第37話 エピローグ

 屋上を去り、教室まで辿り着きガラリとドアを開ける。

 風浪はどこか違和感を感じながらも、自分の席へと向かった。席に着くなり意識するのは、もちろん後ろの席。まだ刹那は来ていないようだ。


「(どうしたんだ、今日は遅いのか?)」


 風浪は珍しいなとは思ったが、そのうち来るだろうと踏んだ。

 刹那とは一応、あんな事があったのだ。あの時、技をかけたからといって、安心はできない。かといって、自分が取り乱しては怪しまれるに違いない。

 冷静になれ、自分……と暗示をかけていた。


「(にしても遅いな、あいつ大丈夫か?)」


 そして、心を鎮める事数分……予鈴のチャイムが鳴った。

 ——刹那が教室に入ってくる事はなかったのだ。


 ◆◆◆◆


 一限目の授業が始まると、クラス内がざわついていた。

 どうしたのだろう……と考えた時、ふと水無瀬の言葉が頭によぎる。


『華二さんには転校してもらったよ』


 ——そうだ、みのりが行方を眩ましたなら、刹那は……? 俺はまだ彼女の安否を実際に確認していない。だったら、もう皆とお別れを済ませていて……まさか、そんな、俺だけが彼女の最後に立ち会えなかった……?


「えぇー、皆さんご存じかとは思いますが……」


 頬杖を外し、騒然としたクラスを見渡していると、クラス担任の美住が告げた。


「——テストの総括を返却しますっ!」


「「「おぉぉーーッ‼」」」

「「「うわああぁぁぁっ⁉」」」


 まるで狂喜乱舞。

 答案の返却に喜ぶ者や悲壮する者、それぞれの声が木霊し教室中を熱気で溢れさせる。そんな中、風浪だけが冷めた目で肩を落としていた。


「そ、そっちかよ……」


 想定外の事態に愕然としていた。

 だが、不安を拭いきれたわけではない。

 今刹那はどこにいるのだ。教室のどこを探しても、未だに見つからない。普段から頑張ってて、テストの結果を人一倍楽しみにしているようなお前はどこに行ったんだと、風浪は語り掛ける。

 彼が焦燥に駆られている中、ガラリと疲れ気味な顔で扉を開ける者の姿があった。


「す、スミマセン、ちょっと寝坊してしまって……!」


 刹那だった。

 彼女が寝坊という言葉を口にするのは珍しいようで、風浪は驚いている。


「飾利さんですか、息を切らして珍しいですね。とりあえず席にお座りなさい」


 刹那が美住に頭を下げるなり、身を隠すようにコソコソと自分の席へ向かった。


「でも来てくれて良かった。今からテストの総括を返却しますから、席に着いてください。ええと、今回の最低点が——」


 何故か美住が最低点だけを見せしめのように黒板に打筆している中、刹那は溜め息をつきながら着席する。

 その様子に、遅刻だけではない何かが彼女を追いこんでいる……風浪はそんな気がしてならなかったのだ。


 ◆◆◆◆


 一日の中間が終わり、皆の空腹時となるお昼休みに入る。

 刹那と話すタイミングはこれしかないと思い、風浪は声を掛けようとした。


「ねぇ風浪ちょっといい」

「お、おう⁉」


 と、願ってもいなかったのだが、刹那から声を掛けられた。

 風浪が若干うわずった声で返事を返すと、眼を丸くしている。


「なんで私が声をかけてキョドるのよ」

「と、突然声掛けられたからだよ……」

「まぁいいや、あのさ……」


 刹那は風浪の反応に興味を無くしたのか、視線を横に逸らす。そして、髪を指でくるくるといじりながら、気まずそうな表情でこう言った。


「三日前にね、変な夢を見たんだよね」


 三日前、それは華二とやり合った日の事である。

 ギクリとした風浪は、秘密にしていた事がバレてしまったのではないかと警戒したのだが、想像の斜め上の言葉が待っていた。


「なんか、その……キスっていうか……」


 その二文字に、風浪はドキッとした。

 激しい戦いのことならまだしも、そんな恥ずかしい一場面を語り出すのだから。

 万が一にも処理しておいた事だが、刹那は覚えているのだろうかと風浪は様子を見る。


「……いや、なんでもない! ライラさんから貰ったお魚美味しかったですって伝えてなかったの、だから今度お礼に行くからって言っておいて!」

「……そ、そうだな。きっとライラも喜ぶはずだ」


 そんな所だよなと安堵する。

 けれど、風浪が警戒してしまったせいか、二人の間に何とも言えない空気が走った。

 そんな空気を掻き消すように彼は別の話題を探した。


「そういや、委員長の成績はどうだったんだ?」

「うわ、何その悪意のある呼び方。私イジメられてるの?」

「バーカ、いつもの仕返しだよ」


 面と向かって話すのが億劫なので、冗談を挟む風浪。

 しかし失敗というわけでもなく、まんざらでもない様子で刹那は一枚の紙を見せてくれる。


「ふーん、まぁいいや。はいこれ、アンタも見せなさいよ」


 彼女から差し出された答案用紙には驚くべき数字が赤文字で記載されていた。


「あーうん、俺はこんなんで……うげっ、なんだこれ……⁉」


 ——全教科・九十点台。

 俺が化け物並みの得点に恐れ戦いていると、彼女も引きつった表情をしていた。


「あ、アンタこそ何よこれ……」


 彼女はワナワナと肩を震わせ、声に怒気を含ませている。


「すまない、なんで怒っているのか分からないんだけど」

「当たり前でしょ、なんで数学が赤点ギリギリなのよ。ちょっと答案用紙見せなさいよ!」


 渋々と答案用紙を渡すと、目に火花が飛び散るように凝視していた。


「これ、私が教えた所しか全然出来てないじゃん!」

「だからケアレスミスなんだって」

「ほぼ真っ白でどこがケアレスよ、英語の点数が壊滅的なクセに一丁前に外来語使わないでよ!」

「日本育ちなのにどうして外国語が出来なきゃいけないんだ」

「現代文のテストだけで勉強という概念を否定する学生の意見を代弁しないで! 漢字だけ解けていないとか皮肉も過ぎるわよ」

「まぁ、こんなのフィーリングで解けるし」

「ったく、本当にアンタはやれば出来る子なのに……!」


 と、説教を受けながらもいつもの日常が再開される。

 やっぱり刹那の説教があっての風浪の平穏で、すごく居心地が良さそうだ。

 けれども、何よりも……風浪にとって彼女の元気そうな顔を見られたのが一番の救いである。


「っていうか、なんで今日遅刻してきたんだ?」


 そんな風に想い浸っている中、風浪は刹那にそんな質問をしてみた。

 昨日の事を覚えていないとなると、遅刻する理由など一つもなさそうだ。


「え、あの……えっと、あのね……」


 刹那の承認を求めるメンヘラじみた様子。

 社会不安に訴えかけるに表情に、どこか只事ではない事を感じ取り、風浪は唾を飲み込んだ。


 ——今まで大変な事続きだった、今更何が起こったって驚きはしない。闇雲に騒ぎ立てたりもしないし、俺はいつだって刹那の味方だ。そう思って俺は、心に厚い膜を張る。悩みに支配されている彼女を真摯に受け止めよう……。


 風浪がそう思った時、ようやく口を開いた。


「…………テストの順位が怖くって」


 モジモジとしながら総合得点の用紙を指差す。


「……は」


 乾いた感嘆詞が飛び出る。

 刹那の指先、幼馴染の心配の象徴、それはテストの順位だった。

 なんと、彼女の成績は——学年10位だった。


「おい何が怖いだよ。自慢のつもりか?」


 刹那の皮肉じみた自虐に、風浪は憤りを感じる。

 それは弾圧された民衆の如き、上流階級に見せる怒りのようだった。


「アンタと一緒にしないでよ⁉ こっちは毎日自己学習を重ねてきたんだから!」


 貴族さんには低俗な輩の気持ちは分からない。

 怠惰で傲慢な風浪の順位は下から数えた方が早かった。

 もはや、学業に関しては刹那とのレベルは合わないのだ。


「はぁぁぁ……でも良かった、お前が無事で」

「な、なにそれ、もしかして心配してくれたの?」

「当たり前だろ、だってお前を守る為に俺は……」

「守る為に?」


 喋り過ぎたと思い、風浪は口を閉じる。


「いいや、なんでもない」


 それに対し、悪態をついてくる刹那だと思ったが違った。


「そういえば、夢の中で風浪がどこかに行っちゃう夢見ちゃって、学校に来るのが怖かった」

「……なんだそれ、俺が?」

「笑わないでよ……バカッ」


 しおらしい態度なので風浪は苦笑してしまう。


「大丈夫だ、俺はどこにも行かないし、お前に何かあったら守ってやる」

「……なにかってなによ」

「さぁな、だから心配するなよってことだ」


 お互いに妙な緊張が走る。

 風浪は事の顛末を知っているので状況が飲み込めるのだが、刹那はそうはいかない。

 けれど、彼女は納得したような微笑みを見せるのだった。


「わかった、でも無茶な事はしないでね」

「……あぁ」


 語らずとも理解し合える関係なのだと、二人は改めて認識する。

 まだ異能蟲毒は終わっていない、まだ始まったばかりである。

 しかし、風浪は刹那を守る為にこれからも戦い続けるだろう。


「ふふ、変な風浪なの」


 大切な人を守る為に、この笑顔を守る為に。

 たとえ命を狙われようと、不条理な事が舞い降りようとも、誰も傷付けさせないと心に誓うのであった。

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あまねく夜を統べる者 ~十三血流最強の一族・最後の生き残りは平穏を望む~ 東雲ゆう @JK_da

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