第2部

第36話 地下世界の紅い女王

 あたり一面に、倒れたアバターの群れが転がっている。


 異様な光景だった。

 体力がゼロとなったアバターは、壊れたマネキンか何かのようだ。

 つい先ほどまでそれらが人間によって操作され、まるで本物のように「人生」を歩んでいたことが嘘のようにすら見える。


 少女はそれらを一瞥すると、嘲るように笑い、顔を上げた。

 その笑みは凶悪そのものだった。

 アバターは血を流すことはない。

 だが少女の禍々しい雰囲気は――身に着けた真紅のドレスが、実は返り血で染まった色なのでは、と錯覚するほどだった。


「――見事だ、『ノゾミ』。これで君こそが勝者……我々の切り札に相応しい」


 天井から、男の声。ノゾミと呼ばれた少女は不快そうに眉をひそめた。

 上から何か言われるのが、彼女はたいそう嫌いだった。


「別に。弱いやつらを転がしただけよ」

「ああ。それでいい」


 いま倒れている者たちは哀れだ。おそらくすぐにでも記憶を消されるか、BAN――この世界からの永久追放を食らうのだろう。


 BANなどという強権は、このゲームの「運営」のみが持つ権利だ。その上、仮に運営であってもみだりに使うことは許されない行為である。

 それでも彼らはBANされる。ここはそういう場所で、天井のスピーカーから話している男は、そういう身分だった。


 だがもはや、ノゾミにとってそれはどうでも良いことだった。


「――いつ」


 彼女は再び口を開いた。


「いつ『黒い閃光』と戦える?」

「約束はできない」


 男が答える。


「我々は『黒い閃光』を味方にしたい。彼が手に入らなかった場合……君を使う。そう伝えたはずだ」

「……味方になんてならないわよ、彼ら・・は」

「いったん、手は尽くす。その間、君は暇つぶしでもしていたまえ」


「暇つぶし?」

「表のアリーナでも蹂躙してくるといい。そのギフトならば、たやすい」

「――アリーナ、ね」


 ノゾミは遠い目をしてため息をついた。


「『不可視の天使インビジブル』のいないあそこに、何の意味があるの?」


 少女は苛立たしげに長い髪をかき上げる。


「いま勝ったって、歴代二位にしかなれないわ」

「……こだわるな」

「二番になるために戦うゲーマーが、どこにいるの?」


「とにかく、そのギフトにはもっと実戦テストが必要だ。アリーナはそのために使え」

「…………」


 ノゾミは一秒ほど黙った。しかしすぐにまた口を開いた。


「それなら――私が連れてくるわよ」

「何?」


「私がここに『黒い閃光』を連れてくる。そしたら彼と戦ってもいいでしょ」

「……壊すなよ。お前の勝ち方は相手の心を折ってしまう」

「そんなに強いの? 今の私」

「我々も技術屋だ。自信はある」

「――ふうん」


「わかった。連れてくるなら好きにしろ」

「ええ。そうするわ」


 彼女は真っ赤なドレスの裾をなびかせながら、広大な部屋の出口へ向かう。


 ――大丈夫だ。自分は何も間違えていない。


 自らに言い聞かせる。

 ここは私の世界だ。私にはここしかない。


 この〈キルタイム・オンライン〉は、私にとって最高の場所でなくてはならない。

 それを阻む者は、許さない。排除する。誰であろうと。

 もう後戻りはできない。する必要もない。


 扉に手をかける。後ろに転がる屍たちを振り返ることはしない。

 部屋を出る。深呼吸する。

 この、部屋を出るという行為すら、かつての彼女には、どうやっても出来なかった。


 ――だからここは、私の世界だ。

 ノゾミは前を向いたまま、つぶやいた。




「もうすぐ会えるわよ、エレナ」

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