2-2
昔つき合いのあった貴族は、小動物をこよなく愛していた。しかしその貴族が寵愛する生き物は、イズーが彼の豪邸を訪れるたびに顔ぶれが変わったものだ。
最初は犬、次は猫。その次はウサギ、小鳥、カメ、ヘビ……。
「可愛いでしょう? この子を手に入れるのには、大変な苦労をしましてね……」
生まれてこのかた働いたことがなく、故に傷ひとつない白い手で、貴族の男は新たに飼い始めた動物の頭をねっとりと撫でていた。腕に抱くそれが、いかに高価で希少な生き物であるか。血統の良さ、体の模様が珍しいとか。貴族の男が得意げにする、そんな冗漫な説明には微塵も興味が湧かないから、ほぼ全てを聞き流し、イズーは尋ねた。
「前に飼っていたあれは、どこへやった?」
貴族はいつもこともなげに答える。
「知り合いに譲った」、「食べた」、「野に放った」。
回答パターンに微小な差はあったものの、あれほど熱心に世話をしていた生き物に対し一切の興味を失っている様子は、いつも同じだった。新しい愛玩動物を手に入れたとき、直前まで飼っていた生き物は、彼の中で古びたおもちゃに成り下がるのだろう。
――残酷なほど移り気で、無責任。
新しいペットの自慢を続ける貴族の、あの高慢な顔を、イズーは久しぶりに思い出した。
――まさか、風吹も……?
そうだったら、どうしよう……。
「じゃあ、行ってきます」
昨日から不機嫌なイズーの顔色を窺うようにして、風吹は出社していった。
「……………………」
朝起きてからずっと仏頂面で、イズーは居間のソファに座っている。ガラスでできたローテーブルの端に、律儀に置かれた「本日のお小遣い」――千円札を掴むと、イズーはハーフパンツのポケットに乱暴にねじ込んだ。
ツンツンとむくれたままの彼を、風吹は家を出る直前まで悲しそうに見詰めていた。風吹のあの顔を思い出すと、イズーの胸はズキズキ痛む。
おとなげないのは分かっている。だがどうしても頭にくるのだ。愛しい女に、ペットだと思われているなんて――。
「あ」
毎日楽しみにしているドラマが始まる時間だ。イズーはテレビを点けた。
画面では、二人の少女が言い争っている。主人公と、その親友だ。この親友というのが困ったタイプで、惚れやすく、いつも異性関係でいらぬ苦労をしているのだった。
今回もまた碌でもない男に引っかかった親友を、主人公は必死で説得している。
「あんな男のどこがいいの! あなたは利用されてるのよ! 骨の髄までしゃぶり尽くされてから、泡のお風呂の出汁にされて、終わりなんだから!」
朝からなかなかハードな台詞が飛び出すが、しかしそのとおりだとイズーは膝を打つ。職もない能もない、ただ金をせびり、気まぐれに自分の体を弄ぶだけの男のどこがいいのか。ドラマの中の、架空の人物の欠点を並べ立てたところで、イズーの背筋はすっと寒くなった。
――それって、俺のことじゃないか……?
いや、自ら小遣いを要求したことはないし、性行為だって無理強いしたことはない。だが収入がなく、生活の全てを交際相手に依存しているという点では同じだ。男として、いや人として最低だろう。
愕然となるイズーの前で、ドラマは滞りなく進行していく。主人公の親友は本日、確固たる意思をもって、男と対峙したのだった。
「あんたの顔なんて、もう二度と見たくない! 出て行って!」
あんなにだらしなく恋に溺れていた女の、手厳しい決別の言葉が、イズーの胸に鋭く突き刺さる。
風吹にもし、同じことを言われたら――。想像するだけで、呼吸ができないほど苦しい。
――風吹に捨てられたら、俺はどうしたらいいんだ……!
いや、ふつーに魔王を探して、とっとと自分の世界に帰ればいいのだが。
しかし「魅了の術」にかかっている今のイズーにとって、風吹に拒絶される、それは息の根を止められることに等しかった。
――そうか、俺が恐れていたのは、これだったのか。
今はまだ甘えていても、許されるかもしれない。だがこのまま時間が経って、情が冷めてしまった風吹の目に映るのは、図体ばかりでかくて能なしの男だ。呆れられて、飽きられて、捨てられる。
――イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ!!!!
ガラステーブルに肘をつき、イズーは頭を抱えた。
風吹と会話し、口づけ、触れる。それができなくなるなんて、絶対に嫌だ。
しかしこうしている間にも、時は流れる。風吹のほうにかかっている「同情」や「哀れみ」という名の魔法が、いつ解けてしまってもおかしくない。
こうしてはいられない。恐れ、嘆いているだけでは始まらないのだ。どうしたらいいか、考えなければ――。
イズーは必死に考えを巡らす。するとひらめきは唐突に訪れた。
つまり風吹にとって、必要な人間になればいい。「この人がいなければダメだ」と思ってもらえれば、大成功だ。うっすらと涙の浮かぶイズーの青い瞳に、光が戻った。
――そうだ。ペットにはできないことを、やればいいんだ……!
イズーはテーブルの上に放りっぱなしになっていた雑誌を片づけると、ノートパソコンを置いた。パソコンはもちろん風吹のものだったが、「最近はスマホばっかりなんだよね~」とのことで、自由に使っていいとお許しを得ているのだ。
――まだこの世界の常識に完全に慣れたわけではない自分が、外で働こうとするのは現実的ではない。
ならば中も中。家の中でできることを探すのがいいだろう。
思い出してみれば、風吹は会社から帰ってきたあとも、まめまめしく働いている。それを代わってやれば、感謝してもらえるのではないだろうか。
家の仕事。――家事。
WEBを検索してみると、「掃除」、「洗濯」、「料理」と出てきた。
洗濯は、今朝風吹が早起きして、済ませていったようだ。
青空の下、ベランダではためく洗濯物を遠目に眺めながら、イズーは改めて自分の気の利かなさを呪った。
――だって風吹は、なにも言わなかった……。
「大変だ」とか「手伝って」とか、せめて一言言ってくれたなら。いや、それは言い訳だということは、イズー自身も分かっている。
自ら察して動く。そうやって自分は数多の戦場を乗り越え、生き残ってきたではないか。平和に見えるこの世界でも、それは同じことなのだ。
そう、「風吹に嫌われたら即死」という意味では、イズーは非常に過酷な闘いに身を投じているのかもしれない。
――負けるものか……! 俺は勝つ!
自らを奮い立たせてから、イズーはパソコンの画面に目を戻した。
「洗濯」は今日はいいとして、次は「掃除」か。1LDKの、一人暮らしにしては少し広い自宅を、風吹は綺麗に使っていた。しかしイズーという同居人が増えたせいで、若干乱れが目立ち始めている。
――そうだ。さっきも俺は、自分が読んでほったらかしていた雑誌を、元に戻したばかりだ……。
己のだらしなさを反省しつつ、イズーは風吹が日々こなしていたことを思い出した。確か、「掃除機」という道具を使っていたはずだ。
掃除機は居間の隅に置かれていた。イズーはそれを運んでくると、コンセントにプラグを挿した。
使い方は見ていたから、おおよそ分かっている。ホースについているスイッチを入れ、ノズルを床に押しつけて、動かすのだ。
そのとおり、実際にやってみた。
「おお……!」
なるほど、つむじ風を起こして、ゴミを吸い取るのか。よく考えたものだと感心しながら、イズーは掃除機を家中引きずり回した。
しかしこれだけでは完璧とはいえない。掃除機のノズルが入り込めない狭いところには、人の手がいる。
なにかないかと探し回っていると、イズーは洗面台の下の棚に、使い古したタオルがまとめてあるのを見つけた。恐らく雑巾の代わりにするつもりだったのだろう、そのうちの何枚かを使って、ホコリがたまっている箇所を拭き取っていく。
足元から高い位置まで丁寧に磨きながら、イズーは自分の背が無駄に高いのは、きっと今日このときのためだったのだとの陶酔に浸った。
――風吹の役に立つために、俺は生まれてきたのだ……。
いやそれだと、これまでの人生はなんだったのかとか、せっかく得た「魔導師」の称号はどうなるのかという話になるが。しかしイズー自身が幸せならば、その辺のことは問うべきではないのだろう……。
だいたい、恋をした結果、価値観が変わるのは、よくあることだ。イズーの場合は、少々極端だが。
さて拭き掃除を終えて辺りを見回してみれば、しかしせっかく綺麗にしたはずの床にまたゴミが積もっている。
もう一度、掃除機をかけなければ……。
――掃除は、高いところから順に、やっていくべきなのだな。
少々うんざりしながら、イズーは大切なことを学んだ。
汗だくになりながら、家中ひととおり掃き磨き終えると、時刻はもう昼を回っていた。
買い置きのカップラーメンに沸かしたてのお湯を注ぎ、イズーはそれを持って、パソコンの前に座った。
「掃除」は終わったから、次は「料理」だ。しかし、なにを作ったらいいのか。
試しにパソコンで「初心者向けの料理」をキーワードに検索してみたところ、膨大な量のレシピが表示された。
「ネットの海は広大過ぎる……」
これではさすがに遭難してしまう。
検索結果のレシピをざっと参照してみれば、どれもこれも簡単そうではあったが、しかしそれだけでは駄目なのだ。美味しくて、なおかつ女心を掴むようなものでなければ。
どうすればいいのだろう。迷った末、イズーはとあるSNSにログインすることにした。
そのSNSの名は、「漆黒と混沌」。略称は「しっこん」である。
「漆黒と混沌」は、ファンタジーやオカルトが好きな人間の集まる場所として、ある筋では有名なSNSだ。その特徴としてユーザーは、本名ではなく、前世や異世界での名前を使うことを推奨している。
――そういった方針からして、もう既に危ない匂いがプンプンしてくるのだが、そんなことを気にする人間はハナからこんなサイトには立ち寄らないのだろう。
イズーが「しっこん」に入会したのは、この世界の魔法や精霊、そして魔王についての情報収集をするためだった。そしてその目的を果たす過程で、自身の知識を披露しているうちに、ユーザーたちから一目置かれるようになったのだ。
望んだわけでもないが、友達のようなものもできた。
「初めて料理するんだが、なにを作ったらいいか教えれ」
それをタイトルに、スレッドを立てた。――ネットのいいところは、不慣れゆえに言い回しを間違えたり、誤字脱字があっても、ネタとして許してもらえるところだろう。
「しっこん」のようなサイトで語り合うことといえば、当然神秘的でおどろおどろしい事柄が中心だが、なぜか人生相談なども盛んに行われており、まさに混沌としている。イズーは今回、その特性を利用することにしたのだ。
スレッドが立ってから、三分が経った。カップラーメンの蓋を開け、麺を啜ってから、画面を更新する。どうやら早速書き込みがあったようだ。
『なんだよ、魔導師。なにかの修行か? 魔力を高めるなら、フルーツを食べるといいそうだぞ』
そう書いてきたのは、「死神」である。正確には「絶対零度の死神」と名乗っているこのユーザーは、イズーが「しっこん」で頻繁にやりとりする相手の一人だった。ファンタジーが大好きなようだが、その知識のほとんどはライトノベルや漫画などで得たらしく、浅いうえに偏っている。
「いや、俺と彼女の晩飯を作る」
「彼女」と打ち込んでから、イズーは頬を赤らめた。
そうか、彼女か。良い響きである。うっとりしていると、すぐに「死神」からレスがついた。
『彼女? モニタから出てこない感じの?』
「いや、ちゃんと三次元に実在している」
『ブス? デブ? ババア?』
「美人だし、細いし、若い」
以降、「死神」からの罵倒のレスが続いた。
「死神」曰く、「女なんかとつき合う奴はどうしようもない低脳で、人生を損している」のだそうだ。
煽られているイズーは、不思議なほどなんの怒りも湧いてこなかった。それよりも明らかに僻み、絡んでくる「死神」が、哀れでならない。
自分の幸せを分けてやりたい。そんな純然たる想いで、イズーはキーボードを打った。
「『死神』も早く彼女を作ったらいい。好きな女とのセックスは、最高に気持ちいいぞ。それこそ魔法みたいに」
イズーがそう書き込んでから、「死神」からの返信はぷっつり途絶えた。
なにか気に障ることを言ってしまっただろうか。イズーが頭をかいていると、新たな書き込みが表示された。
『魔導師さん、彼女さんいたんだね☆』
『リア充ぽい匂いがしてましたもんね(笑)』
『そんでやっぱり死神は童貞だったんだwwトドメ刺されて引っ込むとかウケルww』
上から順にハンドル名を「スイート☆ラクシュミー」、「運命を調律せし悪魔」、「黄泉の国のナギナミ」という。これに先ほどの「絶対零度の死神」を加えて、オカルトに関する知識が豊富な彼らのことを、イズーは勝手に「四天王」と呼んでいる。いずれもこの「しっこん」で、仲良くしているユーザーたちだ。
ちなみにイズーは、そのまんま「黒き魔導師」と名乗っている。その呼び名がここでは少しも浮かないどころか、地味とすら思えてくるのが凄い。というか、ひどい。
『彼女さんにご飯作ってあげるの? 優しいね!』
「初心者の俺でも失敗しなくて、美味くて、女が好きそうな料理を知らないか?」
ほぼ即答に近い形で、返信をもらった。
『カレー☆☆☆』
『カレーがいいと思います』
『カレーがいいよ。ちゃんと作れば、まず失敗しないし』
満場一致である。
カレー。そういえばイズーも、数日前の昼に、レンジで温めるだけのを食べたことがあった。確かに美味かったが……。
「女ウケするか?」
イズーの不安を、皆が打ち消してくれた。
『カレーが嫌いな日本人なんていないっ☆』
『女の子なら、肉より野菜をたくさん入れてあげれば、十分喜んでくれると思います』
『心配なら、女の子が好きそうな副菜をつけてあげたら?』
「副菜か……」
いい案だと思うが、サラダくらいしか思いつかない。するとまた「死神」が現われた。
『ニンジンのラペがいいと思う。うちがカレーんときは、必ずついてた。簡単だから、作り方はググれ』
『ラペ! いいね☆ 死神さんちのお母さん、オシャレだね☆』
「死神」の食事を作っているのは母親だと、すぐに断定するのも失礼な気がするが……。「死神」からの反論がないところを見ると、そのとおりらしい。
イズーは早速、ニンジンのラペのレシピを検索してみた。なんとか自分でも作れそうだ。これで夕飯のメニューは決まった。
『がんばってね☆』
『初めて作るんだったら変なアレンジはしないで、ルーの箱の裏に書かれてるとおりに作ったほうがいいですよ』
『いいなーカレー。うちも今日はカレーにしようかな』
『ともかく女と早く別れろ』
「ありがとう、みんな。助かった」
最後に礼を書き込んで、イズーは「しっこん」からログアウトした。
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