第10話 勉強会②
「……なんだこれ、魚?」
風浪が手渡されたのは、タッパーに詰め込まれた焼き魚。
良い具合に焦げ目が付いていて、お腹をくすぐる香ばしい匂いが漏れ出ていた。
「ええ、良い塩加減で出来たと思いますの。本日は漁港にて、活きの良いモノを頂きましたので、刹那サマを送り迎えと一緒にご自宅へ持って行ってくださいまし」
と、勝手に話を進めていくライラ。
「なんで俺が、渡すだけで充分だろ。ていうか送るような距離じゃないだろ」
ちょこっと反抗期的態度を見せると、溜め息をつき「あのですね」から説教が始まった。
「何故あなた達の仲が進展しないとお思いで?」
「どういう心境か知らないが、そんなの俺たちの勝手だろ、放っておけよ」
「はぁ~~~またその態度……わたくしはお悲しいです。ご主人はもうそろそろ刹那サマをグイと押し倒すべきなのでございます。といいますか……して良い頃合いでしょう?」
「なに残念そうに人に提案してるんだよ、あいつはただの幼馴染だろ」
「いいーーえっ! 何年間幼馴染をやってこられたのですかっ、まったく……良いお年頃なのですから、ここいらでキスの一つはするべきなのです」
ヤケに気合いの入ったライラに、気圧される風浪。
勢いに飲まれるまいと、風浪は虚勢を張ってこう言ってやった。
「き、キスって……ふん、くだらない。そんな浮付いた事に頭を悩まされるくらいなら、風浪は一生童貞でいい。女なんて要らない、だから風浪に構うな」
その言葉に突如、ライラが「ど、童貞……?」と呟くなり、顔をしかめ始める。
すると、嵐が過ぎ去ったかのような晴れやかな表情と、慈愛の眼差しをこちらに向けた。
「童貞とはですね、ただの怠慢で、異性と関わる機会が少なからずあったのになんの努力もせず、異性と話している相手を遠目でバカにして、嘲笑する何もしてこなかった人の事なのに、それを芸にするだなんて……恥ずかし過ぎてお腹を痛めた母上は泣いちゃいますわよ。もう一度お子宮に戻ります?」
マジレスにドン引きする風浪。
確かに童貞芸は面白くないかもしれないが、感想は人それぞれ。
だが、意図がさっぱり分からず風浪は無難な返事しか出来なかった。
「風浪は童貞芸をしていたわけじゃない、だから落ち着いてくれ」
真顔でライラにツッコミを入れるも、止まる事無くライラは主張し続ける。
「子孫繁栄は我らの願い、貴方はご自分の使命をお忘れになったのですか!」
「そうだな、確かにごもっともな意見だ」
「私はかつて十三血流であった夜獣の血筋を絶たせたくないのです、それをどうして分からぬのですか⁉」
なんて、説教までし始める始末。
ライラは夜獣という一族に強い思い入れがあるのかもしれないが、それは風浪の知った所ではない。
やっぱり年増の女は、こういうお節介が好きなのだろうかと思いながら、彼は眉間を押さえていた。
「もちろん風浪サマにも好みはあり、誰でも良いわけではないでしょう……けれど、刹那サマは風浪サマにぴったりな伴侶、だからキスをするのです!」
「その『だから』が余計なんだよ。どうしてさっきからキス……の事ばっかり言うんだよ!」
童貞なので、風浪はキスという単語を上手く発音出来なかった。
正直なところ、大人感覚のライラに恋愛話というのは、お年頃の若者には結構キツい。
だが、風浪の反応を気にも留めず、彼女は続ける。
「キスは親愛のみに留まらぬ表現を可能にする儀式、まさに芸術なのです!」
「もう分かった、分かったからやめろ、あいつに聞こえたらどうするんだ」
鼻息を鳴らし、テンションを爆上げしながらキスについて熱く語っていた。
恋愛経験のない風浪には、ときめくポイントや、理想のシチュエーションなどを語る事が出来ないので本当に困っている。いや、語る事が出来ても良い事なんかないとさえ考えている。
そんな事を考えている時に、ガラリと扉を開いたのだ。
「え、キス……何の事……?」
「せ、刹那⁉ いや、そのだな……!」
帰る準備の出来た刹那がやってきた。
慌てた風浪は、言葉を詰まらせ目を泳がせてしまう。
「ごめん、聞いちゃダメな話だったかな……」
刹那がチラチラと不審げな視線を送る、先ほどの会話が気になる様子。
そんな風浪の態度が刹那の懸念を生み、更に疑問を芽生えさせてしまう。そんな時に、ライラが助け舟を出してくれた。
「そう……キスなのですっ!」
「「ッ⁉」」
ライラの言葉に、風浪と刹那はそのプレッシャーを受け、怯んでしまう。
しかし、ライラが主張したのは小学生並みの発想……くだらない事だった。
「この魚を、ご自宅で召し上がって頂きたいのでございます!」
「……は?」
一瞬、風浪はライラの言葉に思考が追い付かなかった。
そこで刹那はずいっ、と魚の入った大きなトレーを手渡される。
その中には、カラッと揚げられ黄金色の衣を付けた『キス』の天ぷらが入っていた。
「……ダジャレかよ、いっぺん〇ね(表現の自由)!」
「え、あっ……ありがとうございます。あはは……」
風浪が罵倒の言葉を浴びせるも、刹那は丁寧にお礼を言っていた。
「それと、貴方には刹那サマを送り迎えして頂きますわ」
こんな事の為に『キス』を仕入れたのかと思うと、もうバカらしくなり、反抗心を見せるのも面倒になってきた。
「っていう事らしい。送っていくよ、夜も深くなってきたから」
「あ……うん、よろしく」
刹那の承諾を得た後、ライラは手土産のキスを彼女に手渡す。
一方、風浪は刹那のカバンを背負って、自宅にまで持ち運ぶ。
外へ出て数分ほど沈黙が続いたが、話し始めてきたの刹那の方からだった。
「……ライラさんの喋り方って独特だよね、すごくお上品で」
「そうか? まぁ、気付いた時にはそんな感じで喋ってたし、聞き慣れてるからイマイチピンとこないな」
見る限り、刹那の機嫌はすこぶる良い。
だが、少し申し訳なさそうな声を出して告げた。
「あの、風浪……今日はごめんね?」
「どうしたんだ突然。あー……まぁ、風浪にも悪い所があるんだから気にするな」
風浪は器用そうな態度を取り繕った。
「……でもね、風浪が皆と仲良くなってくれたらやっぱり嬉しいなって思うの。だって本当は風浪って良いヤツだもん、それを怖いだとかで勘違いされるのが私、嫌だなって……」
そんな事を言うのは刹那くらいだ。
だから、心配かけまいと彼女にこう伝えた。
「確かに、一人でいると色々不便な事が多いからな……なるべく努力はするから、刹那もそこまで心配しないでくれないか」
逆に気を遣った事がバレたのだろう、刹那は慌てて謝罪した。
「あっ、偉そうな事言ってごめんね! 大体、私だって人に迷惑かけちゃう事だってあるし、苦手な人だってたくさんいるから……とにかく、気にしないでね!」
焦りながら自虐まで始めてしまう始末。
けれど、そんな刹那を見ながら、風浪は思った。
「(風浪の勇気が欠けているせいで、自分がどれほど制限した生活を送っているかということを理解しなければ……やはり、新しい環境や体験に少しずつ身を晒すようにしていけば、自信も付くはず。戦いが終わった後の事だって考えるべき事の一つだ)」
恥ずかしそうに視線を横にズラす刹那を眺めて、こう呟いてしまう。
「風浪は少し、変わらなくちゃいけないのかもな……」
「え、何か言った風浪?」
風浪の方を向き、尋ねる刹那。
「いや、なんでもない。空がキレイだなと思っただけだ」
つい心の声を漏らしてしまう風浪だが、幸い気にも留めずに、彼女は風浪と同じ夜空を眺めていた。
「そうだね、雲一つない空って星がキレイに輝くものね」
そんな他愛ない話に耽りながら、風浪たちは今にも落ちてきそうなこの星空の下を歩いていくのだった。
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