(21)無理がありすぎる話

「天輝。話があるから、入っても良いか?」

「構わないけど?」

「悪いな。邪魔をする」

 珍しく一緒に夕食を済ませてからそれぞれの部屋に引き上げていた悠真が、自室のドアを叩きながら声をかけてきたが、天輝は特に不審なものを感じずに了承した。しかし部屋に入ってからそのまま立ち尽くしている彼に、徐々に異常を感じ始める。


「その……」

「うん、何?」

 視線の定まらない、明らかに挙動不審な相手に、天輝が僅かに目を細める。それを見た悠真は、意を決したように口を開いた。


「ええと……、政情不安とまでは言わないが、昨今は何かと物騒だ」

「……いきなり何?」

「いや、いきなりじゃなくて……、いつどんな時でも女性の一人歩きには、大なり小なり危険が伴うものだと思う。違うか?」

「………………ふぅん? それで?」

 妙な汗を流しながらの苦し紛れとしか思えない悠真の主張に、天輝は取り敢えず最後までは聞いてやろうと、素っ気なく続きを促す。


「それで、だな……。その……、天輝は既に社会人として活動しているわけだし、一人での外歩きを完全に回避できるわけがない」

「はいはい、お説誠にごもっともでございます。という事は、どういう事になるのかしら?」

「つまり、何か危険な事態に遭遇したら、これを使ってそれを回避できるように、常に持ち歩いて貰いたいんだ」

 天輝の皮肉を感じていないのか、はたまたスルーしているのか、悠真は無表情で手に提げていた灰色のビニール袋を差し出した。それを天輝は胡散臭そうに一瞥してから、一応断りを入れる。


「……取り出してみても良い?」

「勿論」

 問題のビニール袋を受け取り、中身を覗き込んで確認した天輝だったが、ここではっきりと怒りの表情を露にしながら悠真を睨み付けた。


「何……、これ?」

「塗料スプレー缶だ」

「それは見れば分かる。一応、聞くわね。これをどうやって使って、遭遇した危険を回避するわけ?」

「いや、あの……、それはだな……。その場で臨機応変に、襲ってきた不審者めがけて吹き掛けるとか……」

 しどろもどろになって弁解する悠真に対し、天輝は急に笑顔になって愛想よく頷いてみせる。


「ああ、うん。そうよね? 巷には、唐辛子成分入りの痴漢撃退スプレーとかが出回っているものね?」

「そうだな。そんな類の物だと思って貰えば」

「そんなわけないでしょうが!? 人を馬鹿にするのも、いい加減にしてよね!! どうしてペイントスプレーを持ち歩かなくちゃいけないのよ! 不自然極まりないから!!」

 悠真が安堵したのも束の間、天輝は手にしていた袋を放り出し、相手に組み付きながら般若の形相で怒鳴り付けた。その豹変ぶりに動揺しながらも、悠真は必死に彼女を宥めようとする。


「ちょ、ちょっと落ち着け、天輝!」

「落ち着けるかっ!! 一度目は白昼夢、二度目はもの凄い偶然、三度目は二度ある事は三度あると、こじつけにもほどがある解釈を捻り出して、なんとか自分自身を納得させていたっていうのに!? 絶対お兄ちゃんは、一連の事について何か知ってるのよね!? さあ、今ここで、洗いざらい吐け!!」

「分かった! 全部包み隠さず話すから!」

「当たり前よ! これ以上少しでも隠し事をする気なら、一切合切縁を切らせて貰うわっ!!」

 そんな修羅場に、突如新たな声が割り込んだ。


「すまないな、天輝。私達からもきちんと説明するから、取り敢えずその手を放してやってくれないか?」

「え? お父さん? お母さんもどうして……」

 天輝が慌てて背後を振り返ると、賢人がドアから部屋に入ってくるところであり、その背後で和枝が嘆かわしいと言わんばかりに息子を責めた。


「もう、悠真ったら。私も賢人さんも、伸也だって天輝に怪しまれずに持たせる事ができたのに。どうしてもっと上手に話を持っていって、納得させられないの?」

「どう考えても無理がありすぎるだろ!! 俺にどうしろって言うんだ!?」

「まさか……、お父さんとお母さんまで、本当にこの件に絡んでいるの?」

 そんなやり取りを聞いた天輝が愕然とすると、和枝が困り顔で宥める。


「とにかく、落ち着いて話をしましょう。下のリビングに来て。お茶を人数分用意しておくから」

「…………はい」

 そこで何とか冷静さを取り戻した天輝は悠真の服から手を離し、賢人に穏やかに促されながらリビングへと移動した。



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