4-2
「お世話になっております……」
「あら、友良さん! こんにちは。どうなさったの?」
電話に出てくれた海月 クララに、風吹は恐る恐る自宅のことについて説明した。
幽霊がどうのこうのと突然怪しい相談をしてしまって、不審がられないだろうか。風吹の不安をよそに、クララは明るく相槌を打った。
「ああ、やっぱりね。ええ、ええ、そんなことだと思ってたの。お電話待ってたのよ」
「えっ……」
その反応からして、クララはこちらの事情をまるっと承知しているかのようだ。スマホを握る風吹の手は震えた。
「あの、もしかして……。この間、ご自宅にお邪魔したときに、なにか見えていらっしゃったとか……? 私に、その……気味の悪いものが憑いてたとか……?」
「うふっ、どうかしら?」
クララは朗らかにとぼけた。
「……!」
冷蔵庫に突っ込まれたかのように、風吹の全身を悪寒が舐めていく。
部下のA子の恋愛模様をピタリと言い当てたくらい、海月 クララは優れた占い師だ。霊感だとか第六感だとか、きっとそういったものが人一倍冴えているのだろう。
そう、普通なら見えないものが、彼女には見えているのかもしれない。だとしたら――。
――やっぱりうちには、なにかいるの……!?
考えれば考えるほど怖くなって、風吹は半泣きになってしまう。黙り込んでしまった電話の相手を心配したのか、クララは慌てて謝罪した。
「あっ、ごめんなさい、からかっただけよ! ともかく、困っていらっしゃるのよね? 信頼できる専門家をご自宅に伺わせるから、どうか安心してね!」
善は急げということで、明日早速「信頼できる専門家」とやらが、風吹の家へ来てくれるそうだ。
除霊の費用は、交通費込みで一万円ポッキリ。相場が分からないので、これが安いのか高いのか、風吹はよく分からない。だが平穏な日常が戻ってくるというなら、払う価値はあるだろう。クララの紹介ならば、インチキということもないだろうし。
「幽霊を追い払ってくれる人を呼んだから」
会社から帰ってきた風吹は、開口一番イズーに告げた。
「私は仕事があって立ち会えないから、イズーに代わりをお願いしたいの」
どちらにしろ風吹では幽霊を見ることができないから、除霊する場に立ち会ったとしても、それが成功したかどうかは分からない。
「イズーだけが頼りなの。お願いね」
メガネの奥の瞳を潤ませ、風吹はイズーの手を取った。
いつもは凛々しい世帯主に涙ながらに縋られれば、イズーとしては断れるわけがない。むしろ誇らしいくらいだ。
「任せておけ!」
イズーは自らの胸をドンと叩くと、意気昂然と請け負ったのだった。
そんなわけで本日、風吹の自宅マンションに、霊能力者とやらがやって来たわけだが――。
とりあえず入室を許すと、幻燈は首に提げた頭陀袋からフットカバーを取り出し、雪駄を脱いだ足にかぶせた。裸足で床を汚さないという気遣いである。なかなかデキるお坊さんだ。
「お邪魔します」
フットカバーをした足で出されたスリッパを履くと、幻燈は案内もなしに一直線、居間に向かった。
「お、おい、ちょっと待て!」
イズーが慌てて追いかけると、幻燈は居間と台所の境目に立っていた。そこはイズーが度々、幽霊を見かけた場所だ。
「ほほう、これはこれは、立派な『霊道』ですねえ」
幻燈は西にある窓を見、次に東にある壁に顔を向けた。彼の目の動きは先ほどの台詞どおり、そこに走っているなにがしかの「道」を確かめるかのようだ。
しかし本日、イズーにはなにも見えない。
「気配がするのはここだけですが、念のため、家中見ておきましょう。すぐ戻ってきますので、あなたはお茶の用意でもしていてください」
そう言い残して、幻燈はズカズカと奥へ行ってしまう。
「あっ、ちょ……!」
勝手をされては困る。が、昨晩風吹には、「大事なお客様の紹介だから、失礼のないようにね」とも申し遣っている。そんなお客様当人から「お茶を用意しろ」と言われたら、従わなければいけないだろうか……?
「くそっ」
なんだか納得いかないまま、イズーは台所に立った。
「うん。おかしいのは、やはりここだけですね」
幻燈は二、三分ほどで戻ってくると、勧められもしないうちに居間のソファに陣取り、網代笠を解いた。笠の下から、綺麗に剃られた形の良い頭が現れる。イズーがコーヒーを出してやると、幻燈はにこやかに礼を言った。
「これはどうも」
幻燈はソーサーに添えられていたスティックシュガーをコーヒーに溶かしてから、イズーをまっすぐ見詰めた。
「――さて。なにから話しましょうか、魔導師殿」
玄関のドアを開けたとき、この男が発した「魔導師」という言葉は、やはり聞き間違えではなかったのだ。
幻燈は、自分の正体を知っている。イズーはごくりと生唾を飲んだ。
「お前は何者だ? なぜ俺のことを知っている」
「ああ、それは簡単なことです。私はあなたとお会いしているからですよ。覚えていませんか? あなたが『異界の扉』を開いてこの世界に来る直前、勇者とやり合ったでしょう? そのとき私は勇者の仲間として、その場にいたのですよ」
「……?」
切れ長の目を更に細めて、イズーは幻燈を凝視した。
髪がない分、端正な目鼻立ちが際立つこの男と、会ったことなどあったろうか?
こちらの世界に来る前、勇者と対決したのは確かだったが、そこに幻燈がいたかどうか……。
姿を見たような気もするし、見なかったような気もする。
もともとイズーは周りに関心がなく、故に人の顔を覚えるのは大の苦手なのだ。
――しかし、勇者か……。
「まあ私も、当時と印象が違うでしょうからね。あのときはまだ髪もありましたし」
「……………………」
久しぶりに「勇者」と聞いて、なにか大事なことを思い出しかけたが、幻燈が口を開いたせいで思考が散ってしまった。気を取り直して、イズーは尋ねた。
「それで、なぜお前がここにいる? 目的はなんだ?」
「一度に色々聞かれてもね」
幻燈は苦笑しながら、カップを口に運ぶ。よくもまあ上手に口髭を汚さず飲めるものだと、イズーはどうでもいいことが気になった。
「まず、そうですね……。私がここに来たのは、あなたと同居されているご婦人に呼ばれたからです。幽霊を退治するためにね」
「そういうことじゃない!」
イズーはイライラとテーブルを叩いた。聞きたかったのは、幻燈がなぜ「この世界に」来たかについてだ。だが言われてみれば、幻燈がこうしてここに現れたのも、偶然とは思えなくなってくる。しかしそれならばどうやって、彼はイズーの居場所を突き止められたのだろう。
イズーは感情を押し殺して、もう一度質問した。
「お前はこっちの世界に、なにをしに来たんだ」
「――勇者を探しに。『異界の扉』の開け方を、私たちも解き明かしましてね」
「ほう」
これにはイズーも素直に感心した。「異界の扉」の開錠の仕方は複雑怪奇で、イズーだってそれを知るのにだいぶ苦労したのだ。
「勇者は私たちよりも先に、一人で『異界の扉』をくぐったらしい。そして、彼は戻ってきませんでした。いったいなにがあったのか……。放っておくわけにもいかず、私たちも勇者のあとを追うことにした。だがあの扉は、単純なものではなかった……」
イズーにも、幻燈が言わんとしていることが分かった。
「あの謎の問いかけか?」
幻燈は頷いた。
『どこへ行きたい?』
「異界の扉」をくぐると、とある問いかけが聞こえてくる――。
「『異界の扉』は、あの質問になんと答えるかによって、人々を運ぶ場所や時間を振り分けているのでしょう。しかも問いかけの主は、我々の理性の奥に潜む、真の望みを見抜く。例えば私と妻は、『異界の扉』をくぐる直前まで、当然ながら勇者のもとへ行きたい、行かなければならないと思っていました。しかし、いざ問われたそのとき、私は『妻と、将来生まれるであろう子供と、幸せに暮らせるところへ』と答えていたのです。妻も同じことを願ったらしく、私たちは共に同じ場所へ放り出されました。今から五年前のこの世界に、ね」
「五年前……!?」
「そう、私はあなたより、この世界のことをよく知っている。五年分ね」
幻燈はくすくす笑っている。
自分よりあとにあの扉をくぐった人間が、自分よりも前のこの世界に流れ着いているなんて――。
頭がこんがらがりそうだ。イズーは目を白黒させた。
「それで、勇者には会えたのか?」
「いえ……。五年前から探しているのですが、皆目。ついでに魔王のことも調べていますが、こちらも見つかっていません」
ということは勇者も魔王も、どこか別の場所、あるいは別の時代に飛ばされたのだろうか。日本以外のどこか。もしくは今よりも遥か昔、または未来へ。
「勇者には会えませんでしたが、彼が敵と見なした魔導師殿とは、こうして会えました。だとしたら、私はどうするべきだと思いますか? 魔導師殿」
幻燈の目つきが鋭くなる。
首の後ろがピリピリと痛み、イズーはそこを擦った。
もうじき血を見ることになるのだろう。数多くの修羅場をくぐってきた魔導師たる彼には、その気配が分かるのだ。
「元の世界の話です。あなたが開発した魔法兵器で、ある村が壊滅しました。その村には、私の従兄弟が住んでいたんです。子供が生まれたばかりだったのに、可哀想にね」
イズーは不敵に笑った。
「お前のその理屈では、我々のいた世界で起きた非人道的な行いは、全て俺のせいということになりそうだ」
「危険な道具を、使うほうが悪い、と。確かにそのとおりです。しかし作り手を消してしまえば、泣かされる人々が減るのも事実……」
幻燈はイズーを隙なく見詰めているが、彼の意識はすぐ隣の、ソファに立て掛けてある錫杖に注がれていた。その武器を振りかざすタイミングを狙っているのだろう。
殺意に満ち溢れた幻燈の前にいると、体の奥底からよく知る衝動が突き上げてきて、イズーはぶるっと震えた。
魔法を使いたい。いい気になって自分に歯向かってくるこの小虫を、無残に踏み潰してやりたい。腕が鈍っていないか確かめる、絶好の機会ではないか。
――指で空に印を刻み、圧縮した呪文を瞬時に唱えて……。
人指し指をわずかに動かしたところで、血に飢えていた脳内にアラームが鳴り響く。
――ここから風吹の会社まで、どれくらいの距離だった?
前になんとなく地図で調べたら、おおよそ十kmほどだった。魔力を放出したとして、今風吹がいる場所に影響はないだろうか。彼女を吹き飛ばしたりしないだろうか。きちんとコントロールできるだろうか……。
イズーの元いた世界では、魔法攻撃の威力は大きければ大きいほど賞賛されたものだ。しかし今はそれが恐ろしい。できることならば小さく小さく、ほんのちょっとでいいのだが……。
イズーの立てた指は、力なく下を向く。それを見て、幻燈は力を抜き、ソファの背もたれに体を預けた。
「なんだかちょっとあなた、想像してた魔導師殿と違う感じですねえ」
「……………………」
馬鹿にされているような気がしたが、イズーには言い返せなかった。
我ながら、なんというヘタレっぷりなのか。以前の自分ならば、被害がどうだとか考えることなく、ドッカンドッカンと魔法をぶっ放していたではないか。
――なにこれ。
イズーは深い自己嫌悪に陥った。
謎の力に制御され、風吹がいたら魔法が使えない。
――否。
風吹がいてもいなくても、魔法は使えない。
彼女を巻き込んでしまったらと思うと、恐ろしくて仕方がない。今のイズーは凶悪な牙も爪も持っているくせに、まんまと自ら檻に囚われた、間抜けな獣にほかならなかった。
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