番外編6

「作ってる俺が言うのもなんだが、こんな怪しげなものを、高い金出して買ってくれる奴なんているのか?」

「売り方というものがあるんですよ」


 大手チェーン系列のとあるカフェにて、ペラペラの紙切れを手に密談を交わしている、男二人がいる。そしてそんな彼らを、ことさら熱心に見守る瞳があった。

 男たちの席から少し離れたレジカウンターの内側に立ち、その女は彼らを観察している。二十二歳のアルバイト店員、E子である。


 ――かっこいいな~。二人とも俳優さんかしら。


 浅黒い肌をした男性のほうは、この店で何度か見掛けたことがある。背がとても高く、常人離れした麗しい顔だちの彼を、女ならば忘れようと思っても忘れられるものではないだろう。

 彼は一ヶ月ほど前からこの店に来るようになり、いつも生クリームがたっぷり乗ったフローズンドリンクを頼む。たいていは綺麗な――だが意地悪く言えば、少々年増の女性と一緒だった。

 もう一人のスキンヘッドの男性は、初めて見る。三十代半ばだろう彼も、なかなか整った容姿をしていた。がっしりした体つきと、口髭が特徴的だ。

 二人の男たちはかなり人目を引く。平日の昼下がりとはいえ、夏休みだからいつもより多い客たちは、ほとんどが彼らを気にしている。E子もそのうちの一人だった。


 ――なにを話してるんだろう?


 男たちはごく普通に歓談している。残念ながら話の内容は、E子のところまでは届かなかった。


「注文いいですか?」


 二人組にうつつを抜かしていたせいで、目の前に客が立ったのに気づかなかった。少し苛立った声を掛けられて、E子は我に返った。


「あ、はい」

「……アイスコーヒー。Sで」


 じろりと睨んでくるその女性客は、スーツ姿だった。提げているカバンの開きっぱなしの口から、ぎっしり詰まったファイルや書類が見える。いかにもキャリアウーマンといった風だ。


「はい。アイスコーヒー、Sですね。店内でお召し上がりですか?」


 胸がちくりと痛むのを感じながら、E子は注文を受けた。





 思えば、空回りばかりの人生だった。E子はことあるごとにそう振り返る。

 頭もさほど良くなく、運動神経もそこそこ。そんな彼女の最終学歴は、三流大学の文系学部である。

 必死に頑張ったものの就職活動はうまくいかず、結局どこからも採用をもらえないまま、大学を卒業してしまった。現在はバイトをしながら就活を続ける、就職浪人の身の上である。

 実家暮らしだから、食うには困らない。しかし親からは「早く定職に就け」とせっつかれ、兄弟からも馬鹿にされ、形見の狭い毎日を送っている。

 そんなE子でも、つき合っている男性はいる。相手は大学で一緒のサークルだった、同学年の男だ。しかしあちらは無事正社員の職を得て、そのせいで最近はすれ違い気味だった。

「新しく覚えることがいっぱいで、忙しいんだ」とは彼の弁だが、それは嘘だ。実は就職先に好みの女の子がおり、彼女へのアタックに余念がないという情報も、E子はしっかり掴んでいる。


 ――私なんてこのまま仕事も決まらないで、彼氏にも振られ、あっちこっちをフラフラして、枯れていくんだ……。


 先の見えない不安に取り憑かれ、E子の心は荒む一方だった。





 オーダーが途切れたタイミングで、E子は客席の清掃に向かった。

 あの目立つ二人組は、つい先ほど店を出て行ったばかりだ。彼らが座っていた席を改めれば、カップ類は下げられていたものの、机の上には紙が散らかったままだった。忘れ物かと思ってよく見れば、チラシの裏などに書き殴られた、ただの落書きだった。捨ててしまって問題ないだろうが、そこに書かれていた奇妙な図形だか文字だかになぜか惹かれて、E子は何枚かを制服のポケットに押し込んだ。

 どうしてそんなことをしたのか。どうしてそんなゴミにこだわったのか。E子自身にもよく分からなかった。


 二人組のうち、スキンヘッドの男が再び来店したのは、閉店間際のことだった。

 男は「昼間ここに忘れ物をした」と言い、E子はすぐあの紙のことだと分かった。しかし大半は捨ててしまったし、抜き取ったわずかな分も更衣室に移してしまったから、取りに行くのも面倒だ。

 結局E子は、「それらしきものはありませんでした」と答えた。


「そうですか……。あれはとても価値のある、スピリチュアルグッズの試作品だったのですが……」

「スピリチュアルグッズ?」

「いえ、なんでもありません……」


 残念そうに肩を落とす男を見て、E子は少々申し訳ない気持ちになった。しかし一度言ってしまったことを引っ込めるのは不自然だし、なにより閉店時間が迫っている。下手に世話を焼いたり、話を長引かせたりして、帰るのが遅くなるのは嫌だった。

 男は諦めたらしく、礼を言って帰っていった。


 ――E子の運命が変わったのは、このときからだ。


 バイトの帰りにスマートフォンを確認すれば、この間採用試験を受けた会社から、一次試験合格の通知が届いていた。

 家に着くと、ほったらかしにされていた彼氏から、数週間ぶりに連絡があった。

 そのうえ、どれだけケアしても居座り続けていた顎ニキビが、綺麗さっぱり消えていた。一週間もの間、苦しめられていた頑固な便秘も、なぜか解消した。

 珍しく、いいことが続く。

 ふと思い立ち、E子は自分の部屋で、バイト先で拾ったあの紙を取り出してみた。チラシやカレンダーの裏にボールペンで、図形のような文字のようななにかが書かれている。意図も意味もさっぱり分からないが、それを見詰めていると、力が湧いてくるような気がした。


 ――もしかしたら、これのおかげ?


 スキンヘッドに口髭の男が言った、「スピリチュアルグッズ」という言葉が、ずっと頭に引っかかっていたのだ。

 普通ならば、こんな貧相な落書きが幸運をもたらしてくれるなんて、あり得ないと思うだろう。

 しかしE子は、男の言葉をすんなり信じてしまった。

 精神的に追い詰められていたせいで、暗く沈んだ今の状態から浮上できるならば、なんにでも縋りつきたい心境だったのだ。

 E子は紙のシワを伸ばし、クリアケースに入れると、机の引き出しに大切にしまった。

 ――その後も、E子の快進撃は止まらなかった。

 受ける会社受ける会社、全てが順調に一次試験、二次試験、最終面接へと進む。

 友人に誘われた合コンになんとなく出てみれば、一流企業に勤めるイケメン会社員と親しくなった。そうなってみると、取り立てて良いところがあるわけでもない彼氏を引き留めているのもバカバカしくなって、毎日送っていた彼へのメッセージもやめてしまった。その後、危機感を覚えたらしい彼氏が、急にまめに連絡を寄越すようになったのは笑えた。しかしE子は驚くほど冷淡に、彼を振った。

 女は一度冷めてしまえば、それまでなのだ。

 その頃にはバイト先で手に入れたあの不思議な紙は、新品の豪華なフォトフレームに収まり、机の上に飾られるようにまでなっていた。たいした出世ぶりである。

 しかしそんな降って湧いたような幸運は、長続きしないものだ。

 E子が「変化」に気づいたのは、第一希望の会社の最終面接を五日後に控えた、ある晩のことだった。


 ――薄くなってる……!?


 飾るだけでは飽き足らず、菓子や花を供えるまでに至ったあの紙に書かれていた文字が、今にも消えそうに薄くなっていたのだ。

 E子は翌日、心ここにあらずの状態で、カフェでのバイトに臨んだ。

 気もそぞろだったせいか失敗続きで、その日は叱られてばかりだった。

 しかしE子からすれば、それすらも、あの紙に宿っていた神秘の力がなくなりかけているからだと、そう思えてならなかった。


 ――あの文字が消えてしまったら、どうなるんだろう……?


 そんなの決まっている。元に戻るだけだ。

 たいしたことのない男を捕まえ、必死に媚びつつ、バイトでなんとか食い繋ぐ。底辺の、冴えない暮らしに戻るだけ。


 ――そんなの嫌だ!


 なにをやってもうまくいく。甘い蜜を吸ってしまった今となっては、過去のあんな味気ない、灰色の生活には戻りたくない。


 ――それくらいなら、死んだほうがマシだ……!


 発作的に店を飛び出そうとしたE子の前に、見覚えのある客が現れた。


「ホットコーヒーをください」


 口髭の似合う整った顔に穏やかな笑みを浮かべて、男はオーダーを寄越した。

「地獄に仏」とはこのことだろう。E子は我を忘れ、男のたくましい腕を力いっぱい掴んだ。


「お願い、助けて! 助けてください……!」


 男は驚くこともなく、ただ微笑んでいる。





 その日の夜、E子は男が教えてくれたURLを、スマートフォンに打ち込んだ。

 ほどなく画面に表示されたのは、「幻燈堂」という店のサイトだった。飾り気のない地味なトップ画面から、男から言われたとおり、通販の案内が書かれているページへと進む。


「あった……!」


 取り扱い商品のサンプル写真を見て、E子は安堵のあまり泣きそうになった。そこにはまさしく、毎日ありがたく拝んでいた、あの奇妙な文字が書かれた紙と同じものがあったのだ。

「開運の御札」との説明書きが添えられているそれは、ただし机の上に飾っていたものとは比べものにならないくらい、豪華な装飾がなされていた。

 値段は五万円。送料、消費税は別とのことだ。

 安い。E子はそう思った。

 早速申し込みフォームを開き、必要な情報を入力すると、備考欄につけ加えた。


『速達で送ってください。その分の送料も負担します。なるべく早くお願いします。私はこの御札がなければ、もう生きていけません』









 カフェの、見慣れた顔の店員が一人減っていることを確認して、幻燈は薄く笑った。

 素晴らしいことだ。自分の店で扱っている品物が、確かな効能を示したのだから。


 ――そう、とてもいいことだ……。


 幻燈の前では、イズーが呑気にお気に入りのドリンクを啜っている。


「魔導師殿。あなたの御札、売れ行きは好調のようですよ」

「ふーん」


 どうでもいいという風に、イズーは気のない返事をする。

 生きていくのに金は必要。それは分かっているらしいが、欲はない。不思議な男である。

 だからこそ幻燈は、イズーを憎みきれないのかもしれない。恐ろしい存在だとの認識は、持っているのだが。


「物を売る際は、いかにリピーターを増やすかが大事なんですよねー」

「ふーん」


 幻燈は湯気の立つコーヒーに、クリームを落とした。スプーンでかき混ぜてやれば、カップの中で黒く輝いていた表面は濁っていった。




~ 終 ~




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