(10)伸也の帰宅

 天輝が、自分の正気を疑う出来事に遭遇した翌週。珍しく退社時間が重なった悠真と一緒に帰宅すると、リビングには桐生夫妻の次男である桐生伸也が居た。


「よう天輝、久しぶり! 元気にしてたか? 兄さんは相変わらず、シケたツラしてるなぁ」

「……余計なお世話だ」

 実家のソファーで寛いでいた伸也は、帰宅した二人を見るなり明るく声をかけてきたが、悠真は忌々しげに呟いてそっぽを向いた。しかし天輝は同い年の義理の兄に、笑顔で駆け寄る。


「伸也! どうしたの? 今日帰るって言ってなかったよね!?」

「急に明日の朝まで時間が空いてさ。たまには母さんの手料理が食いたくなって」

「そうなの。でも本当に久しぶりだよね。半年ぶり位かな?」

「そうだな。お前は海晴みたいに海外を飛び回っているわけではなく都内に住んでいるのに、もう少し頻繁に顔を出せないのか?」

 そこで仏頂面になりながら非難めいた言葉を口にした悠真に、伸也が半ばからかうように問い返す。


「あれ? 兄さんは、俺が顔を出すのを嫌がるかと思ってたけど?」

「……そんな事はない」

「へぇ? 本当に? そんなに帰ってきても良いんだ?」

「え? お兄ちゃん、どうして?」

「伸也の勘違いだ。着替えてくる」

 自分の知らないところで兄弟喧嘩でもしていたのかと、天輝は少々驚きながら尋ねたが、悠真は憮然としながら短く答えただけでリビングから消えた。それで天輝は、もう一方の当事者に向き直る。


「伸也? お兄ちゃんと喧嘩でもしていたの?」

「いいや、別に。うん、俺の勘違いだったみたいだな」

(どういう事かしら? さっきまでお兄ちゃんの機嫌は、別に悪くなかったのに)

 へらっと笑って誤魔化した伸也を不審に思ったものの、相手がこういう態度の時にはどう問い詰めても無駄だと知り抜いていた天輝は、気にしない事にしてソファーに座った。


「天輝は変わり無さそうだな。元気そうで安心した」

「ありがとう。伸也は、本当に頑張ってるよね。芸能プロダクションを一から立ち上げて数年で軌道に乗せるなんて、誰にでもできる事じゃないわ。それに最近、所属の歌手をあちこちで目にするもの。歌もダンスも上手いしね」

「ありがとう。皆が聞いたら喜ぶ」

 高校卒業後は海晴と同様に進学せず、半年ほど所在不明になっていたかと思えば「ちょっと芸能事務所でも作ってみようと思うから、出資してくれない?」と帰宅して早々に申し出た伸也に、当時の天輝は腰を抜かすほど驚くと同時に、何を世迷い言を言っているのかと呆れ果てたものだった。

 しかし賢人は苦笑いしただけで、事務所の資本金と当座の運転資金としてかなりの金額をあっさり拠出した。天輝は「さすがに甘過ぎないか」と苦言を呈したものだったが、その後、伸也が次々に所属の歌手やタレントを売り出して成功を収め、きちんと借入金を全額返済するに至って、伸也のマネージメントの才能と賢人の先見の明に感服しきっていた。


「それにしても……」

 向かい合って座っている天輝が、自分の全身を眺め回しながら何やらしみじみとした口調で呟いた為、伸也はおかしそうに尋ねる。


「どうかしたのか? まさか今更、俺に惚れたとか?」

「そうじゃなくて。何か最近会う度に貫禄が付いてきたと言うか、とても同じ二十五歳には見えないなと、改めて思ったのよ」

 そんな天輝の正直な感想を聞いた伸也は、破顔一笑した。


「そりゃあ弱小と言えども、俺は一応社長様だし? 他の老舗プロダクションのお偉いさんと肩を並べても一歩も引く気は無いと常に気合いを入れていれば、見た目もそれなりになってくるんじゃないかな? 向こうはじいさんばあさんばかりだし、相対的におじさんっぽくなってるんだろ?」

「もう! 相変わらず、そんな憎まれ口ばっかり。老けて見えるなんて、一言も言ってないからね? でも何事も、普段からの心構えが大切だって事か……。うん。そういう所、私も見習わなくっちゃね。年下でも、周りや商談相手から見くびられないように」

 釣られて笑ってしまってから、自分自身に言い聞かせるように頷いた天輝に、伸也が苦笑を深めながら言い聞かせる。


「天輝。悪いことは言わないから、それは口には出すなよ? 俺を見習うなんて面と向かって言ったら、兄さんがマジで泣く」

「どうして? 他の人が努力しているのを見習うのが、どうして悪いの?」

 首を傾げながら問い返した天輝に、伸也は少々困り顔になりながら告げた。


「……本当に、天輝は変わらないよな。良い意味でも悪い意味でも」

「なんだか、あまり褒められている気がしないんだけど、気のせい?」

「気のせい気のせい。ほら、そろそろ夕飯の支度が終わりそうだし、天輝も荷物を置いて着替えてきたら?」

「そうね。じゃあ、また後で」

 一瞬、気分を害したような表情になったものの、天輝は素直に立ち上がって自室へと向かった。そして一人でリビングに取り残されてから、伸也が半ば呆れながら呟く。


「本当に、兄さんも天輝も相変わらずだな。それに天輝の霊力が、以前にも増して充実しているし。あれじゃあ、問答無用で向こうに引っ張られてもおかしくないよなぁ……」

 そこで深い溜め息を吐いた伸也は、この場にいないもう一人の義妹について、考えを巡らせる。


「帰って早々に母さんに頼まれたし、さっさと片付けておくか。ところで双子の片割れがあんな状態なのに、幾ら霊力が皆無と言っても、海晴の奴は本当に大丈夫なのかな?」

 ふとした不安と疑問を抱えつつも、夕食の支度が終わったと和枝が伝えに来た事で伸也は即座に意識を切り替え、久々の家族揃っての食事を楽しむ事にした。


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