4-5(完)

 ソファの上で、二人は顔を突き合わせている。


「あんなに嫌だって言ったのに、やめてくれないなんて」

「で、でも、ほら、感じてたみたいだったから……! お願い、風吹、やめて……」


 どこかで聞いたような台詞を、イズーは目に涙をためて口にする。風吹は唇の端を上げ、あざ笑った。


「私が嫌って言っても、やめてくれなかったよね?」

「……!」


 繰り返しになるが、セックスに対する姿勢について、風吹はスイッチヒッターなのだろう。SでもMでもいける。

 今、風吹の性のメーターは、きっとS側に傾いている。こうなったら手がつけられない。イズーはそれをよく理解している。生活を共にした期間こそ短いものの、その分濃い夜を過ごしているからだ。


「ふふ、こんなにバキバキにしちゃって……。可愛い、イズー」

「……ううっ」


 賢そうな目を三日月の形に細めて、風吹はいたずらっ子のように笑っている。

 自分を優しくいじめているときの風吹を、誰にも見せたくない。彼女の残酷で美しい笑顔は、自分だけのものだ。イズーは小さく震えながら、愛する人に見惚れた。











「あー、楽しかった!」


 無邪気に歓声を上げてから、風吹はソファを降り、台所へ向かった。


「あっ……はぁっ……。はぁ……」


 荒い呼吸を繰り返しているうちに、イズーの体はふわりと軽くなった。そして自分自身から、そしてティッシュペーパーの箱を手に戻ってきた風吹から、亡者が離れていくのが見える。亡者二人は手に手を取って、輝きながら昇っていった。


 ――あ、もしかして、そういう……。


 つまり亡者の夫婦も、妻が攻め手、夫が受け手という役割分担がなされていて、だから一度目のセックスでは満足しなかったのだろう。


「俺の努力はいったい……。なんだか、もう……」


 イズーは脱力する。精も根も尽き果て、ソファに沈んでいると、体液で汚れた体を、風吹が丁寧に拭ってくれた。









 その日の夕飯は、風吹が作ってくれた。

 久しぶりに魔法を使ったり、二回もほにゃららしたりと、体力を使い果たしたイズーが、使いものにならなかったからだ。

 入浴もさっさと済ませてしまうと、イズーと風吹は早めにベッドに入った。

 枕を抱えてうつ伏せに寝転がり、イズーはしょんぼりしている。

 ――醜態を晒した。

 横で雑誌を読んでいた風吹は、落ち込んでいるイズーが気になるようだ。


「いじめ過ぎちゃったかな。イズーが可愛かったから、ついつい……。ごめんね」


 寝転んだまま、風吹はイズーの頭を撫でた。


 ――そんな風に可愛く謝られたら、許してしまうではないか。


 風吹の手は生き物に触り慣れていて、気持ちがいい。イズーはうっとりと目を閉じた。


 ――うん、風吹は悪くない。


 イズーはあっさりと、怒りと恨みの矛先を変えた。

 そもそもこの部屋に化けて出た、あの幽霊たちがいけないのだ。

 そして、あいつらを満足させろなどと言い出した、幻燈とかいうニセ坊主も悪い。

 洗濯したばかりだから良い匂いのする枕カバーに顎を押し当て、イズーは一人、うんうんと頷いた。


 ――そういえば、あいつはなんだったんだろう。


 幻燈。あの男は自分と同じ世界からやってきたという。

 霊力はイズーに及ばないが、それでもかなりのものだったし、腕っ節だって相当強そうだ。


 ――奴がこの部屋に来たのは、本当にただ除霊するためだったのか?


 イズーは、隣で雑誌を読み耽っている風吹に尋ねた。


「なあ、風吹。今日うちに来た男は、客の紹介だと言っていたな」

「うん、そう。紹介してくれたお客様の、旦那様なんだって。占い師と霊能力者のご夫婦なの。なんかすごいよね」


 そういえば幻燈は、自分の妻の話もしていた。確か、魔法使いだとか。だとしたら彼の妻も、イズーと同じ世界の人間だろう。


「有名人なのか?」

「クララ先生……えーと、占い師さんのほうはすごく有名だよ。旦那さんも、その道では名の知れた方だとか。ね、どんな人だった?」

「ハゲのおっさんだ」

「……もっとほかの言い方しようよ」


 風吹は苦笑いを浮かべている。やはり風吹は、自分の客とその夫が、異世界の住人だったとは知らないのだろう。

 幻燈とその妻は「異界の扉」によって、五年前のこの世界へ運ばれた。彼らはそこから現在に至るまでの間に、周囲にしっかり馴染み、名を成したわけだ。たいした順応力である。

 もしかしたら――。イズーはふと思った。

 魔王や自分、そして幻燈たちだけでなく、もっとたくさんの同郷人が、こちら側へ来ていたりしないだろうか。なにしろ二つの世界を繋ぐ「異界の扉」は、互いの世界が創生された当時からあるというのだから。

「異界の扉」は、創造主かみが創りたもうし「神具」とのこと。故に、その前に立った人間は隠しごとができない。


『どこへ行きたい?』


 扉の問いに、幻燈は「妻と、将来生まれるであろう子供と、幸せに暮らせるところへ」と答えたそうだ。


 ――俺はいったい、なんと言ったんだったかな。


 しかしイズーがそのことを考えようとするたび、動悸息切れめまいに襲われ、思い出すことができないのだ。


 ――まあどうせ俺のことだ。魔法に関することだろう……。


 欠伸をひとつしてから隣を向けば、風吹は再び読書に夢中になっている。イズーは腕を伸ばし、彼女が読んでいる雑誌の紙面を手で塞いだ。


「こら!」


 叱られても構わず、イズーは読書の邪魔をし続けた。


「もー、なに?」

「風吹を抱っこしないと眠れない」


 風吹は渋々雑誌を畳むと、仰向けに寝直した。早速彼女を胸に抱き寄せ、イズーは目を瞑る。


「イズーは本当に甘えん坊だなあ」

「風吹にだけは甘えてもいいんだ」


 ――そうだ、仕方ないんだ。これも魅了の術のせいなのだから。


 風吹の温もりを感じながら、イズーは眠りに落ちた。









「風吹を抱っこしないと眠れない」


 その恥ずかしい告白を聞いた者が、もう一人いる。

 風吹たちの暮らすマンションの脇に停まった、一台の車の中で、男はハンドルを忌々しげに叩いた。――幻燈である。


「聞いてられんな、これは……」


 助手席に置いた受信機からは、尚も甘ったるい会話が聞こえてくる。耐え切れず、幻燈はイヤホンを外した。


「『仕方なく一緒に暮らしてやってる』、ねえ……」


 魔法を知り尽くした男、イズー。この世界の言葉で言うならば、「歩く核弾頭」。そのように危険な魔導師の住まいに、幻燈は本日、超小型のWEBカメラや音声レコーダー等、盗聴用の各種機器を仕掛けてきた。

 もしかしたら魔王とコンタクトを取っているのではないか、または怪しい計画を企てているのではないか。それらを確かめたかったからだ。


「ストッパーである勇者が行方不明な以上、魔導師殿が暴走しないように見張るのは、私たちの役目ですからね……」


 二つの世界、そのどちらにも迷惑をかけないように。

 しかし実際にイズーに会って感じた印象と、そして先ほどの身の毛もよだつような発言から判断するに、どうやら魔導師殿はすっかり色ボケしているようだ。

 確かに魔法の腕前は凄まじいものがあったが、今のイズーの生活は、愛やら恋やらといったものを中心に回っているらしい。

 世界を征服しようだとか、破滅に導こうだとか、そういった大それた望みを持っているようには、到底思えなかった。


「まあ私も、奥さんとつき合い出した当時は、こんなもんでしたかねえ……」


 甘酸っぱい思い出を手繰り寄せているうちに、妻が恋しくなってくる。幻燈はスマートフォンを取り出し、海月 クララにメッセージを送った。


『今日のご飯はなんですか?』

『春巻きと焼き肉サラダだよーん』


 クララからの返信にあったメニューは、幻燈の大好物だ。


 ――すぐに帰らねば。


 車を出す前に、メッセージを返そう。イズーのことが頭を掠めて、幻燈は妻が使っているもうひとつの名前を打った。


『マッハで帰ります。愛してますよ、ナミさん』


 エンジンキーを回した直後に、クララから返信があった。


『私も愛してるわ、ナギさん! だからさあ、新しく買うベッドはやっぱ、フランス製のあれにしようよ~』

「なにが『だからさあ』なんですかね……」


 呆れながら、幻燈はスマホをコンソールボックスに置き、アクセルを踏んだ。

 晴れ渡った夜空の下、滑るように車が走り出す。





~ 終 ~





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