(28)天輝の推察

 天輝が目立つ巾着袋を常に携帯するようになって一週間が経過しても、その時点で状況は全く変わらなかった。

「ブラックさんが常時一緒にいてくれるのに、今回はなかなかやってこないわね~。ひょっとしたらブラックさんに恐れをなして、異世界とやらが怖じ気づいてしまっているとか? うわぁ~、ブラックさんって、見かけも頑強そうだけど実際最強ぅ~」

 変な事に同僚を巻き込みたくないと考えた天輝は、最近はできるだけ昼食も単独で食べることにしていた。その日も外で食べてから一人で職場へ戻る途中、手にしていた巾着袋を軽く持ち上げながら、笑顔で自棄気味の台詞を呟く。


「こんな目立つものを持ち歩くことに対して、もう微塵も違和感を感じなくなっちゃったわ~。このまま一生、ブラックさんと一緒にいても良いかも~。その時はよろしくね~」

 そんな事を口にしながら天輝がビルに入り、エレベーターで上がって職場に向かっていると、人気のない通路に入った途端、足下の床が円形に光りだす。


「はぁ……、やっぱり来たか……。しかし毎回毎回、よく私が一人でいる時に喚ばれるわよね。その前後は職場で仕事中とか誰かと一緒にいる時だから、そんな人目がある所で急に消えたりしたら騒ぎになるのが確実なのに。不幸中の幸いと言うかなんと言うか……」

 その絶妙なタイミングの良さを改めて認識しながら、天輝は微塵も慌てずに注意深く周囲の観察を続けた。


「ひょっとしたら、周りに人がいない事が召喚条件の一つなのかしら? そこら辺は、考えてみる価値はあるわね。なるべく一人にならないような場所や状況を、常に考えれば良いわけだし」

 考え込んで推論を導きだした天輝が一人で頷いていると、これまでの召喚時と同様に一気に床の光量が増し、周囲に旋風が生じると同時に浮遊感を感じる。それから少しして目が眩む光が消え、再び床に降り立った感覚に天輝が目を開けると、彼女の周囲に見慣れない光景が広がっていた。


「ええと……、ここは……。ああ、今度はこれか……。なるほどね、だからブラックさんか。納得よ」

 天輝が立っている場所は屋外に設置された石造りの舞台らしく、周囲の地面より2メートル程高く積み上げられていた。更にかなりの広さがある舞台には黒い線で円形や意味不明な紋様が幾重にも描き出されており、それが自分を召喚した道具にあたる物だとすぐに理解できた。するとここで、背後から声がかけられる。


「聖女様、我らの願いをお聞き届けいただき、よくぞこの世界に降臨してくださいま」

「殊勝な顔をして、何を寝言ほざいているのよ。他の世界から来れば誰でも聖女だなんて、ペラッペラな理念よね。あんた達のくだらない願いなんて、誰が聞き届けるか。馬鹿馬鹿しいにも程があるわ」

「……え?」

 声がした方に勢いよく振り返った天輝が、相手の言葉を遮りながら吐き捨てた。その反応が予想外だったのか、この場の責任者らしい初老の男が当惑しながら口ごもる。と同時に、少し離れた場所から天輝達の様子を見守っている集団がざわついた。天輝はそれに気が付いたが全く気にしない風情を装っていると、目の前の男がなんとか気を取り直して神妙に口上を続ける。


「その……、聖女様。この度は、私どもの召喚に応じていただき、誠に感謝の」

「そんな物に微塵も応じているわけないでしょうが。誘拐団の分際で何を殊勝な事をほざいていわけ? 頭おかしいわね」

「あの……、我が国にお出でいただいた上は、世界を崩壊に導かんと企む」

「魔王なんて知らないし。あなた達で勝手にすれば。あなた達の世界なんて、知ったことではないわよ」

「…………」

 元から譲歩などする気は皆無の天輝は、問答無用で相手の台詞を切り捨てた。さすがに彼が顔を強張らせて口を閉ざすと、先程から二人の様子を窺っていた一団の中から、一際豪奢な衣装を纏った壮年の男が憤怒の形相で怒声を放ってくる。


「貴様! 先程から黙って聞いていれば、無礼だぞ! こちらが礼儀正しく接しているというのに、頭に乗りおって!」

 その指摘に、天輝は鼻で笑いながら盛大に言い返した。


「はっ! 随分と笑わせてくれるじゃない! 『礼儀正しく』ですって!? 本人の意思に関係なく、問答無用で異世界の人間を召喚するような非人道的で傍若無人な行為を平気でやる人間が、どの口で言っているのよ! この国は上から下まで、相当頭が足りなのが揃っているらしいわね! というか、馬鹿しかいないんじゃないの!?」

「何だと!? 無礼極まりない女だな! 構わん! こんなろくでもない女は、直ちに斬って捨てろ!!」

 天輝の罵倒を聞いた壮年の男は自ら彼女を切り殺そうと考えたのか、腰につけている剣の柄に右手をかけながら叫んだ。しかしその暴挙を止めるべく、周りの者達が血相を変えて彼を取り囲み、押さえ込みながら口々に説得を始める。


「陛下! そんな真似はできません!」

「どうかお心をお静めください!」

「黙れ! こんな女など、ものの役に立つとは思えん! 新たな聖女を召喚すれば済む話だろうが!」

「そうは言われましても!」

「日時により世界に漂う霊力カーズの量に波があるのは、陛下もご存じでございましょう!?」

「だから、さっさと召喚し直せと言っている!」

「確かに、『あなた達の役に立たないろくでもない女』っていう指摘は、当たっているわね。でも『ろくでもない男の役に立つ女』なんて肩書きは欲しくないから、それで構わないわよ」

「なんだと!? どこまで生意気な女だ!」

 火に油をそそぐ天輝の台詞に、周囲から「陛下」と呼ばれている男は益々いきり立ったが、天輝は離れているところで揉めている一団を無視して、傍らの男に向かって質問を繰り出した。


「ところで私を召喚するのに、紋様が施してあるここを使ったのよね?」

「あ、は、はい。その通りでございます」

 いきなりの天輝の問いにも、相手は動揺をなんとか押さえ込みながら律儀に答えた。すると天輝は、そのまま質問を続ける。


「これ、わざわざ白い巨石切り出してこの一面に敷き詰めて、更に紋様を彫り込んでいるのよね? しかもその上に文様を描くだけではなくて、黒い塗料や染料をその溝に流し込んでいるみたいだけど?」

「左様でございます」

「どうしてそんな面倒な事をしているの? 石の表面に直接描くだけでは駄目なの?」

「この石舞台自体に神官達の霊力を込めて召喚の媒体といたしますので、表面に書いただけでは霊力の影響でたちまち消滅してしまうのです。それで特殊な塗料を溝に流し込み、少しずつ石に染み込ませていくのを繰り返して、黒い線を表現し召喚陣を描き出しております」

「へぇえ~? それは大変な作業で、さぞかしご苦労したでしょうねぇ~」

 心底感心した風情を装いながら天輝が感想を述べたことで、相手は天輝との友好関係を築けそうだと安堵したのか、嬉々として頷いた。


「はい、それはもう! ここまで立派な召喚陣を形成するには、何年もかけて緻密で細かい作業を繰り返しておりまして!」

「そんなところに変な塗料が吹き付けられたら容易に消せないし、削り取るしかなくなるわよね。しかもそうなると、元々の召喚陣も欠損しかねない、と。なるほどね」

 ブツブツと小声で呟きながらほくそ笑んだ天輝に、男が怪訝な顔で声をかけてくる。


「はい? 聖女様? 今、何か仰いましたか?」

「うん、条件としてはなかなかだわ。お父さんの予知能力、断片的とはいえ本当に侮りがたいわね」

「あの……、一体何を言っておられるのでしょうか?」

「え? ああ、なんでもないから。こちらの話よ。気にしないで」

「そうでございますか……」

 重ねて問いかけられた天輝は、それで我に返って笑顔で誤魔化した。するとなんとか国王らしき男を宥めるのに成功したらしく、揉めていた集団が落ち着きを取り戻したのを確認して、初老の男が恭しく天輝を促してきた。


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