第33話 帰ってこい

「たす、けて……お母さん、お父さん……はっ……!?」

「……起きたか」


 倒れた華二を看病していた風浪は声をかけた。


「随分とうなされていたようだな」

「な、なに……どうして、風浪くんが、生きて……」

「なんだ、そこまでは覚えていたのか」


 やはりな、といった具合に風浪は察していた。

 華二は自身の能力以上の力を使っていたせいで暴走していたのだ。なので、風浪を狂獣の爪で串刺しにした以降のことは覚えていなかった。

 とはいえ、結果オーライにも誰も死なずに戦いを終わらせられた事に、風浪は安堵している。


「なに……私を殺さないの……」

「はぁ? 何言ってんだよ、もう戦えないだろお前」

「でも、私を殺さないとまたいつか狙う時が来るかもしれないよ……ッ」


 華二はギリリと歯を噛み締める。

 負けた事が相当悔しかったのか、それとも同情された事に腹を立てているのか。

 だが、風浪はどちらでも良いと言うだろう。

 彼女は、彼が次に言いそうな事を頭の中で想像してしまう。


「……だったらどうだ、もう一回俺とサシで戦うか?」


 そんな安い挑発にも取れる言葉。

 だが、華二は察してしまった。これは風浪の優しさであると。

 納得いかないなら全力で受けて立つと言っている。それはつまり、今自分と真剣に向き合ってくれている事に違いなく。

 ——今、彼に告白をすればどう応えてくれるのだろう。

 そんな甘い気持ちが湧き上がってしまうも、抑えた。


「はぁ、馬鹿言わないで……こんなか弱い乙女がアンタと戦えるワケないもん」

「だったら……」


 華二に抵抗する術はない、そう悟った風浪は歩み寄った。


「どういうつもり、アンタ……」


 風浪が手を差し伸べると、華二は困惑した。

 無理もない、これまで命のやり取りをしていたのだから。


「もうこっちに帰ってこい。そこはお前のいるべき場所じゃない」


 あくまで風浪は戦いを否定していた。

 こんな戦いがあるから悲しみが生まれてしまう。

 今回は、誰かが勝つために仕組まれた事だと理解している風浪だからこそ、華二とは手を取っていきたいと考えたのだ。


「イヤよ……アンタに何が分かるのよ、私がどれだけ今まで苦しんできたか……」


 華二はスカートの裾を握って毒気を吐き、今にも噛みつきそうな表情で睨みつけてくる。

 だけど、風浪は引かなかった。

 風浪は彼女を暗い世界から連れ戻さなければならないと考えていたからだ。刹那が風浪を迎えにきてくれたように。


「きっと分かるさ、お前が俺の事を分かってくれたように」

「分かるわけないわ、私はこの戦いに何を望んで、何を賭けてきたかなんて……」


 そう、彼女は願いを欲していた。それは恨みより湧き出た願い。

 勝つためにどれほどの努力や覚悟を決めたか、風浪には計り知れないだろう。

 だが——


「今は分からなくても、俺たちはもっと話し合わなければならない」


 人より秀でた力を持った故に苦悩したこと、失ったもの。

 それらを必ず無くしていかなければならない、悲しみを生まない為に。


「居場所がないなら俺が作ってやる。だから……」

「……ダメよ」


 そう言う前に、華二は言葉を制止した。


「私は風浪くんを苦しめた、私のモノにしようとした、殺そうともした」

「それがどうした、お前だって十分苦しんでいたはずだ」


 風浪には刹那という理解してくれる人がいる。

 けれど、華二はそうじゃなかった。

 だったら今、風浪がやれる事は、彼女の力になる事だ。


「……私はこんな力を持ってる」

「俺だってこんな力を持っている」

「主人を裏切って身勝手な行動に出た」

「それはお前がそんな世界にいたくないって事だ。身勝手な事をするならこっちに来い」


 風浪は華二の行いを肯定してやる。どんな形であれ、彼女のわがままを叶えてやる。

 その為に、お前の気持ちを教えてくれ。

 話し合おう一方的じゃなく、お互いが納得出来るところまで。

 そう告げるも、華二は風浪の言葉に従わなかった。


「でもダメ、ケジメはきっちり付ける。私はもう……」


 華二は踵を返すなりこの場を去ろうとした。

 彼女の覚悟は決まっていたのだ。

 負けたら最後、自分はどうなるか、どうすべきかを……。


「何がダメなんだよ、ケジメだなんてお前らしく——ぐっ……!」


 タイミングの悪いことに、風浪の膝が折れた。

 ——痛い、身体が悲鳴を上げ始めているのだ!


「ま、待て……絶対にお前を……はっ……」


 風浪が足元を見れば、朱色の液体がドロドロと流れ出ていた。

 誰が見ても、意識があるだけでも奇跡と言わんばかりの状態。

 だが、彼女は寂しそうに微笑む。きっと死ぬことはないと理解した上で去ろうとしているのだ。


「み……み、みのりッ! もどって、こい……ッ! みのりぃぃッ!!」


 動かぬ身体で必死に名前を呼んだ。

 また前みたいなバカをしよう。平和な世界で暮らしていこう。

 この戦いは俺が終わらせるから——と、バカな妄言を吐く風浪に対して苦笑する。


 ——そんなことできるわけないじゃん。君を狙う敵は強大で、異能蟲毒ゲームが続く限り平穏には程遠いんだよ。まったく……普段クールなくせに、こういう時だけ情熱的なんだから。もっと日頃からそういう所見せてくれたって良かったのに。


 ……あれ、今すっごく胸が苦しいや。なんでだろ、目が滲んできたしあれ、あれ……?

 あっ、そっか分かった。もう離れないと苦しくなっちゃう。

 だって、だって——


「どうして、こういう時だけ名前で呼ぶかなぁ……」


 これまでで一番、風浪が自分と向き合ってくれた瞬間だったからだ。

 ピタリと動きが止まるも、華二は頭を振り理性を取り戻す。

 そうして、彼女は闇の中に消えていった。


「はっ……み、みのり……ッ! いくな、いくなぁ……ッ!」


 伝えなければならない事があったが、もう無理だった。

 ここで風浪の視界はぐわんと揺れ始める、疲れがどっときたからだ。

 本当は立っているのもやっと。身体が麻痺していただけで、風浪の身体はとうに限界を迎えていたのだ。


「くそっ、くそっ……クソォッ……!」


 力の抜けていき、バタリと地面に身体を預ける。

 背中から優しく抱きしめられているような気分だ。

 体温が吸われ、血の気が引いていく。


「これはもう、ダメかもしれない……」


 風浪は瞳を閉じた。

 その閉じた瞼こそ、この暗い夜でもっとも底知れない闇を湛えた深淵なのかもしれない。薄れゆく意識の中、その奥底で、自分の魂が呑まれていくのを感じていた。

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