(1)無沙汰は無事の便り
天輝が着替えを済ませてキッチンに入ると、既に母である桐生和枝が手際よく朝食の支度を始めていた。
「おはよう、お母さん。何をすれば良い?」
「おはよう、天輝。卵にはもう味を付けてあるから、焼いて人数分揃えてくれる? 私はお味噌汁を仕上げるわ」
「分かった」
天輝が温めた卵焼き器に卵液を流し入れて出汁巻き卵を焼き始めると、隣で味噌を鍋の中で溶き始めた和枝が思い出したように言い出す。
「そう言えば、海晴から天輝に連絡があった? 来月頭に帰って来るらしいわよ?」
「え? 何それ! 全然知らないけど!?」
卵をかき混ぜていた菜箸の動きを止めて天輝が勢い良く顔を向けると、その反応を予想していた和枝が苦笑いで応じる。
「海晴は私一人に知らせておけば全員に漏れなく伝わるから、手間が省けると考えているみたいね。最近はこのパターンが多いし」
「うもぅ! 実の姉をスルーして、お母さんだけに連絡ってどういう事よ!? 手間を省くにも程があるわよね!?」
本気で憤慨した天輝だったが、和枝は苦笑を深めただけだった。
「でも、私はちょっと嬉しいわ。血が繋がっていなくても、ちゃんと母親扱いしてくれているんだなと思って」
それを聞いた天輝が、反射的に神妙な顔付きと口調で謝罪の言葉を口にする。
「あ……。ええと……、その、ごめんなさい」
「あら、どうして天輝が謝るの?」
「だって……、両親が事故死した時に私が『お父さんとお母さんと違う名前になるなんて嫌だ』って我が儘を言ったせいで、結局私達はお父さん達と養子縁組をしないで、ずっと高梨姓を名乗っているし……」
子供であった当時はその気持ちに偽りは無かったものの、成長するにつれて保護者である桐生姓の両親に色々と煩わしい思いをさせたと察していた天輝は、ずっと心の中で申し訳なく思っていた。しかしそれを、和枝は明るく笑い飛ばす。
「そんな事、気にしないで良いのよ。あれからずっと一緒に暮らしてきたし、天輝も海晴も、私達の事はちゃんと『お父さん、お母さん』って呼んでくれているじゃない。……本当に、悠真がいい加減に甲斐性を見せてくれたら、天輝も桐生姓になるのにね」
何やら後半はボソボソと独り言のように呟かれた為、天輝は不思議そうに問い返す。
「お母さん? 最後の方が良く聞こえなかったんだけど、何て言ったの?」
「何でもないのよ。ちょっとした独り言。ところで天輝、卵が焦げそうだけど?」
「うわ、しまった! 海晴の話はまた後で!」
「ええ、お父さんと悠真にも伝えておかないといけないしね」
現状を指摘された天輝は、手を止めていた間にかなり固まってしまった卵液の処理に取りかかり、和枝はそんな娘を微笑ましく眺めてから、何事も無かったかのように朝食の支度を進めていった。
「いただきます」
予定された時間通りに、今現在桐生家を出ている桐生夫妻の次男である桐生伸也、天輝の妹である海晴の椅子は空いた状態で、その他の四脚の椅子に全員が座って朝食を食べ始めた。
「お父さん、悠真。朝起きたら、夜中に海晴からメールが届いていたの。良い写真が撮れたから、来月頭にこちらに帰って来るそうよ。伸也にも後で伝えておくわ」
それを聞いた家長である桐生賢人と長男の悠真は、諦めきった表情で応じる。
「そうか……。今回は三ヶ月強といった感じか? 鉄砲玉なのは相変わらずだな」
「そうだな。海晴はどこでもやっていけるタイプだから心配するのも飽きたが、少々自由過ぎると思う」
「お父さんもお兄ちゃんもそう思うわよね!? もう少しこまめに連絡を入れてくれても、バチは当たらないわよね!? もう本当に、こっちから電話しても全然繋がらないし、メールしても数日は返してこないし! 理由を聞いたら『撮影に夢中になっていて何日かスマホを触っていなかった』とか『電波が通じない奥地に入っていた』とか。世界中で使用可能だって宣伝しているモバイルルーターを使っている意味がないわよ!?」
ご飯茶碗を手にしながら盛大に文句を口にした天輝を見て、男二人は苦笑を深めながら彼女を宥めた。
「天輝、気持ちは分かるが落ち着け。『便りが無いのは良い便り』とも言うし」
「それだけ元気だって事だしな」
「それはそうなんだけどね……」
少々釈然としない思いを抱えながらも、それから天輝は他の家族と一緒に、海晴が戻ったら全員で食事に行こうかなどと話し合いながら食べ進めた。
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