4-3
「今度は私が質問してもいいですか?」
うなだれてしまったイズーを、幻燈は患者を診察する医者のように、注意深く観察している。
「あなたは女性と暮らしているようですが、その方とはどういったご関係ですか?」
――恋人だとも! 初めての!
喉から飛び出そうになった答えを、イズーはなんとか飲み込んだ。
なぜなら――風吹のことを、恋人と言っていいのかどうか。
もちろん風吹が許してくれるのならば、そう呼ばせていただくことはやぶさかではない。
しかし当の風吹ときたら、体は許してくれるが、心は決して許そうとしないのだ。
いつまでも警戒されているし、子供を作りたくても拒否されるし。いったいどうなっているのか……。
「……魔導師殿?」
自分の殻に閉じ篭って、ああでもないこうでもないと考え込んでいたイズーは、幻燈の不審げな視線に気づいて、我に返った。
――いや、違う違う、これは違う!
そもそもイズーが風吹に惹かれているのは、彼女にかけるはずだった魅了の魔法を跳ね返されたからだ。つまり、ちょっとしたアクシデントで風吹の虜になっているに過ぎず、真実、彼女を愛しているわけではない。
しかし魔導師とも呼ばれた優秀な自分が、こんなみっともないミスを犯したなんて、正直に告白できるわけもなく……。
だからつい、イズーは見栄を張った。
「あの女は、ただの寄生相手だ。俺の魅力にメロメロでな! 『お願いだからそばにいて~。そうしないと、アタシ死んじゃうから~』と、そう言うものだから、仕方なく一緒に暮らしてやっているんだ。ま、俺も、この世界には不慣れだからな。懐も寂しいし、せいぜい利用させてもらうさ」
気色の悪い声真似を交えながら説明を終えたイズーは、虚しさに包まれていく。
愛しい相手のことを、「寄生相手」だなんて――。
逆に風吹から「そう、イズーは私に寄生しているだけ」なんて肯定されたら、地の底まで沈み、苦悩するだろうに。
ちっぽけなプライドを守るために、みっともないことをしている。己を恥じつつ、イズーは疑問を抱いた。
――じゃあ魅了の術をひっぺがしてみたら、俺の心はどうなっているのだろう?
風吹のことを、どう思っているのか――?
「はー、それはそれは」
幻燈は、やたら冗長だったイズーの回答を、さらっと聞き流した。
――強がりなのを、見透かされている。イズーは落ち着かなくなって、怒鳴った。
「な、なんだ! なにか言いたいのか!」
「いえ、特には。――さて、仕事をしましょうか」
コーヒーカップを静かにソーサーに戻し、幻燈はソファから立ち上がると、先ほど「霊道」があるとかなんとか説明した台所の一角へ向かった。
「そういえば、『霊道』とはなんだ?」
イズーは幻燈を追いかけ、彼の後ろに立った。
「その名のとおり、霊の通り道です。人が死ぬと、その魂は天に昇ります。人の魂が天上へ昇る際に辿る道、それが霊道ですね」
「ふむ……。しかしその霊道とやらが、なんでここに? 急に開通したんだ?」
「いえ、逆ですよ。この霊道はかなり古いものです。元々霊道があったところに、マンションが建ってしまったと言うべきでしょう。マンションができたのは割りと最近で、その前は民家があったのでしょう? 普通のおうちだったらせいぜい二階か三階建てでしょうから、この高さの霊道には接触せず、今まで問題は起こらなかった……」
風吹とイズーが暮らす部屋はマンションの最上階、五階だ。確かに一般住宅に比べれば、高い位置にある。それがマンション完成時、今までは無関係でいられた「霊道」とやらに、触れてしまったのだろう。
「なるほど……。それにしても、幽霊が見えたり、見えなかったりするのはなぜだ。お前の言う霊道とやらも、俺にはさっぱり見えないんだが」
「あなたになら見えるはずですよ。霊視なんて、精霊を見つけるより容易い。先日あなたに干渉してきたという亡者だって、あなたにその力があるからこそ、ちょっかいを出してきたのでしょうし」
「だが現に今日だって、俺はなにも見えていないぞ」
いくら目を凝らしてみても、イズーの見詰める先には、いつもと寸分違わぬ風景が広がっているだけだ。
幻燈は自身のこめかみの辺りを、人差し指でつついた。
「こちらの世界の幽霊や精霊といった精神体は、一般とは別次元に存在しているようです。住み分け、というやつですか。だから普通にしていれば、見ることはない。彼らの姿を捉えるには、視覚のチャンネルを切り替える必要がある。――抽象的な物言いですが、魔導師と呼ばれたあなたならば、理解できるのではありませんか?」
「……………………」
分かるような、分からないような……。イズーはとりあえず、ゆっくりと目を閉じた。 視界が闇に閉ざされると、待ちかねたようになにかがドロドロと流れ込んできて、一面を
再び瞼を開ければ、辺りがくすんで見えた。汚れたレンズを、眼球にはめられたかのようだ。
目の前には、なぜか太いロープがあった。ついさっきまで、こんなものはなかったのに……。
ロープは東の壁から飛び出ており、通りに面した西の窓を突き抜け、台所の横いっぱいにぴんと張られている。――それを掴んで、この世ならざる者たちが、ぞろぞろ歩いていた。
十人、いや二十人はいるだろうか。亡者たちはひっきりなしに、台所の東の壁から現れ、西の窓へと消えていく。
「うーわー……」
あまりに凄惨な光景に、さすがのイズーも唸った。
「ね、意外と簡単でしょう? 精霊を操ることができる魔法使いは、たいていが優れた霊能力者でもあるんですよ。ところで前に幽霊を見たと聞きましたが、そのあと頭痛がしませんでしたか?」
「あ、ああ」
「それはあなたが見える状態にないのに、幽霊に無理矢理、視界に割り込まれたせいで、不調をきたしたんです。でもこれで霊視ができるようになったから、今後はもう、そういったことはないと思いますよ」
「ふーん。まあ、見ることができるようになっても、あんまり見たいものではないな……」
イズーはうんざりしながら言った。
昔はどんな姿をしていたのか知らないが、風吹のマンションで行進を続ける亡者たちは、皆朽ちかけ、醜かった。
肉体は魂を守る器だ。死してそれが滅び、魂だけが剥き出しになってしまえば、亡者たちは生前の姿を保っていられず、正視に耐えぬ惨めな様相へ変化していく。
そして最後には、理性や記憶など、人を人として形作っていたなにもかもを失い、未練や悪意だけの塊となってしまうのだ。それがいわゆる「悪霊」である。
そうなる前に、人間は「霊道」を通り、とっとと天上に昇るべきなのだろう。
「これだけの数の亡者が集まってくれば、霊感のない人でも、そのうち見えるようになるかもしれませんね」
亡者たちは、自分たちのことを「見える」人間が分かるらしい。茶目っ気のある何体かが、にこやかにイズーたちに手を振る。イズーも仕方なく、彼らに手を振り返した。
「二十四時間、三百六十五日、こんな状態じゃあ、入居者たちはたまらなかっただろうな……。引っ越しが相次ぐわけだ。しかし俺の同居人は、この部屋に二年ほど住んでいても、なーんにも感じなかったらしいが」
「うーん、それはとんでもなく鈍いか、スーパーリアリストなんですかねえ」
「スーパーリアリスト?」
「自分の信じる現実しか見えない人たちといいますか……。そういう人には、超常現象のつけ入る隙がないんですよね」
幻燈の見解を聞いて、イズーは大いに納得した。確かに風吹は、そういうタイプかもしれない。
「風吹は見えないくせに、怯えてはいたけどな。しかし仕事上のつき合いがどうとかで、当分ここから動けないのだそうだ。だから幽霊を追い払って欲しいとのことだったが、できるか?」
「もちろん」
「どうやるんだ?」
好奇心を刺激されたのか、イズーはわくわくと目を輝かせている。
「まずはこの部屋に集まっている亡者たちの魂を散らし、霊道を断ち切りましょう。それからこのマンションの屋上に新しい霊道を作り、亡者たちをそこへ誘導します」
そう言うと、幻燈は早速、手で印を結び始めた。
「……………………」
イズーはそっと幻燈の真横に移動し、彼の動きひとつひとつをつぶさに観察した。
幻燈は背も高く、鍛えられた体をしている。顔つきも凛々しく精悍で、男性的な魅力に溢れた紳士だった。眉や口髭などの体毛と瞳は黒く、肌も黄味がかっていて、風吹とよく似ている。日本で生まれ育ったと言っても、誰も疑わないのではないだろうか。
銀色の髪に青い瞳、浅黒い肌という外見からして、どこへ行っても注目を集めてしまうイズーは、同じ世界から来たにも関わらず、違和感なく周囲に溶け込める幻燈が、少し羨ましかった。
――そういえば、こいつ、見たことあるな……?
まじまじと眺めていたおかげで、イズーはようやく思い出した。魔王城地下の「開扉の間」にて勇者と対峙したそのとき、幻燈は確かにその場に控えていたではないか。
「思い出した! お前は僧侶か!」
「えっ!? ええ、そうですけど……。それ、今じゃないといけなかったですか?」
突然叫ばれたせいで、せっかく集中し、高めていた「気」が霧散してしまった。幻燈は苦々しげに口をへの字に曲げた。
「そうかそうか、スッキリした。しかしお前、その格好はこちらの世界の坊さんのものだろう? いいのか? そんなあっさり改宗してしまって」
「あ、これはコスプレです。私は別に、仏門に下ったわけではありませんよ。私が除霊に使う『破邪』の術も、元の世界のものですし。ただ、こういう服を着ていたほうが、お客さんからの信頼が増すので。ま、雰囲気作りですね」
「それは詐欺じゃないのか?」
イズーの責めるような問いかけに、幻燈は堂々と答えた。
「托鉢でもしたら詐欺でしょうけど、単にお坊さんの格好をしているからといって、罪にはなりません」
「ていうか、俺たちの世界の除霊術は、こっちの幽霊にも効くのか?」
「ええ、問題なく。霊を払うのもただの技術ですから。どの神様を信じていようがいまいが、そのへんは関係ないようです」
「そういうものなのか……」
イズーとの会話が一段落つくと、幻燈は再び指を組み、複雑な印を結んだ。そして呪文を唱え終えた直後、幻燈の上半身からは、金色の波のようなものが噴き出す。波は亡者たちに襲いかかり、一、二体を部屋の外へはじき飛ばした。
修行を積んだ聖職者が体内に蓄えた「気」には、幽霊など邪な者たちを退ける力がある。独自の印と呪文を用い、体内の気を発散させ、悪しき魂を払う。これが僧侶の使う破邪魔法である。
「ふう。これを何度か繰り返して、一時的に亡者たちを……」
幻燈が額の汗を手の甲で拭っているそのとき、横に立っていたイズーは呪文を唱え始めた。一緒に組んだ印も含めて、幻燈がやって見せたのとそっくり同じに、破邪魔法を再現する。しかし、結果は大きく違った。
「そりゃ!」
イズーの背からは、幻燈のものよりも倍以上大きな金色の波が生じ、部屋にいた残りの亡者たちを全て外へ弾き飛ばしてしまった。
「なるほど、こうか」
「……………………」
室内にひしめき合っていた幽霊たちは、きれいさっぱりいなくなった。
「ふーん。僧侶が使う破邪の気は、魔法使いが言うところの魔力と同じようなものらしいな」
「ええ。魔法使いである妻も、同じことを言っていました……」
だから優れた魔法使いは、優れた退魔師にもなれる。
理屈では分かる。しかし実際、目の当たりにすると――。
二十年以上修行し、やっと会得した技を、見よう見真似で覚えたばかりのイズーがやってのけた。しかも自分のものよりも、遥かに威力があって――。
「……なんかムカつく」
無邪気にはしゃいでいるイズーを横目に、幻燈は眉間にシワを刻み、そっとつぶやいた。
「まあおかげで、亡者たちは一掃できましたけどね」
幻燈は居間から自分の荷物を持って戻ってきた。彼が手にした錫杖をぶんと振ると、横一線に張られていた太いロープ、すなわち「霊道」はすっぱり切れ、消滅した。
「じゃあ私は屋上に行って、新しい霊道を作ってきます。その間、しばらく亡者たちが入って来られないように、この御札を貼っておいてください」
幻燈は頭陀袋の中から二枚の札を取り出し、イズーに渡した。
「ここ賃貸だから、壁に糊づけするのはちょっと……」
「ご安心ください。その御札の裏には、剥がしてもあとが残らないテープを使っておりますので」
「ほほう、なかなか気が利くな」
幻燈が部屋を出て行くと、イズーは言われたとおり、台所の端と端、先ほどの霊道の入り口と出口だった東の壁と西の窓に、それぞれ御札を貼った。
御札は和紙でできており、複雑な文字が墨でいくつも書かれている。文字、いや図形といったほうが近いかもしれないそれは、イズーたちの世界の僧侶のうち、高位の者のみに伝えられるもので、「
「……………………」
壁に貼った御札を眺めているうちにうずうずと体が疼き、イズーは台所のテーブルに放り出してあったチラシを何枚かめくった。
「裏が白いのって、なかなかないんだよなー。あ、プリンターの中から引っこ抜くか」
紙とボールペンを用意し、イズーは居間に向かった。
「ただいま戻りました」
「――ああ」
幻燈が戻ると、イズーは居間のソファに前のめりに腰掛け、なにやら作業していた。周りには、大量の紙が散らばっている。そのうちの一枚を、幻燈は手に取った。
「……!」
幻燈は目を瞠り、慌ててほかの紙も確かめた。そして、イズーを見下ろす。
魔を退けるもの。負の力を増すもの。正の力を増すもの。その他……。種類の異なる、だが大いなる力を秘めた呪い文字を、イズーは続々と綴っていた。そのうちのいくつかは、恐ろしいことに、幻燈さえ知らないものもあった。
「文字を上下左右、四つに分割し、肉体の力を増減させたいときは上の部分に、精神の力を増減させたいときは下の部分に、手を加える……。『トメ』には守護、『ハネ』には増強、『ハライ』には退魔の効果がある……」
イズーは顔すら上げず、取り憑かれたようにブツブツつぶやいている。彼が手本としたのは、幻燈が先ほど渡した御札だ。今は台所の東西に貼られているそれらの、各文字に宿る神秘の力を紐解き、そして更なる効果を足したものを、記しているのだ。
――そんなに簡単じゃないはずだ……!
幻燈は驚きのあまり立ち尽くした。
僧侶が使う呪い文字は、形を真似すれば力が宿るといった、安易なものではない。いちいち丁寧に呪力を込めて筆を動かさなければ、文字は力を持たないのだ。
だから一文字書くのにも、かなりの時間を要する。
しかし幻燈が新たな霊道を作るため中座したのは、ほんの三十分ほどだ。そんな短い時間で、イズーはいくつもの呪い文字を書き終えたというのか。
「幻燈。ほかにどんなものがある? その、だな……。例えば恋文に書き添えると良い結果をもたらす、みたいな、そういった素晴らしい呪い文字はないのか?」
もしそんな文字があるならば、風吹へのラブレターに使いたい。唖然としている幻燈に、イズーは脳天気な質問をした。
――やはり、こと魔法に関しては、イズーは桁外れの天才なのだ。
改めて彼の実力を目の当たりにした幻燈は、しかし拳を握り締める。
「やっぱ、くっそムカつくわー」
またもやぼそりとつぶやくと、幻燈は持っていた錫杖をイズーに振り下ろした。
「いって! なにすんだ!」
「すみません、うっかり手が滑ってしまって」
頭を押さえて泣きそうな顔をしているイズーに、幻燈はにっこり微笑んだ。
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