第34話 大旦那様

 風浪たちとは離れた場所で、彼らの闘いを見下ろす影があった。


「やりますねぇ、あそこから覚醒するだなんてやっぱりボクの見込んだ男だ」


 そう褒め称えるのは水無瀬湊。彼は傍観者であり、風浪の監視役である。

 その隣で、水無瀬に苦言を申す者がいた。


「あんさ青年。話を逸らすようだが、君は容姿が良いんだからもーぅ少し発言に気を付けた方がいいんじゃね? ていうかそうじゃない?」

「はは、そうですか? 僕の事を美少年だって言ってくれるのは巌さんだけですよ」

「わりぃわりぃ、そういう意味で言ったんじゃなくてな」


 その巌と呼ばれる男は、着物姿に腰に刀を携えている。ヒゲを生やした口には爪楊枝、武士は食わねど何とかと言った諺が似合いそうな風貌をしていた。

 発言からして、その男と水無瀬は気の置けない関係らしい。お互いにフランクな言葉が飛び交う。


「はぁ~~俺も戦い終えた後なのに、なんで呼ばれたかね……」


 巌の後方には倒れた男が放置されていた。

 絶望した表情を空に向けたまま、ばっさりと斬られた胸元から血を流していた。既に意識はない。彼は異能蟲毒で敗れた者である。

 一仕事終えたと言わんばかりの巌の顔は、とても退屈そうであった。


「そんな溜め息つかないでくださいよ、実に興味深いモノが見れたんですから」

「あぁ、キスね。あれが何だって言うんだい」


 そう言うと、水無瀬は不敵に笑った。


「そう……あれが夜獣の『性衝動』ですよ」


 水無瀬の言葉に、巌は興味深そうな顔をしながら顎に手を置いた。


「ふぅーん、そういや前にカニちゃんが夜獣の少年に襲われたっていうのを聞いたが、それの事かい?」

「いやらしく肩を揉んでた時もありましたね。そうですね、ちょっぴり破廉恥な事をしてしまいがちになるらしいですよ、あはは」


 呆れ笑いを漏らす水無瀬。しかし、巌の疑問は解決していないようだった。


「んでも、なんでキスをすれば覚醒するのかね。もっと他にあるんじゃないのかい」

「それはですね……」


 と、水無瀬が口にしようとした時だった。後ろから野太い声が聞こえてくる。


「——愛する者の成分オキシトシンか」


 彼らが後ろを振り向く。そこには黒の装束を身に纏った大男が立っていた。

 すると、水無瀬が口を開く。


「おいででしたか、ローゼンクロイツ様。夜獣が覚醒したようです」


 ローゼンクロイツ、それは彼ら二人の主人であった。

 高い背丈の細身で、黒のロングコートが映える外見をしている。無機質で、冷たい仮面に覆われた彼は常に口数が少ない。ただでさえ表情が読めず、何を考えているのか分からない不気味さが、主人の性格を助長させる。

 水無瀬が軽い挨拶と会釈をした後、ローゼンクロイツは「そうか」と言うだけで何も返さない。その寡黙な男は、水無瀬に告げる。


「話を続けろ」


 ローゼンクロイツがそう言うと、水無瀬はニコリと微笑んだ。


「そうですね、夜獣の覚醒に必要なモノは『愛する者の成分』なんです」

「オキシトシンっていやあ、女性ホルモンだよな。注射だか何でもいいから、そのホルモンを投与して覚醒させてやりゃあ良かったんじゃないかい?」

「それはダメなんですよ、夜獣の愛する者じゃないと受け付けない。だから読んで字の如く『愛する者の成分』なんですよ」


 水無瀬が紙に字を書いて見せると、巌は困惑していた。


「……って当て字かいっ、分かるかぁっ!」


 ぺしっ、と水無瀬の手から紙を叩き落とす。

 それが風に飛ばされどこかへ消えていくなり、水無瀬は会話を再開した。


「あはは、でも僕たちは夜獣の覚醒を望んでいたワケじゃないんだ」

「そうだわな。あの一族が復活するとやっかむ奴らがいるからなぁ……なぁ、旦那さんよ?」


 コクリと頷くローゼンクロイツ。きっと返事は来ないと踏み、巌は溜息をつく。


「ま、旦那が何を考えているんだか分からないが、俺ぁ楽しけりゃいいんだ」


 すると、水無瀬が切り出す。


「旦那様も酷な方だ、夜獣に近付けだなんて。彼女、本気で彼に恋をしちゃってましたよ」

「……目的の為には、手段は選ばない」

「まぁ、旦那様がそうおっしゃるなら……」


 どこか憂いた表情を浮かべる水無瀬。

 そこで巌が飄々ひょうひょうとした口調で喋る。


「女ってのは強い男を好むモンだからねぇ。でもあの子、マジで強かったよ? 旦那様から貰った力とはいえ——」

「……よせ」


 ローゼンクロイツが口を挟む。いたたまれなくなった武士は手を向け謝罪する。


「悪いね、口が滑っちまったよ」


 一方で、ローゼンクロイツは武士に眼をくれず無言を貫き、どこか彼方へと視線を向けている。もう話に興味が無くなったのだろう。

 そして、沈黙が走る……が、それを破ったのはローゼンクロイツからだった。


「くく、くくく……ようやく目覚め始めたか」

「大旦那様?」


 ローゼンクロイツの視線は、風浪が戦っていた廃工場跡に向いていた。

 そこに感じる気配に期待と不安を滾らせて、見えぬ笑みをこぼしているのだ。

 従者には目もくれず、ずっと肩を震わせ続けていた。加えて、仮面に手を添えている。彼にとっては、それが外れてしまうほど愉快な出来事だったに違いない。

 その波が過ぎ去った後、ローゼンクロイツは告げた。


「華二の処理はお前に任せるヴァレンシュタイン……いや、今は水無瀬か」

「結局、僕がやるんですね。あーあ、気が重いなぁー」


 分かっていたとばかりに溜め息を付く。

 頭に両手を置きながら空を見上げる水無瀬に、ローゼンクロイツは言った。


「今回みたく面倒事を起こさなければ殺さなくても良い、お前の判断に任せる」

「信用されているんですね、いいんですか?」


 そんな水無瀬の問いに、淡々とした口調で答える。


「お前には抗う術を持たないハズだ、常に私の都合の良いように動くしかない」

「はは、そうですね。おっしゃる通りだ」


 巌に訝し気な眼で見られながら、水無瀬は命令に従った。

 そして、話は終わった所で、ローゼンクロイツは独り言を話し始める。


「あれが私にとってどれほど重要性のあるのかも分からない愚か者だが、やった事は大目に見てやろう。願ってもない機会が巡ってきたのだ。まぁ、彼を食べる前に私が彼女を先に殺してしまっていたがな、くくく……」


 物騒な事を漏らす男の目には、何が映っているのだろうか。

 彼の思惑も底知れず……夜の深さに紛れかき消えてしまうのだった。

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