(43)嫌な予感
「足元に全然力が入らないし、ふわふわして嫌な感じ。ちょっと海晴! お願いだから、絶対に手を放さないでよ!?」
「分かってるって。少しは妹を信用してよ。手を繋ぐのは用心のためで、放しても空中に身体を浮かしたまま移動はできるんだから」
必死の形相で懇願してくる天輝を、握り締められている手が痛いなぁと密かに思いつつも、海晴は笑顔で宥めた。すると悠真が前方を見据えたまま、二人に注意を促してくる。
「おい、二人とも。風の音に紛れて、何か聞こえないか?」
「え? いきなり言われても……」
「何かって……、何?」
当惑しながら口を閉ざし、少しの間耳を澄ませて周囲の様子を伺った天輝と海晴は、怪訝な顔を見合わせた。
「言われてみれば確かに、何か聞こえる気がする……。そういえばここまで案内してきた人が、奥の宮殿から女性の呻き声が聞こえるとか言っていなかった?」
「でも、それってさぁ……。谷の間を風が吹き抜ける時に、それっぽく聞こえるだけじゃないかな? 怖がっていれば、なんでも恐ろしく聞こえるものよ?」
「俺も、最初はそう思ったんだがな……。確実に何か、前方の宮殿の方から聞こえていると思う」
「…………」
悠真が難しい顔をしながら述べた推論に反論できず、天輝と海晴は黙り込む。その間も3人はゆっくりと空中を前進し、次第に問題となっている物音がより正確に聞き取れるようになってきた。
「途切れ途切れにしか聞こえないけど、これは女の人の声だよね?」
「確実にそうよね。それに単なる会話とかじゃなくて、もしかして……、歌っている、のかな? もう少し進めば、はっきりすると思うけど……」
「二人にもそう聞こえるか……。海晴、攻撃されても咄嗟に回避できる程度に、ゆっくり注意しながら進んでくれ」
「そうするわ。警戒は怠らないから任せて」
悠真の指示に海晴は真剣な面持ちで頷き、元々ゆっくりだった水平移動のスピード、更に落としながら慎重に進んでいった。そんな中、天輝が控え目に言い出す。
「……ねえ、二人とも。ちょっと良いかな?」
「なんだ?」
「天輝、どうかしたの?」
「その……、私達の世界とこの世では使っている文字が違うし、当然言語も違うよね? それなのに書かれた文章は読めるし、自然に会話も成立している。それは私達がかなりの
その指摘に、悠真が相槌を打つ。
「そうだな。たしかにそう考えれば自然だと思うが」
「だから歌が日本語で聞こえるのはおかしくないと思うけど、メロディーに合わせて意味も齟齬がないように自動翻訳するのって、さすがに無理がないかな? だから私達は元々日本語で歌っているのを、そのまま聞いていると思うんだけど……」
他の二人の表情を窺いながら天輝が慎重に告げると、海晴もかなり言いにくそうに後を引き取る。
「その……、私も少し前から考えていたんだけど……。最近日本から離れてこっちの世界に来ていることが多かったからあまり自信がないけど、この曲って去年辺り発売された曲じゃないかな? グループ名、なんて言ったっけ? ほら、伸也の事務所だったよね?」
「私もど忘れしたけど、何かのCMに使われていたから間違いないと思う。だから偶々同じメロディーの曲が、こちらの世界の人が歌っている可能性はゼロに等しい筈だけど……」
「ええと、つまりそうなると、どういうことかな?」
「私に聞かないで。一応考えてみた可能性はあるけど、できるなら口にしたくないから」
「……………………」
天輝と海晴が会話している間、悠真は無言を貫いていたが、その顔つきが徐々に強張り険悪になってきた。それを横目で見た天輝達は、無言で恐れおののく。そうしているうちに実に呆気なく岩窟宮殿に到達した3人は、バルコニーらしき場所に降り立った。
「あの……、お兄ちゃん? 無事に着いたけど、中に入ってしまって良いかな? 攻撃されるどころか全く防御らしいものもなくて、正直、拍子抜けなんだけど」
「邪魔されないなら好都合だろうが。構わないから入るぞ」
「……そうしようか。お邪魔しま~す」
恐る恐る海晴がお伺いを立てたが、悠真が端的に指示する。それに海晴は素直に頷き、ガラスなど填まっていない、窓のように開口している腰高の壁を跨いで奥へと進んだ。
「お兄ちゃん、取り敢えずどこに行けば良いかな?」
「声のする、下の階の方だな。取り敢えず人がいる筈だ。一応下りながら、他の階の様子も窺っていくが」
「……そうだよね。それが順当だよね」
不思議な事に、頂上付近に明かり取りの窓かそれに近い光源を反射させる仕組みでもあるのか、何ヵ所かあるらしい吹き抜けの階段付近が明るいことで、廊下は薄暗い程度で普通に歩けた。そこを慎重に進みながら、天輝が何気なく悠真に尋ねる。それに素っ気なく返されて、天輝は会話の相手を海晴に切り替えた。
「それにしても、大音量の歌だよね。これなら谷の向こうまで、声が伝わってもおかしくないわ」
「どう考えても、肉声じゃないよね? 霊力を使った音量を増幅させる方法があるのか、もしくは……」
そこで言葉を途切れさせた海晴に、天輝が控え目に問いかける。
「海晴。それって、電気が必要な方法を考えてる?」
「無理だよね。こっちの世界に電源なんて無いし」
「そうよね~」
「そうだよ~」
「…………」
普通であれば姉妹の「あははは」という乾いた笑い声が廊下に響くのだが、相変わらず階下から響いてくる歌声にそれはあっさりかき消された。そして悠真の後について、慎重に並んで階段を下りながら、天輝と海晴が囁き合う。
「ねぇ、さっきからお兄ちゃんの顔が怖過ぎるんだけど」
「しっ! 天輝、それに触れちゃ駄目よ!」
「あ……、曲が変わった……」
「歌ってるの……、女の人じゃなくなったわね……」
「この階らしいな」
「…………」
廊下を伝わってはっきりと聞こえてくる歌声が、いつの間にか男性の声、しかも何やら聞き覚えのある声に切り替わったのに気がついた悠真は、冷え冷えとした声を発した。対する天輝と海晴は、絶望的な表情で項垂れる。
そんな重苦しい空気のまま廊下を進んだ3人は、あるドアの前で足を止めた。
「ええと……、歌声はこのドアの向こうから聞こえてくるよね?」
「うん、間違いなく。……ところで、どうする?」
「どうするって言われても……」
そこで天輝と海晴が顔を見合わせてから、恐る恐る悠真に視線を向ける。すると悠真は目の前のドアの凝視したまま、低い声で確認を入れてきた。
「天輝、海晴。これから先は、俺の好きにさせて貰いたいんだが、構わないか?」
その感情を綺麗に削ぎ落とした声音に、天輝と海晴は盛大に顔を引き攣らせながら頷く。
「その……、色々な面で危ない事にならなければ、お兄ちゃんに一任しようかと……」
「少々事態が混迷しているみたいだから、私達はひとまず傍観させて貰いたいかな……」
「そうしてくれ」
そう短く応じた悠真は、直後に怒気を露わにして叫びながら、目の前のドアを乱暴に蹴り開けた。
「それじゃあ、行くぞ!! うおりゃあぁぁ――っ!! この愚弟がぁ――っ!!」
彼はそのままの勢いで開け放った出入り口から室内に突進し、一拍遅れて天輝と海晴も後に続いた。
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