7-2
駅の近くにあるカフェは、遅い時刻になっても賑わっていた。自動ドアのガラスから漏れる明かりが、夕闇の中、誘うようにぼんやり輝く。前を通る幾人かは、光に吸い寄せられる羽虫のように、店内へと足を踏み入れ――そして、奇妙な先客に瞠目するのだった。
「遅くに、すみませんでしたね。最近ちょっと仕事が忙しくて」
「別に構わない。今日は風吹も飲んでくるから、夕飯はいらないと言っていたし」
そのカフェでは、家路途中の休憩を楽しんでいるとは思えない男が二人、向かい合って座っていた。スキンヘッドの男の前にはホットコーヒーが、銀髪の男の前には生クリームがたっぷり盛られたフローズンドリンクが、それぞれ置かれている。
――幻燈と、イズーだ。
「ほら、これだ」
相変わらず持ち運びに使っているらしいレジ袋をガサガサといわせて、イズーは紙の束を出した。
「ほほー。これは素晴らしいですね」
幻燈に褒められて、イズーは得意気に胸を反らした。
「そうだろう、そうだろう。お前に言われたとおり、ちゃんとした紙を使ったしな」
イズーが寄越した紙、その一枚一枚は、彼が作った霊験あらたかな御札である。
幻燈は満足気に頷きながら、検分していった。
「ん……?」
イズーの御札には、特殊な効能を帯びた「福文字」がしたためられている。しかし、それだけではない――福文字の持つ魔力を上回るなにかを感じて、幻燈は顔を上げた。
「これはもしかして、八百万の神の力を借りたのですか?」
「分かるか? そのとおりだ」
「……!」
こともなげに言われて、幻燈は束の間、言葉を失った。
「そうですか……」
八百万の神々の力を、御札に利用する。方法に心当たりはあったが、それはあまりに非人道的な行いだ。だから幻燈は、あえてそれ以上聞かなかった。
気持ち良く金を稼ぎたいなら、目を閉じ、耳を塞ぎ、結果だけを享受する。それが一番である。
ともかくイズーから納められた御札は、いずれも文句のない仕上がりだった。これらを幻燈が運営しているWEBサイトを通じ、売るのである。
取り扱う御札の種類は、健康祈願に、交通安全。学業成就に、それから――。
「えーと、これは……」
幻燈が見覚えのない福文字の書かれた赤い札を、首をひねりながら眺めていると、イズーは口元に手を添え、こそこそと囁いた。
「『精力増強』。それな、すっごい効くぞ。効き過ぎるぞ。だから、年寄りには売らないほうがいいかもしれない。終わったあと、反動でポックリ逝ってしまうかもしれないからな」
「あ」
――そうか、これが火の神の力が宿る、精力増強の御札か。
その効き目といったら、大したものだ。つい「知っています」と言いそうになって、幻燈は慌てて口を閉じた。
幻燈はイズーが暮らす部屋の各所に、監視のための道具を仕掛けている。だからこの精力増強の御札のせいで、イズーたちになにが起こったのかも把握していた。――ただし、彼と風吹がアレな行為に及ぶ際は、各種監視用機具の電源はオフにしていることを、幻燈の名誉のためつけ加えておく。
「どれも見事な出来栄えです。お疲れさまでした。これはきっと売れますよ。楽しみにしていてください」
確認が終わると、幻燈は受け取った御札を、持参した革製の書類ケースに丁寧にしまった。
「今回は適当に色々作ってみたが、人気があるのはどんなものなんだ? 札以外でもいいぞ」
「実はですね、こういった分野で好まれるのは、
「藁人形? ヒトガタを使った呪術か?」
「ええ、そうです。真夜中、木に藁人形を五寸釘で打ちつけて……」
こちらの世界――特に日本で広く知られた呪いの技法を、幻燈は手短に説明した。
人が人を呪う。聖職者からすれば、嘆かわしい事柄なのだろう。幻燈の口調は重く沈んでいたが、それとは対照的にイズーは瞳を輝かせた。
「なかなか楽しそうだな。素人に使わせるとなると調整が面倒だが、作ってやろうか? 『一日三回釘を打つだけで憎い相手を殺せる、お手軽藁人形セット』なんてどうだ?」
幻燈は口をへの字に曲げ、首を振った。
「やめておきましょう。あなたが作ると威力があり過ぎて、この国の人口が著しく減少しそうです」
「そんなに憎み、憎まれている人間がいるのか?」
不満そうな表情からして、イズーは呪殺キットの開発に未練があるようだ。このままでは国家存亡の危機である。幻燈はさっさと話題を変えた。
「もう一つ人気があるのが、アンチエイジング。若返りですね。これは男女問わず、関心が高いですよ。そういえばあなたたち魔法使いは、不老不死について、盛んに研究なさっていましたよね。実際のところ、どうなんですか? そういったことは可能なんですか?」
「完全ではないが、それに近いことはできる」
「へー、そうなんですか。どのようにすれば一生若く、死なずにいられるんです?」
質問を重ねる幻燈に、しかし熱意は感じられなかった。彼はさほど若さを保つことや、そもそも生自体にも、執着しない質なのだろう。
「精霊をな――ただの精霊じゃなくて、とびきり優秀なやつを、体内にたくさん飼うんだ。そうすれば、宿主たる人間の成長は遅くなり、寿命も長くなる」
溶け始めたクリームをスプーンで掬いながら答える、イズーのほうもあっさりしたものだった。
歳を取ることなく、死なない。そんな人類の夢も、幻燈とイズーの二人にとっては、たいして興味を惹かれるものではないらしい。
「なるほど。精霊が生命活動の代行をしてくれるおかげで、その分、老化が抑えられるわけですか。確かに人は息を吸うというような些細なことをしただけでも、歳を取るっていいますもんね」
しかし精霊を人体に宿らせるなんて、よっぽどの力を持つ魔法使いでなければできない荒業である。
そういえばイズーはいくつかの優れた精霊たちを、身の内に取り込んでいたそうだが。
幻燈はイズーをじろじろと眺め回した。
イズーの実年齢は二十代半ばのはずだが、意識して見てみれば、肌は赤ん坊のように潤い、滑らかだ。白銀に輝く髪にも艷があって、量もある。そう、フサフサだ……。
「……………………」
つるりと剃った自身の頭を撫でながら、幻燈の目つきは鋭く、冷ややかになった。
――やっぱり、この魔導師殿のことは好きになれない。
「だからな、相当強力な精霊に身を守らせれば、数百年、時を止めることも可能だろう。ただし俺は、そこまでの精霊を見つけることはできなかったが」
「あなたほどの人が発見できなかったのならば、そのような精霊は存在しないということでは?」
「はは、そうかもな」
会話が途切れると、しばらく間が空いた。魔法の話などしたせいで、お互い元いた世界について思いを馳せているのだろう。ややあって、イズーが切り出した。
「幻燈。お前はもう元の世界に戻れないと言ってたが、俺が送ってやろうか?」
「え?」
「いや、なんか、心残りがありそうだったから……」
以前、やはりこの店で会ったときに、幻燈は言った。「異界の扉」を呼び出すことができなくなった、と。つまり彼はもう、自力では元の世界に戻ることができないのだ。
イズーは明日、「絶対零度の死神」なる者を、あちら側へ送ることになっている。そのついでと言ってはなんだが、幻燈たちも一緒に帰ってはどうかと思ったのだ。
「ありがとうございます。でも、遠慮しておきます。あなたのお気遣いは、とてもありがたいのですが」
「いいのか?」
「ええ。残してきた家族が気がかりではあるんですが、今はこちらの世界のほうが住みやすいですし。今度はこっちに戻れなくなったら困ります」
――それに。
微笑む幻燈の目は、しかし笑っていない。
――それに私たちには、こちらの世界に残って、やらなければいけないことがある。
それはほかでもない魔導師イズーと初めてまみえたとき、魔王の住処「真紅城」で見つけた書物に端を発する。
その書物は、歴代の魔王についてまとめたものだった。著者は過去の魔王の側近をつとめ、更に予言者でもあった人物である。だから当然のように、未来のことについても記述があった。
書物の内容を精査してみれば、書かれていた予言と実際では、七割から八割ほどの一致を見た。幻燈の妻であり、占いの専門家であるクララが言うには、これはかなり高い正解率だそうだ。
そしてその書物には、これから先起こることとして、次のように書かれていたのである。
『故郷より旅立った魔の眷属が、異世界で眠りについた魔王を目覚めさせる。覚醒した魔王は異世界を滅ぼし、その血塗られた武功を手土産にして、帰還するだろう。指輪が、新たなる魔王の誕生を導くのだ』
「魔王を目覚めさせる、魔の眷属」。それはイズーのことだと、幻燈は解釈している。
そして書物は、こう締めくくられている。
『かの王により、全ての人の子は生命を断たれ、以降復活はしない』
二つの世界を壊し、人間を根絶やしにする。そのような魔王の暴挙を、決して許すわけにはいかない。
本来ならば、魔王と戦うべきは、勇者なのだろう。だが勇者は「異界の扉」をくぐったのち、行方不明になっている。もしかしたらこちらの世界で、迷子になっているのかもしれない。神が作ったとされる「異界の扉」は、人の自由になるほど従順な道具ではないため、どこに飛ばされるか、いまいち分からないのだ。だから幻燈と妻のクララは、勇者の代わりにこの地に留まり、魔王の蛮行を食い止めると決意した。
――それにしても。
幻燈はカップを持つと、口髭を濡らさないように、器用に中身を飲んだ。
予想外だったのは、イズーだ。彼がこの世界に現れたのち、真っ先に魔王のところへ行ってくれれば、話はてっとり早く済んだのに。
そもそもイズーが、ここにいる理由はなんだ?
「あなたはいったい『異界の扉』に、なにを願ったんですか?」
疑問に耐えかねた幻燈が尋ねると、イズーは頬をポッと乙女のように赤らめ、もじもじと身を捩った。
「それはあ、簡単に言えばあ……。『運命の人に会いたい』って感じかなあ」
「……………………」
神職に就いてから幾年月。幻燈は初めて人に殺意を持った。目の前の男の仕草、表情、声色。全てに苛立ち、近くにあったストローの空袋を投げつける。錫杖がなかったのは、幸いだった。もしあったならば、間違いなくそれで力いっぱい殴りつけていただろう。聖職者が、殺人未遂で捕まるところであった。
「いてっ! なにするんだ!」
賑やかな店内では、最強の魔法使いの放った悲鳴も目立つことなく、すっと周囲に溶けていった。
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