第32話 新しい力

「すううぅぅぅ……はぁぁ……」


 刹那を口元から離し、全身で呼吸した。首が肩を吸い込むように息を吸い、頭を地面に沈めるように吐く。今すぐに身体を冷ましたい……その一心だった。


「え、なに……どうしたの、ふうろう……?」


 刹那が心配している中、風浪は身体の調子を探っていた。

 枯渇した夜力は満たされ、風前の灯火だった生命は燃え滾っている。しかも、身体の奥深くまで貫いていた痛みが消え去っていた。これならまだいける……と、今ならこんな絶望的な状況に勝機を見出せそうな、一筋の光が脳裏を走ったのだ。


「見つけた、見つけた、見つけた見つけた見つけた……ッッ!! 全部まとめて、やっちゃいなさい……フェルたんッッ!」


 暗闇が解けると、鬼気迫る勢いで狂獣が飛び掛かってくる。

 その勢いに圧倒され、刹那が風浪を抱きしめて覚悟を決める——が、そうはさせなかった。


我は居城すカリオストロ——」


 風浪は襲い掛かる敵の前に、時間稼ぎをすべく闇の壁を作った。


「グオオォォォッ!」


 任務遂行せんと狂獣が鋭い牙と爪で壊そうと試みているのだが、頑丈に頑丈を上塗りしたかのような障壁に苦戦を強いられている。

 一方で、刹那は唖然としていた。


「ふ……風浪、なの?」


 先ほどの憂いは消え、驚きの表情を見せた。眼をぱちくりさせながら風浪の顔を覗き込んでいる。そりゃそうだろう、瀕死の男が突然息を吹き返したのだから。

 風浪は憑き物が取れたように、身体の自由を約束されているようだった。


「力が溢れてくる……」


 勝手に夜力が全身から噴き出し、全身を蒼白く染め上げていた。同時に、辺りの夜の成分が鋭敏に伝わり、周囲と同化しているような感覚である。


「そうか、この力は——〝護る為〟にあるんだ」


 そして、悟った風浪はこちらへ来いとばかりに夜に命令をした。


「——夜会の小夜曲セレナーデ

「え、なに……身体が……」


 刹那の身体を夜で覆う。

 彼女は目に見えない異変にどこか勘付くも、どうする事も出来ないでいた。


「待って、よ……ふう……ろう……」


 睡魔が刹那の精神を襲ったのだ。頭がぐらつき、切れ切れの声で抵抗するが、とうとう耐えきれなくなった彼女は、たちまち横たわってしまった。

 地面に身体を預けた刹那の頭を撫で、慈愛の言葉を贈る。


「……ごめんな、刹那」


 これは対象に幻影を見せ、眠らせる技。後遺症は残らないし、目覚めた後は今回の一件は全て忘れるだろう。何より、刹那はこんな世界に踏み入っちゃいけない。

 だから、風浪は刹那に幸せな夢を見せた。とてもぐっすりと、安心した顔が伺える。

 その眠り姫を片隅へと運び、風浪は唱えた。


「あまねく夜を統べ——」


 外壁を崩すべく、絶えず攻撃する音が鳴る。

 もう少し飼い主に似て、可愛らしくて弱々しくあって欲しかったと風浪は思うばかり。

 だが、既にそうは言ってはいられない。


「夜の理を支配する闇の力よ——」


 ヒビの入った闇の城壁の隙間から、壁の向こうの敵を見据える。

 敵は狂獣と華二だけではない。

 彼女を倒した先の、もっと闇深い所にいるナニカを倒すべく——身体の奥底から溢れ出る夜力ノクターナを一気に放出した。


「——我が縛めを解き放てッ!」


 壁が打ち破られるとともに、風浪は完成された。

 溢れんばかりの夜の成分が身体を巡り始める。楔が外れたように身が軽く、今まで以上に漲る力を感じていた。


「ギャオゥン⁉」


 吹きだす|夜力《ノクターナ》の圧で狂獣は竦んだ。恐れを為したといっていい。

 何故なら、今の風浪は——最強だからだ。


「こ、小賢しい……誰よアンタ、風浪くんの姿をして、許さない許さない許さないッッ!! これ以上、私の心を搔き乱す奴は殺して、やるッ!! いきなさいフェルたん!」


 様子がおかしいとばかりに狼狽する狂獣。間違いなく、先ほどとは違う夜気オーラに圧倒されたに違いないが、飼い主だけは気付いていない。

 だから、風浪が死ぬ気で教えてやるのだ。

 生気を取り戻し自信に満ちた表情、皆を救う為に備わった能力、そして……大事な人を必ず守るという決意で。


「——さぁ、夜は始まったばかりだ」


 風浪には不明な点はいくつかあった。あんな小さな身体で、戦い慣れていなさそうな華二が、どうしてあんな力を身に付けているのか。

 けれども、今ならもう分かる。

 ——何が華二を縛り付けているのか。


「んぐ、んぐ……はぁっ、はぁっ、はぁっ! や、やっちゃいなさい、フェルたんッ!」


 ゴクリとまたお菓子を飲み込み、叫ぶ声が響いた。

 姦しい耳障りな声を無視し、風浪は狂獣に向かい合う。今にも捕食しようとばかりに、ヤツは襲い掛かった。


我は駆けマギア——穿つブレイズ穿つブレイズ穿つブレイズ穿つブレイズ穿つブレイズ——ッ!」


 身体のギアを上げ狂獣の攻撃を避けながら、各方面に弾を撃つ。

 こんなにも凶暴な奴に襲われているというのに、研ぎ澄まされた精神。たとえ、ナイフをチラつかされようが、狙いを正確に撃つ事が出来る心境である。


「「——キャウンッ⁉」」


 鈴音たちの周囲にいた狼たちは甲高い悲鳴を上げる。

 狂獣を倒すことに専念すべく、風浪は味方の救助を最優先したのだ。

 これで自由になったと思うと同時に、それが気に食わなかった華二は怒りをを露にした。


「こ、この風浪くんの姿をしたッ、死に損ないめぇ……ッッ!!」


 冷静とは言えない口調で、狂獣に指示を下す。ヤツがのしかかるように上から飛び掛かってくるが、ヒラリと躱す。弧を描くような薙ぎ払いも寸分の所で見切る風浪。

 今の彼には動きを予想し、容易に攻撃を躱してしまうのだ。

 また素早さで引けを取るどころか、こちらが優位に立っている。


「はやく、はやく……早く仕留めなさいよッ、フェルたんッ!」


 ——もう遅い。お前の攻撃は既に見切った。

 暴風のように荒れ狂う攻撃の猛襲を、全て躱してしまった風浪は脇腹に入りそれを放つ。


我は穿つブレイズ——ッ!」

「ガ、ガウッ……ガルルルルッ!」


 狂獣の身体を抉るべく近距離で放った闇弾たまは、見事に腹に直撃するも貫通しない。傷口も僅かに出来上がるも、すぐに修復してしまうのだ。


「なんて頑丈な身体だよ……」

「グ、グルルルル……ガアアアアア——ッ!」


 もちろん何度も当て続ければいずれは倒せるだろうが、それでは時間がかかり過ぎる。

 風浪は華二の状態を観察した。


「はぁーッ、はぁーッ、はぁーッ……!!」

「まずいな……」


 彼女は疲労困憊にも拘わらず、無理して力を使いすぎている。

 このまま持久戦に持ち込めば勝てる戦いだが、それでは華二が助からない。

 僅かな可能性を掴む賭けに出るべく、風浪は真正面から立ち向かった。


我は拒むファルシオン——」


 剣を生み出し、襲い掛かる剛爪を弾く——が、一撃で破壊されてしまう。

 手中の闇が霧散していくのに目もくれず生成。そして、また一刀。


我は拒むファルシオン——我は拒むファルシオン——」


 一閃……また一閃と壊れては創り、壊されては創り、更なる剣城つるぎを幾度も錬成する。今のままでは奴には届かない。

 そう考えた風浪は新たな力を行使すべく思考と試行を繰り返した。

 あの爪甲を破る為に、濃い夜力ノクターナを練り上げる——


我は拒むファルシオン拒むファルシオン拒むファルシオン——ッ‼」


 十数撃、二十数撃……と、キリのない数字を数える事より、既に意識は掌に集中させていた。必殺と呼べる武器を練り上げるべく。

 それからどれだけ経っただろう……。

 気付いた頃には、風浪の手を埋めていた片手剣は、巨大な両手剣へと変化を遂げていたのだ。


我は断頭すデモジリオン——ッ!」


 その頃には、風浪はヤツの爪を頑丈だと感じなくなっていた。

 爪ごと狂獣の胸を切り裂いてやると血飛沫が上がり、吼えあがる。


「ギャアオオオオオオオッ!」


 そして、狂獣は後ろに飛び退くなり、鼻息を荒く鳴らして風浪を警戒し始めた。

 砂を掻く猫のように、足元を掘る仕草が伺える。

 折れた爪を磨いているのだろう。


「どうした、自慢の爪はもう終わりか?」

「はぁはぁ……つ、爪を砕いたからって……調子に乗るな……ッ!!」


 ズズズ……と狂獣の爪は伸び元通りに修復される。

 しかし、彼女の意志とは裏腹に狂獣の背中は丸みがかってきた。

 闘志が薄れ始めているのだろう。

 当然だ、誇りの武器が折られたのだから。

 そして、無理無茶無策に倒せない敵に突っ込めと命令されて、野生の本能で怯んでいるのだ。だから、狂獣が後ずさりをする様子に、華二は困惑したような表情を見せた。


「ど、どうしたのフェルたん……ッ!」


 彼女の額に珠のような汗がびっしりと浮かび上がる、そろそろ形勢が変わった事に気付き始めたようだ。

 また、足元が覚束ない様子からして、彼女もそろそろ能力を使うのに限界がきているのかもしれない。一方で——


「早いな、ここで身体の限界か……」


 澄ました顔を見せるものの、風浪は全身の違和感を覚えていた。

 胸は焼けるように熱く、腕は稲妻が奔ったかのような刺激が走っている。

 力は跳ね上がったものの、身体がそれについてはいかない。

 やはり、先ほどのダメージが蓄積されていたのもあるだろう。


「あいつに近寄っちゃダメ、隙を見て攻撃するのよ!」


 華二の指示の下で、狂獣はヒットアウェイで攻撃を仕掛ける。

 しかし、ヤツは痛みのせいで動きが単純なのか、風浪は脅威を感じなかった。


「お前が後ろへ引いた時、それが一番の狙い時だ!」


 狂獣の攻撃した後が隙だらけだった。風浪はそれをチャンスと捉え、終わらせにかかる。右腕を横に一閃し、辺りに散らばる夜の成分に指示を下した。


「——終焉へ誘う螺旋の楔ゲイル・ブリンガーッ!」


 狂獣の四方から闇の渦が現れる。そこから漆黒の鎖を放ち、風浪は狩人の如く獣を捕まえた。敵は重苦しい鎖を鳴らしながら、必死に抵抗を続けている。


「んな……そんなの千切れるでしょ……千切ってよぉっ!」

「グアアアァァ——ッ!」


 それは断罪を前に、命乞いをする憐れな愚者の動きだった。が、ピシ……と崩れるような音を立て初める。もはや、鎖は数十秒と持たない事が分かった。


 ——だが、逃げるつもりはない。これ以上、時間を稼ぐ気もない。

 ここでお前を倒して終わりだ!


「あまねく夜よ——っ!」


 風浪は地に両手を叩き、夜力ノクターナを貯蔵の限り送り込んだ。


「(ここで力尽きても良い。俺の平穏なんてなくてもいい。

 ただ、ライラ、先輩……そして刹那を護れるなら——おおおおぉぉぉっ——ッ!)」


 狂獣の足元から勢いよく巨大な木の幹を生やし、腹に打ち立てた。

 世界を支える根幹——生命樹は、如何なる時も成長する。

 剣よりも歪で頑強な樹枝は、外敵を穿たんと次々に襲い掛かるのだ。


「——闇に佇むナイトメア生命樹ユグドラシルッ‼」


 身を裂き、穿ち、そして天高く狂獣の巨体を突き上がらせた。

 抵抗する事も、逃げる事も許されない狂獣は、容赦のない闇の枝木を四肢に受ける。


「グギャアアアアアアアアア——ッ!」


 喉も破壊され、締められる鶏のような、堪らないほど苦々しい声が上がる。

 言うならば絶望。恐怖を知らぬ一匹の、最初で最後の断末魔。

 たちまちに絶命するとともに、その身体は灰塵と化していった。


「あ……あぁ……ぁ……」


 ガクン。

 華二は膝を付き、そのまま地面へと倒れ込んだ。

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