第6章 何の変哲もない日々は儚く脆く
第25話 新しい夏が始まる
庭の青々とした木々に太陽が降り注ぐ。数少ない小中学生が島を駆け回り、気付けば夏休みシーズンを迎えていた。
今日からはいよいよ星空ツアーも始まる。8月に比べると7月の平日はそこまで予約が多いわけじゃないけれど、それでも初めて自分が企画したものが形になるということもあり、朝からずっとそわそわしていた。
幸いなことに今週の天気予報はずっと晴れ。夜もきっと綺麗な星が見えると思うけど……。
「そろそろ出るのか?」
居間の壁に掛かる時計を見上げた私に、北斗が尋ねた。
「うん。最初のお客さんだからね。フェリーが着いたら出迎えようと思って」
「そっか。……俺も行こうか?」
北斗の申し出に、思わず頬が緩む。そんな私の頭を、北斗が小突いた。
「何、その顔」
「別にー。北斗ってば優しいなって思って」
「やっぱりやめた。一人で行って青い顔してろ」
「あー! ごめん、嘘嘘」
拗ねたようにそっぽを向く北斗に謝ると、私は後ろから北斗の身体を抱きしめた。
「ありがとね。……でも、これは私の仕事だから」
「そうか。……そうだよな」
「北斗?」
黙り込んでしまった北斗に不安になった私は、抱きしめていた腕を放すと、回り込むようにして北斗の顔を覗き込んだ。その瞬間――。
「きゃっ」
気が付くと、私の身体は北斗の腕の中にあった。ギュッと抱きしめられると北斗の心臓の音が聞こえて心地いい。私の鼓動よりもゆっくりなその音に、思った以上に自分自身が緊張していたのだということを思い知らされて、私は北斗の胸に頭をもたれかからせた。
「明莉?」
「……でもね、本当は不安なの。うまくいくかどうか」
「うん」
「楽しんでもらえなかったらどうしよう。予約したものの誰も来なかったら……」
「大丈夫」
その声があまりにも優しくて、私はそっと顔を上げた。そこには、優しく微笑む北斗の姿があった。
「あんなに頑張ったんだ。絶対にうまくいくよ」
「そう、かな」
「俺が保証する」
「北斗……」
その言葉に、今の私がどれだけ勇気づけられているか北斗は知っているのだろうか。こんなにも胸があたたかくなって、心を包み込んでくれていることを。
「ありがとう」
私は北斗の腕の中から出ると、顔を上げた。暗い顔をしていたって始まらない。
まだスタートでしかないんだから!
「それじゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
北斗の優しい笑顔に見送られて私は家を出た。
それでも、港に向かう足は重かった。不安で何度も震えそうになった。
そのたびに、北斗の言葉を、笑顔を思い出す。きっと、きっと大丈夫だと。
「おはようございます!」
「おはよう、明莉ちゃん」
「おはよう、七瀬」
港には真島さんと、それから課長の姿もあった。
ドキドキしながら隣に並ぶ私に、課長は笑う。
「顔が怖いぞ」
「す、すみません」
「緊張してるのか?」
「少し……」
「そうか。……俺はな、わくわくしてる」
課長の言葉が意外で、思わず顔を上げた。なんだか今日は、意外な言葉を聞いてばかり泣きがするななんて思っていると,課長はニッと笑った。
「思った以上にたくさんの人がこの島に来たいと思ってくれた。それは七瀬、お前が考えた企画のおかげだ。それが俺は嬉しくて、それでもってわくわくしてる」
「課長……」
「ほら、フェリーが見えてきたぞ。そんな顔してないで、笑え。あの船に乗っている人たちはみんなお前が考えた企画に魅せられた人たちなんだからな」
「はい!」
小さかったフェリーがだんだんと大きな姿を見せ始め、そして、港に止まった。
中からはたくさんの人たちが降りてくる。小さな子どもを連れた親子連れ、若いカップルだろうか、彼氏が彼女の手を引きながら、フェリーから下りてくる姿も見える。みんな顔をほころばせて、この島で過ごすのが楽しみで仕方がないという表情を浮かべている。
「いらっしゃいませ! ようこそ!」
フェリーから出てくる人たちを私と課長が出迎えると、降りてきた人たちはそれぞれ宿泊予定の民宿やホテルの迎えの車に乗り込んでいく。
ドルフィンスイムを予定しているのか、桟橋近くのお店まで歩いて行く人の姿も見えた。
みんなの姿を見送っていた私の肩を、突然誰かが叩いた。
「明莉ちゃん」
「真島さん?」
「こちらのお客さんがね、あのポスターを見て予約してないけど参加できるのかって尋ねてるんだけどどうかな?」
真島さんの後ろには、私とそう変わらないぐらいだろうか。若い女性が三人立っていた。
話を聞くと、どうやら星空ツアーとは関係なくこの島に泊まりに来たようだった。
「あのポスター見て、そんなのやってるんだったら申し込みたかったーって思って-」
「それでこのおじさんに聞いたら、ちょっと聞いてみてやるよって言ってくれたんです-」
デレッとする真島さんに課長は呆れた表情を向けていたけれど、そんな二人は気にすることなく私はニッコリと笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。予約なしでも大丈夫ですよ。宿泊宿の方に伝えておきますので7時になったら宿から出る車で現地に向かってもらえますか?」
「わかりましたー!」
「あっ、料金については宿泊とセットになったプランがありますので、そちらで対応させていただきますね」
「ありがとうございますー!」
女の子たちは嬉しそうにそう言うと、そのままドルフィンスイムのお店の方へと歩いて行った。
「さーて、宿の方に連絡してきますね」
「よろしく。俺は役場の方にいるから何かあったら連絡してくれていいから」
「はい」
課長と別れて、先ほどの三人組の宿泊場所へと連絡をする。そして、今日の舞台である山の中腹にある南が丘園地まで歩き出した。ここからだと歩いて1時間と少しかかるけれど、それでも歩いて行きたかった。
いつもは島民しかいないけれど、今日はあちこちから声が聞こえてくる。それが楽しくて嬉しい。こうやって島に来てくれたらきっと、島のいいところをみんなに知ってもらえると思うから。
「あ、これ」
舗装された道の傍らに真新しい立て札があった。
「こんなところも直してくれたんだ」
日本語と英語で併記されたそれは、半年前はもっとボロボロで日本語での表記しかなかった。今じゃあ島のあちこちにある立て札がこうやって英語での併記がされているものになっている。それは全部、北斗がこの島に来てから立て直してくれたものだった。
「ありがとう、北斗」
「どういたしまして」
「っ……北斗!?」
一人呟いたその言葉に、すぐ後ろから返事が来て、私は驚きを隠せなかった。振り返ったそこには北斗がいて、ひらひらと手を振っていた。
「ど、どうしたの?」
「散歩」
「散歩って……」
自宅から歩いて1時間近くもかかるこんなところまで、散歩に来るとは考えにくいのだけれど……。不思議に思っている私に北斗は頭をかきながら口を開いた。
「まあなんていうか、俺も落ち着かなかったんだよ」
「そっか」
どちらともなく、私たちは地面に腰を下ろした。見上げる空は真っ青で、遠くで海の青と交わるのが見える。夜にはここにたくさんの人が来て、今の私たちと同じように空を見上げるんだ……。
心臓の鼓動が高鳴る。そんな私を落ち着かせるように、北斗の手が私の手に触れた。
どうしたのかと隣を見るけれど、北斗の視線は空を見上げたままで……。
そっと指を絡めると、私ももう一度空を見上げた。
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