第4話 刺客

 ここは街から外れた森の奥。

 夜目を利かせた風浪は、闇を照らす月明かりを頼りに、鬱蒼とした木々をかき分け進み続けた。


「……ここか」


 それを抜けると、眼前には緑に囲まれた川が広がっていた。

 湿っぽい夜風は草木を揺らし、緩慢な水の流れ道とともに、耳障りの良い演奏を流してくれる。荘厳で慎ましやかなそこは、上質な水辺を物語っていた。


 そんな閑散とした川のほとりで、彼は人の身体ほどの大きさのある岩の上で佇む、小さな影を見つけた。


「待たせたね」


 こちらに気付き、岩から飛び降りるとチリンと鈴の音が鳴った。

 それは、一匹の黒猫だった。


「ごめんなさいね、彼女と仲睦まじく戯れている最中に茶々を入れてしまいまして」

「違う、刹那とはそういう関係じゃない」


 後ろ脚でカカカッと首を掻きながら、悪いと思っていないような素振りをする。

 語尾にまぁ、どちらでもいいけどねと付いていそうだ。


「うふふ、そんな事言いなさって、本当の所はどうでございますの?」

「猫の顔でニタニタと笑うな……気持ち悪い。本当に気の知れた相手ってだけだ、ライラ」


 彼女はライラ=ノクティネス、猫耳族コーサニカの一人で、彼の従者メイデンである。

 従者とは主従関係を結び、仕えてくれている者の事。ライラは風浪無しでは生きていけぬ制約を受けているのだが、この通り軽口を叩いている。


「わたくし、学校でのお二方の関係を全く知りませんの。だからこの姿で覗きに行こうにも、限界があるわけでして」

「警備員に変な猫がいるから敷地内に入れないでくれと伝えておく。くれぐれもエサなんかやらないようにってな」

「どうしてそんな事を言いますの。最近の職務の方々は猫に優しいんですのよ?」


 風浪が冷たくあしらうと、彼女は残念そうに小さな肩を落とした。

 現在、ライラは猫の姿をしているが、人間の姿にもなれる。しかしライラ曰く、こちらの方が彼女にとっては生きる上では便利らしい。小柄な方が動きやすいし、少ない量でお腹を満たせるとの事、そんなモノらしい。


「ねぇ教えてくださいます? 刹那サマとはどこまでいきましたの?」


 まだ聞き足りないのか、ライラは続ける。


「それは……」


 風浪にとってライラは、両親に代わる存在。人生経験の長い彼女にそれを聞かれると、まるで母親に恋愛相談しているような気持ちになる。なので、問いに間を置いたのち、言葉を漏らした。


「刹那は俺の大事な人だ。けれど、俺は異能力者だから……」

「そんな事はございませんわ。人間皆平等、博愛主義でいきましょう?」

「そう簡単に言えるのはお前だけだよ」


 上品な口調ではあるものの、能天気な性格なので共感はしない。自由気ままな言動も、良く言えば大らかと言えるだろう。

 きっと世渡りが上手く、人の懐に入るのが上手いから、こんな事で悩んだりなんかしないのだ。いや、もしかしたら彼の悩みなんて、長く生きた彼女にとっては、もうとっくに些末な事なのかもしれない。


「まぁ、私たちとは生きる世界が違いますから、難しいですよねぇ」


 ライラは風浪を宥めながら、気持ちを汲み取ってくれた。

 ……そう、彼らはこの世の者とは少し違う。

 人とは異なる力を隠し、ひっそりと一般人の中に溶け込んでいるだけなのだ。

 一度彼らの存在が世間に知られてしまえば、人々は混乱するだろう。

 もちろん、風浪の想い人である刹那も——。


「……ニャ、近付いてきましたわ」


 ——ガサッ。

 会話を中断し、僅かに音がした茂みを注視する。

 圧し掛かるように重く、淀んだ空気……気付かざるを得なかったようだ。

 気配を察した彼らだが、身構える暇を与えないくらいに唐突に、ヤツはこちらに襲い掛かってきた。


「ガアアアアアアアアアアアア——ッッ‼」

「ご、ご主人!」


 現れたのは、人の体格ほどの魔物であった。鼠色の毛皮で周囲と擬態させ、紅の瞳を闇夜に走らせる。

 躊躇いも容赦もない動き。剥き出しの殺意たる生爪で、こちらを切り刻もうとしてきたのだ。

 風浪は身体を転がし、受け身を取るので精一杯だった。


「くっ……ついに始まったか……ッ!」


 幸い、間一髪の所での回避。

 だが、不意打ちにより心が昂ぶってしまう。


「お、落ち着け、落ち着け……周囲を見ろ、ヤツらは、何人いる……!」


 ——が、胸筋を爪が食い込むほどに握りしめ……抑えた。

 風浪は物事を一点に集中し、周囲の気配を探る。


「……コイツ一匹か、なるほど。」


 一方のライラは、率先して敵の陽動を行っていた。


「今は私が引き付けますから、ご主人は早く臨戦態勢を!」


 追われるライラの姿を見つめ、呟く。


「分かった……悪い、少しだけ待っててくれ」


 彼女の作ってくれた時間は無駄にしない。

 風浪は身体に急げと命令した。電流が身体を介し、脳に流れるより素早く……!

 そして、彼は全神経を巡らせ、夜と同化する——


「あまねく夜を統べ——」


 眉間に指を置いた精神統一で、夜と同化をし、夜を取り込んだ。

 彼にとっての夜は、自身の力を増幅させる源——『夜力ノクターナ』。

 それはファンタジー世界で言うところの『魔力』といったところか。みるみるうちに、彼の身体に力が満ちていく。そして、取り込んだ夜力を全身に放出させた。


「——我は目覚めるッ!」


 青白い光が走り、夜力で身体が覆われる。

 夜力を身体に巡らせる事で、自身の身体能力が格段と向上するのだ。

 呼吸を整えると、風浪は臨戦態勢に入った。前髪を上げ、目は相手を射抜くように鋭く光らせる。


「風浪サマ、来ますわ!」


 ライラが叫ぶ。最後まで敵を引きつけられなかったのだろうが、充分な時間稼ぎであった。

 そして、目の前の敵が一閃してきたので、頬を掠める。


「ふっ——」


 そのまま二閃、三閃——と追撃を寄越してくる。

 飛びかかる相手の攻撃を紙一重で避け、隙が出来た敵の横腹を一蹴した。


「グオォッ!」


 吹き飛び、背中から木に激突した敵は苦悶の声を漏らした。口からは涎を垂らし、まだ勝ち気な面をこちらに拝ませてくれる。

 だが、もう夜力によって強化された風浪の敵ではない。

 彼は敵に向かって指を刺した。


我は穿つブレイズ——!」


 指先から撃鉄を鳴らし、夜力ノクターナで生成した闇の塊を放出した。


 闇とは引力。地球に働くこの力に当たれば一度、引き千切られるような感覚を覚えるそれは、鉛のように殺傷力がある武器である。


 闇弾は空を切り、紫電の如き弾速で駆け抜けた。

 だが、標的に避けられた銃弾は成木を穿ち、風穴を作る。

 蹴りのダメージは浅かったのだろう。そして敵の素早さは未だ健在。ならばと思い、放った。


我は穿つアイン……穿つツヴァイ穿つドライ——ッ!」


 風浪は続け様に、乱射攻撃ラピッドファイアを見舞った。

 避け切れなかった敵は、左腕を負傷する。


「ギャアアアアアアアッ!」


 痛みによる獣声で大気を震わせると、背中を向けて走り出そうとした。また陰から不意打ちを仕掛けるのだろう。

 あの程度の攻撃で死ぬワケがないと理解している風浪は逃がすハズもない。

 彼は即座に動き、その場を去ろうとしたヤツの元へと近付いた。


「……的が遠く当てづらいのなら近付き、的を外さなければいいだけの事——」


 ——イメージしろ。

 強靭で手に馴染み、強烈な斬撃を生み出せる……必ず相手を仕留める力を——ッ!


我は断切るファルシオン——ッ!」


 右手に夜力を集め、想像を具現化。彼は武具を生成した。


 ラテン語で『鎌』を意味し、弓張り月を模る。容易に兵の腕を切り落とす逸話の通り、断ち切る事に長けた長剣——漆黒の刃を創り出したのだ。


 穂先を向け、そのまま一直線に駆ける。

 敵の懐に入った一閃は、防御姿勢に入った敵の爪で守られるのだが——


「グエエエエッ!」


 鈍く、肉の落ちる音とともに断末魔を上げ、敵は倒れた。

 勝負は一瞬、とても呆気なく終わる。

 それを見下ろしながら、風浪は呟いた。


「お前の自慢の武器は、俺のやいばには敵わなかったみたいだな」


 その言葉を残すと、敵は白い塵と化し、跡形もなく消え去った。

 ようやく静けさを取り戻した河原に平穏が戻る。


「やりました、ご主人!」


 嬉しさのあまり、ライラは風浪の膝に擦り寄ってきた。


「……まぁ、雑魚だったから。このくらい余裕さ」


 ふぅ、と溜め息をついた後、地面に腰を預けた。

 余裕とはいえ身体を張った戦いである。どっと疲れが出てしまったのだ。


「そうですね、ご主人ならこんな相手いくらでも倒せますわ」


 持ち上げてくれるのは悪くないし、むしろ気持ちが良い。

 彼女は勝利を褒め称えてくれるのだが、風浪は一抹の不安を隠せないでいた。


「……俺は、本当は戦いたくないのに」

「そうですわね、まるで私たちで遊んでいるみたい」


 不気味な感覚を覚える彼らは重く口にする。風浪もライラも、本当は戦いたくはない。

 実は、夜中に徘徊してまで魔物を狩らなければならない理由があるのだ。


「今回もターゲットじゃなかったか……」


 ——そう、狙われているのだ。


 誰かが週に何回かのペースで数々の魔物を放ち、夜中に風浪を襲うのだ。考えられる理由はいくつもあるようだが、彼を始末したい奴がいるというだけの話。

 ただ、敵も目立った行動も避けたいらしく、戦う場所を常に用意してくれている事が、彼らにとっての幸いか。

 なので風浪たちは、使い魔を放つ大元を倒す為に毎夜こうして敵を狩り、探ることにしたのだ。


「仕方ありません、敵サマは隠れるのが上手ですから」


 どれだけ嗅ぎ回ろうとも、隠れるのが上手い為、なかなか見つけられない。

 闇に乗じて身を隠すなら、彼らも闇に身を投じる……というわけだ。


「……俺は絶対に十三血流に屈しない。こんなくだらない戦い、早く終わらせてやる」

「そうですわね、私たちの宿敵……絶対にこの手で……」


 壊された平穏を取り戻すため、再度固い決意を口にし、二人はその場を後にした。

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