱいに広がった。つう……と、唾液とも血ともつかない液体が口端からこぼれ出す。
意識が……遠くなっていく……。
(桃姫……!)
守ると約束したのに。
ただ、二人で幸せになりたかった、それだけなのに。
頭の中を巡るその想いは、闇の中に沈み込むように途切れた……。
◆ ◇ ◆
桜の宮の神殿。その地下に座敷牢がある。その牢の一つに通じる回廊で桃を迎えたのは、母である
獣道で気を失ってから目覚めると、そこはもう山ではなかった。馬の背に荷物のようにくくりつけられて、町中を運ばれていた。
酷い頭痛と眩暈がした。
陵駕の姿は見えない。馬の手綱を引く一人と、あと一人が馬で付き従っている。柑子付きの随人の姿はない。
馬の背で声を上げたが、誰も答えなかった。
長い道のりだった。馬の背で声を上げて暴れると、馬から降ろされ手を縛られた。その縄を馬にくくりつけ、歩かされる。
鼻緒で擦れた足が酷く痛んだ。しかし、馬の歩みは止まらない。桃が転び、地面を引きずられてはじめて止まって引き起こされるという具合だった。
そのまま三日、徒歩で桜の宮まで歩かされた。その間も、陵駕の姿はどこにもない。陵駕は恐らく桃と引き離され、柑子付きの随人とあと二人が連行しているのだろう。
神殿の牢は何か所かに設置されている。二人は別々の場所の牢に入れられるはずだ。再びまみえることが出来るのは、公開処刑の時————。
「母上……」
縄で手首を縛られ、獣のように引きずられ汚れて戻ってきた娘を、常盤は冷たい瞳で射抜いた。その視線に、言を継ぐことが出来なくなる。
禁忌を犯し逃げ出したことで、常盤にどれほどの迷惑をかけたことだろう。常磐だけではない。父である
きっと常盤は一生、そう言われるのだ。お前の娘は禁忌を犯した罪人だと。
「母上————」
「桃」
鋭い常盤の声が、桃の言葉を遮る。その声は、凍てつくように冷たい。その顔には、冷たさ以外なにも浮かんでいない。
「桃、わらわはもう、其方の母などではないわ」
「そんな」
「良いか、二度とわらわを母と呼ぶことは許さぬ」
ぽっかりと胸に穴が空いてしまったようだった。母を、たった一人の尊敬する強い母を、失ってしまった……。
母上、そう呼ぼうとして常盤の瞳に呼ぶなと拒絶され、声を飲み込む。そのかわりのようにあふれ出したのは、大粒の涙。
ここまで歩く道中、桃はずっと泣いていた。それなのに、まだ桃の身体の中には涙が残っているようだ。次から次へとあふれて止まらない。
「行くが良い」
常盤の声に、桃の手を縛る縄が無言で引っ張られる。
「————ッ‼︎」
母の姿を求めて引かれる力に抵抗するものの、敵うはずもない。腕が強く引かれ、痛みが走る。
常盤はそんな桃を一瞥し、踵を返した。桃に背を向けて歩き去って行く。
「ははうえ……」
これが桃の罰なのだろうか。陵駕も、母さえも失って。
(桜……)
まぶたの裏に浮かぶのは、桃の半身。一緒に生まれてきた、大切な妹。
彼女は、桃をどう思ったのだろう。やはり、裏切ったと軽蔑しただろうか。
「いい加減にしろ」
縄を引く男が苛立たし気に吐き捨てる。
「泣くのはまだ早いぞ。これから鞭打ちだからな」
鞭打ち。その言葉に背筋が凍った。
蘭が受けたのと、同じ苦しみを?
蘭……どんなにか辛かっただろう。そんな苦しみを与えるくらいなら、いっそここで殺めてくれたほうがずっと楽だ。怖い。
無意識に身体が震えた。縄を引かれ、それに抵抗するようにその場にしゃがみ込む。
「嫌……いや……‼︎」
縛られた両手を額に押し付けた。そうすることで、恐怖を忘れられるのだと言わんばかりに。
しかし、その手はすぐに男の手で引っ張り上げられる。悲鳴を上げた桃を、男は一気に肩にかつぎ上げた。もう歩かせるのは諦めたらしい。
ばたばたと手足を男に打ち付けて抵抗するものの、意に介さない様子で大股で進んで行く。
「いや、嫌よ助けて、いや……‼︎」
陵駕と逃げることで、桃は蘭を捨てた。これがその代償だろうか。
蘭と同じ苦しみを受けることが。
(陵駕……! 誰か、誰か助けて————‼︎)
◆ ◇ ◆
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