第6話 秘密の会談

 学園内の喧騒はどこへやら、風浪と水無瀬が図書室の扉をくぐると、閑散とした室内を目の当たりにした。


 辺りを見渡すと誰もいない。学園の生徒、図書委員の当番も、皆この場所を忘れてしまったのではないかと思う程……まるで、広い空箱のようだった。

 室内は、カーテンで本の天敵たる光が遮断され、薄暗い。さらに、紙とインクが長年にわたって混じり合い、滲み出た匂いが図書室たらしめている。


 そんな空気に触れながら、彼らは奥へと移動すると、個室に辿り着いた。

 ここは普段から鍵がかかっており、あまり頻繁に使われない部屋。防音性を兼ねているので面談やカウンセリングする場として使用されている。


 室内には、簡易テーブルと椅子だけ。そこに水無瀬が腰を下ろすと、ふぅと息を吐いた。


「さぁ、ここならゆっくり出来ますね」


 トントンと椅子を叩いて、自分の横の椅子に座らせようとするが、風浪は無視して向かいの座席へと座った。

 すると、ふとどこかからの妙な花の香が鼻をくすぐる。

 疑問に思い、風浪はそれを口にした。


「なんだ、この匂い……お前か?」

「そう、これは僕の芳香パフューム。これは生物の深層にある危機意識を高めて、誰も来ないように撒きました。——ここに来てはいけない、って」


 水無瀬は声のトーンを下げ、そう言った。

 組んだ手を膝の上に置くなり、冷静に風浪の顔を見据えている。


「まぁ、お前も異能力者だからな」


 実は、水無瀬も風浪と同じ異能力者の一人である。能力については分からないが、人避けの香を焚き、二人だけの空間を予め作っていた。

 何故なら、これから話す内容は人の耳に触れない方がいいからだ。


「それで……夜獣センパイ? 昨日はお疲れ様でしたね」


 水無瀬は鼻先で笑い、軽口を漏らす。

 知っていたのだ。風浪が昨日何をしていたかを。


「……だから、その呼び方止めろって言ってんだろ」


 しかし、水無瀬のペースに合わせるまいとして、風浪はふてぶてしく返す。

 水無瀬はそんな態度を気に留める事はない。むしろ、彼に敬意を示すかのような反応をする。次の彼の言葉が、それを物語っているのだから。


「いやいや、かつて十三血流イルミナティ最弱と謳われた一族——夜獣ヘイズビーストの貴方が〝まだ〟このゲームに生き残っていたとは、驚きですからね」


 水無瀬は足を組み直して、薄く笑う。

 その様子に、風浪は若干の溜め息を吐いた。


「……夜獣ヘイズビースト先輩って語呂が悪いだろ」

「あ、そっち? じゃあ、夜獣やじゅうセンパイ……あぁ、ごめんね。こんな話をする時におふざけが過ぎたかな?」

「分かっているならいい。学内で俺の素性を知っているのはお前だけだ、だから来てやったという事を忘れるな」


 軽口を叩き、風浪は静かに話し始めた。


 ◆◆◆◆


 十三血流イルミナティ——それはかつて、裏で世界を支配した十三もの一族の事である。

 彼らは時代とともに名を馳せた者ばかり、聖職者や科学者……そして、暗殺者なども存在した。彼らは皆、俗世にひっそりと溶け込み、人とは異なる世界で生きている。


 そして、風浪がその十三血流の一人、夜獣ヘイズビースト。かつて、西洋にて名を馳せ、世界に夜を轟かせた一族であった。

 だが、それも昔の話。

 一族が衰退したことによって、今やただの異能力者として力を隠してひっそりと暮らしているのだ。

 彼が言うように、夜獣は十三血流にて最強。『夜力』という異能力を用いて、過去には数多くの弱者を救ってきたとも言われている。そんな一族なのだが——


「その最後の生き残りがこんなゲームに参加させられるなんて、センパイも大変ですね」


 ——彼しか生き残りがいないわけだ。


「全てお前らが仕組んだ事だろう、いつも傍観して何が楽しい……何が目的だ?」

「じれったいなぁ、本当は分かっているクセに……自分がどういう存在かって、立場を分からせているだけですよ」


 水無瀬は物知り顔で、風浪が非常に危うい立場にある事を告げた。

 夜獣の一族はとある闘争により破れ、風浪が唯一の生き残りとなってしまったのだ。


「あの猫さんも大変ですね、こんな闘いに巻き込まれてしまうなんて」


 そして、とうとう十三血流はとあるゲームを始動した。

 その名も『異能蟲毒ファクターズゲーム』。

 この薄宵市に集められた数百人の異能力者を戦わせるバトルロワイアルである。


 世界にはあらゆる異能力者が存在する。十三血流の中には、その異能力者を見つける力がおり、彼らをこの薄宵市に集められ無理矢理戦わせているのだ。


「あいつも巻き込まれた側の人間だ。協力しなくて良いと言っているが、そうはいかないらしい」

「健気ですね……従者とはいえ、そこまで尽くしてくれるなんて」


 ライラの存在も、水無瀬に知られている。

 彼女も異能力者の内の一人で、猫耳族コーサニカ——気候や風を操るのだが、戦いには不向きな異能力なので、風浪が匿ったのだ。

 それがきっかけで彼らは主従関係を結ぶようになった。


「それでヴァレンシュタイン、お前に聞かなければならない事がある」


 水無瀬は、あくまでペースを崩すつもりはないらしく、お調子者の態度を貫く。


「男らしい顔でボクを呼ぶだなんて、どうしたんですか……夜獣センパイ?」

「ヴァレンシュタイン家の跡継ぎであり、次期頭首という立場であるオーギュスト・ヴァレンシュタイン。十三血流が一人であるお前に聞かなくてはいけない事がある」


 そう……水無瀬はこのゲームを開催した風浪の天敵であるのだ。

 だが彼であれば、今俺の抱えている問題を解決してくれるに違いない。

 そう踏んで、風浪は目の前の男に凄んだ態度で尋ねた。


「それで、どうして彼女——刹那が狙われているんだ?」


 水無瀬は、その問いに目を丸くするが、すぐには答えない。

 数秒押し黙ったのち、こちらを見つめて口角を上げた。


「……へぇ、彼女さんの事が心配なんですか、やりますねぇ?」

「茶化すな、どうしてかって聞いているんだ」


 風浪は頬の筋肉を強張らせ、威嚇してしまう。イライラしている事くらい分かってる、けれども隠せなかった。

 そんな彼に、水無瀬は声を鎮めて質問をしてきた。


「なんでボクに聞くんですか? これまでに、センパイに何一つ嫌がらせなんてした事ないじゃないですか」


 ——なんで? どうして?

 分からないのか、だったら俺が改めてお前の事を教えてやる。

 そう言わんばかりに風浪は口を開いた。


「当然だろう。何故なら、お前は俺の『監視役スコーピオン』だからだろ」


 風浪は監視されているのだ。

 十三血流の中では、彼の行動を好ましく思わない連中が数多くいる。ライラを引き入れたように、行き過ぎた力数を持たぬように監視すべく、水無瀬が風浪の元に派遣されたのだ。

 だから、彼が裏で繋がっている事は間違いないのだ。


「そりゃあセンパイが本気でゲームに参加しないからこうなるんですよ」

「ふざけるな、こんな戦いがお前らにとって何のメリットがあるんだ」


 今、薄宵市には様々な事件が起きている。それがこの戦いによって引き起こされているとは誰も知る由もない。何故なら、十三血流たちの手によって証拠は隠滅され、情報も操られているからだ。


「彼らは強い血筋を欲しがっているんだよ。蟲毒という名の通り、争いに勝った生存本能の強い者を“こちら側”に引き入れる為の作業に過ぎないのさ」


 その言葉に、風浪は酷く納得が出来なかった。


「作業だと……刹那は……巻き込まれた人間は、一体どうなるんだ!」

「僕に言われても。まぁ派手にやらないようルールは設けてあるよ、流石に情報隠蔽にも限度があるからさ。けど君を狙うのはまた違う理由だよ」


 水無瀬は薄く笑う。そして、子気味の悪い表情で風浪に忠告するように言った。


「——君は戦わないの?」


 ピリついた空気が流れる。


「どうして刹那を狙い始めた、始末するならゲームに参加しない俺のハズだろ。お前のマスターは何を考えているんだ?」


 そして、水無瀬は頬をの両端を吊り上げたまま、無言を貫いていた。

 正直この件に何かしら打開策を打たないと、風浪も正直疲弊してしまう。

 そんな態度を見かねた水無瀬は、ようやく口を開いた。


「……僕には大旦那様の考える事は分からないからね。でも、無能力者の一般人に危害を加えるほど馬鹿でも暇でもないはずだよ」


 大旦那……それは水無瀬が仕える主人マスターの事だろう。

 また、敬語から普通の口調に変わったが、それが何を意味しているのかは分からない。


「お前は仮にもそいつの従者メイデン、側近であるお前に何も告げないとは思えないがな、本当は俺に何か隠し事をしているんだろう?」

「前にも言った通り、大旦那様は君を殺そうとしているわけじゃないんだよ。ただ、君の力がいつ覚醒するのか知りたいだけなんだ」

「それは前も聞いたな……はっ、良い顔するのだけは上手いんだな」


 風浪が毒を吐くと、彼は目を閉じやれやれと溜め息をついた。


「……はぁ、君がそう思うのならそれでいいよ。けれど、どちらかと言うと僕は君に肩入れしている方なんだよ」


 残念そうな顔をこちらに向けてくる。

 だが、風浪も思う所があり謝罪した。


「そうだな……少し言い過ぎた、悪い」

「大丈夫だよ、君も毎夜お疲れだからね」


 十三血流は彼らの行動が明るみになる事を嫌う。

 なのに、監視役である水無瀬の方から先に近付いてきてくれた、これはイレギュラーな事態である。

 だから風浪がこうも接触を持ってしまうのは、何かしらの利害があると伺えるからだ。学園内の友人のよしみ、という簡単なモノでは説明出来ない何かを、風浪は感じ取っていた。


「まぁ、くれぐれも逆らい過ぎないようにね。彼らはゲームに参加しない者を嫌うから」

「ふん、それはどうもご丁寧に」


 ただ風浪は、水無瀬は何か隠し事をしている事だけは理解していた。

 もちろん人間なのだから、秘密の一つや二つは持ち合わせているのだろう。だが、核心的な秘密を持ち合わせている……そんな気がしてならないのだ。


「センパイは素直な方がいいですよ」

「またその呼び方かよ。本当に飽きないな」


 また、彼も何か武器を隠し持っているのも事実。

 水無瀬とは争いを避けなければならないと風浪は感じていた。


「そろそろこんな話はやめにしようか」

「そうだな、そろそろ授業の予鈴が鳴る頃だしな——ん?」


 風浪は個室の扉から出ると、誰かが図書室に入ってくるのに気付いた。

 それは、ひょこっと小動物かのような動きで、待ちわびたぞと言わんばかりな表情。恋人に向けるような微笑ましい挙動をする少女——華二みのりだった。


「……なんでお前がいるんだ?」

「あーっ、やっと見つけた! 窓から玄関口に入ってきた風浪くんを見つけたから、どこに行ったんだろうって、ずっとトイレ付近を探してたんだよー?」


 どこに狙いを定めて捜索しているんだ……と風浪がツッコミを覚えていると、水無瀬が顎に手を添え、納得している様子だった。


「なるほど、便所飯しているかもしれないって思ったんだね、カニちゃんは優しいね」

「えへへそうでしょ、一緒にご飯食べてあげようと思ってたんだぁ~」

「 し ば く ぞ 」


 風浪がイジられる姿に、水無瀬は無邪気に笑い出す。


「あはは、二人ってホント仲良いよね。なんか、慣れた間柄って感じがする」

「ほんとーっ? だってさー風浪くん、お似合いだって♡」

「ペットと飼い主みたいな関係って意味だろ。俺にはそんな趣味はない」

「なるほど、センパイはそういうのがお好みなんですね」


 などと、人の意見を間違った解釈をする二人。推理漫画特有のトリックでも、殺人事件が起きるのでもない限りやめて欲しいと、風浪は思っていた。

 そんな時に、華二がある疑問を投げかける。


「そういや水無瀬くんってさ、同学年なのにどうしてセンパイ呼びなの?」


 確かに、同学年でセンパイ呼びはおかしい。

 だが、その答えを風浪は知っている。


「(絶対に言えないよな……)」


 ……それは、教育上よろしくないビデオの影響なのだ。

 その出演者の『野獣先輩』という人物の名前に衝撃を受け、バカの一つ覚えのように、風浪をあざ笑うかのようにそう呼んでいるのだ。水無瀬が以前そう言っていた。


「え、ええとね……」


 友人同士の訳の分からないノリややり取りは誰だって少なからず経験はあるだろう。

 活舌の悪い先生の物真似や、変なあだ名の付け合い……そんな青春も悪くない。


「(だが、これはどうなのだ?)」


 水無瀬が何か言うのを躊躇っていた。それを、そのまま華二に言うのだろうか……と様子を見ていると、彼は顔を薄く赤らめながら彼女に伝えた。


「彼はさ、その……『人生の』センパイだからね……」

「……おい、なんだその意味深げな反応は」


 その表情を見かねた華二は——


「ちょ、ちょっ、男同士で……⁉ 別にね、私はね、そういうの理解はある方だと思うけど……ふ、二人はどこまでいったのっ⁉」


 ——声を荒げて興味津々な様子。

 流石に風浪は看過する事が出来なかった。


「んなワケあるかっ!」


 盛大にツッコミを入れてもなお、華二が困惑していた。


「で、でも、クラスで二人は大の仲良しって噂が……」

「誰だそんな噂したやつ、勝手に人をホモ扱いしてんじゃねええええええっ!」


 風浪の絶叫が、瞬く間に校内に響いてしまう。

 すると、華二は俺の腕をぐいっと引っ張るなり、水無瀬に告げた。


「とりあえずこのセンパイは連れて行くねっ。次は移動教室で、ぼっちなこのセンパイは路頭に迷っちゃうから、それじゃあね♪」

「うん、センパイの事よろしく頼んだよ」

「よろしくなんて頼んでない」


 そして、水無瀬は二人に向かって、ひらひらと手を振った。

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