第18話 嵐の夜と八番目の星

 ガタガタと風が戸を打ち付ける音が聞こえる。

 まだ雨は降り始めていないけれど、時間の問題だろう。テレビの天気予報では今日の夜中からこのあたり一帯が暴風域に入ると言っていた。なのに――。


「どうしておじいちゃんは帰って来ないの!」

「浮かれてるんだろ、孫娘の結婚が決まって」

「そ、それにしても! こんな日に飲みに行かなくても!」


 夕方、仕事から帰ってくるとおじいちゃんの姿はなかった。代わりに書き置きが一通。


「田所さんのところって、服部さんの家より遠いのに!」

「そうだな……そろそろ迎えに行くか」


 北斗は玄関に向かうと、念のため傘を持って外に出た。

 慌ててその後を追いかけると、私は隣に並んだ。


「待ってよ!」

「家にいてもよかったのに」

「……いいでしょ、別に」

「もしかして、怖いのか?」


 その言葉にギクリとなる。

 別に一人が怖いとかそういうのじゃないけれど……こんな日はどうしても思い出してしまう。

 お父さんと、お母さんが亡くなった日のことを。

 嵐の日に海に出た観光客の人を探しに行って、波にのまれ――そのまま二人とも亡くなってしまった。

 帰って来ない二人を心配していた私とおじいちゃんが、次にお父さんとお母さんに会ったのは……その日の夜、遺体になった状態でだった。

 だから――。


「だから、嵐の日は、嫌い……」

「……悪い」

「え?」

「嫌なこと、思い出させた」


 俯く私の手を取ると、北斗はギュッと握りしめた。

 その手のぬくもりが伝わってきて……なんとなくホッとする。

 私は北斗を見上げると、小さく微笑んだ。


「今は北斗がいてくれるから、大丈夫だよ」

「そうか」

「うん」


 こんな夜じゃなければ、このまま北斗と一緒に星空の下を歩いていたいぐらい……。

 でも、さっきよりも強くなり始めた風に、私たちは田所さんの家へと急いだ。


「すみませーん」

「お、明莉ちゃん。結婚決まったって? おめでとう」

「ありがとうございます……」

「泰三さん、嬉しそうに言ってたよー」


 思わず苦笑いを浮かべた私に気付かないまま田所さんは続ける。


「可愛い孫娘だから、絶対に幸せにしてくれるやつとじゃないと結婚を認める気なんてなかったって」

「え……?」

「過去のことはわからなくても、今の君がいいやつだってことはわかるって、そう言ってたよ」


 そう言って、田所さんは北斗の肩を叩いた。


「明莉ちゃんのこと、それに泰三さんのこと、頼んだよ」

「……はい」

「おー明莉。それに、北斗も。なんだー? わざわざ迎えに来たのか?」

「おじいちゃん! 飲み過ぎだよ!」

「全然飲んでねーぞ!」

「はいはい……」


 よたよたと歩くおじいちゃんの腕を掴もうと、手を伸ばす。けれど、私が掴むよりも早く、北斗がおじいちゃんの前にしゃがんだ。


「ほら、乗って」

「なにをー!」

「そんな足で歩いてたら、転んじまうぞ」

「だいじょう……おっと」


 北斗の背中を押し退けようとしたおじいちゃんは、そのまま前のめりに転びそうになる。

 そんなおじいちゃんを、笑って北斗は引っ張り上げた。


「ほら、意地張るなって」

「くっ……」


 北斗の背中に背負われたおじいちゃんは……なんだかいつもより小さく見えた。

 田所さんにお礼を言うと、私たちは帰り道を歩く。

 相変わらず風は強いけれど、雨雲はまだこちらまで来ていないようで、やけに星が綺麗に見えた。


「あ!」

「ん?」

「ね、北斗。あれ、見える? 北斗七星の八番目の星」

「八番目?」


 不思議そうに、北斗は私が指さす方向を見上げた。


「あれ?」

「うん。正しくはすぐそばにあるあの星の恒星なんだけどね。――でも、昔お母さんからそう教えてもらったから、私の中では八番目の北斗七星なんだ。……変かな?」

「いいんじゃないか? 正しい答えを知ってる上で、お母さんとの思い出を大切にしてるってことだろ」


 サラリと北斗は言った。

 ……この人の、こういうところ好きだなぁって思う。

 特に興味のないような顔をして、相手の欲しい言葉をくれる。

 ぶっきらぼうな喋り方をするけれど、本当のこの人は、凄く優しい人なんだと、私は思う。


「ありがとう」

「別に」

「……お前ら、俺のことを忘れてないか?」


 北斗の背中で、おじいちゃんがムクリと顔を上げた。


「わ、ビックリした! 寝てるのかと思ってたよ」

「起きとるわ! ったく。アルコルがどうしたって?」

「アルコル?」

「さっき明莉が言ってただろ? 八番目の星。アルコルのことだろ」

「そういう名前なのか」


 北斗はもう一度空を見上げる。つられるように顔を上げたおじいちゃんは怪訝そうに言った。


「アルコル……見えるか?」

「え?」

「俺には見えないな」

「嘘? あんなにはっきり見えてるのに?」

「ホントか? 俺をからかってるんじゃないのか?」

「なんでそんなことするのよ!」


 うーん、と唸りながら目を擦ると、おじいちゃんはもう一度空を見て……やっぱり見えないな、と呟いた。

 あんなにはっきり見えるのを見えないだなんて……私は、アルコルのもう一つの名前を思い出して、思わず身震いをした。

 そんな私を北斗は不思議そうに見る。


「どうした?」

「う、ううん。……おじいちゃんってば飲み過ぎなんじゃない?」

「…………」

「おじいちゃん?」

「……寝てる」

「もう……」


 スースーと寝息を立てて、おじいちゃんはいつの間にか眠っていた。

 ホッと、小さく息を吐く。

 アルコル……またの名を、死兆星……。

 そういえば、お父さんとお母さんが死んだあの日の夜も、嵐が去り、雲が割れたその隙間から、今日と同じようにアルコルが見えていた。


『見えていたはずのアルコルが見えなくなると死が近い』


 そんな言い伝え、別に信じてなんていないけど……。


「っ……」

「明莉?」

「なんでもない! ……雨が降る前に帰ろう!」

「……おう」


 足早に歩く私たちを、不気味に輝くアルコルが見下ろしていた。

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