9-2



 帰って来られるか分からなかったから、異世界に赴く際、念のためブレーカーを落としていった。先ほど家に戻ったときに電気は復活させたが、そのせいでまだ冷えていない冷蔵庫から桃のジュースを取り出し、猫耳少女のモモに渡してやる。

 ――駄洒落のようだが、モモは桃のジュースが大好きなのだ。大祐に介抱されていたときは一日に何本も飲んで、彼女が健康を取り戻したのは、そのおかげと言っても過言ではない。


「ほら、ちょっとぬるいけど」

「……………………」


 畳の間にぺたりと足を折り曲げて座ったモモは、差し出されたペットボトルと大祐の顔を見比べ、複雑な表情になった。しばらくして、ようやく大好物のそれを受け取る。

 大祐はモモの前に、どっかりと腰を下ろした。体を硬くしたままのモモを安心させるかのように、だらしなく不格好なあぐらをかく。そして、これまでのことを語り始めた。

 モモがこの家から出て行ったあとのこと。――大祐は本当に、異世界へ旅立ったのだ。

 大祐が「異界の扉」に放り出された先は、どうやらモモが生まれ育ったのと同じ世界らしいこと。ただし自分が飛ばされたのは、彼女が生まれる数百年も前だったということ。

 大祐はそこで「ある人」にもらった万能な精霊に助けられ、戦う者たちの頂点に上り詰めたということ。そして最後には、魔王となったこと。

 しばらく魔王としてお勤めしていたが、元の世界に未練があってすっきりせず、結局戻ってきてしまったこと。

 モモは大祐の話を聞き終わると、勢い良く立ち上がった。赤い瞳が、怒りにメラメラ燃えている。


「お前という奴は……! 私たちの世界を見捨てるなんて、なんて無責任なんだ! 一生を王として生きる覚悟もなく、魔王になんかなるな! お前のせいで……! 魔王の座が空位になったあと、私たちのような魔物の血を引く者が、どれだけ酷い目に遭ったか……! お前は分かっているのか!?」

「はは、悪い悪い」


 責められても実感が湧かず、大祐はへらへらと笑った。不真面目なその態度にも腹を立てたのだろう、モモは腕を振りかぶり、殴りかかった。大祐が咄嗟に避ければ、モモはバランスを崩し、彼の胸に倒れ込んだ。


「お父さんも、お母さんも、お兄ちゃんたちも……! みんな、人間に殺されちゃったんだぞ! もういないんだぞ!」


 大祐の胸をドカドカ叩き、そのうち声を詰まらせたかと思うと、モモは叫ぶように泣き始めた。


「お前のせいで! 魔王のせいで! 魔王が私たちを見捨てたから……! うわあああああああ!」

「……………………すまん」


 仕方なく大祐は、モモに胸を貸した。

 自分がいなくなったあと、世界がどうなるかなんて、大祐は考えたこともなかった。どうせ別の誰かが新しい魔王になるだけで、なにも変わらないだろうと思い込んでいたのだ。

 ――だが、そういえば、そうだった。

 魔王の継承は、魔王が倒されるか、次代を任命することによって成る。つまり大祐が殺られるか、代わりの者を指名しなければ、魔王の座は永久に空いたままなのだ。

 モモは大祐の胸に顔を埋めながら、しゃくり上げた。


「本当は……本当は、分かってる。魔王になんか、頼っちゃダメだって。自分たちの力で、戦わなければいけないんだって……」


 言いながら、モモは高祖母から伝えられた偉大な魔法使い、イズーのことを思い出した。

 黒き魔導師、イズー。他の追随を許さぬ卓越した魔力を持ち、人間の王族や貴族といった特権階級の者たちはもちろん、屈強な魔族すらも跪かせる、最強の魔法使い。

 モモはいつの間にかイズーのことを、「白馬の王子様」の如く理想化し、憧れていたのだ。

 いつか虐げられた自分たちを、助けてくれるに違いない、と。そんな勝手な妄想を抱き、「異界の扉」に飛び込んだ。

 しかし実際に会ってみれば、魔導師はあまりに冷たく、薄情だった。


『お前の復讐に、俺を使おうというのか。たいした野良猫だな』


 聞いた直後は怒りに我を忘れたが、落ち着いて考えてみれば、イズーの言うことはもっともなのだ。

 魔導師には魔導師の事情があり、意思がある。そもそも彼は、正義の味方でもなんでもないのだ。モモたちを助ける義理なんてない。


 ――所詮、私たちが弱いからいけないんだ。


「でも、悔しい……! 私たちを殺し、傷めつけた奴らへの憎しみが、どうしても消えないんだ……!」

「……………………」


 絞り出すように悲しみを吐露する様があまりに哀れで、大祐は思わずモモを抱き締めた。自分のようなむさ苦しい男に触られるなんて嫌がるかと思ったが、むしろモモは抱き留めてくれる腕を得たことで、ますます激しく泣き続けた。

 抱いたモモの細さが、大祐の胸を突く。

 家族を失い、ひとりぼっちになった、こんなか弱い女の子を、泣かせておいていいのか。

「お前のせいだ」と詰られても、正直ピンとこなかった。だが、こいつは守ってやらないと――。今は、そう思う。

 保護欲、庇護欲。それは大祐が生まれて初めて抱いた、感情だった。





 五分もせず、モモは泣き止んだ。ぐしゅぐしゅと鼻をぐずらせ、瞼を擦っているところに、大祐はティッシュペーパーの箱を持って、向けてやる。モモは決まり悪そうに、何枚かティッシュを抜き取った。


「そういえばお前、体は大丈夫か? さっき、お前の魔法を跳ね返しちまったが、もろに食らってただろ」

「大丈夫……」


 モモはちーんと鼻をかみながら答えた。イズーの魔法のおかげで、彼女の傷はすっかり癒えている。


「なら、いいけど。てっきりまたボロボロになったから、俺んちに介抱されに来たのかと思ったぜ」

「……………………」


 しばらく黙り込んでから、モモは赤くなった目と鼻を大祐に向けた。


「大変な想いをしてこっちの世界に来たのに、なにもかもうまくいかなくて……」


 しょっぱなから行き倒れたかと思えば、ようやく会えた魔王には全く歯が立たず。

 土下座までして縋った魔導師からは、にべなく拒絶され。


「大祐の顔が見たくて、しょうがなくなったんだ……」

「なんでだ? 食いもんをくれるからか?」


 大祐はからかうように、座卓の上にあった飲みかけの桃のジュースを取った。


「お前はすごく優しいから。甘えたかったんだと思う」

「……や。や、優しくなんて、ねえよ……」


 耳や尻尾の形は猫のようなのに、まるで犬のようなひたむきな目で、モモは見詰めてくる。照れくさくて、大祐はそっと顔を逸らした。


「そ、そんでよう、魔王の正体は俺だったわけだが。お前は魔王に会ったら、どうしようと思ってたんだ?」

「倒して、私が次の魔王になろうと思ってた。それから元の世界に戻って、人間たちを根絶やしにしてやろうって……」

「んー、あのな。お前、勘違いしてるみたいだけど、別に魔王になったからって、いきなり魔力が強くなるとか、そういう特典はないんだぞ? せいぜい城に住めて、周りから『魔王さまー』って呼んでもらえるくらいで。だからお前が魔王になったとしても、人間を滅ぼしたいっていうなら、自分の手でコツコツやってくことになるけど」

「えっ……」


 大祐がとうとうと説明すると、モモの頭頂部にある耳はぺったりと寝てしまった。


「だからな、魔王の座を譲ってやってもいいけど、お前程度の魔力じゃあ苦労すると思うぞ。悪いけど」


 モモは確かにそこそこ魔法が使えるが、魔物の王になれるほどかといえば、決してそうではない。

 自身の能力をよく知っているらしいモモは、しおしおと項垂れてしまった。

 大祐はあさっての方角を向くと、さりげない風を装い、提案した。


「俺、戻ろうかな?」

「えっ!」

「精霊もまだ元気だし、俺様のいない間、調子に乗った奴らをしばくくらいは余裕だろうし」

「に、人間を皆殺しにしてくれるのか!?」


 モモは興奮で顔を紅潮させながら、大祐の胸ぐらを掴んだ。


「いや、それはダメだ。そういうのは、ほら、憎しみの連鎖っつってな。やられたらやり返すっていうのを繰り返してたら、いつまでも平和にはならないのだ……」


 大祐は精一杯ニヒルな表情を作り、漫画やドラマによく出てくる台詞をそのまま口にした。しかしモモは、きょとんとしている。


「人間を一人残らず殺してしまえば、連鎖もなにもないんじゃないのか? そこで終わりだ」

「ぶ、物騒なことを、さらっと言うな! だいたい俺だって人間だぞ」

「大祐は人間だけど、悪い奴じゃない。私を助けてくれたし」

「そう、だからさ、俺みたいなお人好しもいるだろうし。人間だからって、それだけで全員殺しちゃうのはやめようぜ」


 モモはしばし沈黙した。彼女なりに考えているのだろう。

 そして、頷いた。


「とりあえず、魔族の血を引く者たちが平穏に暮らせるようになれば、それでいい……。――本当に、本当に一緒に戻ってくれるのか?」

「ああ。こっちでやり残したことはやって、気が済んだからな」


 ――失恋もしたし。


 吹っ切るために、環境を変えるのもいいかもしれない。

 大祐はそっとため息をついた。


「ありがとう……!」


 モモは笑顔になると、大祐の胸に頬を擦りつけた。


「お、おい……!」

「少しの間、こうさせて」


 獣人は元々、信用した相手にはとことん甘える性質がある。

 大祐はどきまぎしながら、これはただのスキンシップなのだと自分に言い聞かせた。

 モモは好みのタイプではないのだが、これはこれで悪くない。

 つまり大祐は、好意を寄せてくれる女ならば、なんでもいいのである。節操がないようにも思えるが、拒んだりするよりはずっと、女性に優しい男とも言えるだろう。

 彼が同僚のA子、B子、C子の想いに最後まで気づかなかったのは不幸なことであったが、モモにとっては幸運だった。





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