第7話 幼馴染と下校

 図書室から廊下に出ると、静寂から一変……生徒たちの賑やかな声が聞こえてきた。

 しかし、華二は廊下に出てから一向に腕を離そうとはせず、風浪は腕を振り回して振りほどく。だが、何度も風浪の腕に食らいついてくる。その度に風浪は彼女を突き放す。けれども、彼女は何度でも果敢に食らいつく。惨めであろうが泥臭く、謎の執着心が現れ出ていた。


「なんで腕を離そうとするの、なんで逃げようとするのっ!」

「周りに変な眼で見られるからだ。高齢者の歩行介助でもないんだからやめろ」


 埒が明かないので、力に任せて無理矢理振りほどく。

 それに驚いたのか、彼女は目を丸くした。


「え、怒ってるの? 怒っちゃったの……?」


 怒ったように見えたのか、しょんぼりと肩を落とし俯いた。

 やり過ぎたか? と軽く反省していると、華二はポケットから何かを取り出した。

 チョコでコーティングされた細長い棒の入った銀の包みだった。彼女はその袋をこちらに突きつける。


「甘いモノ食べて、糖分補給して?」

「……少しでも罪悪感を覚えた俺が馬鹿だった。学校に菓子持ってくんな」


 風浪がそう呆れて返すや否や、彼女はにししと笑い、再度それを風浪に突きつけた


「ほら、王様だーれだ」


 と、謎の掛け声を仕掛けてくるので、風浪は熟考した。

 ……風浪には遊びが分からぬ。ただの学生である。

 惰眠を貪り、スマホをいじり遊んで暮らしてきた。けれども——


「何もかもをすっ飛ばして罰ゲームに移行しようとする、お前こそが邪知暴虐な王だ!」


 ——邪悪に対しては人一倍敏感だった。


「メロスは激怒した⁉」


 信頼する事の大切さを学べる小説の第一文を用いて驚愕するも、信頼されない華二は引き下がらない。

 そして、抵抗する風浪の元に踏み込んできた。


「やっ、やめろ……!」


 この調子で、風浪の話を聞かずに何度も口元にそれを突きつけてくる。

 こんな所を誰かに見られたら……と焦っていると


「……あっ」


 風浪は廊下の曲がり角で見覚えのある人と目が合う。

 移動教室の為、一人で教科書を抱えて物静かに歩く女子生徒——刹那だった。


「あ、風浪やっと登校してきたんだ……え?」


 刹那は挨拶をしようと片手でこちらに掌を向ける。しかし、その手は上がり切る寸前で止まってしまったのだ。

 風浪は状況を確認する。

 華二の左手は風浪の胸元に添えられていた。風浪にお菓子を餌付けしようと、距離が近い。それはくだらない程に、甘々しい……誰が見ても誤解を生むような光景であって——


「あー……ごめん、先に行くね!」

「えっ、違う違う! 刹那、これはそういう事じゃなくて!」


 見てはいけない光景に立ち会ったとばかりに、逃げ去る刹那。

 華二を振りほどき、刹那を追う。


「違うんだ、さっき図書室で会って妙に絡まれるんだ」

「絡んだって何。どーせ風浪の事だから、変な絡みつき方したんでしょ!」

「は、絡みつき方って何だよ⁉ 待ってくれ、あのさ——」


 キーンコーンカーンコーン。


「——あ」


 スピーカーを通して出る鐘の疑似音、後五分で授業が始まる合図。

 だから、教室に向かって授業の準備をしなくてはいけない、と身体が勝手に反応し、風浪は反射的に足を止めてしまったのだ。

 けれど、ここで向かうべきは刹那の方だったんじゃないか……そう後悔しながら、彼女の背を悩ましげに見ているだけだった。


 ◆◆◆◆


 そして、風浪は授業が終わるまで刹那には無視され続けた。話す機会はあるが、特別これといった話題も無く、何の進展もないまま帰りのホームルームを迎えた。

 教壇で教師が何やら連絡事項を言っているようだが、風浪は窓際の席で肘をつき、外の景色をぼんやりと見ながら黄昏ていた。

 そんな時に、後ろからツンツンと背中を突く感触がしたのだ。


「え、刹那……?」


 後ろの席には刹那が座っているのだ。

 振り向くと、やはり不機嫌そうな表情でこちらを見ている彼女の顔があった。

 しかし、風浪に用があるといった感じでもなく、顎をクイクイとさせながら「前を見ろ」と言わんばかりの顔をしている。

 刹那の非言語的メッセージを受け取り、なんだコイツ……と思いながら前を向くと、教師がチョークを持ちながら目の前に立っていた。


「夜ノ森くん……先生のあつーーーーいメッセージは受け取ってくれましたかぁ?」


 クラス担任だった。髪を後ろに括り、七三分けにしたメガネ……という印象のある小綺麗な女性が、チョークを風浪の額に当てながら笑顔で質問を投げかけてくる。


「なんだ、美住みすみか……風浪に何の用だ」

「さんを付けろよデコ助野郎。テメエは不良のリーダーか、あぁん?」

「ご機嫌斜めですね、一体どのような用件で?」


 突如元ヤン風な言動をした先生に、慎ましげに伺う。コイツはいつも風浪にはこうなのだ。

 同時に、周囲の生徒たちのひそひそと囁き合う様子も眼に入った。

 やっかみを買っただろうか? まぁ、ほとんどの生徒にとってはホームルームを中断され、帰る時間が遅れたのだから仕方ない。


「私の授業をサボったんだからご機嫌なワケないでしょ。まぁ無視した事はいいとして、放課後は必ず残りなさい? 今日は抜き打ちテストがあったんです。それを君はサボったの、明日に先延ばししたくないでしょう?」

「別に明日でもいい。早く帰らせろ、風浪にも時間がある」

「先生にも時間があるんですぅ~~。はぁ、全く反省してないようねぇ、今日来なければ課題を二倍にするわよ?」


 ニコニコと脅してくるが、風浪は見つけてしまった。眉間の皺……老化の合図だ。

 ビタミンC、ヒアルロン酸、ハトムギエキス……どれも持ち合わせがない。だとすると、風浪に出来る事はこれしかない——『従順』だ。


「なら仕方ない……放課後だな?」

「はい、夜ノ森くんが素直になるまで三分五十秒掛かりました~」


 美住は『またお越しくださいませ~』と聞こえんばかりのニュアンスで、ウザい教師が言いがちな台詞を言い終えると、教壇の方へ向かっていった。

 一部の生徒が、未だにこちらを迷惑そうな視線を送っているが、風浪は気に留める事はない。

 そして、チャイムと号令の音が重なり合って、ホームルームの終わりを告げた。


 ◆◆◆◆


 放課後、人気の少なくなった校内の一室。

 風浪は、教師の指示通りに教室に残って抜き打ちテストを受けていた。

 十分程度で一通りやり終えると、職員室にまで向かい始める。

 その通り道に自分の教室も通るので、チラリと覗いた。


「ホント、真面目だなぁ……コイツらは」


 少数の真面目な生徒が残っていて、学業に勤しんでいた。彼らにこのテストの中身を尋ねてそのまま答えを書き写しても良かったのだが……風浪には親しい仲の者がいない。

 別に事務的会話程度なら誰でも出来るのだが「テストの答案を教えてくれ!」と親しげに聞けるような間柄はいないし、当然そんなキャラでもないわけだ。

 人と交わる事を好まない風浪は、学校内でやや孤立していると言っても良いのかもしれない。何故なら、風浪は異能力者であり、同級生とは上手くやれる自信がないからだ。


 よくよく見てみれば、風浪の方から避けてしまっていると思えなくはないが——


「あの、これちょっと難しくないデスカ……?」


 職員室に辿り着き、テストの回答を貰いに来た。

 テストの科目は数学。現代文のような感覚的なモノではないから一目で解けるようなモノではない。しかも、予習などしていない不真面目な風浪にとっては、苦手この上ない教科だ。

 答案用紙を覗いた先生が大爆笑した後、深呼吸をした。

 精神統一をしたのだろう……心を鎮め、風浪に告げた。


「何言ってるの……ここから中間テスト出題するんだから、しっかり解けるようになってもらわないと困ります」

「ちゅ、中間テスト……だと?」


 は、初耳なんだが?

 しかし、先生は一度言いましたからね! と一点張りしかねない程の圧で主張してくるので「そうでしたね……」と渋々話を合わせた。


「とりあえず、もう一度復習をして、明日までにこのテストをやって持ってくるように」


 美住先生は厳しい態度で、新しいテストを手渡してきた。

 つまり、もう一度勉強し直してこいとの事。しかも、明日までに。

 出来なくもないが、こんなくだらない事に費やす時間はない。


「(大体、こんな社会に役に立つかも分からない学問が出来たからどうだと言うのだ。ノーベル賞にも存在しない分野なクセに生意気な。だから、自然科学の嫌われ者なんだ)」


 しかし、風浪のお口は素直なようで。


「分かりました、では」


 さっさと諦めた。そして、職員室から踵を返す。


「……せっかくだから、学校でやるか」


 そう呟くと、早速図書室に向かう事にした。

 普段から校内で何か作業をするとすれば、そこだと決めているのだ。

 そして、図書室の前に来ると、そのドアがガラッと開いた。


「「あ……」」


 目の前には風浪の幼馴染、刹那がいた。

 相変わらずの物静かで可愛げのある顔が、こちらを向いた。


「や、やぁ刹那……」


 何を話そうか悩んだ末に、挨拶をした。


「風浪……あ、うん……どうも」


 風浪たちはお見合いでもしに来たのだろうか。いや、これは風俗で元同級生と会ってしまったシチュエーションとでもいう(断言)。

 ただ、予想外の出来事ではあれ、彼女は返事を返してくれた。

 そんな反応に風浪は安堵を覚えたが、そこで待っているのは若干の沈黙だった。

 風浪は何を話そうか、話題が探すのに必死だった。刹那もそうなのだろうか、とチラリと顔を覗き込むと「そういえば」と彼女から話は切り出された。


「風浪、テスト勉強はしてるの?」

「あんまり……いや、全然してないな」


 深刻そうな表情で言うと、刹那は「やっぱりね」といった顔を見せた。


「あの抜き打ちテスト難しかったでしょ、絶対解けなかったと思う」

「いや、ちょっとケアレスミスで間違えたくらいかな……」


 つい、刹那には強がりを言ってしまう。女に良い所を見せたがるのは男の性であるからだ。

 しかし、彼女は風浪に詰め寄ってくる。


「ケアレスミス? 何それ、解けなかったって事じゃないの?」


 ……と、バレてしまうのがいつものオチ。

 それもそうだ、仮にも彼女は風浪の幼馴染であり、風浪の生活態度、学業などの事はお見通しなのである。問い詰められてボロが出る前に、風浪ははっきりと告げた。


「……テスト、全然分かんなかったんだが」

「ほら、やっぱりそうじゃない。知ってたんだからねっ!」


 刹那はフフンと鼻を鳴らし腰に手を当て、小生意気な表情へと変わる。

 ここで何となく、言うであろう言葉を感覚的に察した。


「じゃあ、これから一緒に勉強するわよ。分からない所は教えてあげるから!」


 やはりこれだ。刹那が世話焼きな事はもう何年も前から知っている。

 しかも、こういうやり取りをこれまでに何度もしてきた。

 だからといって、逃げる選択肢はない。機嫌を取り戻した彼女との関係を保つ一つの手段だと思えば、答えはこれしかないのだ。


「ありがとう、じゃあ……一緒に勉強するか」


 ニコリと花のように微笑む刹那。それに、風浪はこの上ない安心感を抱くのだった。

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