7-5(完)

 環境も文化も違うアウェーの地から、ホームグラウンドに試合会場を移し、戦況を有利に運びたい。そんな下心を見破られてしまったのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。


 ――拒まれた。


 この世界から、風吹はそんなに離れたくないのか。どうしてだ。

 自分は風吹さえいれば、故郷なんてどうだっていいのに、彼女は違うのか。


 ――風吹には、俺よりも大事なものがあるんだ。


 やっぱり違う。違うのだ。自分と風吹には、大きな温度差がある。

 イズーは風吹を恨みがましく見下ろし、声を絞り出した。


「風吹なんて、嫌いだ……!」


 イズーにとっては口にするのも勇気がいる、抗議の一言だった。

 なのに風吹は、呆れたように吐き捨てただけだ。


「あっそ」

「……!」


 イズーは唇を噛んだ。「嫌い」だなんて、自分が言われた側だったならば、直ちに窓を突き破り、地上五階のこの部屋から飛び降りてしまうだろうほど、ショックな言葉なのに。

 だが風吹にとっては、「あっそ」と、それで済む程度のものなのか。

 粉々になってしまいそうなほど、イズーの心臓はズキズキと軋んだ。


 ――どうして、そうだ、どうして……。


 風吹のことを愛している。だがどうして自らのその気持ちを、心から信じられずにいたのか、イズーはようやく思い出した。

「魅了の術」。そうだ、風吹に仕掛けて逆に跳ね返されたその魔法に、かかっていたからじゃないか。

 つい恋に夢中になって忘れかけていたが、風吹を愛しく思うのは魔法のせいだ。

「運命の女」だなんて、ただの錯覚だったのだ。


「ぐっ……!」


「魅了の術」の存在を思い出した途端、イズーは足先から、暗幕のような真っ黒なものがせり上がってくる感覚を覚えた。喉と胸が塞がれ、溺れそうになる。

 頭の中でなにかが割れ、痛みのあまり瞼を閉じた。

 再び目を開ければ――そこには知らない女が立っていた。

 風吹だ。風吹だけれど、今までとは明らかに雰囲気が違う。駅前からここまで急かすように引っ張ってきたせいか、全身汗だくで、結い上げた髪もほつれている。化粧も崩れていて、見苦しい。若くもなければ、美人でもない。


 ――なんだ、ブスだし、ババアじゃないか。


 普段なら微塵も気にならなかった風吹の欠点ばかりが、目につく。

 イズーにかかっていた「魅了の術」は、今、完全に解けたのだ。


 ――こんな女だったのか。


 イズーは冷笑を浮かべた。

 なんてバカバカしい。


 ――こんなレベルの低い女に、俺は今まで心を奪われていたのか。


 イズーはつかつかと近寄ると、素早く風吹の後頭部を掴み、上を向かせた。驚いているその唇に、口づける。


「イズー……?」


 戸惑っている風吹の口を舌でこじ開け、陵辱する。歯列を舐め、唾液を啜り、舌を引きずり出した。


「やめて……! そういう気分じゃない!」


 力いっぱい胸板を押されても、イズーはぴくりとも動かなかった。息のかかる距離で、二人は睨み合う。ふわふわおっとりしたお姉様風の外見に似合わず、実は他を圧する風吹の眼力にも、イズーは屈しなかった。


 ――「魅了の術」さえ解けてしまえば、こんな女、敵ではない。


 忌まわしき術のせいで無抵抗になるしかなかった自分に、よくも好き勝手してくれたものだ。風吹にいじめられて散々悦んでいたくせに、その辺のことは都合良く記憶から追い出し、イズーは引きずるようにして風吹を運ぶと、居間のソファへ突き飛ばした。


「わっ」


 間髪入れず風吹に伸し掛かると、イズーは高く盛り上がった彼女の胸を服の上から揉み、薄手のタイトスカートの裾に手を突っ込んだ。

 風吹はイズーの手を、自分からなんとかどかそうと抵抗した。


「やだ! 今日のイズー、なんかいや!」


 面倒くさくなって、イズーは風吹のメガネを外すと、彼女の体をソファの上でひっくり返した。うつ伏せにした風吹の、尻が丸出しになるくらい、スカートを捲り上げる。下着を剥ぎ取り、そして、強引に繋がった。


「いたっ……!」


 風吹の悲鳴が、心地良かった。

 もっと泣けばいい。「許して」と懇願し、「ごめんなさい」と謝罪するべきだ。

 

「イズー……。どうしたの? なんで今日はそんなに怒ってるの? あの、さっきの駅前でのあれは、本当に……」

「うるさい」


 心配そうに風吹が振り返る。イズーは伸し掛かるようにして彼女の唇に噛みつき、黙らせた。


 ――駅前で風吹を抱いた、あの男の顔なんて思い出したくない。


 恨めしい、憎らしい。

 ――だから。


「中に、出すからな……っ!」

「えっ……!?」


 そうだ、こんな女、大嫌いだ。だから嫌われたって、もう構わない。

 この女の未来なんて、どうでもいい。自由だって、奪ってやる。

 自分に縛りつけて、どこにも行かせるものか。特にほかの男がいるようなところへは、絶対に。

 泣いても叫んでも、離さない。風吹は俺だけのものだ。俺だけの――。


 確かにイズーは、「魅了の術」から解き放たれた。そして――今、彼の身の内を占めるのは、エゴイズムだけだ。

「魅了の術」は確かに束の間、風吹を美しく見せたが、結局はそれだけだ。

 汚れた体を洗ってもらい、温かい食事を与えられて。

 多愛のない会話を交わし、笑って、ケンカをして。

 一日なにがあったか伝え合ってから、甘いひとときを過ごし、共に眠る。

 こんなありふれた、なんでもないことが――。

 最強の魔力を授けられながら、大事なものはなにひとつ得ることができずにいたイズーにとって、風吹とのやり取りひとつひとつが宝物だ。

 失うことなんてできない。

 つまり――。


 ――俺はもう、征服されてしまってるんだ……。


 心も体も縛る、恐ろしくも優しい支配は、一生解けはしない。


「風吹、孕め! 俺の子を産め! そしたらもう、お前は俺から離れないだろ!? 家族になったら、どこにも行かないだろ!?」

「……………………」

「俺のだ、俺のだ、俺のだ……っ! 風吹は俺だけの……! 俺の全部をやるから、お願いだから風吹も、俺のものになってくれ……っ!」


 全てを曝け出し、イズーは風吹にしがみついた。ふと我に返れば、先ほどまで喘いでいた風吹が静かになっている。イズーは一気に不安になった。


「あの……。風吹……?」


 問いかけにも答えず、その間、風吹はスーパーコンピュータ並みの演算能力を発揮し、万事をシミュレートしていた。

 排卵日の算出、妊娠の可能性の有無。産休の日数と、仕事の引き継ぎについて。出産や子育てにかかる費用の概算と、どれだけのお金が会社や地方自治体から支給されるか。貯金額との比較。

 余さず弾き終えてから、風吹は重々しく頷いた。


「――いいでしょう」


 結論。なんとかなる。

 答えは導き出されたのだから、あとは覚悟を決めるだけだ。


「えっ!?」


 自分で言っておきながら、受け入れられるとは思っていなかったのか、イズーは混乱している。

 風吹は向かい合わせになるよう、彼の上に座り直した。剛直を自らの中心に据えて、腰を下ろす。


「んっ……!」


 イズーのそれも限界が近いのだろう。風吹は、汗の浮いた浅黒い肌を抱き締めながら、耳元で囁いた。


「どうせなら、いっぱい出してね」

「風吹、いいのか……? 本当にいいのか?」


 先ほどまでの迫力はどこへやら、動揺のあまり声が裏返っているのがおかしい。

 風吹は笑いながら、腰をゆるやかに上下させた。


「あっ、そんなにしたら……!」

「だから、いいよって。私のこと、妊娠させるんでしょ? 頑張って」

「……!」


 イズーは風吹の背中に腕を回すと、泣きそうな顔をしながら自らも動き出した。


「風吹……、風吹……! 好きだ、好きだ、好きだ。愛してる。愛してる……! こんな気持ちは初めてなんだ! だから、側に……っ! ずっと側に……っ!」

「うん……」


 風吹はイズーの頭を撫でながら、彼の情熱を受け止めた。









 一段落つくとイズーは、微笑んでいる風吹を、とろんと酔っているかのような目つきで見詰めた。

「魅了の術」は解けたものの、イズーはむしろ前よりも、彼女の虜になっている。

 風吹がくすっと笑い、イズーは怪訝そうに首を傾げた。


「なんだ、どうした?」

「ふふ。やっぱり仲直りのエッチは、燃えるなあって思って」

「……………………」


 ――そりゃ、風吹はなにも知らないから、しょうがないんだろうが。


 天国から地獄へ落とされ、また昇った。

 大げさな話ではなく、心が生きるか死ぬかの瀬戸際だった。

 なのに風吹は、あまりに脳天気なことをほざいている。

 それでいいのだ思う反面、やはり少し悔しくて、イズーは彼女の脳天に優しくチョップを落とした。





~ 終 ~




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