1章:日常

第5話 夜獣先輩

 風浪の住む街、『薄宵市はくよいし』は今日も平和である。自動車の行き交う音や、小鳥のさえずりなど、心地良い響きが耳を通り越してゆき、とても穏やかな喧騒に包まれていた。

 ここは、人口を五十万人以上を収容した一つの都市で、大都市の象徴である政令指定都市として位置付けられている。技術力の高い中小企業が多数立地されており、ものづくりの街という印象が強く根付いていた。

 元々、巨大な空き地だった場所が近年で、様々な企業の活動によって大きく発展していったのだが——この街には何かが起きている。


 謎の事故、行方不明、不審死……などの話題がメディアで取り上げられ、それらが人々の好奇心を駆り立てている。だが——


「眠い眠いぃ……」


 平穏を愛する風浪にはどうでもいい事なのか、眠たまなこで不眠による呪詛を吐きながら道を歩いている。昨日の事もあって、眠くて仕方ないのだ。

 彼がポケットに手を突っ込み、のそりのそりと腰を曲げながら舗装された道を歩いていると、こんな声を耳にする。


「おぉ、こんな時間に学生の幻覚が……ワシも歳かのう……」

「ちょっ、こら、見ちゃダメ。あれは興味本位で近付いちゃいけない人よ!」


 まだ閑散としたに市街地おいては、シルバーカーを引いた高齢者には「はて?」といった顔や、噂話に華を咲かせる主婦たちに奇異の視線を向けられてしまう。いつもの事だ。

 そりゃそうだろう。だって、今はもう日も昇り切ったお昼前。中高生が学業に励む中、こんな所で学生が歩いているなんて、間違いなく不良学生だ。

 風浪を見れば、それなりに何か思う所があるのだろう。しかし、彼にとっては道端で説教されないだけでも有難い。

 風浪は注目を浴び、軽い人気者の気分を味わっていると、学校のチャイムが鳴るのを耳にした。特別急ぐ理由もないが、人混みに乗じて目立つ事を避ける事が出来るなぁ……と悪い知恵を働かせた。


「そうだなぁ……今日は図書室にでも登校するか」


 そう呟きながら、風浪は一切ペースを速める事無く歩いていった。


 ◆◆◆◆


 学校に着くと、もちろん玄関口には誰もいない。

 思考をゼロにし、流れ作業のように上履きに履き替えていると、誰かが風浪を待っていた。

 それは、彼の事を多少なりとも好意を持つ——美少年だった。


「やぁ、夜獣センパイ」


 それは覚えたての言葉を使いたがる少年のよう。また、少し小馬鹿にするような口調で風浪を呼んだ。彼は客に小銭をレジ受けに投げられた店員くらいの気持ちで、返事をした。


「……水無瀬か、お前こんな所で何やってるんだよ」

「ただセンパイに挨拶をしに来ただけだよ、今日も社長出勤お疲れ様です! ってね」


 ビシッと敬礼ポーズをし、風浪を笑顔でセンパイ呼びする男は水無瀬湊みなせみなと

 苗字と名前の語呂が非常に良くて、早口言葉から生まれて来たのではないかと思う程度に、名前の覚えやすさは風浪の中で学年一だ。

 また学年一といえば、コイツの外見的特徴だ。すらりとした体躯に、絹のような肌の色白さ、その中性的なルックスが周囲からの人気を集める。

 また、非常によく通るハスキーな声を持ち、水無瀬の声を聴いただけで、一瞬で誰か分かってしまう程度にクールビューティーな存在。

 自分とは違う存在に、非常に劣等感を燻られてしまう風浪。


「まぁ、敬われるのは悪くない。会社を立ち上げたら行き場の無くしたお前を絶対に奴隷のように使ってやろう」


 と、このように皮肉を言うのだが。


「あ、スイマセンうち会社やってる家庭なんでそういうの結構です。僕は搾取する側です」


 このように、嫌味で返す才能がある。

 風浪の言葉に辛辣さが足りないのかもしれない。


「お前は無駄に人の憎悪を煽るな? 鬱憤のはけ口にする為に練った俺の人生計画が台無しだ」

「あはは、起業ですか。計画には目標って大事ですからね、分かります分かります」


 さも分かったかのような口調で、風浪の話を合わせてくる。

 しかし、水無瀬は続けてこんな事を言ってきたのだ。


「そんなのお金を稼いで彼女に楽させてあげるって理由でいいじゃないですか。ほら、センパイには刹那ちゃんっていう——」

「刹那は関係ないだろ」


 ピシャリと切り捨てた。理由は明快、『刹那』の二文字が出てきたからだ。

 風浪はいつも幼馴染の名前を出されると不愉快になる節がある。彼曰く、身体の内側がもぞもとするような感覚に陥るとのこと。


 なので、水無瀬はバツの悪そうな顔をし、話題を変え始めた。


「それにしても酷い顔だね、顔くらい洗ったの?」

「悪かったな、どこかの誰かさんとは違って『チビ・デブ・ブス』の三重苦で。これでもだいぶ苦労してるんだ、放っておいてくれ」

「もはや結婚や恋愛は諦めるべきだね⁉ ……うん。でも、ボクにはその全てが取り払われるほど、センパイの事カッコ良く見えて、好きですよ」


 口に手を添えこちらを窺うなり、妙なフォローを入れてしまう水無瀬。

 キザな態度を出す彼に一言、風浪は言わなくちゃいけないことがあった。


「……そういうのはお断りだ。性別に関してとやかく言うつもりはないが、俺はこんな性格だ。お前を受け入れる器量はない」

「え、同性愛の話ですか? あはは、センパイは突然意味不明な事言うから面白くて好きだなぁ」


 そう言い、抱きつこうとする彼の顔をぐいーと押しのけ、拒絶の意を示した。言葉だけで受け取るならそういう事らしい。

 水無瀬は見た目とは裏腹に、結構気持ち悪い性格をしていると風浪は思っていた。

 自分に対してだけなら良いのだが、頻繁に行われるボディタッチや、恋愛感情を思わせる発言ばかりする。タチが悪いのは、皆の前でこういう事をするから、一部の女子からの妙なウケが高まってしまう。


 だから、地味で目立たない平穏な生活を望む風浪にとっては、大の天敵である。本当にこの性格さえ無ければ、関わってもいいかと思うばかり。


「もういい、俺は行くべき場所があるからな。じゃあな」


 そう言って、水無瀬を置いて図書室にまで行こうとした時だった。


「……コホン。あれ、あれれれぇ~~っ? なんか可愛い女の子が歩いてくるぞぉ~~?」

「なんだ某名探偵風な口調……って、あ、あいつは……っ!」


 水無瀬の視線の先には、こちらに歩いてくる刹那の姿があった。

 まだ刹那は風浪には気付いていない。けれど、このまま行けば彼女と鉢合わせしてしまうのは考えるまでもない。


 だから、風浪は彼女からやり過ごすために、咄嗟に下駄箱の裏に隠れた。何故なら、遅刻を理由に絶対説教されるに決まっているからだ。

 一方の水無瀬は、さも好機とばかりに口を開いた。


「あっれー、刹那ちゃんどうしたの、お弁当忘れたのー?」


 それは素っ頓狂で、これ以上にないほど悪意に満ちた声。しかも、悪戯っぽく目の奥が光っており、その表情は実に艶やかだった。

 そんな愉快な声色にほだされ、刹那は水無瀬の方を振り向いた。


「あ、水無瀬くん。そうなの、私今日ポカしちゃったからこれから購買に行くの」

「珍しいね、真面目な刹那ちゃんが購買だなんて。栄養のあるもの食べなよ?」

「あはは、ありがとう。いつも優しいね、誰かさんとは大違い」

「誰かさん……? や、優しい……?」


 水無瀬は、刹那の言葉に過敏に反応していた。

 どこに興味を示したのか、非常に淫靡で好色な表情を彼女に向けていた。その眼はまるでたくましい生き物、猛る穂先でも見つめる少年のように……。


「そ、そそ、そんな事ないよ。風浪くんの方がもっと優しいから……」


 ……水無瀬は快楽や、苦痛ともつかぬ声まで上げ始めている。

 一方の刹那は、そのリアクションに苦笑を浮かべていた。


「えっと、どうして風浪が出てくるのかな……? それに、二人はどんな関係で……かな? あはは」


 真面目な刹那はツッコまない。


「(俺がこういう事を言えば『死ね』だとか『近寄らないで』みたいな、思春期の娘みたいな言動をするクセに、他人には甘いんだよな)」


 それだけ風浪に心を開いている証拠とも言えるのだが、彼の知る由もない。


「刹那ちゃんを見ると風浪くんを思い出してね、彼は野獣のように猛々しいんだ……」


 水無瀬は何かしらのスイッチが入ってしまったようだ。べらべらと、風浪の虫唾が走るような言葉を並べながら褒めちぎる。

 そんな水無瀬の様子に刹那が後ずさりし、距離を取り始めた。今がチャンスだと思い、下駄箱の陰から水無瀬の背中を突き、を小声で止めに入る。


「(おい、気持ち悪い事を言ってないで早く刹那を行かせろ!)」


 しかし、彼の衝動は止まらない。


「(今良い所なんだよ、センパイの良さを語るには刹那ちゃんじゃないといけないんだ。大体、イカせろだなんて……君も随分大胆になったものだね!)」

「(鼻息荒くする要素がどこにあるんだよ! あぁめんどくさい!)」


 とてもタチの悪い水無瀬に苦戦していると、怪訝そうな顔で刹那は尋ねる。


「水無瀬くん、どうかしたの……?」


 異常な言動に、顔色を窺っている。

 水無瀬は冗談のつもりだろうが、もはや刹那は本気で何かを懸念し始めていた。

 すると突如、彼女はハッと何かに気付いたように口を押さえ、妙な言葉を口にしたのだ。


「も、もしかして……水無瀬くん、頭おかしくなっちゃったの……?」

「(……真面目に何言ってんだコイツ)」


 刹那は真っ青になりながら、水無瀬の体調を窺っている。このタチの悪い冗談には、流石の水無瀬も余裕を崩さざるを得ないようだった。


「顔も赤いし変な発作が出てるし、間違いないよ……大丈夫、倦怠感はない? あ、私除菌シート持ってるよ!」

「突然耳を疑うような誤解するね⁉ わ、分かった刹那ちゃん、保健室行けばいいんだよね、行くから落ち着いて?」


 これはミラーリングかもしれない。

 本来、相手に親近感を湧かせる為の心理的テクニック、類似性の法則によるものだ。だから、刹那は過剰なリアクションで水無瀬とコミュニケーションを図ろうとしたのだろう。

 が、これはあくまでテクニック。あまりにも露骨でわざとらしい真似方をすれば、相手を困惑させる技となる。今回は刹那との方向性の違いにより、水無瀬は受け入れる事が出来なかった。バンドなら解散モノだ。


「……あ、でも水無瀬くんってモテるから私が連れ添ったら誤解を受けるし、ごめんだけど一人で行って欲しい……」


 流石、飾利刹那。

 全てのターン、相手の効果を無効化する(K〇NAMI風)。


「話が飛躍してる⁉ ち、違うんだよ、風浪くんまだ来ないかなーって思っててさ。彼に早く会いたいなって思ってただけなんだよ!」


 慌てて訂正に入る水無瀬に、風浪は良いザマだとほくそ笑んだ。

 しかし、彼の言葉の何かしらに引っ掛かったようで、彼女のバトルフェイズは終了した。


「あ、風浪の事ね……ホントそうよ、あいつったら私が迎えに行かないと毎回ちゃんと学校来ないんだから! あ、でも良かった~、水無瀬くん本当に頭がおかしくなっちゃったのかと思った」

「心配しているつもりで、さり気なく酷い事を言うね? でも本当にそうだよ、刹那ちゃんがいないと彼はもう落単、留年、退学の3コンボだ。あ、それで僕の勘だけど、そろそろ風浪くんは来ると思う」


 水無瀬は波風立てる事なく、刹那の意見に賛同しつつも、俺の情報を告げて彼女を教室へ向かわせる手引きをした。


「そっか、もうこんな時間だもんね。風浪には説教してやらないと……って、そんなんじゃないんだからねっ⁉」

「早く行かないと彼、逃げちゃうよ」

「そ、そうだね! ありがとう水無瀬くん、風浪見つけたら捕まえて説教してくるねっ!」


 水無瀬は彼女のツンデレを華麗に流すと、「お元気で~」と刹那に手を振り、見守っていた。

 そして、ようやく訪れた平穏の中で、風浪は顔を出した。


「い、行ったか……?」


 彼女の姿を隠した壁を、風浪は三秒くらい恐る恐る眺める。

 そんな行動に、水無瀬はこんな感想を抱いていた。


「可哀想に、顔くらい見せてあげてばいいのに」

「あ、あいつと関わると長くなるんだよ……」


 我ながら、風浪は感情を隠すのが下手だと思った。何故なら、水無瀬が笑ってこちらを見ているからだ。何か言いたげな顔をしている。


「ま、昼休みが終わるまで時間があるから、図書室にでも行こうか」

「なんで俺が誘われてるんだよ……」

「今日はね、新刊の入荷日なんだ。だから楽しみにしていてね」


 水無瀬は勝手に話を進めてくるが、風浪も彼に用事があった。


「そうか、俺も図書室に用があるから……行くか」


 そうして賑わう教室棟を抜けて、彼らは図書室へと向かうのだった。

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