第3話 『神の眼』と来訪者(1)

 俺は朝という時間があまり好きではない。

 もちろん単に眠いってのもあるが、他にも色んな理由がある。

 まず朝の仕事はめんどくさい。

 最初に店の掃除をするわけだが、狭いとはいえ一人でやるのは中々しんどい。

 うちの店は建物も、置いてるゲーム筐体も古いもんだから、拭き掃除してもどこか黄ばんだままで、綺麗になったのかどうかよくわからん。

 棚に飾ってあるささやかな数のトロフィーも、ほっとくとすぐに埃をかぶる。

 まあ過去の栄光なんてそんなもんかもしれない。

 置いとくだけじゃ何の役にも立ちやしないし、どんどん色あせて見栄えは悪くなる。

 過去に何があろうと、今の俺にできるのは掃除くらいだ。

 そして、そうやって淡々とした朝を過ごしていると、ふと思うわけだ。


 ――ああ、冴えないなあ。


 いやホント冴えなすぎてビックリする俺の日々。色でいえば灰色。

 リア充の人たちがどんな一日を過ごしてるのかは想像もつかないけど、グレーやセピア色じゃないだろう。もっとこう何かカラフルなんだろう。

 俺は朝、こうして掃除しながら考えるのだ。

 今日もきっと何もないだろう。

 何一つ心動くこともないまま、ただただ平淡に時間は過ぎて、昼になって夜になって。

 一日じゅう仕事しかしてないじゃんって気がついて。

 このまま寝てたまるかって、負け惜しみみたいにちょっとだけゲームして。

 寝る。

 そんな未来が見通せてしまう。朝の時点で感じてしまう。

 だから、俺は朝が憂鬱なのだろう。

 これはどうにもならない。なるもんじゃない。それが俺の人生なのである。

 ため息をつきながらモップを動かす。テキトーだ。前もよく見ちゃいない。

 が、それは良くなかった。カン、とモップの上部が何かに当たった。

 乾いた音を立てて何かが落ちてくる。次の瞬間、目の前が真っ暗になっていた。


「――おわぁっ!?」


 間抜けな声をあげて、視界を遮った物体を確認する。

 ……なるほど、バケツが落ちてきて頭にかぶさったワケね……。

 ハハハ。真っ暗だ。

 お先も今も真っ暗な、ただのゲームセンター店員。

 それがこの俺、神里柊の現状である。




 さて。そんな朝は終わり昼になる。

 この時間の店番は暇といえば暇だ。まだマシな時間といえる。

 たとえば客がいなければこんなこともできる。

 俺はタブレットの画面をタップする。


 ――画面の中で天使が踊る。


 純白の少女アバターは舞うように相手の攻撃をいなす。

 そして長い銀髪をなびかせ、流れるように相手の背後へ。

 スラリと長い脚が伸び、綺麗な回転蹴りが決まった。華麗な一撃KO。

 一連の動きは、目で追うことすらできないほどの神速。

 思わずつばを呑む。あんなふうに戦えたら、どんなにいいだろう。

 タブレットでK.T.Oキルタイムの試合動画を流しながら、俺は今日も適当に休憩していた。

 一時期は見るだけで泣きたくなるから避けていたK.T.Oキルタイムの動画だけど、視始めるとやはり面白くて、徐々に見るようになり……気づけばファンになっていた。

 悔しいけども、やっぱり戦神ストライカーって、いいもんなんだよ……。

 俺が今日も追うのは、K.T.Oキルタイム最速と言われる戦神ストライカー、『不可視の天使インビジブル』。

 ここしばらくは戦いに現れなくなったが、今でも俺は彼女こそが最強だと信じている。

 圧倒的なはやさ。美しすぎる戦い。あまりに完璧で、憧れずにはいられない。


「……あの」


 見入ってしまう。魅せられた、と言ってもいい。

 俺の視線は画面に釘付けだ。


「すみませーん」


 何しろ彼女は「アリーナ」でもナンバー1だったことがある戦神ストライカーだ。

 今では伝説の存在になってしまったが、復帰を望む声は多い。


「すみません、店員さーん?」


 もし彼女に会うことがあれば、是非とも聞きたいものだ。

 なぜ、急に姿を消してしまったのか――ん? なんか騒がしいな。


「……あの! 返事してもらえます!?」

「んあ?」


 顔を上げた俺は、思わず間抜けな声を出した。話しかけられていたらしい。


「す、み、ま、せ、ん。店員さんですよね?」

「ああ、はい」


 いかんいかん、完全に油断しきっていた。

 店員かと聞かれれば、ハイと答えるしかない。だって俺は店員なのだから。

 客を無視してタブレットでゲーム動画を見ていたが、店員なのである。

 ……後で店長かあちゃんに怒られる気がするなこれ。ごめん。


「ちょっと、聞きたいことがあるんですけど」

「お手洗いなら、あちらですが」

「……トイレじゃないですよ!」


 目の前の少女は顔を赤らめて身を乗り出した。顔が近い。

 そう、話しかけてきたのは少女だった。高校生くらいだろうか?

 整った顔立ちに長くて綺麗な髪。なぜか既視感を覚える。どこかで見たような……?

 いやいや、と思い直す。今まで生きてきて、こんな美人と会話したことなんてないだろ。


「私が聞きたいのは……! あの、ここに神里かみさとしゅうがいるって聞いたんですけど」


 少女は息をととのえて聞き直した。俺は二度びっくりした。

 目の前の美人が、いきなり俺の名前を呼んだからだ。


「えっ、俺?」

「そう、神里――ん? 『俺』?」

「俺」

「あなたが」


 少女がこちらに指をさす。俺も自分に指を向ける。そう。


「神里柊は、俺ですが……」

「えッ」


 美人は一歩うろたえた。なんだ。何かまずいの?


「うそ、こんなに若いの……?」

「そちらほど若くないと思うけど……」

「もっとこう、凄みとか……これがあの伝説的チャンピオン――?」

「チャンピオン……ああ、なるほど」


 その単語で俺は理解した。きっと噂を聞いてきたんだろうな。


「すみませんね、凄みとかなくて。ラーメン屋の親父みたいに、腕組みでもしてたらよかったでしょか?」

「べ、別にそういうことじゃないわよ。……まあ、大事なのは見た目じゃないわ」


 少女はウインクして指を立てた。さも重要なことを言うかのように、


「腕よ」

「え、やっぱ腕? 腕組みしたほうがいい?」

「その『腕』じゃなくて、ゲームの実力・・・・・・のことよっ!」


 彼女は髪を乱して声を荒げた。

 黙っていればクールなのに表情がころころ変わって面白い。


「……うん、まあ、そうですよね。わかってはいるんだ」

「ホントにわかってるの……?」

「俺の名前なんて、それ・・以外で知られるワケがないから……」


 そう。俺の人生にはひとつだけ「ほこりを被ったトロフィー」がある。

 俺……神里柊は、幼い頃から、親の経営するこのゲームセンターでずっと遊んでいた。

 最新ゲームであるK.T.Oキルタイムにこそ愛されなかったものの、旧来の各種ゲーム……シューティング、音ゲー、クレーン、そして特に格闘ゲームについてはかなり自信がある。

 そしてK.T.Oキルタイムに見放されて……やめてからは、さらに狂気的にのめり込んでいた。現実の何もかもを忘れるために。

 そのせいか……いくつかの大会で優勝し、賞金をもらうまでになったくらいだ。

 なので、こんなぼんやりした暮らしにもかかわらず、幸いあんまりお金には困ってない。

 それで、俺の実力はゲーマー界隈ではちょっと噂になっているらしい。

 K.T.Oキルタイムの流行で、どちらかというと今はもうレトロゲー扱いだけど。


「わざわざ探して来るなんてすごいですよね、マイナーゲーの優勝者なんて……」

「あなたが思ってる以上に、噂は大きいのよ?」

「へええ、なんか怖いなあ。それで……その神里柊へのご用件とは」

「ああ、そうそう。それよね」


 少女は少し髪を直すと、クールな笑みを取り戻し、まっすぐ俺を見た。


「……戦いにきたの」

「はい?」


 彼女がようやく告げた目的は、ちょっと意外だった。


「お、俺と……?」


 でも、俺がまぬけな声で聞き返しても彼女の顔は変わらなかった。


「そうよ。ゲーマーとしてのあなたに用があってきたんだもの」

「てっきりレトロゲー雑誌の取材かなんかかと」

「し、取材? ……しないわよ。私の目的はひとつ」


 少女はあらたまって言い直した。


「私と……一戦、お願いしたいの」

「えー……そ、そう。仕方ないなあ」


 俺はわずかに間を置いてうなずいた。

 そして目の前の少女――そういえばまだ名前も知らないな――とともに移動した。

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