第3話 放課後③

「早くして、ほら! 早くしないと売り切れちゃう、風浪急いで急いで!」

「急かすなよ、ガキじゃないんだからさぁ……」


 学校から歩いて数十分。

 今、彼らがいるのは本や雑貨、グッズなどが数多く取り揃えられた店であった。

 その手の若者や、大きなお友達も数多く集まる憩いの場でも知られている。入り口から離れた場所には、身だしなみの整っていない猛者たち(誉め言葉)がたむろするカードスペースなんかもある。

 ようやく訪れたこの場所で、刹那は眼を輝かせていた。


「どっこかなー、どこかなぁー……あっ、あったよ!」


 それもその筈、何故なら今日は、刹那のお目当ての商品が入荷する日だからだ。

『クリアー・ザン・ヴァージン』通称『処女ギレ』。

 通称の由来は、訳すると「処女よりもキレイ」となるので、悪意のあるネットスランガーたちが名付けたモノである。


 その人気アニメのグッズが当たるという一番くじが入荷されたのだ。

 それを一目見るなり、猫撫で声を発する幼馴染がいた。


「はわわわわ……蓮様、会いたかったよぉ……」


 その『蓮』と言うのは、作品の主人公である。

 無口で不愛想で、いつも殺しの事しか考えていない物騒な奴だ。

 プライズ品にまで自身に営業をかけ、全国に人気を醸した天才。ヤツの思考は、どこまで行っても冷酷に違いない……と、擦れた性格の風浪は考えていた。


「お前に漫画全巻貸されたけど、全然良さが分からなかったな。コイツのどこが良いんだ?刃物を舌で舐める変態じゃないか」

「はー幻滅、幼馴染だと思って貸した私が馬鹿だった。いくら私が勉強出来ても、相手の感性には寄り添えないものね」

「さり気なく素行不良児に学業自慢するのはやめにしろ、溝が生まれる。ていうか、どう見てもこんな奴より俺の方がイケてるんだろ」

「当たり前じゃない……って、何言わせるのバカッ、そういうのキモいんだからねっ! とりあえずアンタも引くんだからねっ⁉」

「……ありがとう、お前明日からツンデレ禁止な。てか、俺にクジ引かせる気満々だったのかよ」


 ちなみに、刹那は優等生故に、こういったモノを買う事に一人では抵抗がある。

 幼馴染で気の知れた相手なので、風浪がこうして駆り出されたのだ。彼は常々「一人でやれよ……」とぼやくのだが、毎度の事なので仕方なく付き合う事になる。


「当たり前じゃない。まずは状況確認よ? まずクジの残りが二十枚残ってて、A賞が残り一つ……そして、私の所持金が六千円……分かってるわね……⁉」


 一回引く事に六百円の出費、彼女は十回引く事しか出来ない。

 激しい欲望の嵐が襲うかの如く、鼻息を荒くしながら語り掛けてくる。


 よっぽど今回を楽しみにして生きてきたのだろう。刹那は世の中の不遇・冷遇など、様々な負の環境に身を蝕まれ、ストレスを溜め込んできたのだろう。蓮さんの活動は世のスレた女性達の目に留まり、その厨二感を持って刹那をも魅了してしまったのだ。

 風浪は、刹那の熱意と苦労が計り知れないでいた。


「まぁ俺にはお前を見守ってやることしか出来ないが、頑張ってくれ」

「なーんか調子狂うわね……アンタにも引いてって言ってるのよっ!」

「なに図々しく所持金の少ない俺をアテにしてんだよ。俺の役目は付いてくるだけだろ」


 そこで刹那はズビシッ! と指を風浪に向けて告げた。


「えぇっ、私が外れちゃったらどうするのよ! 責任取ってくれるんでしょうね⁉」

「突然ヒスるな、外さなきゃいいんだよ」


 風浪が適当な事を言うので、刹那は不機嫌そうな顔をする。


「はー、見損なった、それでもアンタ幼馴染なの?」

「実は幼馴染なんだよ。てか、他人にたかるお前の根性にも見損なったぞ、刹那の中にも良心ってやつはないのか」

「あ、このクジ十回お願いしますー」

「無視かよ」


 刹那は風浪の言葉をスルーするなり店員に話しかけ、お会計を済ませていた。


「じゃあ私、引くわ……!」


 帰り道での態度はどこへいったのか、いつもの端整で屈強な表情が崩れている。

 あまりに鮮やかで期待に満ちた表情が、風浪の気だるさを直ぐに消してしまった。


(頑張れよ、刹那)


 ガラにもなく、刹那の背中を応援してしまう。

 そして、そっと彼女の細白い指先が簡易的な箱の中へ伸ばされた。

 カサリ……と紙が擦れる。官能的で、悩まし気な擬音が、刹那の指を通して脳にまで響き渡っている。彼女の火照った身体の反応を見れば一目瞭然だ。


 一枚を掬い上げ、そのクジ腹部を徐に捲り上げた。


「一つ目……C賞……⁉ や、やたっ!」


 幸先の良いスタートで、刹那の声は喜びのあまりくぐもっていた。

 C賞……血に染まった刃を携えた、主人公のマスコットサイズのフィギュアだった。今日から部屋に飾られるのだろう。


「さーて、お次はどちらが当たるのでしょうか……!」


 続いて、某ゲーム実況主のように、過度な演出とリアクションを加えながら、更に一枚ずつクジを引いていく。

 それを風浪は苦笑しながら見守っていた。


「二つ目……H賞……か!」


 一番下の賞だった。景品のギャップがあるが、確率的にはそういうものだろう。

 しかし、これをジンクスと呼ぶのだろうか……これを機に刹那の果報は遠ざかっていった。


「六つ目……G賞……!」


 これまで、GかHしか出ていない。

 動画映えする展開過ぎて、スマホで刹那の勇姿を画面に収めたいものだと、風浪は思ってしまう。

 そして、八つ目まで似た流れが続いた。


「九つ目……H賞……⁉」

「が、頑張れ刹那! 後一回残ってる!」


 内心熱い展開だと思いつつも、刹那の顔が曇ってきた事に心が締め付けられた。

 だが、周期というものがある。

 悪い事が続けば、必ず最後には良い結果が待っているに違いない。

 しかも、下の賞を引き続けた事で、確率的にはAが当たりやすくなっている。


「大丈夫、絶対に当たるハズだ!」


 風浪は刹那を安心させるように呼び掛ける。


「う、うん……じゃあ最後の一枚……!」


 風浪はグッと拳を握りしめ、力強く、その一枚のクジを睨みつけていた。

 

(——恥だのプライドなんて関係ない。眼力加えたり、祈る程度いくらでもやってやる。それが彼女の心が満たされるなら、満悦した顔さえ見れれば、俺のプライドなんてもうなんだってくれてやる。さぁこい……未来は彼女の手の中だ。当たれ——っ‼)」


 無我夢中で心の中で叫び、組んだ手を額に密着させて目を伏せた。

 ……それから何分経ったであろうか。

 瞼を開けると、クジを開けた刹那がクジの前で棒立ちしていた。一ミリたりとも動きを見せない。様子が気になり、そろりと彼女の元に近付くとと——


「と、十つ目…………………………え、H賞…………だっ、て……?」

「——っ⁉」


 風浪は、掛ける言葉が見つからなかった。

 一方、刹那は真っ白に燃え尽きた表情、心は塵と化していた。


「せ、刹那……」


 こんな悲しい終わり方に……報われないセカイに、どう抗えばいいのだろう。

 風浪は、何と声を掛けて良いか分からなかった。今はむしろ、何かする方が逆効果にさえ思えた。

 一方、店員はいたって冷静に、終始刹那の顛末を見届けていた。


「すみませーん、これ五回お願いしますー」


 そんな中、後ろの方からやってきた少女がくじを引きに来た。

 突如、彼らの頬を「ざわっ……」と妙な擬音が吹き抜ける。


「まさか、こ、こいつは……ッ⁉」


 間違いない、ハイエナだ。

 可愛い子猫の外見とは裏腹に、生活スタイルも、狩りの方法も餓狼のインスパイア。

『獲物は神様の贈り物。感謝と責任を忘れずに骨まで食べ尽くせ』が掟。地球上で最も無駄のないエコロジスト。

 幼気な少女はくじを引き終えるなり、ぱぁぁっと一面の笑顔を見せていた。


「やったー、A賞が当たったーっ♡♡」


 少女は万歳とばかりに、わざとらしく腕を振り上げる。

 一方、ドゴォッ……と刹那に言葉のボディブローが入った音がした。ノックダウン、彼女の目の前が真っ白になった。精神的リョナ過ぎる、可哀想なのはヌけない。


「おめでとう。はい、これどうぞ」

「ありがとお兄ちゃんー♡♡」


 少女はエネルギッシュに飛び跳ね、歯を見せて笑う。そして、片手でピースを作り、ウィニングランで少女は帰っていく。

 やがて、刹那は膝から崩れ落ちた。


「え、ちょっと……お、お客さん、どうしましたか⁉」


 刹那の心は重傷だ。レジの前で倒れてしまうという害悪ムーブをかましてしまう。優等生というレッテルにヒビが入る瞬間であった。


「せ、刹那……」


 風浪は刹那に近付き肩を支えたが、彼女の精神は既に事切れている。

 彼の言葉だけでは刹那の心に届かないようだ。


「く、くそっ、こんなのって……」


 ——悔しいがどうする、どうしたらいい……諦めて身体を引きずってでも連れ帰るか、いや、諦めるな。考えろ、考えろ、考えろ……考えろ考えろ……。


「……はっ⁉」


 その瞬間、風浪はあるモノを視界の端で捉えた。


「あ、あの、すみません店員さん——」



 ◆◆◆◆


「ふんふふーんふふーん」


 刹那は晴れやかな表情を浮かべて、とても生命力に満ちた足取り。スキップまで踏んでいた。


「良かったな、刹那」

「んふふ、んふふふふふ……はっ⁉」


 交友関係上、こんな顔を知っているのは彼だけだろう。推しのグッズ程度でこれほどにまで素を出してしまうだなんて、皆が知ったらどう思うだろうか。

 自分のにやけた面に気付いた刹那は我に還り、顔をしかめ始めた。


「……はっ、べべべっ、別に嬉しくなんかないんだからねっ!」

「俺だって、懐事情的に全然嬉しくない」


 刹那のふてぶてしい態度に、なるべく不機嫌そうな声で言い返す風浪。満更でもなさそうだ。

 そして、刹那はギュっと景品を抱きしめ、顔を赤らめながら言った。


「あ、ありがと……風浪……すっごい嬉しい……」


 突然の掌返し具合に、風浪は目を疑った。

 儚げで、今にも消え入りそうなほどいじらしい表情。前髪から覗かせるその上目遣い。

 そのギャップに、彼は思わず口がまごついてしまった。


「え、いや、あぁ……いいんだ。でも悪いな、これくらいでしか力になれなくて」


 それなりに感謝してくれているのだろう。が、こう面と向かって言われると照れ臭いモノがある。


 皆さんはラストワン賞というのをご存じだろうか。

 最後のくじを引いた者に渡されるグッズの事だ。

 その景品が『蓮様』とかいう推しのグッズでもあったので、風浪は良かれと思って有り金をはたいた。するとこの通り、刹那は元通りになったのだが……。


「いいの、どうせオークションサイトで見つけて手に入れるつもりだったから……」

「ちょっと待て、何塩らしい態度でぶっちゃけてくれてんだコラ。最初から教えてくれてても良かっただろ」

「はぁ、あの後アンタが加勢してくれてたらA賞当たってたかもしれないじゃない⁉」

「そんなの屁理屈だっ⁉ あーもう、大事にしろよな」


 刹那のふてぶてしさに、つい声を荒げてしまう。今月使えるお金を全てはたいたのに、酷い言われようだ。しかし、彼女の喜ぶ顔を見られたと思えば風浪にとっては儲けものである。

 軽くなった財布を感慨深げに眺めていると、チリンと鈴の音が聞こえた。

 目の前で。一匹の黒猫が横切ったのだ。


「あ、猫ちゃんだ。かわいいー」


 痴話喧嘩なんて無かったかのように、刹那は興味を猫に移した。

 そんな彼女を尻目に、風浪は視線を遠くの先へやる。


「そうか、もう……」


 電柱に居座る灰色の外套に気付く。風浪はまるで狩られる羊だ。挑発的で、狩人の眼差しでこちらを常々と監視している。……お前に逃げ場はないぞ、とばかりに。

 それを交戦の合図と受け取った風浪は、彼女の頭を撫でる。


「ひぁっ……⁉ えっ、なに、ちょ……頭どうしたの急に」

「驚かせて悪い、ちょっと急ぎの用事を思い出した。お前の家そこだよな、じゃあな!」

「ま、待って……なによもうっ‼」


 闇が天蓋を覆い始める時、風浪は彼女を置き去りに駆けていった。残り一時間を切った日常を捨て去るように。

 そんな風に、彼らの日常はせわしなく過ぎ去っていく。

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