最凶魔導師殿は、主夫生活を楽しんでいるようです
いぬがみクロ
第1話 拾われ魔法使い
1-1
――久しぶりの訪問者だ。長い間、同じ場所に縛りつけられたせいで、淀んだ空気が、歓喜している。はしゃぐように舞い出した風に、髪や服を乱されながら、一同は対峙していた。
巨大な城の地下に設けられた、なにもない殺風景な広場。石畳の床はでこぼこと傷みが激しいうえに埃が溜まっていて、相当の年月、足を踏み入れる者がいなかったことを物語っている。
睨み合う人々は、四対二だ。飛ばされそうになるとんがり帽子のつばを掴んで、多勢、つまり「四」の側の一人が、イライラと怒鳴った。
「さっむいわねえ!」
大声を張り上げた女は、魔法使いの証であるその大きな帽子がなければ、女優かモデルに間違われてもおかしくないほど美しかった。自身の美貌を意識しているのだろう、女は夜会用の上品なロングドレスを着て、踵の高い靴を履いている。確かに似合ってはいるが、場に相応しい格好とはいえない。
そう、荒涼たる
「だから言ったでしょう? ここは精霊の動きを活発にするために、室温は低く設定されているはずだと。腹巻と股引きは必須ですよと、あれほど念を押したじゃないですか。腰から下を冷やすなんて、女性としての自覚が足りませんよ」
真っ黒な口ひげを蓄えた壮年の紳士は、ドレスの裾のスリットからはみ出た女の長い足に目をやり、嘆かわしそうに首を振った。
女は唇を尖らせ、反論する。
「ハァ? 腹巻き? 股引? そんなだっさい格好してちゃ、失礼じゃない? だって相手はさあ、天下に名を轟かせた、あの『魔導師』様なんだから」
「いえ、あなたのその浮ついた衣装こそ、失礼でしょう。いいですか、世の中にはTPOというものが」
「お前ら、うるさい! 少し黙ってろ!」
紳士と女を怒鳴りつけたのは、「四人」側の先頭に立っていた青年だ。青く光るゴージャスな鎧に身を包み、頭には一際目立つ王冠のような兜をかぶっている。
青い鎧姿の青年は正面に向き直ると、腰の剣を抜いた。その切っ先を広場の奥、行き止まりの壁に向ける。剣を突きつけた先には、鎧姿の青年たちの敵が立っていた。
「彼」は、頭からすっぽり真っ黒なローブを被っている。背が高いことと、骨格から男だと性別だけは分かるが、それ以外の正体は不明だった。
「入口に獰猛なモンスターを放っておいたのに、よくここまで来られたものだ。褒めてやろう」
黒いローブの男は喉の奥で笑いながら、からかうように言った。
確かに男の言うとおり、この地下の広場に到着するまでには、激弱スライムから数だけは多いゴブリン、果てにはラスボス並に強力な一つ目巨人などが待ち構えていたのだ。そのほかにも落とし穴や、踏めば爆発する仕掛け床など、数々の凶悪な罠が仕掛けられており、それらを命からがら乗り越えて、青い鎧姿の青年たちはなんとかここまで辿り着いたのである。
「まったくさー、ほんっとギリギリだよ。勇者なんて、二回くらい死にかけてたし」
「ぐ」
近くに立っていた仲間の少年にしみじみと言われ、青い鎧姿の青年は気まずそうに黙った。
ちなみに青い鎧姿の青年御一行様の面子は、青年のほかに、たった今口を挟んだ少年、とんがり帽子のドレスの女、そして口ひげの紳士。以上、四名である。
対するのは、黒いローブの男と、彼の背後でフーッと威嚇の声を上げている獣人の少女。以上、二名である。
「勇者様に、私の回復呪文がよく効いて良かった。感謝して欲しいものですね」
「侮ってもらっては困るな! あれくらいのモンスターを倒すのは、朝飯前だ! 俺は尊き血を受け継ぐ、勇者なのだからな!」
口ひげの紳士が恩着せがましく言うと、青い鎧姿の青年改め――「勇者」は喚き、その声の勢いのまま強引に論点をズラした。
勇者は胸を張っているが、それが虚勢であるということは、仲間たちの能面のような顔つきを見れば明らかだ。
「腰抜かしたところに、脳天に一発もらって、のびてたくせに……。よくもまあ偉そうに、あんなことが言えるわね」
「それも資質のひとつですよ。たったレベル一の大ねずみに勝っても、まるでドラゴンを倒したかのように大げさに盛って、喧伝する。そういった恥知らずなことを臆面もなくやってのける者こそが、真の勇者になれるのです」
「~~~お前ら、本当に頼むから、黙っててください!」
勇者は仲間たちを振り向き、涙ながらに頼み込んだ。その哀れな姿を見て、黒いローブの男は同情的な口調になる。
「いや、なんだ、その……。無理はするな……。命はひとつしかないんだからな」
「これはこれは、お気遣い痛み入ります」
勇者一行を代表して、口ひげの紳士がぺこりと頭を下げる。しかし勇者は黒いローブの男を睨み、吠えた。
「優しくしないでよッ!!!! だいたい誰のせいで、こんなところに来る羽目になったと思ってるんだ!」
一同が会するこの広場は、陽の差さぬ地下深くにあるために暗い。しかしそれでも入り口から奥までを見通すことができるのは、壁沿いに一定の間隔でぎっしり設置された、松明のおかげだろう。ただしそれらの松明が戴くのは、炎ではない。目を凝らせば、松明の先端に埋め込まれた宝石と、光りながら宝石の周りを飛ぶ、羽虫のようなものが見えるはずだ。
その「羽虫のようなもの」を、人は「精霊」と呼ぶ。
精霊は薬草や鉱物等々から作り出される人工の生きもので、彼らを制御し、使役する魔法のことを、「精霊魔法」という。
精霊魔法は、この世界に伝わる魔法の中では最もポピュラーで、かつ強力なものだ。例えば、広場の中央にある噴水が澄んだ水を湧かし続けることができるのも、精霊たちに守護されているおかげである。
この地下の広場で働く精霊の数は、数百、いや数千だろうか。いずれも元気で新鮮、ピッチピチである。大もとの城からして、もう何百年も人の手は入っていないはずだが、精霊たちがこれだけ良好な状態を保っていられるのは、その昔この地に注がれた魔力がそれだけ強く、膨大な量だからだろう。並の術者では絶対に不可能だ。
――その事実こそが、この城の主が何者なのかを、如実に表している。
「俺はなあ! こんなところには、来たくなかったんだ! 魔王が消えたあともその権威を見せつける、忌々しい城……! 『真紅城』なんかには!」
そう怒鳴った勇者の声色には、怒りと怯えが滲んでいた。
――ここは「真紅城」。そしてこの城の主は、かつて世界を恐怖と暴力で支配した魔王、その人であった。
「さあ、観念しろ! 黒き魔導師! お前の悪しき企みもここまでだ! 魔王の復活など、絶対に許さないぞ!」
青き鎧を纏った勇者は、剣を構えたまま、声高々に断じた。
勇者とは、魔王と互角に戦える唯一の人間である。ちなみに彼が連れて来た三人の仲間の職業は、少年が盗賊、ドレスを着た美女が魔法使い、口ひげの紳士が僧侶だ。実にオーソドックスな編成だが、これはリーダーである勇者が奇をてらうより確実性を取る、生真面目な性格だからだろう。
平均年齢二十七歳の勇者ご一行様は、皆優秀な各道のエキスパートだった。本来であれば彼らの「メルセデス」だとか「グーテンモルゲン」だとか、そういったカッコ良くも長ったらしい名前も発表したいところだが、ここではどうでもいいので次の機会に譲ることにする。
「お前がどれだけ強かろうと! 四人相手に勝てると思うか!? しかもなー、めっちゃお金使って、優秀な人材を集めてきたんだぞ!」
「さて、どうだろうな……」
勝ち誇る勇者に対し、黒いローブの男は淡々と応じた。
さて、「夜」ときたら「朝」、「風」ときたら「谷」。そして、「魔王」ときたら「勇者」である。
しかし今、勇者と相対しているこの黒のローブの男は、勇者の対となるべき「魔王」ではなかった。
男の正体は、魔法使いだ。
しかしただの魔法使いと侮るなかれ、彼の魔力は強く、魔王亡き今、この世界では最強と言っていいほどである。
そしてこの黒のローブの男は、この物語の主人公だ。よって名前を明らかにしておく。
彼の名は、「イズー」だ。良ければ覚えておいて欲しい。
イズーの後ろでは小柄な少女が、今か今かと勇者たちに飛び掛かるタイミングをはかっている。頭の上には猫のような大きな耳が、尻からは長い尻尾が垂れている彼女は、獣人の娘だ。
「イズー様! こいつら、殺っちゃっていいですか!?」
牙を剥き出して唸る少女を、イズーは冷たく諌めた。
「やりたいならやればいいが、勇者様がさっき仰ったとおり、四対一だ。お前に勝ち目はないぞ」
「えっ……。イズー様は加勢してくださらないんですか?」
「なんで俺が、お前のケンカの手伝いをしなければならんのだ」
「うう……」
獣人の娘はしょんぼりとうなだれてしまった。
「あきらめろ、イズー! まったく、ずーっと封印されていた『
勇者のお定まりの説得を、イズーは鼻で笑った。
「太平の世」。それは、選ばれた一部の者のみが享受している幸福に過ぎないのに。
「もう遅い。封印は解かれた」
イズーが黒い袖で覆われた腕を勢い良く払うと、次の瞬間、広場の壁全体が輝き出した。
「なっ、なんだ!?」
人々の体を閃光が貫く。松明を守護し、灯りの代わりを果たしていた精霊たちが一斉に膨らみ出したかと思うと、ほんの羽虫程度だった彼らの大きさは、
「ま、まぶしい……! 目が、い、痛い……!」
パンパンに丸く膨張した精霊たちは思い思いの色に発光し、広場を虹色に染めた。突然の光の氾濫に目がくらみ、勇者たちが狼狽している隙に、イズーは何やら聞き慣れぬ呪文を詠唱し始める。
「それ……! まさか、失伝魔法!? ありとあらゆる封印を解くという、数百年前に絶えた強制解呪呪文……!」
勇者一行の紅一点である魔法使いが、興奮混じりに叫ぶ。
イズーは常人の数倍も早く呪文を唱え終えると、その唇をにんまりと歪ませた。
「そのとおり。一節を残して失われた、太古の魔法のひとつだ」
「古文書を解読できたの!? ああっ、くそっ! メモっておけば良かった! 本にでもすれば、めっちゃ金になったのにい!」
女魔法使いはドレスの裾が乱れるのも構わず、悔しそうに地団駄を踏んだ。
「ふふふ、さて……」
「なっ、なんだあれは!?」
余裕をもって微笑むイズーの、頭より少し高い位置の壁から、なにやら取っ手のようなものがにょっきりと伸びてくる。イズーはそれを掴むと、素早くガチャガチャと動かし始めた。
「上上下下左右左右……」
「まずい……!」
勇者は慌てて魔力を帯びた剣を振るが、刃から発せられた波動は、精霊たちが放つ色とりどりの光にかき消されてしまった。
「無駄だ。この城の精霊たちは、既に俺の支配下にある」
「くっ……!」
広場の空気が急に敵意で満ちたように感じられて、勇者たちはぞっと背筋を寒くした。
ところで勇者の台詞にあったとおり、この広場には「開扉の間」という名がついている。
「開扉」。しかし目立った扉など見当たらず、ただのだだっ広い空きスペースに過ぎないここが、なぜそのように呼ばれるのか?
――その答えを、イズーが示す。
「現れたぞ……! 『扉』だ!」
イズーの背後は、突如現れた謎の取っ手ごと消え失せている。壁であった部分にはその代わり、ぽっかりと果ての見えない闇が広がっていた。
「ははは! 見送りご苦労! 俺は異界へ、魔王を迎えに行く! そして戻ってきた暁には全てを破壊し、新世界を創造するのだ! せいぜい怯えて、待っているがいい!」
高らかな哄笑と共に、イズーは後ろへと足を滑らせた。
「待て……!」
勇者が急いで駆け寄るが、しかしほんのわずかな差で、イズーは背後の暗闇に身を投じてしまった。
「あっ……!?」
指の先でイズーが掻き消えるのと同時に、暗闇も閉じる。――勇者の眼前は、先ほどまでと同じ石壁に塞がれていた。
「なんだと……!?」
いくら壁を叩こうとも、知る限りの呪文を唱えようとも、なんの反応もない。
――「魔導師」と呼ばれた男、イズーは、こうして「開扉の間」に封印されていた扉を開き、異世界へ旅立っていった。
徐々に精霊たちの放つ光も収束していく。彼らはやがて元の小さな姿に戻ると、広場をぼんやり照らすという、いつもの職務に復帰した。
――なにもかも元どおりで、つい先程のことが嘘のようだ。
静寂が耳を打つ。
「くそっ……! くそおおおおお!」
勇者は剣を投げ捨て、薄暗い天井に向かって絶叫した。
「ご主人様あ……」
イズーは、従者である半獣の少女を連れて行かなかったようだ。
置いてけぼりになってしまった少女は、主の消えた場所にそびえ立つ石壁に触れ、心細げに「にゃあ」と鳴いた。
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