番外編7

 開け放った縁側の窓から、夏の熱を孕んだ風が迷い込んでくる。

 タンクトップとトランクスしか身に着けていないむさ苦しい体を、熱風で燻されながら、男は最後の一文を打ち込んだ。


『フルーツがたっぷり入っていて、美味しいよ☆ さっぱりしてるから、真夏のおやつにぴったり☆ 結構なサイズがあるんだけど、ぺろっと食べちゃった☆ もう一本いっちゃおうか☆ 太っちゃうかな?』


 男の外見を知る者がその文面を見れば、きっと大いに仰け反ることだろう。――ギャップがあり過ぎるのだ。

 日焼けした筋骨隆々の体に、白髪なんて一本もない黒々とした髪。全体的に若々しいが、しかしなかなか整った顔には深いシワが何本も刻まれており、それなりの年齢だということが分かる。――初老の紳士。しかし先ほどの可愛らしい文章は、間違いなくこの男が手元のスマートフォンを使い、自ら書き起こしたものだ。

 男は誤字がないか文章を見直してから、あらかじめ撮っておいた画像を貼り付けた。

 画像の中身は、中央に棒の刺さったアイスキャンディである。ヨーグルトベースの白いアイスに、スライスされたイチゴがゴロゴロ混ざっているそれは、まるで宝石が埋め込まれた大理石のようだ。目を楽しませてくれるだけでなく美味しかったし、男はアイスキャンディという氷菓の、新しい可能性を見た気がしたのだった。

 うっかりすると、二マス分タップしてしまいそうなくらい太い指を器用に動かして、男は記事のアップロードを済ませた。

 三日ぶりの画像投稿型SNSの更新は、こうして無事終了した。


「はー、終わった終わった」


 年季の入ったちゃぶ台の上にスマホを置き、畳に後ろ手をついて、男は大きく息を吐き出した。目が疲れたのか、人差し指と親指の腹で、眉間の辺りを揉む。老眼がかなり進行した目で、スマホの小さな画面と長い間にらめっこしていれば、そりゃあそうなるだろう。メガネを掛ければいくらかマシなのだが、男はその肝心のメガネをどこに置いたか、忘れてしまう始末だった。

 男が瞼を指で揉んで、ついでに首や肩を動かして凝りをほぐしていると、庭から怒鳴り声がした。


「親父! なにやってんだよ!」


 突然現れた青年は、プリプリ怒りながらさっさと靴を脱ぐと、縁台に上がった。


「F太」


 男の息子のF太だ。座った状態で見上げたからか、男の目にF太の姿は普段より大きく映った。


 ――よく育ったな。


 この息子とは毎日顔を合わせているはずなのに、しみじみそう思う。


「二時に、農協に行くはずだったんじゃないのかよ。さっき前を通りかかったら、親父がまだ来てないって呼び止められたぞ」

「ん?」


 男は畳に足を投げ出したまま、鷹揚に壁掛け時計を確認した。時刻はあと十五分ほどで、三時になろうとしているところだ。


「約束は三時じゃなかったか?」

「二時だよ、二時。昨日親父が農協に電話掛けてるときに、俺、側にいたんだからな。ちゃんと聞いたぞ。二時だって!」

「そうだったか?」


 スマホに入力しておいたスケジュールでは、農協との約束は「三時」となっているのだが。しかしちゃぶ台に投げ出してあった紙の手帳を確かめてみれば、そちらには確かに「二時」と書いてあった。


「あー。入力間違えたんだな」


 男がふさふさした頭をかくと、F太はバカにしたように笑った。


「そういうのをヒューマンエラーって言うんだ。いよいよボケたんか」

「そうだなあ、俺もそろそろかもしれんぞ」

「やめてくれよ。親父がボケて徘徊でも始めたら、俺たちじゃ止められないぞ!」


 息子の言葉に、男は大口を開けて笑った。しかしF太からすれば、笑いごとではない。彼の父親は、世間一般のか弱い老人とは違う。長年の野良仕事で鍛え上げられた逞しい手足を使って暴れられれば、いくら若く体力のある息子でも、無傷では済まないだろう。

 まあ、新しいものが好きで、細々した作業が好きな父だから、そうそうボケることはないとは思うが。F太は、父親が使っている最新機種のスマホに、目をやった。


「またSNS更新してたんか」


 スマートフォンの使い方からネットの利用に関するあれこれまで、父親である男に様々なことを教えてやったのは、このF太である。軽い気持ちで面白半分に指導したのだが、まさか父親がこんなにハマるとは思っていなかった。


「つーかさ、SNS、なんであんな文面なの? ネカマみたいじゃねーか」

「そうか? 入力が得意じゃないからな。それに父さんはな、昔から文章を書くのが苦手でな……」

「……………………」


 その辺の事情は知っていたからそれ以上は言わず、F太は縁側に続く窓を閉め、エアコンの電源を入れた。


「あっちいなー。昼間はエアコン入れろって、母さんも言ってただろ」


 エアコンからの冷風に当たり、F太は気持ち良さそうに目を細めた。しかし男はどうもこの人工の風が好きになれず、直接それが当たらない位置に体をずらした。


「あ、そうだ。冷凍庫にアイスがあるから、食っていいぞ。箱のほうには手をつけんなよ。兄ちゃんちの分だからな」

「この間、取り寄せたやつか。まったく、親父もよくやるよなあ。スイーツの紹介SNSなんて、女の子みたいだぞ」

「なかなか人気あるんだぞ。この間なんて、ランキングに入ったんだからな」


 五十、いや、六十の手習いでITを学んだ男は、今や人気SNSライターの仲間入りを果たしている。ちなみに彼のハンドルネームは、『スイート☆ラクシュミー』なる怪しげなもので、そのSNSの中身は、趣味であるスイーツお取り寄せや食べ歩きについてまとめたものだ。

 男はやおら立ち上がると箪笥を漁り、見栄えのいいTシャツとチノパンを出して着替え始めた。


「お、農協、行くのか」

「ああ、散歩がてら行ってくる」


 男は最愛の妻との間に、三人の子供を儲けた。分け隔てなく扱ってきたつもりだったが、子供たちが三人ともそれぞれ違う性格に育ったのは不思議なものだ。

 一番上は長男で、もう三十五歳になる。男も妻も子供たちには、家業である果樹農家を継いで欲しいなど一切言っていなかったのだが、しかしこの長男は幼い頃から、将来は両親と同じ仕事をするのだと、決めていたそうだ。長男はそのとおり大学で農業を学び、卒業してから家業に入った。その後しばらくして結婚し、子供ももう三人いる。

 男は現在、仕事のほとんどをこの長男に任せており、半分隠居の身だ。だからSNSだなんだと、趣味を楽しむ時間があるのである。

 エアコンに当たってくつろいでいるF太は、三番目の子だ。今年でもう二十八歳になるが、実家暮らしだからか、まだまだ幼さが抜けない。仕事は家業を、というよりは兄を手伝っている。一時は都会に憧れ、専門学校に通うという名目で東京で一人暮らしをしていたのだが、卒業後はあっさり戻ってきた。どうやら都会は水が合わなかったらしい。まだまだ頼りないが、兄の手伝いもしっかりやっているようだし、父としては文句はない。

 二番目の子は娘だった。そしてこの娘が、子供たちの中では一番タフなのかもしれない。現在娘は実家から離れたK県にて、会社員をしながら一人で頑張っている。女の身で色々苦労もあるだろうが、しかし娘が弱音を吐いているところを、男は見たことがなかった。

 父である男は体こそ頑健だが、プレッシャーに弱いという自覚がある。自分の血を引く娘が、どうしてそうメンタルが強いのか謎だった。妻に似たのだろうか。

 思えば娘は、昔から少し変わった子供だった。特に気が強いわけでもなく、当たり障りなく周りに合わせているようでありながら、気がつけばいつも自分のしたいことをしているのだ。男だって大切な娘だから手元に置いておきたかったのに、いつの間にか当の娘に説き伏せられ、あれよあれよと彼女を都会に送り出していたくらいである。

 そういえば、男の家では昔からペットをたくさん飼っていたが、猫はしたいようにさせてくれる娘に懐いていたし、犬もまたどこか王者然とした娘にいつも従っていた。

 娘自身に自覚があるかは分からないが、彼女は周囲をコントロールする術に長けているのかもしれない。


「そうだ、そろそろお姉ちゃんにブドウを送ってやらんとな」


 男が思い出したようにそう言うと、F太は苦々しい顔になった。


「姉ちゃん、一人暮らしなんだから、量は加減してやれよ。俺が東京住んでたときも、いっぱい送って来られて大変だったんだからな」

「冷凍でもしときゃいいだろうが。果物は都会じゃ高級品だろう?」

「それでも限度っつーもんがあんの! 一人で暮らしてるんだから、冷蔵庫も小さいし」

「ああ、そりゃそうか」


 娘に送るとなるとつい張り切って、どうしてもたくさん詰めてしまいたくなる。男は腕を組み、考え込んだ。


「ちょっとばかり送るくらいだったら、手で持っていけばいいか……」


 最近は正月しか帰ってこない娘の、顔を見に行く口実ができた。


 ――ついでにスイーツの店を回るかな。


 男はさっそくスマホを手に取ると、うきうきと目ぼしい店の情報を検索し始めた。





~ 終 ~




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