(5)微妙なコンプレックス
注文した昼御膳が運ばれ、二人揃って食べ始めたのも束の間、天輝は急に物憂げな表情になって箸の動きを止めた。
「やっぱりファンドマネージャーになる為には、数ヶ国語が話せないと無理ですよね……」
そんな事をしみじみとした口調で言われてしまった由佳は、本気で面食らった。
「いきなり何を言い出すのよ? うちの社内でのファンドマネージャーへの昇格規定に、そんな内容は無かった筈だけど?」
「確かにそうですが、現に皆さんは日本語の他に、最低2ヶ国語が話せますよね?」
「それは偶々、今のメンバーがそうなだけよ。どうしても海外の債券や株式の情報収集をする必要があるから、それに伴ってNYとパリとロンドンとシンガポールと香港に支社があるけど、取り敢えず英会話ができればどうにでもなるわよ?」
「それはそうかもしれませんけど……」
「現に高梨さんだって、各種データの分析や、ポートフォリオ作成に関して、これまで不都合はなかったわよね?」
「それは、まあ……。それが仕事なので……」
「シャキッとしなさい! 仕事で何かあったの? 訳せない文書やデータがあったとか?」
「いえ、そうではなくて……。久しぶりに妹が帰国すると連絡をよこしたもので、色々と考えてしまいまして……」
神妙な顔付きで天輝が申し出た内容を聞いて、これまでに彼女の家族関係について把握していた由佳は即座に納得した。
「あぁ……。あの、世界中飛び回っているっていう写真家の。6ヵ国語ができるんだっけ?」
「会話だけなら8ヵ国語可能だそうです。後は人間同士なんだから、ジェスチャーでどうとでも意思疏通はできると豪語していまして、現に実践しているっぽいですね」
そこまで聞いた由佳は、半ば呆れながら感想を口にした。
「以前に話を聞いた時も思ったけど、高梨さんとは随分タイプが異なる豪快な妹さんね」
「そうなんです。同じ高校に進学しましたけど、妹の方が定期試験の成績は良かったんですよ? しかも試験直前の休みに『根を詰めても効率は上がらないし、リフレッシュしてくる』とか言って、丸1日遊びに出掛けていました」
「それも、聞いた覚えがあるわね……。それなのに大学に進学しないで、カメラの道に進んだのよね?」
「『勉強が好きじゃないから』と公言して、潔いと言えばそうなんでしょうけど。私にしてみれば、未だにかなり複雑です」
そう言って天輝が溜め息を吐くと、由佳が苦笑いの表情で話を続けた。
「察するに、妹さんに関する事だけでも無いみたいだけど?」
「そうですね。兄は今の私の歳には、もうファンドマネージャーに就任していましたし」
時折、「兄貴に負けずに頑張れ」と激励されたり、「兄妹でも実の兄妹じゃないから仕方がないか」と慰められたりしている天輝としては、その度に微妙に肩身が狭い思いをしていたが、ここで由佳は真顔になって断言した。
「高梨さん。はっきり言わせてもらうけど、あれは異常よ、化け物よ。比較する方が間違ってるわ。あれだけの高度な数学的手法である数理モデルを運用できるクオンツアナリストなんて、外資系でもそうそういないから」
「あはは……、『化け物』って酷すぎません?」
思わず乾いた笑いが出てしまった天輝だったが、由佳は真剣な面持ちで持論を展開する。
「だって本当の事だし。しかも大半は順当な分析結果を出すのに、時々とんでもないハイリスク・ハイリターン案件を遠慮無くぶちこんでくれて……。だけど他の連中が尻込みする中、運用部内で一番の運用実績を上げているんだもの。さすがは、あの伝説化している社長の息子だとは思うけど」
そこで由佳が呆れ気味に溜め息を吐くと、天輝も吊られて考え込む。
「う~ん、確かにこの業界に入ってから知りましたけど、父に関する真偽不明な逸話が多いですよね?」
「そんな人達と比較されても、本当に気にする事は無いから。高梨さんの各企業や債券発行元に関する取材内容や財務分析は的確よ? それに基づく業績予想も、私が把握している限り大きく外した事がないわ。投資候補企業の選別だって、手堅いと部内では評価されているし」
「そうですよね……。無難なんですよね……」
これまでに何度か試験的に、ファンド内構成を提案させて貰った事があったものの、全て「手堅いのは良いが、運用益が顧客が望む実績予想レベルに達しない」と却下された経緯を思い出した天輝は項垂れた。
そんな彼女を見た由佳は、再度溜め息を吐いてから言い聞かせてくる。
「あのね。入社して五年以内の高梨さん世代の社員に次々に冒険的な投資をされたら、たちまち部長の胃に穴が開くから。堅実、大いに結構じゃない。誰もあの非常識野郎の真似なんかできないし、桐生Jr.の誕生なんか望んでいないから。高梨さんだってこれから経験を積めば、自然にリスクを踏まえながら、より運用益を出せるような取捨選択ができるようになるわよ」
そう力強く断言された天輝は、自分自身に納得させるように同意しながら頭を下げた。
「そうですよね。これからまだまだ経験を積んでいく必要がありますよね。何かさっきから、つまらない事をうだうだ言ってしまってすみませんでした」
「良いのよ。ある程度仕事に慣れて、次のステップアップを考える時期に、誰しも似たような事を考えて壁にぶつかるものだわ。……全くそんな気配を見せなかった、可愛いげが無いにも程がある奴が、約1名存在していたけど」
如何にも忌々しげに由佳が口にした人間が誰の事なのか、天輝には否応無く分かってしまった。
「…………兄の事ですよね。どう考えても」
「段々、腹が立ってきたわ。ビジネスで凄腕の後輩に遅れを取るのは仕方がないとしても、やっぱりプライベートでぎゃふんと言わせたいわね」
そこで天輝が、意外に思いながら口を挟む。
「プライベートで、兄に『ぎゃふん』ですか?」
「ええ。ちょうど良いネタが転がっているしね」
そんな事を言って不敵に微笑んだ由佳を見て、天輝は本気で感心してしまった。
「はぁ……。私には全く分かりませんが、兄をやり込める事が可能だなんて……。やはり進藤さんだと、目の付け所が違うんですね」
「やっぱり高梨さんは可愛いわ」
「ありがとうございます」
どうして笑顔で褒められたのかは不明だったものの、天輝は相手に合わせて笑顔で頷き、それからは目の前の膳を食べる事に集中した。
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